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二つの決意

 礼子はかすかな苛立ちを覚えていた。アヤメの反応は、自分が想像していたものと違っていた。疑心暗鬼にかかっているのは、わかった。だが、自分にすがってくる様子がない。それどころか、いつのまにか妃奈子や雪久と仲良くなっていることが、腑に落ちなかった。


(どうやったら小鳥遊や九鬼と関われるっていうのよ!)


 礼子は手近にあったクッションを壁に投げつけた。そして、パソコンに向かう。


 調べてほしいことがあるとレディに連絡をいれた。一時間程度で返信がきた。


『小鳥遊妃奈子および九鬼雪久は比良坂夜見と関係あり。詳細不明。比良坂夜見は東雲セキュリティの東雲志乃の娘。一般生である理由は、ヤクザの組を壊滅した死神という噂のために諸高校より受験拒否を受けた。ただし、この情報も確定不可能。ヤクザの組をつぶしたのは事実。佐久間とは連絡不可能。なお、これにて君との関係は切る。以上』


 相変わらず、情報のみの事務的な返信だった。ただ一つ違ったのは、関係を切ると書かれていた。礼子は急ぎ返信を送ったが、送信エラーとなった。完全に切られている。


(どういうこと?)


 レディは金で動く人間だ。礼子は万が一の裏切りに対して、その素性は調べてある。ただ、脅しのネタになるようなものは、入手できなかった。せいぜい、彼が以前に恐喝で立件された過去はあるが、それは証拠不十分で不起訴となっている。

 礼子は、歯噛みする。何かが狂い始めた。すべてがうまくいかなくなっている。

「冗談じゃない……」

 礼子は湧き上がる怒りが全身を駆け巡るのを感じていた。


 昨日、早退したアヤメは、今日は夜見と登校してきた。礼子は教室に入ってきたアヤメに昨日は大丈夫だった?と優しく声をかける。

「うん、大丈夫。ちょっと具合悪かっただけだから」

「そう。何か病気なの?」

 アヤメは戸惑う。礼子は内心当然だと思っていた。

「病気……とは、ちょっと違うんだけど……ごめんね。礼子ちゃん。うまく言えない」

 アヤメは困ったように笑った。

「いいのよ。無理に言わなくて。また、具合悪くなったらちゃんと言ってね」

「ありがとう」

 礼子は微笑み返すアヤメに少しイラつく。

「ところで、今日一緒に登校してきた子って……もしかして、比良坂さん?」

「うん、そうだよ」

「どんな子なの?みんなの噂を信じるわけじゃないけど……いじわるとかされてない?」

 アヤメは花がほころぶように笑った。

「全然、すごくいい人だよ」

「そうなんだ。よかった」

 礼子はそう口にしながら、腹の中で苦虫を噛む。丁度、そこへ佐久間が教室に入ってきた。一瞬、アヤメの表情が硬くなるのを礼子は見逃さなかった。やはり、佐久間はアヤメに何かしたのだ。そして、アヤメは彼の存在に恐怖を覚えている。

 だが、佐久間の様子がおかしかった。

こちらをちらりと見て、ひどく落ち込むような表情を見せた。礼子は不可解だった。


(どうしてそんな顔をしているのよ。あんたは人を虐げて楽しむ人間だったじゃない!)


 礼子はアヤメが佐久間におびえる表情を露骨に見せないことが苛立たしい。佐久間が勝ち誇ったようにいやらしい目つきでアヤメを見ないことがさらに不愉快だった。そして、休み時間ごとにクラスの人間たちがアヤメに話しかける。ほとんどが、妃奈子や雪久のことを聞く。

 アヤメはまだ仲良くなったばかりだからとうまく答えられないでいた。夜見の話題になると、アヤメの表情がやわらかくなる。安心しきったような、幸せそうな、そんな顔だ。


(いったいなんなの?一般生になど興味がないって顔してたくせに!)


 礼子はアヤメのまわりに集まる人間に腹を立てていた。あまりに腹立たしくて、礼子は早退した。アヤメが心配そうに気を付けてと言ったとき、礼子は思わず、冷たい声でほっといてと言ってしまい、あわてた。

「ごめんなさい。なんだか、今日は本当に調子悪くて……」

「気にしないで。あたしは大丈夫だよ」

 アヤメは少し悲しそうに笑う。


 礼子は胸が苦しくなった。それを悟られないように教室をでる。感情が隠せない自分に不安を覚えた。

「いったいなんなの……」

 つぶやきが口から洩れる。誰が傷つこうと誰が悲しもうと、すべてざまあみろと嘲笑ってきた礼子は、このどうしようもない苛立ちと不安感に動揺していた。


『愚かな行為は必ず自分にかえります』


 不意に義母の声が蘇る。礼子は、昇降口で乱暴に自分の靴を履く。まるで何かに追われるような感覚が、足元から這い上がってきて、逃げるように寮へと戻った。


◆


 お昼休みになると、夜見がアヤメのクラスへやってきた。

「どうしたの?」

「ちょっと様子見。佐久間が登校したって聞いたからさ」

 アヤメは大丈夫だよと微笑むと夜見はアヤメの頭をむちゃくちゃに撫でた。

「ちょ、夜見。痛いよ」

 アヤメが苦笑いを浮かべると、夜見は真面目くさった顔でごめんと謝った。

「岸崎の姿が見えないな」

「うん……具合が悪いって早退したの」

 アヤメは複雑な表情を浮かべる。心配している自分とほっとしている自分がいて、アヤメ自身混乱していた。

「昼飯、誰かと食べる予定ある?」

「ううん…」

「よし、じゃ天気がいいからコンビニ行こう。外で食べるのもたまにはいいだろ?」

 夜見はにやりと笑った。アヤメはうんとうなずく。二人は教室を後にして、コンビニに向った。

 歩きながら、夜見は授業に支障がないかとか、何食べるとか、何が好きとか嫌いとかたわいのない話をしてくれる。礼子のことや佐久間のことには触れない。アヤメも夜見にいろいろ聞いてみた。

 妃奈子や雪久のこと、家族のこと、とにかく思いつくままに聞いてみたかったことを聞いてみた。夜見は、ひとつひとつきちんと答えてくれた。

 

 妃奈子とは子供のころにいっしょに誘拐されたとか、雪久とは中学からの腐れ縁だとか、兄弟は渡米している兄がいて、中学生の双子の妹と弟が今は両親の頭痛の種になっているとか、それを自分のせいにされるから腹が立つだとか……。

 そのなことをぽつぽつと話しながら、昇降口にたどり着くと、背後から遠慮がちに真田さんと声が聞こえた。アヤメは振り向いた瞬間、全身が泡立った。声をかけてきたのは、佐久間だ。

 彼は勢いよく頭をさげてごめんなさいと言った。

「あんなことして、謝ってゆるされるなんて思ってないけど……どうしても、言いたかったんだ」

 佐久間は頭を下げたまま、そういう。アヤメは深呼吸して、頭をあげてと静かに言った。

 佐久間がおずおずと頭をあげると、アヤメは意を決したように真剣なまなざしで彼を見据える。

「あたしはあなたのしたことを許せない。だから、あたしはあなたのことを忘れる。あなたは忘れないで。そして、もう誰にもあんなことしないって誓って」

「しない。もう、絶対しない」

「うん。それとこれからは、あたしに関わらないで。あのときのこと思い出して怖いから」

 佐久間は強くうなずいて去って行った。


 アヤメは力が抜けたように、ふらついて夜見がそれを支えた。アヤメはすごいなと夜見が囁く。アヤメは振り向いて夜見の顔をみた。とてもうれしそうに、そして楽しそうに笑っている。

「な、なにがすごいの?」

「なんだ?自覚してないのか?さっきのセリフ。罪を憎んで人を憎まずだろ?」

「そんなこと……ないよ……夜見だってきっと同じことあったら……」

 アヤメが言葉を詰まらせながら、体制を立て直していると夜見は間髪入れずに

「ない。あたしはハムラビ法典だ」

と堂々と言った。

 アヤメは思わず、吹き出した。

「そこで笑う?」

 夜見はちょっと不服そうな顔をした。

「だって、ハムラビ法典って……」

 アヤメは笑いが止まらなかった。

「いつまでも笑ってないで、行くよ。昼休み終わるぞ」

 夜見は笑って、アヤメの手を引いた。


(きっと夜見のおかげだ)


 アヤメは手を引かれながら思う。夜見がそばにいてくれたから、ちゃんと思っていることが言えたのだ。佐久間に声をかけられたとき、本当はすごく怖かった。逃げ出したかった。頭をさげられても、どうしていいかわからなかった。


 もし、一人だったら逃げていたとアヤメは思う。そして後悔し、あの日の恐怖にずっと苦しんだかもしれないと思った。でも、今は気持ちがとても軽くなっているとアヤメは思う。だから、教室に戻る前に夜見にありがとうと言った。夜見はなんのことだと聞き返してきた。本当にお礼の意味がわからないという顔をして。

「いいの。言いたかったの。それだけ」

 アヤメは笑う。変なのと夜見も笑った。その夜、アヤメは礼子にすべてを話す決意をした。


(きちんと向き合おう)


 そして、自分の気持ちにも決着をつけよう。礼子と自分の問題は、二人で話さなければ解決しない。アヤメは、いつまでも怖がっていては前に進めないのだと、佐久間の件で思ったのだ。まずは、特殊雇用を解除してもらおう。そしてもらったお金も返そう。一からやり直そうとアヤメは思った。

 たとえ、礼子に裏切られていたとしても、そうでなかったとしても。これは自分でしか解決できないことだとアヤメは強く自覚した。


 同じころ、礼子は考えていた。どうしようもない苛立ちと不安の中で。次の手を。アヤメを苦しめるための方法を。そして、行動は礼子の方が一歩先だった。

礼子はパソコンに向かう。


(使えない奴はいらない)


 彼女は【レディ】こと石田光男の代わりになる人間を探す。今回は大した腕はいらない。この学園のすべての生徒に怪文書を送りつけるだけなのだから。依頼料を提示すると、有象無象が集まってきた。そこからふるいをかける。少し手間はかかるが、今夜中には必要な人材は見つかるだろう。


(みんな壊してやる!)


 礼子は何かに取りつかれたように、キーボードをたたき続けた。


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