step by step
夜見が眠っていた二週間の間、学園は期末テストを終了した。礼子は、精密検査を受け、問題ないということだったが、試験は半分しか受けられなかった。アヤメは妃奈子同席の状態で、柚木に礼子が飛び降りるまでの経緯を話した。妃奈子はアヤメにしばらく自分のところにいるように言った。
「でも、あたし……」
「アヤメちゃんは、今混乱してるでしょ。それがおさまるまでは、私の側にいてちょうだい。嫌なら私がアヤメちゃんの部屋に押しかけるわよ」
そういわれて、さすがにあの狭い部屋で妃奈子を寝起きさせるのがしのびないと思い、妃奈子に従うことにした。妃奈子の言うとおり、確かに自分は混乱しているとアヤメは思った。とても試験どころではなかったけれど、何かしてないと怖かった。試験開始から数日後に礼子の姿を見て、ようやく彼女が無事だったことにアヤメは安堵した。
試験期間が終了すると生徒たちは、一気に夏休みの話で盛り上がっていた。そんな中、礼子がそっとアヤメに近づいて話があるのと言った。アヤメも静かにうんとうなずいて、二人で久しぶりに下校した。
礼子は途中で自販機の前にとまり、いろはす・みかんを二本買う。そして、アヤメに一本渡して、木陰のベンチに腰を下ろす。アヤメも無言で隣に座った。すっかり夏ねと礼子がつぶやく。そうだねとアヤメは答える。あっという間の一学期だった。いろんなことがあった一学期だった。いつの間にか制服も夏服だった。
二人同時にペットボトルのふたを開けて、少しだけ飲む。冷たい水が、のどを潤していく。
礼子は、ふっとため息を吐いてようやく口をひらく。
「あんたに謝る気はないわ」
アヤメはうんとうなずく。でもと礼子は言葉をつづけた。
「ありがとう」
アヤメは驚いたように礼子の顔を見た。礼子はじっと空を見ている。
「あんたもあやまったりしないで。むかつくから」
アヤメはわかったと言った。そして、でもと言う。
「二度とあんなことはごめんだわ」
「どれのこと?」
「礼子が飛び降りたこと。心臓が止まるかと思った」
今度は礼子がアヤメの顔を見た。アヤメはうつむいてかすかに笑っていた。
「そうね。あたしもあれはさすがにやりすぎだと思ったわ。自分でもね」
礼子はコクコクと水を飲む。アヤメもコクコクと水を飲む。
「夏休み、どうするの?」
「実家に帰るわ。あんたは?」
「寮に残るわ。お盆には後見人の人とお墓詣りにいくけど」
「後見人?」
「そう、新しい家族だよ」
礼子はふうんと言った。二人は一気に水を飲み干した。礼子は立ち上がって、またねと言ってさっさと一人で行ってしまった。
アヤメは木陰のベンチにしばらく座って空をみた。
蒼い夏空。
アヤメの心にはたくさんの傷ができた。それと同じくらい自分の弱さを知った。そして、その分だけほんの少し強くなれた気がした。
『スタートは何度でもきれるんだよ…』
アヤメはそうだよね先生と心の中で呟いた。
◆
雪久は試験が終わるとすぐに実家に帰った。試験中、不眠が続いたせいだ。心的外傷後ストレス障害によるもので、精神科から安定剤と眠剤は処方されているが、ときどきそれが効かなくなり、不眠の状態に陥る。そうなると、実家に帰って静養するしかない。雪久本人は、不安や恐怖は感じないのだが、体の方がどうにもならない。寮で生活するようになって、週末は必ず実家に帰るのが習慣だったが、今回は試験直前だし、いろいろと夜見の周りでトラブルが発生していたので、帰らなかったのだ。識に現状を話すと、試験が終わったら即刻実家に戻るよう言われた。
(心配してる識ってかわいいよなぁ)
などと、だるい体を引きずって迎えの車に乗る。
眠りたい衝動があるのに、眠ることができないまま、家に着く。車から降りると、識がおかえりなさいませと使用人の顔で出迎えた。雪久はただいまといいながら、識の腕の中に倒れこんで意識を失った。傍にいたメイドの少女が先生をおよびしますかと言う。お願いしますと識は答えて、雪久を寝室に運んだ。
「人の気も知らないで……」
識はため息交じりに、穏やかな寝顔の雪久の頭を撫でた。雪久の話だと、夜見は岸崎礼子という娘に触れた後、倒れたと言っていた。あのときと同じだなと識は数年前の事件のことを思い出す。
(雪久がヤクザに拉致され、暴行されたあのときも……)
夜見は、一夜にして組を一つつぶした後、識と雪久をかくまっていた彼女の家の別荘にやってきて、雪久に触れるなり意識を失って倒れた。
『比良坂の血のせいなんです。そちらが気になさることはありません。まあ、一種の特異体質なのです。あの子は』
夜見を迎えにきた父親である比良坂凪は、困ったような表情で笑ってそういっていた。そして、雪久の症状が落ち着くまで別荘にとどまるよう勧められた。九鬼家の方にも比良坂側から事情が伝えられたようで、雪久が立ち直るまで識にすべてが一任された。
あの事件のきっかけを作ってしまったのは識自身だけに、あの頃のことを思い出すと胸がじくじくと痛むが、こうして穏やかな雪久の寝顔を見ていると、もう、それだけで何もいらないと思った。
◆
試験を終えた妃奈子は、夜見を訪ねて柚木の官舎にいったが、宮原と言う看護師に今は静養中なので面会はできませんとにこやかに追い返されてしまった。アヤメが落ち着いたことを報告したかったのもあるが、あの日から夜見の姿がみえなくて心配だった。
雪久といっしょに土曜の朝から、夜見に会いに行ったあの日。
ひどく弱っているような気がしたのに、突然、寮へ走りこんできて岸崎礼子の部屋に飛び込んだときは、アヤメの部屋に飛び込んだときの夜見とかわらない風情だった。だから、ただ眠かったのかなと少し安心していたのだけれど。
(面会できないほど、ひどい状態なの?私には何もできないの?)
妃奈子はため息を吐きながら重い足取りで、北東の温室に向った。あそこなら、人目を気にせずにすむ。翠がいても、彼女は察しがいいから一人にしてくれる。そう思って、温室の扉を開けるとなぜか三ノ宮がいた。
妃奈子の眉間に皺が寄る。
(よりにもよって……)
引き返そうとした妃奈子を三ノ宮が呼び止めた。
「その様子だと比良坂さんには会えなかったんだろ?」
にやにや笑いながら三ノ宮は言う。妃奈子はそうよと怒りをあらわに、三ノ宮を睨みつけた。三ノ宮は気にもしないで、にこやかに手招きする。妃奈子は、ため息をつきながらも、その手招きに応じた。
「見てみて、ヒナちゃん。猫がいるよ」
三ノ宮は小声で妃奈子にささやいた。白い猫と黒い猫がベンチの裏の土をほって何かしている。人に慣れているのか、こちらを見ようともしない。
二匹の猫は何かを埋め終わると、くるりと振り返り、三ノ宮と妃奈子を見上げた。
「オッドアイだね。それもまるで交換したみたいだ」
三ノ宮は面白そうにそういう。白い猫は右目が赤く、左目が蒼い。逆に黒い猫は左目が赤く、右目が蒼い。猫たちは、何事もなかったように二人の間をすり抜けて、姿を消した。
「珍しいもの見れたね、ヒナちゃん」
「その呼び方、やめてよ。英介」
「いいじゃん、誰もいないし」
本当にむかつくと妃奈子はぶすくれている。
「あんたのそういうところ、嫌いよ」
「そう?俺はヒナちゃんのそういうところ好きだけど」
妃奈子は自分の顔が赤くなるのを自覚する。
(本当にむかつく……)
どうせ、深い意味のない「好き」と言う言葉に、動揺させられる自分に妃奈子は、腹が立つ。
「怒った顔、俺にしか見せないもんね」
三ノ宮はしれっと言う。
「あんたが人を怒らせるようなことばっかりするせいでしょ」
「まあ、そうともいう」
三ノ宮はそういって、とりあえず、座ろうよとベンチに腰かけた。妃奈子も仕方なく隣に座った。
「それで、比良坂さんにはなんで会えなかったの?」
「静養中だから面会できないって、看護師の宮原さんって人がいってたわ」
三ノ宮はふうんと言って何か考え込んでいた。
「実家に戻ってないってことは、たぶん、大丈夫だよ」
「なんで、あんたにわかるのよ。そんなこと」
それは俺が三ノ宮だからと、にやっと笑って妃奈子の頭をポンポンと軽くたたいた。まるでそれが何かの合図のように、妃奈子の目から涙がこぼれる。三ノ宮は気づいてないふりをしながら、比良坂家について少し話した。
「代々、宮内省務めのお役人筋なんだけどね。ご先祖様には陰陽師だった人もいるらしいんだ」
妃奈子はうつむいたまま、それがなにとつぶやく。
「うん、関係あるかないかなんてわかんないけど、比良坂さんは特異体質らしくてときどき昏睡状態に陥るんだってさ。たぶん、今もその状態に近いのかもね。だから会えないけど、命にかかわるような状態なら実家に戻ってるか、入院してるはずだから、心配ないよ」
「なんであんたがそんなこと知ってるのよ」
「柚木さんとちょっとした取引したから、得られた情報」
だから心配ないよと三ノ宮は、また妃奈子の頭をポンポンとたたく。妃奈子はそっと涙を拭いて、三ノ宮を睨む。
「もう!人の頭ポンポンたたかないでよ!むかつく」
はいはいと三ノ宮は、立ち上がった。それから、ポケットから何かをとりだして妃奈子に渡す。
「冷却アイマスク?」
「目、冷やさないと腫れるでしょ」
三ノ宮はそう言い残して、温室を出て行った。妃奈子は、すべてお見通しのような三ノ宮の背中にべっと舌を出して、渡されたアイマスクを目に当てた。
冷たくて気持ちがいい。重かった心も少しずつ軽くなっていく気がした。
◆
倉橋遼は、深々とため息をついた。試験終了後、二学期に開催される体育祭について話し合う予定で委員たちは会議室に集まったのだが。全員がそろうなり、三ノ宮は一言。
「花火大会やるから」
と言い残して姿をくらませた。
二年、三年の委員は深いため息をつき、一年は呆然としている。
「で、どうする?副会長」
補佐役の北条聡が苦笑いを浮かべて倉橋にたずねる。
「アレがやるといったら、完全に決定事項です。申し訳ありませんが、企画立案手伝ってもらえますか?」
「了解」
倉橋はありがとうございますと北条に礼をいい、集まった委員たちには明日それぞれ委員会を開いて、希望があれば出すように通達し、今日の会議をたたんだ。倉橋は生徒会室にもどり、会長席を見る。そこには一冊のタウン誌があった。
『花火大会特集号』の文字に倉橋はやっぱりなと思いつつ、雑誌をめくった。
「花火大会なんて、そんなに楽しいもんかね」
北条は不思議そうな顔で、ソファーに座る。尽かさず、相川がコーヒーを淹れて北条の前に置いた。
「そうですよね。花火を見るのは楽しいですけど、それだけっていうのは、会長らしくないような気がしますが」
と相川は小首をかしげた。
「アレはそんな単純なことをいう人間じゃないですよ」
倉橋は二人に付箋の張ってあるページを開いて見せる。相川の目が一瞬にして輝いた。
「これってなんですか!なんで金魚ぶら下げて歩いてるんですか!!」
どうやら、相川は露店を知らないらしい。おそらく、この学園の大半の生徒は露店をうろついたことなどないだろう。あったとしても、それは記憶にあるかないかのかなり幼い頃のことだろうなと、倉橋は思った。
「要するに、これがしたいのか?三ノ宮は?」
「まあ、そういうところです」
おそらく、それだけではないと倉橋は考えていた。
「日程はどうするんだ?」
「もう、終業式の夜ってことにします。一週間で準備できるかどうか、微妙なところですが」
そこをどうにかするのが倉橋の役目だ。露店業者の手配はそう難しくはないが、花火となると時期的にも、時間的にも難しい。
ここはひとつ体験教育という大義を利用して理事会に話を通すしかないだろう。倉橋は雑誌を見ながら、思いつく限りの必要な業者と生徒会の年間予算について考える。
(会計がどこまで譲歩してくれるか……それと保護者会や理事会、先生たちにも協力してもらう方法を考えないとな)
花火大会の経費は、大人から引き出せるだけ引き出さなけれが、今後の生徒会運営に問題が生じる。最終的には三ノ宮が動くだろうが、穏便な原案は固めておかなければならない。
倉橋は北条と企画立案について話し始めた。相川は二人の会話を聞きながら、PCに案をまとめていった。




