1 初めての夜会と最後の依頼
初投稿です。未熟者ですが、よろしくお願いします。
月明かりの下、古い洋館へと続く小径を一人の青年が歩いていた。
街外れにあるこの場所は、背の高い樹木が生い茂り、まるで小さな森のようだ。
ふいに月が隠れ、周囲が深い闇に包まれる。
それでも、青年の足は止まらない。歩調は乱れず、迷いもない。
やがて前方に明かりが見えてきた。
その光は、暗い海を照らす灯台のように、青年を静かに誘っている。
「あそこか……」
青年の口から言葉が漏れた途端、玄関のドアが勢いよく開き、小柄な人物が飛び出してきた。
慌てている様子だが、逆光になっていて表情はわからない。
距離にしてほんの数メートル。
互いの存在を認識した瞬間、同じ思いが胸に湧きあがる。
今日、俺は……。
今日、僕は――。
彼と再び、めぐり会う。
◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆
魔王城の大広間では、今宵も盛大な夜会が開かれていた。
天井から吊るされたシャンデリアは妖しく煌めき、楽団が奏でる音色は、どこか退廃めいた美しさを帯びている。
招かれた貴族たちは仮面の下に素顔を隠したまま、笑いさざめいていた。
そのざわめきの中で、ひときわ甲高い声がいくつも上がった。
「ご存じ? あの方、指名手配中の凶悪犯を捕まえたそうよ」
「それは先月の話でしょ。最近では、偽造通貨を作っていた組織を摘発して、魔王様からずいぶん褒められたそうよ」
「あら、そんなことより注目すべきは、北の山に棲むドラゴンですわ」
「え、それって魔王軍の兵士も討伐できなかった、あの獰猛なドラゴン?」
「そう、それよ。これまで散々手を焼いていたドラゴンを、見事退治なさったの!」
「「「「すごーい」」」」
「ああ。あの方、お顔が麗しいだけでなく、勇猛果敢でいらっしゃるのね」
うっとりと目を輝かせる女性たちとは対照的に、冷めた目をした集団がいた。
「魔王様が、奴に領地を下賜なさるそうだ」
「なに、それは本当か」
「ああ。領地の選定も、もう終わっているらしい」
「信じられん。汚れ仕事をする低俗な輩だぞ」
「そのうえ、あの一族の出身だ。そんなやつが出世して貴族になるとは……」
「まったく、忌々しい男だ」
男たちが憤りをあらわにしていると、先触れが現れ、よく通る声で告げた。
「魔王様のおなりである。皆の者、頭を垂れよ」
その声に合わせて、召使いたちが大扉を開ける。
魔鳥の羽と高価な魔石をふんだんにあしらった仮面をつけた男が、ゆるやかに入場してきた。
その瞬間、大広間は水を打ったように静まり返った。
「堅苦しいのは、よい」
魔王はそうひと言だけ告げると、群衆には目もくれず、バルコニーへと向かう。
召使いたちを下がらせ、一人きりでバルコニーに足を踏み入れると、そこには長身の青年が静かに魔王を待っていた。
銀色の長い髪を後ろで一つに結わえ、顔にはシンプルな仮面をつけている。
「待たせたな、ユリウス」
「いえ。さほどは」
「嘘をつくな。おおかた女どもを避けるために、ずっとここへ身を隠していたのだろう?」
からかうような魔王の問いに、ユリウスは曖昧な笑みを浮かべた。
「まあ、いい――お前に話しておきたいことがある」
「は」
「人間界で、アレが見つかった。アレの厄介さは、お前が一番よくわかっているだろう?」
「…………」
「大人しくしているのなら、そのまま放置で構わんと思っていた。だが、ある貴族がやらかした。俺の敵対勢力として、アレを取り込もうと画策したのだ。まあ、後日、そいつは盛大に後悔することになったがな……。しかし、今後、第二、第三の愚か者が現れるかもしれん。そうなったら俺が面――いや、魔界にとって非常に厄介だ。という訳で、アレを保護するために迎えの使者を送った。だが、戻ってきたのは使者だけだった」
「使者が何か無礼でも?」
「いや、それ以前の問題だ。どうやら何も覚えていないらしい」
「何も…………」
「今では面会を拒み、会話すら叶わぬと使者が泣きついてきた。そこで、この難問を解決するため、<魔王の始末屋>であるお前に……と。そう言えばお前、始末屋を引退するんだったな」
「はい、恐れながら、領地を拝領しました」
「そうだったな……」
魔王は、しばし沈黙した。だが、すぐににやりと笑う。
「では、これが俺からの最後の依頼になる。受けるか、ユリウス・チェザーレ」
「はい。謹んでお受けいたします。では、早速お迎えに」
「いや、お前に頼みたいのは迎えではない。家庭教師だ」
「は?」
「王族として必要な知識を身につけるための皇子教育を受けさせたい。それには当然、優秀な師が必要だろう?」
「……」
「時間はかかってもいい。任せたぞ」
魔王はそれだけ言うと、大広間へ戻って行く。
ひとり残されたバルコニーに、賑やかな音が流れてきた。
「俺に務まるのか……あの方の家庭教師が……」
夜空に瞬く星々に問いかけてみたが、返事はない。ただ静かに輝いているだけだった。
「……ザックに伝えないと」
そう小さく呟くと、ユリウスは歩き出した。
大広間に入ると、女たちの熱い視線と、男たちの冷めたい視線が一斉に向けられる。その渦中を、ユリウスは普段と変わらない歩調で、まっすぐ出口へと向かう。
大扉の前には、開閉役を務める召使いが二人立っている。
「帰るので、扉を開けてくれないか」
ユリウスが声をかけても、二人は知らん顔を決め込んだ。
だが、近くで上位の召使いがこちらを見ていると気づいた途端、二人は慌てて扉を開けた。
「ありがとう」
「……呪われた一族のくせに、夜会に参加とか、身の程知らずが」
通り過ぎようとしたユリウスに、召使いの一人が侮蔑の言葉を投げつける。もう一人も、薄ら笑いを浮かべている。
ユリウスは、ふっと小さく笑うと、
「君、これを捨てておいて」
閉まりかけた扉に向かって、顔から外した仮面を放り投げた。
驚いた召使いは慌てて腕を伸ばす。
しかし、焦ったせいで足を滑らせ、もう一人の召使いを巻き込んで転倒した。
残念なことに、ちょうど扉が閉じてしまい、ユリウスがその場面を見ることはなかった。
大広間へと続く廊下の壁には、いくつもの鏡が飾られている。
扉のすき間から漏れる夜会の灯りが反射して、鏡はどれもほんのり明るかった。
その一つに、ユリウスの姿が映った。
切れ長の青い瞳が涼しげな、端正な顔立ちの若者だった。
「さて、行くか」
従者が待つ城の奥へと向かおうとした、そのとき。不意に声がかかる。
「夜会は始まったばかりなのに、もう帰るとは無粋だね……それとも、何か急ぎの用事でも言いつけられたのかな?」
振り向くと、華やかな夜会服に身を包んだ男が立っていた。
その後ろには、屈強な男と小柄な男が控えている。
嫌な男に会ってしまった。ユリウスの頭の中で、警戒音が鳴り響く。
この男は上品な顔立ちの優男だが、魔王の奥方を後ろ盾に持ち、最近急速に力をつけてきた厄介な存在なのだ。
できれば関わり合いになりたくない。しかし、上位貴族から話しかけられては無視もできない。
「これは、ラッセル伯爵。素敵な夜会なので、もっといたかったのですが、実は、従者が体調を崩しているのです。なので、早く帰って休ませてやりたくて」
「へえ。あの、殺しても死ななさそうな彼が体調不良? それは大変だ。君の言葉が本当なら、早く帰ったほうが賢明だね」
「お気遣いありがとうございます。では、失礼します」
ユリウスは足早に立ち去ろうとするが、すぐにまた呼び止められた。
「あ、そうだ。知っているかい。今の人間界って、けっこう物騒らしいよ。暴力事件や殺人事件とか、多いらしい。嫌だよね。関係ないのに厄介ごとに巻き込まれて、命を落とすことになったりしたら」
ユリウスは、くるりと振り返り、まっすぐラッセル伯爵の顔を見る。
「そうなんですか。私には縁のない場所ですが、ご忠告ありがとうございます」
朗らかにそう言って背を向けた途端、ユリウスの優しげだった青い瞳が、危険な色を宿す。
「田舎領主でもやっていればいいものを……自ら火中に飛び込むとは、律儀なのか愚かなのか」
遠ざかる背にそう呟くと、ラッセル伯爵は小柄な男から仮面を受け取り、顔につけて大扉をくぐった。
ラッセル伯爵と別れたユリウスは、無心で歩を進める。
やがて華やかな空間は消え去り、蝋燭の明かりもまばらな薄暗い廊下へと変わった。それと同時に、拷問に苦しむ罪人たちの悲鳴が聞こえてくる。
「ユリウス様ーーーーー!!!」
突然、雄叫びが響いた。
廊下の隅で獲物を喰らっていた三つ目ネズミたちが、驚いて逃げ出そうとする。
その横を、大男が駆け抜け、ネズミたちが吹っ飛んだ。
「どうした、ザック。そんなに慌てて」
「どうしたって、そんなのこっちが聞きたいですよ。新たな依頼を受けたって本当ですか?」
「ああ、本当だ。よく知っているな」
「さっきブラッドフォード卿の使いが来て、教えてくれたんです。あー、そんなことより、一体全体どうなってるんです? 始末屋は引退ってことで話はついてましたよね? その証拠に褒美として領地も下賜されて。これでようやく、よーやく人並みの生活が出来るって喜んだじゃないですか。それなのに、また仕事だなんて……これは現実ですか? 現実なんですかあー」
筋骨隆々のザックが、両手で頬を挟み、天井に向かって咆える。爆音を避けるため、ユリウスは、すかさず耳を塞いだ。
「ここで立ち話もなんだから移動しよう」
ユリウスが促し、二人は城内に割り当てられた部屋へ向かう。
その部屋の前には、気絶している男たちが転がっていた。
ドアを閉めると同時に、ユリウスがため息をついた。
「また喧嘩か? 仲良くしろとは言わないが、これ以上揉め事を増やすな」
「だってあいつら、ユリウス様が領地持ちになるなんておかしい。何かずるをしたに違いないって言いがかりをつけてきて――だから、会話してやったんですよ。この拳でね!」
右腕を曲げて大きな力こぶを作ってみせるザックに、ユリウスは二度目のため息をつく。
「はっ! そんなことより、依頼の件です! こっちは、ユリウス様が住む館の手入れも終わって、すぐにでも引っ越しの予定だったじゃないですか――それが延期だなんて、あんまりです……そうだ。引っ越しで忙しいってことにして、断っちゃいませんか、今回の依頼」
「お前、それ本気で言ってる? 魔王様直々の依頼を、引っ越しが――なんて個人的な理由で断れると?」
「すみません。失言でした……」
「領地のことは、しばらくお前の父、ゲイルに任せるとしよう。あ、なんだったらお前は一足先に行ってゲイルを手伝うか? 今回の依頼は、俺ひとりで」
「行きませんよ。俺はユリウス様の従者兼相棒です。お側を離れるなんてありえません」
「ザック……」
「それに、仕事を無視して領地に行ったのが、親父にばれたら……」
「あー、雷が落ちるか。怖いもんな、ゲイル」
「な、何を言ってるんですか。親父の雷が怖いだなんて、そんなのガキだった頃の話ですよ。今は、ちっとも、全然、まーったく平気ですって!!」
大男のザックが、いまだに父親を怖がるのには理由がある。
ザックの父ゲイルは、勇猛果敢で知られる狼族の元族長なのだ。
狼族は、魔王軍の精鋭部隊でさえ一目置く一族である。
彼らは強い。そして、同じくらい優しくて義理堅い。
「ザック、改めて言う。俺と一緒に、依頼を受けてほしい」
「了解です! そうと決まれば、さっさと片付けますか。で、場所は? スラム街ですか? それとも、魔物の棲む森ですか?」
「いや。行くのは魔界じゃない。人間界だ」
「へ? 人間界?」
ザックの素っ頓狂な声が、部屋に響いた。




