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心理と真理

 夜見は三日間の謹慎をくらっていた。表向きは病欠。温室で夜見を囲んでいた少年たち三人は、手首の関節を外されてのたうちまわっていたところに警備員がとんできた。とんできた警備員の一人が以前、警備棟で暴れた夜見のことを覚えていたので柚木への連絡は早かった。

「で?結局、三ノ宮が噂については、つぶしたというわけか」

 夜見はどうでも良さそうにソファーでごろごろしながら、有栖川の話をきいていた。

「アヤメは寮に戻るんだって?」

「ええ、期末試験が近いということで」

「ふーん。じゃ、あたしも謹慎とけたらあっちに戻ろう。アヤメのTPSDの状態は?あの部屋にもどしても大丈夫なの?」

「ええ、今のところ鎮静化に向かってます。夜もうなされることがないようですが、完全には治癒しません」

 夜見はだろうなとつぶやく。心の傷は、厄介なものだ。他人からも自分からも見ることが出来ない。神経と脳が反射的に動いてしまうから、何がきっかけでフラシュッバクを起こすかわからないのだ。


「あ、帰ってきた」

 夜見がふっとつぶやく。有栖川がふりかえるとただいま帰りましたとアヤメがリビングに入ってきた。

「おかえりなさい。…あら、久我君。どうしたんですか?」

 アヤメの後ろに立っていた久我が、複雑な表情を隠しきれないでいる。有栖川の問いにもすぐに答えられずにいるので、アヤメが助け船を出した。

「柚木さんから、何か頼まれたんですよね」

「ええ、まあ……」

 それでも、久我は歯切れが悪い。夜見は体を起こして、三人の方を向くと

「抜け出さないように見張ってろとでも言われてんだろ?」

なげやりにそう言った。

 久我は、深くため息を吐いてその通りですと答えた。有栖川は苦笑を浮かべながら、アヤメに着替えを促し、アフタヌーンティにしましょうと提案した。アヤメは、はいと返事して部屋へあがっていった。夜見は久我を手招きして、向かいに座るように促した。

「今回はおとなしくしてるって言ったんだけどなぁ。信用ないのかなぁ」

「さあ、俺に聞かれても困ります」


(調子が狂う……)


 久我はいつもと違う夜見を見て、どうするべきか対応に困った。ウサギのときは、完全戦闘モードで久我にとってはわかりやすかった。温室で寝ているときも、隙がない。だが、今の夜見はけだるそうに見えているだけではない。いつもと雰囲気が違うのだ。気配を消しているとか、いないとかではない。ぼやけているのだ。ピントがはずれた写真のように、どこかぼんやりしている。


(こんな状態なら見張る必要もないだろうに……)


 久我は居心地が悪そうに有栖川に手伝いを申し出たが、あっさり却下される。

仕方なく久我は夜見に具合が悪いのかと聞いてみた。夜見はまあそんなところだとソファーに横になる。

「こういう状態だからな。脱走の心配はいらないって聖に言っとけば?」

「そうしたいところですが、司令は例の少年たちの保護者の対応に追われています」

「追われてる?あの策士が?ありえないよ」

 夜見はぼんやりとした表情の中に、苦笑を浮かべる。久我はなんだか不安になってきた。


(こいつ……本当に具合よくないんじゃないのか?)


 久我は何気なく手を伸ばして夜見の額に触れた。熱はないなと思いながら、久我は、はっとしたように夜見をみた。だが、剣呑な気配はなく、久我は拍子抜けした。その上、夜見は目を閉じて冷たいと一言つぶやくと眠ってしまった。久我は小さなため息をついて、有栖川にブランケットはないかたずねた。

「え?ブランケットって……お嬢、眠ったんですか」

 有栖川は心底驚いたようにそういう。

「見ての通りです」

 久我はその反応に疑念を持ちつつも、ぶっきらぼうにそう答えた。穏やかな寝息が聞こえて、有栖川はふっと柔らかな表情を浮かべた。

「ブランケットより、ベッドに寝かせた方がいいですね。久我君、お願いできますか?」

 久我はうなずいて、夜見を抱え上げた。夜見の体には、まったく力が入っていなかった。そのうえ、ひどく軽い気がした。


(こいつ、飯ちゃんとくってんのかよ?)


 久我はなんだかいろいろ気になる自分に少し戸惑いながらも、有栖川に案内されるまま夜見の部屋に入った。そこにはベッドとクローゼットがあるだけで、私物らしきものがない。もともとが司令の官舎である。来客用の寝室だから、当然と言えば当然なのだが……。

 有栖川と久我は夜見をベッドに寝かしつけてリビングに下りた。リビングではアヤメが少し不安な顔であたりを見回していたが、二人が二階から下りてくるのを見てほっとした様子を見せた。

「あの……夜見は?」

「寝てしまいました。謹慎になって退屈されてたのでしょう」

 有栖川はにこやかにアヤメに説明して、お茶とお菓子をテーブルに並べた。アヤメは紅茶をいただきながら、やっぱり噂のせいでしょうかと二人の大人に聞く。

「お嬢は、噂など気にしませんよ。噂を鵜呑みにした生徒さんに反撃したことを、多少悔いてはいやっしゃいましたが……」

 有栖川はただしという。

「怪我をさせたことについてではなく、温室で相手をしてしまったことにですけどね」

「何でですか?」

 久我が素直に疑問をぶつけた。

「お嬢は、学園内の死角になる場所をいくらでもご存知ですよ。そこまで相手を誘導すれば、警備がとんでくることはないし、誘導できないわけでもない。お気に入りの温室で問題を起こせば、柚木さんに謹慎くらい言い渡されることだって承知の上だったでしょう。ですから、謹慎を言い渡された時に、余計な温情だったとおっしゃってましたね」

 有栖川はくすくすと笑う。久我もアヤメもなんと言っていいかわからなかった。二人はまだ比良坂夜見という人間にかかわって間もないのだから、仕方がないと有栖川は思う。関わった時間が長かろうと短かろうと、その人のひととなりを知るのにあまり関係はないのだけれど、知れば知るほどわからなくなるという相手もこの世には存在する。元来、人間は単純であると同時に複雑な多面性をもっているのである。

「あそうだ、有栖川さん」

 アヤメは何気なくという感じで、有栖川に声をかける。有栖川はなんでしょうとにこやかにほほ笑む。

「週末……礼子ちゃんと話し合うことにしました」

 どこか意を決したようにアヤメがいう。有栖川はそうですかとやはり穏やかに笑う。久我の方は、大丈夫なのかと口を挟みたくなったが、アヤメ本人の決めたことだから黙っていた。

「本当は誰にも言わないで行こうと思ったんです。でも、なんだか少し不安で……」

 アヤメは少し視線を落とす。

「それでも、あなたはちゃんと彼女と話をしたいのでしょ?」

「はい…」

「真田さんは、彼女の過去について知っていますか?」

「あの噂が事実かどうかはわかりません……だから、それもちゃんと本人に確かめたいんです」

 有栖川は、すこし困ったような顔をした。けれど、アヤメを止めるつもりはないようだった。

「本当なら、第三者を間にいれてほしいのですが……真田さんが決意したのなら、私が止めることはできません。それで岸崎さんの様子はどうですか?冷静に話し合える感じでしょうか」

 アヤメはそれを聞かれて、少し戸惑う。今の礼子は、誰が見ても情緒が安定しているようには見えない。

「わかりません。今は、噂のこととかで精神的に疲れているように見えました」

「そうですか。噂の方は校長先生の訓戒で幕を閉じたようですから、週末なら彼女も少しは落ち着いているかもしれませんね。ところで、そのことはお嬢に話してもいいですか?」

「それは……できれば、黙っててください」

「どうしても?」

 有栖川は優しく念を押す。

「夜見には、たくさん助けてもらいました。礼子ちゃんのことは自分でがんばりたいんです。どうしてこんな風になったのか……ちゃんと自分で決着をつけたいんです」

 有栖川はわかりましたと微笑んで、久我をちらりと見る。久我は軽くうなずく。

「できれば、警備隊が監視できる場所で話し合いをしてもらえると助かります。俺の立場上の話なので無理にとはいいませんが」

「えっと……礼子ちゃんの部屋で話すことになっているので、それは難しいと思います。ごめんなさい」

 久我は謝る必要はありませんと答える。

「女の子同士で殴り合いなんてことにはならないでしょうから、念のため提案してみただけです」

 アヤメはにこりと笑ってありがとうございますと言った。


(あいつもこんな風に笑えばいいのに……)


 久我はふっとそんなことを思う自分に戸惑う。今日はなんだか調子が狂いっぱなしな気がした。



 礼子はベッドに仰向けになったまま、考えていた。アヤメはいったいどういうつもりなのかと。考えても、考えてもわからない。


(わかっていないはずがないのに……)


 真剣なまなざしでちゃんと話したいと言った。


(あの目が……裏切りに戸惑っていたはずのあの目が……)


 強い意志をたたえて自分をとらえたアヤメの瞳。今までかかわってきた誰とも違う目で礼子を見ているあの瞳が、頭から離れない。礼子はひどく疲れている気がした。こんなに体は重かっただろうか。思考はこんなに鈍かっただろうか。いくら考えても、何も浮かばない。何も感じない。ひどく空虚で空っぽな自分が、本当に生きているのかさえ分からなくなる。今までの自分をかえりみたところで、罪悪感など微塵も感じない。誰もがそうするようにそうしただけのことだ。

 大人を見ていればわかる。権力や財力を持つものが、誰かのために何かをなすことなどない。自分の気まぐれに他人を振り回して退屈しのぎをしているに過ぎない。ここには、そんな家庭で育ったわがままで物知らずの連中ばかりがいるだけだと、礼子は思っていた。思っていたから、誰に何をしようと気にする必要もないと信じていた。


(腕が痛い……)


 アヤメに強くつかまれた腕がうずく。いつまでも、いつまでもじくじくとうずいてたまらない。その痛みだけが、礼子が生きている証のようにいつまでも消えなかった。



 アヤメは自分の部屋に戻っていた。戻ったその日は、さすがにあの日の恐怖がよみがえってきて、なかなか寝付けなかったが、日常生活をこなしているうちに、恐怖は薄らいでいった。

 隣の部屋が空っぽなのが、少し寂しかったけれど、夜見は謹慎がとけたと言っていたから、近いうちに戻ってくるだろう。アヤメはふと思い出したように携帯を取り出す。ピクチャーフォルダーを開いて、しばらく眺める。後見人となってくれた斉藤樹と並んで撮った写真と夜見の寝顔。フォルダーにはその二枚だけだ。


(そういえば、礼子ちゃんとは撮ってなかったんだ……)


 たくさん話をしたはずなのに、入学してから一番長く一緒に過ごしたはずなのに写真の一枚もない。そう考えれば、もう一つ引っかかった。土日に礼子の部屋へ遊びに行ったことがないのだ。アヤメは深いため息をついた。


(そっか……あたしも同じだったんだ……)


 アヤメの瞳から涙がぽたぽたと流れる。携帯の画面には夜見のゆるんだ寝顔が張り付いていた。

「明日……ちゃんと……話す……」

 だから、勇気をください。祈るようにアヤメは眠った。



 礼子とアヤメにとって長い夜が明けた。来週から期末試験が始まるため、生徒たちはこの土日を試験のために使うものも多いようだ。食堂は通常の土日より少し早い時間からこみだしていた。

 そんな中で、妃奈子と雪久が向かい合って朝食を食べている。最近、珍しくもない光景だったが、どうしても視線はとんでくる。

「さっきから難しい顔してどうしたんですか?先輩。だいたい、俺を朝食に誘っておいてそのしかめっ面はないと思うけどなぁ」

 雪久はぶつぶつと文句を言いながら和朝食をせっせと口に運ぶ。

「だって……説明が難しいんだもの……」

 妃奈子はパンケーキにフルーツとアイスクリームを乗せたスペシャルな朝食をしかめっ面で食べる。

「とりあえず、1H5Wイチエイチゴダブリュで説明してくださいよ」

「それが難しいんだけどなぁ……うーんとぉ、今日は真田アヤメと岸崎礼子に気をつけろ……」

「俺の言ったことは無視ですか!難しいも何も、なんの予言ですか?それ……」

 雪久はあきれたように、ため息をついた。

「私にもわからないの。みどりちゃんが昨日温室の手入れしてたときに聞こえたんだって。最初は空耳だと思ったんだけど、何度も聞こえるからびっくりしたって言ってて……」

「何それ?学園七不思議?」

「だからぁ、わからないから姫にも電話したのよ。でもあの子出ないし……九鬼君の方は連絡とれたの?」

「いや、こっちも繋がらなかったですよ。メールもダメでしたね」

「やっぱり、直接、会いに行かなきゃいけないってことよね」

「まあ、そういうことでしょうね」

 雪久はサクサクとごはんをかきこむ。妃奈子もいつの間にか山盛りのフルーツを片づけ、アイスもぺろりとのみこんでしまった。残ったパンケーキもあっという間に姿を消した。


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