第十一章⑥『初夜権』
「ほう。これほどみすぼらしい泥煉瓦に囲われながら、成婚の儀を密かに催しているとはな。なかなかに泣ける話だ」
ザバブの街を密かに巡っていたシャムス王の目に留まったのは、一戸の薄汚れた泥煉瓦の家、と一組の着飾った男女。
貧しい泥煉瓦の背景に不相応な輝かしい純白が、小窓から覗いていた。
純白の礼服を身に纏い、艶やかな黒髪に清浄な純白の花と婚礼布を被っている女性のいでたちから、成婚の儀を催しているのが窺えた。
愉悦の美酒を醸成するのに上等な材料にありつけた。
歪んだ嗜虐の快感に身震いするシャムス。
獲物を狙う毒蛇のように残忍な光が、黄金月の瞳に灯った。
奇襲の砂嵐さながらに疾走したシャムスは、泥煉瓦の壁を問答無用で破壊した。
「ああ。王様、偉大なる我らの王よ。どうか、どうかお許しを!」
新郎新婦と親族は、神災を目前したのと同じ畏怖の込もった眼差しで、突如現れた暴虐王に戦慄する。
蒼白な表情で怯える無垢な花嫁を、新郎は庇うように後ろに隠した。
「なるほどな。よいぞ、成婚を秘密裏に為そうとしたお前たちの無礼は、王の寛大さに免じて許す。そこの見目麗しい一輪の花を、私に献上すればだが」
捕食される恐怖に怯える麗しいうさぎを、王の残忍な瞳が見逃すはずはなかった。
「ああ、王よ、それだけはどうかお許しを」
「私からもどうかお許しを。我らの偉大な王よ。神々しく高貴なあなた様とその美しい御手を我々ごときの卑しき身で穢すのは、畏れ多きこと」
王に粗相のないよう極力礼儀正しい態度で、畏敬の念をこめた丁寧な言葉をもって、新郎と花嫁は説得を試みる。
二人の丁寧な言葉に秘めた懇願に、聡明な王が気づかないはずはない。
「殊勝な心がけだ。だが、そこの麗しい花はこの王が直々に手折るのだ。畏まらずとも、むしろ光栄に思うがよい」
しかし、血のように赤い唇に冷笑を咲かせた王は、花嫁の腕を掴むと、家の外へ強引に引きずり出した。
怯えていた花嫁は、純白の婚礼布越しに見える麗しい顔を無垢な涙で濡らした。
慌てて花嫁の後を追った新郎も、決死の想いで王に懇願する。
「どうか、彼女だけはどうかお許しください、王よ。これ以外のことでしたら、私はあなた様のために何でも致します!」
「やかましいぞ。この女の身は潔白かどうか、この王が直々に確かめ味わうのだ。その王のありがたき慈悲を無碍にするとは何様のつもりだ! この女の処遇は私が決める。これが王の――つまり神の決定でもある。それ以上逆らうのであれば、死罪は免れんぞ」
幸福の絶頂に微笑んでいたはずの新郎と花嫁の瞳から、果てなき絶望が涙となって波及する。
この光景を瞳に焼きつけるのは、これでもう何度目に至るのか。
ザハブ市民が成婚の儀を交わす都度、王が砂嵐のように気まぐれに現れては、花嫁を強奪する行為は今に始まったことではない。
これから人生を歩む伴侶として愛を誓い合う二人の純情を、王は容易く踏みにじる。
王に攫われた無垢な花嫁の末路は、口にするのも憚られるほど悲惨なものだ。
しかし、嫁入り寸前の女を奪う王の行為は「結婚した女も王様のものであり。王様が第一であり、夫はその後」――そう神々の定めた習わしという形で、王の暴虐も容認されてしまう。
「(神々の愚かな駒に過ぎない人間が弄ばれ、嘆き喘ぐ様を鑑賞する。まさに今この瞬間――全知全能の神に等しい王であるこの私が、全てを蹂躙し尽くし、全てを支配しているのだ。いかなる人間も、ただ私を愉しませるために蹴られる道端の塵芥と化す)」
暴虐から醸成される愉悦の美酒に酔いしれる王。
ただ奪われるしかない悲憤に、幾多の男は唇を噛んで拳を握りしめる。奪われる悲哀に、幾多の女は涙を流して堪えるのみ。
一体幾多もの命が奪われ、幾度もの涙が流れれば、暴虐王の気は鎮まるのか。
この場で黙殺している全ての民は、心嘆きながら諦めていた。
しかし――。
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