第十一章①『王の渇き』
歴代最も偉大にして最凶と畏れられる八代目イムベラトル王――”シャムス”は、長年、退屈の病に侵されている。
今日という日も、神像さながら端麗な尊顔を不機嫌そうにしかめ、黄金月の瞳は氷柱のように鋭く光っている。
この世界も……そこで無意味に呼吸する人間という存在も……相も変わらず、何とつまらぬものか。
この世界も人間も取るに足らぬ存在というのであれば、それらを創った神々も同類だ。
シャムス王は、収集したあらゆる財宝や資源、女達を独占し、それらの価値を愛で、豪華絢爛な城で、贅沢な生活を謳歌する。
しかし、星の数ほどの眩い黄金と財宝、見目麗しい女達に囲まれていても、王の心は常に空虚感に支配されていた。
灰色の砂塵で吹き荒れる退屈な荒野を眺め続けるように。
黄金に輝く最大都市国家ザハブを統治する偉大なる王――先々代のイムベラトル王、と女神イルムとの間に生まれた、半神半人の王子シャムス。
シャムスが物心ついた頃には、神と人間の仲介者であり神の代理人として、人間を統制する王になるべくして、ザハブの聖城塞で生まれ育った。
しかし、シャムスには、父親はいなかった。
何故ならシャムスは、父親と呼べる存在を耳にしたことはあっても、顔を合わせるどころか、言葉を交わしたことすら一度もなかった。
そのうえ父親である六代目は、シャムスが幼い頃に既に崩御していた。
父親の死後は、シャムスの叔父が七代目として王位を継いだ。
それでもシャムスは、会ったことすらない父親の死を悲しむこともなく、会いたいとも別に望まなかった。
教養書に記載された人物録が頁から消えてしまった程度だ。
父を知らぬシャムス王子には、何の感傷も湧かなかった。
シャムスには、母親もいなかった。
シャムスには、実の母親に抱きしめられ、愛しく名前を呼んでもらった記憶すらない。
母親は、ザハブの都市神サマーァの娘の一柱である知識と夢の女神イルムだが、それ以上のことは何も知らない。
しかし、最初から存在しないも同然の存在に対して、シャムスにはやはり何の感傷も生まれなかった。
最初から無いものを欲しがることも、無かったも同然のものを失って哀しむことも、シャムスの想像には決して及ばなかった。
シャムス自身は、それを不幸だとか寂しいだとか感じる発想も余地すらなかった。
肉親の愛やぬくもりは知らずとも、未来の良き王になるべく、シャムスは武勇と教養を積み、鍛錬に没頭していた。
しかし、かつてザハブ市民がこよなく愛し、多大な期待を寄せていた、徳高きシャムス王子の面影は既に消え失せた。
叔父であり、父の仇に当たる七代目を誅殺したシャムスは、王位を継承した。
同時に、血と我欲に染まり、気まぐれで冷酷な暴虐の王へ変貌を遂げた。
シャムス王は、ザハブと周辺の他都市・他国を蹂躙した。
時に獲物を虐め愉しんで壊す獣のごとき暴政をもって、多くの人間からあらゆる全てを搾取した。
いつのまにか、何故、こうなってしまったのか――王の変貌ぶりをザハブの民は嘆いた。
しかし、民にとっての不条理は、王自身にとっては理に適った深い失望に過ぎなかった。
茫然と広がる退屈な荒野でしかないこの世界と人間、神々を、シャムス王が見据え続けたこと四十年以上。
いつの日か、人間の脆弱性、と万能と謳われる神々の驕り、そして両者の醜く愚かしい実態。
そればかりが、誰よりも聡明で視野の広かったシャムスの瞳に、鮮烈に焼き付いた。
人間とは、自分を最も豊かにし、快楽を約束してくれる絶対的な強者に如何に寄りかかるか――利己的欲求しか頭にない狡い弱さを持つ。
先の未来も過去の己の行いも顧みず、後悔と過ちばかりを繰り返す、あまりに愚鈍で矮小な存在。
顔も知らないシャムスの父親も、神聖なる神の血を継ぐ息子を持つ王である権威、神々への畏怖に甘んじた結果、弟にあっけなく謀殺された。
弟である先代王は、兄から簒奪した権力を振りかざし、ただいたずらにザハブの富を浪費する無能に過ぎなかった。
しかも、弱者に理不尽な暴力を振り乱す一方、神々やそれに連なるシャムス等の上位的存在にこびへつらう。
シャムス王を称賛してきた人間達も、所詮身勝手で過剰な期待と共に強者に寄りかかるばかりだ。
己で思考・行動しようとはしない、哀れで無能な神々の人形。
そして人間が妄信する神々の真の姿は、己の愚かさを棚に上げて、己の万能性を驕る存在。
ほとんどの神々は、人間の罪深さを嘆き蔑む傲慢の塊。
しかし、神々の見下す人間とは、まさに自分達に似せて創った従属物だというのに。
さながら鏡に映る自分自身を愚かだと罵倒しながら、鏡に映るその愚者こそが自分自身であることに、欠片も気づいていない。まさに愚の骨頂。
加護神アッシャムス等の例外もあるが、ただ驕り高ぶった学習性もない神々。
さすがのシャムスも、今となっては敬意と信仰の欠片すら抱いていない。
ましてや、シャムス王から生まれる息子は、将来王の座を奪う――そんな不穏な予言を神々から告げられたのであれば尚更であった。
シャムスの中では、神々のために子孫を残し、謎の目論見に応える義務感は湧かない。
神々に隷属する脆く愚かな人間を救済する仁義も、当然ない。
ならば、退屈と苛立ちの病に蝕まれたシャムス王の空虚を埋めてくれるものは、もはや財宝と権力、女しか残っていなかった。
しかし、いくら己の瞳に映る全てを豪華な財宝で飾り、強制労働と虐待に喘ぐザハブ市民から搾取した富で、この世の最たる贅沢を極め尽くしても……。
シャムス王の魂は、欠片も満たされていなかった。
しかし、今のシャムス王を最も苛立たせている忌まわしき元凶は、己が長年患っている空虚と退屈の病だけではない。
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