9話 2061年9月13日(火)
● 8月32日 18:00
「……あれ」
「以上です」
これだけ?
「おかしくないか」
「うん。これが私にできる限界かな」
「いやいやいや、続きがある感じだったけど」
最後に眠った感じじゃなかったし。
「清彦くんに見せることが出来る過去はここまでかな」
「どうしてだよ」
最初と約束が違うだろう。
「あとはご想像におまかせします」
「想像もなにもあそこからじゃ高台公園に行ったとしか思えないよな」
「その通り」
答え合わせじゃねーんだよ!
「高台公園でなにがあったんだ!」
まさか……まさか……!
俺はリュダに突っかかった。もちろん真実を引き出すためだ。
「おいっっっっっっ!」
けれどリュダは依然と答えない。
「あなたならわかるでしょう」
リュダのまなざしだけがぶつける。
「……」
すぐにわかった。何をしようが、リュダはなにも答えないだろう。もしかしたら本当に知らないのかもしれない。
「清彦くんは本当に志弦さんのことが好きだったの……?」
当然だ。それがなきゃこの街に帰ってもいない。志弦はそれほど重要であり続けた。
「だったら思い出せるでしょう……」
そうだ。
俺が思い出さなきゃいけないんだ。
リュダに頼ってはいけない。
高台公園でなにがあったのか。
本当に重要なら、本当に大切なら。自分の力で切り開かなきゃ。
自分の思い出は自分のものだから。
誰かの力でどうにかなるものじゃない。
リュダは沢渡高校の保健室のソファーを立ち上がると、ガラガラとドアを開けて廊下を出ていった。
何事かとしばらくリュダを待っていたが一向に帰ってくる気配はなかった。
しびれを切らして俺はリュダを探し始めた。教室はもちろん、特別教室や事務室まで隅々と。けれどリュダはどこにもいなかった。
終いには駐車場の車を乗って街中を探し回ったほどだ。でもどんなに探してもリュダはおろか誰一人と影はない。
「高台公園だ……」
最終的に不慣れな運転で高台公園まで来た。
「展望台……」
思い出せ。思い出せ。高台公園で何があった?
一人ぼっちの8月32日で自問する。
展望台から見渡す。蒼天に浮かぶ雲、目下に広がる沢渡。頬をかすめる風。
誰と出会ったのか? どんな表情をしていた? どんな言葉を交わした?
思い出せ! 思い出せ!!
……
……ちくしょう!
どうして思い出せないんだよ!!!
……
志弦に逢った、志弦に逢ったはずなんだ!!!!
「ちくしょぉぉぉおおお!!!!!」
太陽は高く昇ったままだ。
「8月32日」の時計は12:00を指したまま動かない。折り畳み式のスマートホンは「2061年9月1日0:00」だった。
● 2061年9月13日(火)
……
目はつぶっている。頭の中で意識が戻ってきたことには気がついた。俺は横になっているのか。
ひどく眠り続けたせいなのだろうか、目やにがくっついてなかなか目が明かない。
「あ痛てて……」
目をこすって開けると今度は起きる腹筋が全く足らないことに気がつく。こんなに身体って重かったっけ?
ここホテルじゃないのか。確か同窓会に誘われて何年かぶりに沢渡に戻ってきてホテルに泊まったはず。
でもここは、ホテルと言うにはすっきりしすぎているし、ベッドがやけにふかふかだ。
もしかしてここは……。
ガチャ
「……あれ? 起きた!」
「綾子ちゃん」
引き戸のドアを開けて入ってきた綾子ちゃん。柔らかい表情で笑いかける。
「もしもし南郷先生!? 起きたわ! 清彦くん起きたわ!」
ハイテンション気味に入り口すぐにある受話器に話しかけていた。
誰に話しかけているんだ?。多分主治医なんだけど、どうして興奮気味なのか。
「よかったよかった。なかなか起きないから心配したのよ!」
「ここは、どこだ?」
「AUG病院よ」
病院……?
「どうして俺が病院にいるんだ」
「あれ、覚えてない? そーかでももう半月近く経ってるししょーがないか」
半月……え?
「ちょっと待て、今何日だ?」
「確かホテルで見つかったのよ。藍が見つけたらそっちに聞いたらいいわねー」
偶然近くにあるデジタル時計をつかんで見る。デカデカと『9時19分』の横に書いてある、日付を確認する。
「9月13日!」
俺が沢渡に来たのが8月の終わりだから、
「2週間!?」
ヤベーよ。2週間ってセルフタイムスリップじゃないか!
「あのー清彦くん。聞いてる?」
「あ……ああ」
綾子ちゃん、そんなに心配していなさそうだけど。
「とりあえず担当の先生には電話しといたから、すぐ来ると思うわよ」
「おい……」
返事も聞かないまま綾子ちゃんは病室を出て、一人個室に残されてしまった。
「……」
窓から見える青い空。沢渡高校ほど高くないけれど一面に空を映しているのは変わりない。そういえばAUG病院って高台公園の中腹に建っていた。沢高ほどではないにせよ空は綺麗だよな。
親に連絡とかしてあるんだろうか。大学は9月いっぱいまで休みだし、バイト先にはいつ戻るかわからないって伝えてるから問題ないと思うけど、親はマジでやべーぞ。
グラリ
そこのソファにかけてある荷物一式を取ろうとベッドから降りようとすると。
「おっと、わっ……」
フラフラと身体がよろけてしまう。
「よっと、危ない危ない」
何とか立ち上がることはできた。
「2週間も寝たきりだとこうなるのか」
自分の身体とは思えないほど、まるで身体の自由がきかない。リハビリって話になるのかな。
それはさておき、沢渡に来るときに触ったカバンをあさる。
着替え、下着、下着、小物入れ、財布。スマホが無い。充電器だけあっても意味ねーよ。
ガララ
「もう起きあがっちゃった?」
引き戸が開くと白衣の女性がポカンという表情で俺を見つめた。
「まずかったですか」
「いーや。寝たきりだと起きるのはしんどいから、そのままでも大丈夫よって言おうと思っただけ」
なんだ。じゃ起きてもいいんだ。
「スミマセン」
「南郷先生……清彦くん、動けるの?」
南郷と呼ばれた先生の背中からひょっこり顔を出す綾子ちゃん。
「清彦くんのご両親には、もう私から連絡したわよ」
いつの間に。さすが綾子ちゃん手際が良い。
「なおさら連絡しなきゃ、スマホどこだ?」
「その通りね、その前に清彦さんの身体に問題ないかだけ確認させてもらいたいわね」
「……はい」
首筋からプランプランと垂れ下がっている社員証のようなカード。
「初めまして、横山清彦さん、主治医になりました南郷と申します」
「どうも、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げると首に下げたカードも動いた。
「とりあえず座ったら? 一回かけてる尾上せ……場所知ってるでしょ」
「スマホもすぐに返すわ」
南郷先生に押し返させるようにベッドに座らされた。
「とりあえずは診断よ、それから二人で話をしてちょうだい。なんなら広橋先生にも言っとくから」
……
ベッドに横にさせられると、聴診器を当てられたあと、簡単な触診をされた。
「身体が痛いとかあります?」
「痛くはないです、身体が重たいですかね」
「2週間寝たきりだったからかしら。体調は問題ないのよね。運動も兼ねて病院が閉まるまでなら散歩してきてもいいわよ」
散歩かぁ、ヒマだし西田たちと遊んでもよさそうかな。
「というか、おかしい所が何にもないんだけど」
「じゃあいいじゃないですか」
「でもねえ、横山さんは2週間も意識が無かったんですよ。しかも連れてきた広橋先生は『たくさんお酒を飲んでいただけ』としか言ってないわ。急性アルコール中毒でも2週間意識ないまま急に起きるなんて」
広橋先生……あいつ先生やってるのか?
「アル中だったんですか?」
「うーん、血液検査ではアルコールに強いって結果だったのよね。血中のアルコール濃度も当時は高くなかったし、清彦さんはどれぐらい飲んだか覚えてますか?」
「まったく覚えてないです」
「じゃ、広橋先生の話は間違ってなさそうね」
「生一杯も飲んでないって言ってたんですよね」
バインダーの紙を勝手にペラペラめくる綾子ちゃん。
「医者として原因不明はあまり言いたくないけど。カンタンな検査だけさせてもらっていい?」
「はい」
「よっしゃ準備してくる。尾上、後は頼んだわね」
「はーい」
ダダダダ、バタン。
「……」
「おつかれさま、大丈夫?」
「まさか部外者の綾子ちゃんに任せるとは思わなかった」
「結構信用してくれてるからね」
内定をもらったとはいえ入社してない綾子ちゃんにここまで任せるとは。AUG病院は適当なのかな?
「えーっとスマホだったっけ。すぐそこの机に置いてたんだけどねぇ」
「すまねえ」
あれ、電源がつかない。
「ごめん、電源切ってる」
いつ起きるかわからなかったもんな。電源も切れちまうか。
「ご両親には私から連絡はしてるから。一度お見舞いにいらっしゃったわよ」
「お見舞い!? わざわざ沢渡まで来たのかよ」
「とても心配されてたわ。良いご両親ね。早く連絡してあげなさい」
「サンキュ、ありがとう」
親父の携帯電話に連絡を入れる。2週間も寝たきりだったなら声も聴きたいだろう。
trrr
trrr
出ねえ。
「どしたの」
「でねえわ。母親にかける」
最初からそうしときゃよかった。
trrr
trrr
tr……
突然電話の音が無音になると、張り上がった母親の声が聞こえてきた。
高めテンションで話していた声は次第に涙ぐんだ声に変わっていく。
「心配かけてごめん」
本当に俺が悪かったわけでないにしろ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
親らしく『早く帰ってくるように』と言われた。
「あと尾上さんだっけ、ちゃんとお礼を言っておきなさい。清彦が倒れている間はいろいろやってくれたのよ」
「わかった、ちゃんと言っとくよ」
「気を付けてね」
「ありがとう」
じゃあ、と言って俺は終話ボタンを押した。
「元気だった?」
「うん、俺以上にね。親が綾子ちゃんにありがとうだって」
「私に?」
「色々面倒かけて悪かった。借りは返すよ」
「良いわよ、仕事が始まるまでヒマだったし。それに藍だって看病してたのよ」
藍か。なんか久しぶりだな。高校時代、相当迫られたなぁ。
ガララララ
「きよくん!!!!!!!!!! うぉう、きよくんが起きてる!」
うわっ! なんだなんだ!
ガバッ!
「おふざけは終わったんだな! 心配したんだぞ!」
ギュウウウウウウウ!!
「あああああ!!! 痛えええ!」
ギリギリギリ!
「ちょっと藍、清彦くんが痛がってるわよ」
「む!」
綾子ちゃんが止めに入るとフッと締め付けがゆるまった。
ふう解放された……。
「すまない、力が入りすぎた」
「あんた達仲良いわね。もしかして邪魔しちゃ悪い!?」
色恋沙汰にちょっかいかけるところは綾子ちゃんもお変わりないみたい。
「マジで痛かった」
えーっと、改めて藍と対峙する。
「ひさしぶり」
「お久だな。きよ君」
懐かしい。きよ君って呼ばれてた。
「だが、私はここ2週間ずっときよ君を見てきたので久しぶり感はない」
なるほどストレートだ。昔からこういうヤツだったけど。恋人じゃないんだからそこまでしてくれなくてもいいんだけど。
「一緒に酒も飲んだよな。だから俺も久しぶり感はない」
「……無駄話は置いといて、藍は南郷先生から聞いた?」
「ああ。診察室に戻る途中に教えてくれてな。飛んできた」
飛んでたな。超速かった。
「仕事は?」
「…………!!」
クルリとまわれ右をする。
ズドドドドドド!
「……」
どっか行っちゃった。ダメだったようだ。
「さわがしーな」
「そうねー。でもあんなに見境が無くなるのは清彦くんだけなのよ。他の人には無関心だから」
俺も無関心な藍の方がしっくりくる。
しばらくすると南郷先生に呼ばれた。綾子ちゃんに連れられて南郷先生の診察室に行く。
「お待たせ、後は任せて」
「よろしくおねがいします」
綾子ちゃんがしっかりしてるのは知ってる。けれど冗談っぽい方が見慣れてるから真剣な表情が違和感がある。
……
「うーん、異常なしねぇ」
レントゲンや血液検査とか、いろんな検査結果を見ながら顔をしかめている南郷先生。
「どうしよう。原因不明って言ってもいいかしら」
「でも説明しようがないんですよね」
「ええ。どうにも説明できないわ」
じゃあ、その結果を受け入れるしかないよな。
「経過観察を兼ねてしばらく入院してほしいけど、大丈夫?」
「はい大丈夫です。たぶん……」
大学はまだ始まってないし大丈夫だよな? 後から確認だ。
「大体一週間ぐらい様子を見て、問題なければ退院する予定です」
「わかりました」
南郷先生の診察が終わるとお昼過ぎ。俺の個室にはなぜかいろんな人が集まっていた。とはいえ俺と藍、綾子ちゃんの三人だけ。
「藍は仕事はもう大丈夫なのか?」
「午前の仕事は全て片付けたぞ」
「この子手際良いの。仕事できるから」
そーか。沢高でも成績よかったし。
「意識もはっきりしてきたわよね。いろいろ用事をぶつけてもいいかしら」
「用事?」
「清彦くんが泊まってたホテルはチェックアウトしてたわ」
「やべえ、金はどうなってる?」
「立て替えてる」
「すまん、後で払う」
「金額も忘れちゃったけどね」
そこはなんとか大目に払っときゃ問題ないだろ。お金一応持ってきてるわけだし。
「どれくらい沢渡に居る予定なんだ?」
「とりあえず一週間ぐらいは様子見で入院しないといけないって言われた」
「一週間な」
不満そうだな。
「もっと入院しててもいいんだぞ」
「なんでだよ!」
「なんでもだ!」
言いたいことは分かるけど。
「んー言い方が悪いわね」
俺だって察せないわけじゃない。どういった考えで言ったのかも分かっている。
「期限があるわけじゃないんだろ? なんならずっと沢渡に居ろよ」
「でも親にも心配かけたし、大学が始まる前までには帰らなきゃいけない」
「まーまー、どのみち一週間はいるんだからその間に仲良くなればいいじゃない」
「そうだな」
めっちゃ俺狙われてるじゃん。
「南郷先生に働きかけて永遠に入院させててもいいしね」
「名案だな」
「おいまて」
名案じゃねーよ。
「生きてて良かったな。死んだと思っていたぞ」
「いやずっと生きてたから。最初から息があったから」
殺さないでください。
「でも、清彦くんもホテルに藍を連れ込んでたんだってー?」
「む、お持ち帰りだ!」
俺が持ち返られたってんなら藍の言うとおり。
「どうせストーカーみたいに藍が押しかけたんでしょう」
「失礼だ。純愛だぞ。純愛」
まあ男なら即110番だ。ポリスメンに拘束される。
「でもきよ君が沢渡に居るんだ。やるしかないだろ」
「やるか、やるか、やるかね」
「やるさ」
女の子に何されるんだろうな! しかも本人の前で言うとか度胸ある。
まあ女の子が色恋沙汰でわあきゃあ騒ぐのは当然か。
「藍、教えてほしいんだけど」
「む、なんだ?」
「俺はどうしてAUG病院に運ばれたんだ?」
俺が覚えているのは、藍が欠席した同窓会が終わって綾子ちゃんと一緒に同じクラスの奴らを家に送った後のホテル。自分の部屋に入ったのは覚えている。
「……」
うろ覚えだけどベッドで横になったんだ。多分その後、寝たんだ。としか考えられない。
「……」
でもみんなの話からすれば、最初に見つけたのは藍。
場所はホテルの部屋。俺は泥酔していたらしい。ホテル以外記憶の共通点が無い。
「んーそういえば、私も聞いてないわね」
「む、説明しよう」
8月29日の夜。休暇当番というAUG病院に酷使されていた。
まだオバケやユウレイの方が恐いだけで済む分良い。残業はより確実に身体を蝕み、人生に悪影響を与える。
「そういう語りは良いから。事実だけを教えて」
「む、そうか」
すげえ芸当ができるようになったな。高校とは大違いだ。
残業がやっと終わって、予想通り同窓会に参加できない時間帯になっていた。
しょうがなく直接帰る途中にばったりときよ君と出会ったのだ。
「じゃあ、外で鉢合わせた?」
「うむ。その通り」
舞い上がってしまったわたしはどこかに行こうとしていたきよ君の話も聞かずに無理やり行きつけの居酒屋に引きずりこんだのだ。
そして大量にお酒を飲んだ。軽く一升は空けたな。
「うそっ! 俺一升も飲んだのかよ!」
「いや、違うから。一升飲んだのは藍だから。清彦くんじゃないよね?」
「うむ。わたしだ」
「お前かよ!」
「やっぱり。藍はスーパーザルだからねぇ」
「一升飲み干すってバケモンだろ。水でも一升飲めねえよ」
「つづけるぞ」
一緒に清彦もお酒を飲んだのだが、先に酔いつぶれてしまったきよ君を介抱しようとしたのだ。
清彦のホテルの方が近そうだったから、そちらをチョイスしてきよ君が借りているホテルに入り込んだ。そしてしばらく会話したな。
ぶっちゃけたところ、どんな会話をしたのかはほぼ覚えていない。わたしの方が圧倒的な量を飲んでいたからな。
記憶は曖昧であるが結婚しろと迫ったのは覚えている。
「結婚しろ!? いきなり飛んだな!」
む、そうだ。しーちゃんは戻らないのだからわたしとヨリを戻すべきだと。
「『ヨリを戻す』って、そもそも俺らって付き合ったことないだろ」
「そんなことはない頭の中で付き合っている設定になっている。想像の中でわたしときよ君は付き合っていて、いちゃついたりバスケをしているのだ」
「あのねぇ、妄想を垂れ流すんじゃなくてあった事だけを話して欲しいわね。わかりにくいのよ」
「ここまで露骨なやつだったっけ……」
む、すまない。
それであまりにも恋愛関係になることを同意しないから遂にきよ君をベッドに押し倒し話をした。
「ここまでは完全に俺がレイプされかけてる話だけど」
「気をつけなさいね。最近女もセクハラで解雇させられるわよ」
「さやるんるんのことだな。20代前半の男性に付き合えと迫ったことがバレて懲戒免職されたのだ」
「思いっきり身内の話題……さすがに個人名はやめなさい」
最近はウェブの口コミニュースの上位で女性がセクハラは見かけるようになった。テレビでは聞かないが。
「だって病院の女は強いし。それに時代が変われば善悪の価値観だって変わるのよ。昔はタバコの自販機があったしね」
「いつの時代の話だよ」
タバコの自販機とか見たこともねーわ。
「押し倒した瞬間、きよ君がコテンと眠ってな。疲れて眠ったというより枕に叩きつけられ、意識が消失したように見えてな。怖くなって綾子さんに連絡したというわけだ」
「なるほどねー、そこからは覚えてるわ」
「どうだったんだ?」
「電話越しに『エントランスでタクシー呼んでもらってAUG病院まで連れてこい』って言ったの」
ふーん……
「カドに頭ぶつけたりしてた?」
「いいやしていない。していたら南郷先生に言っている」
そうだよな。ぶつけてたら明らかにそれが原因だし。
「どうだきよ君、思い出したか?」
「スマン、思い出せない」
「ありゃ」
藍には非常に申し訳ない。まったく身に覚えがない。本当にそうだったのか疑いたくなるぐらい覚えがない。
「清彦くんは?」
「俺の記憶か? 俺は綾子ちゃんにホテルに送ってもらった後、ホテルでぶっ倒れてそっから覚えてない」
……
「何も解決しないわね」
全くその通りだ。
「すまない、もうそろそろ仕事が始まってしまう」
もうそんな時間か。
時計を見ると12:50。
「悪い。ちなみに聞きたいのだか」
おん?
「きよ君って今彼女居るのか」
「居ないよ」
「先ほど一つと言ったが訂正だ。二つ目。まだわたしに脈はあるのか」
……
人前では特に微妙に答えづらい。
「無くはない」
「それは、しーちゃんがいなくなったから?」
……
意識がなくなる前どう言ったかわからないし、俺の中でまだまとまってない部分もあるんだけど。
「うーん……綾子ちゃんの前で言わなきゃダメ?」
ピクリと反応した綾子ちゃん。
「にゃ! せっかく爆弾発言聞けると思ったのに」
志弦。俺には大きすぎる枷だ。女々しいのは分かっているけれどだからってどうしようもないじゃないか。
いい加減、前を向いて歩かないといけないと頭で理解はしてる。
「実は清彦くんって藍がキライなんでしょ」
「!?」
「違う。まだ気持ちの整理ができてないだけだ」
本人の前で誤解するようなこと言うなよ。
「でもそうとしか思えないけど」
「……」
志弦がどこかで生きているような。
死んで5年も経って生きているなんてありえないんだけれども。
実感がないというか中途半端に残っているせいで。
「今のままじゃ、本気で藍と向き合うことが出来ない」
「……」
「……」
ワガママだと理解してるんだけど、どうしても志弦がこびり付いている。
「きよ君、次の休みに出かけよう」
「?」
「しーちゃんのこと。終わらせよう」
「……」
「この世に変わらないことなんてないんだ」
「沢渡だってわたしらが高校の時は駅前にあんな高層ビルなかったし、中心部だって垢抜けていなかった。AUG病院もそうだ。命を繋げようといろんな人が臓器移植に来るけれど、やはりこの世に死なない人間などいないのだ。かわってしまうのは当然なのに昔の記憶にばかりすがりついていたら、今大切にしなければならないものまで見失ってしまうぞ」
……
「しーちゃんが死んでしまった今ではきよ君に正解はどこにもないのだろう。ならせっかく沢渡に居るのだからせめて決着をつけろ。そして最善の答えを見つけ出せ。願わくば答えがわたしであって欲しいと思っている」
……
「いつまでもきよ君の転校を引きずっていたわたしが言うべき言葉ではないのかもしれない。けれどこれが5年でわたしが出した考え方だ」
……
「もう行く。時間がない」
カラカラカラ……トン。
うるさいドアの音も聞こえない。静寂に包まれた病室。
綾子ちゃんと二人っきり。
「……」
「……」
「あんたさあ、早く志弦のこと忘れた方がいいんじゃない?」
……
「藍はさあ、清彦くんが転校した後のクラス替えの自己紹介で『好きなものは』って言われたとき『転校した横山くんが好きでした』って言ったのよ。他のクラスの子とか事情を知らない人が西田くんと私に群がって大変だったんだからね」
「あの子ほど、清彦くん思ってくれる人いないって」
……
「そう、だな」
藍の言うことはもっともだ。
「相談が一つ。リハビリなんだけどさ、藍にやってもらおうと思うんだけどどうかしら」
出掛けに思い出したように言う。
「できんの?」
「できるも何もリハビリは藍の専門よ。聞いてない?」
マジか全然知らなかった。
「そこら辺も南郷先生と相談しておくわ」
……
「それじゃ私も行くけど」
「ああ……ありがとな」
ガチャン
病室に一人だけになった。騒がしかったわけでもないけれど、二人いなくなるだけでシンと静まった。
でも頭の中はぐちゃぐちゃだ。今は誰もいない方が整理しやすい。
「あーあ」
後は飛び降りるだけなんだよな。俺は死んだはずの志弦に何を期待しているんだろう。
「……ベットで押し倒されたのか」
それが原因で俺が気を失って、藍が綾子ちゃんに連絡した。
「……」
不自然じゃないか? 藍が俺が居たホテルに押しかける事はありそうだけどもベッドで押し倒されて意識を失うって。でも藍はウソを言うとは思えないし。
ああ、この考えも現実逃避をしてるだけなのかな。
空は青い。気持ちいい風が吹いている。昔と比べれば随分空気が綺麗になった。沢渡に居た頃はまだガソリン自動車も多くて空には白い光化学スモッグがかかっていた。
今では幹線道路なら走りながら充電もされている時代だ。
……
早めの夕飯はなかなか豪華で一人の自炊よりは明らかに健康的だ。
「肉とかあるんですね」
「はい。筋肉量が低下しているみたいなので、いっぱい食べていっぱい運動してくださいね」
「あはは……」
笑いながら看護師さんは言ってくれたがこりゃ厳しそうだ。昼に行ったトイレが原因で夕方に筋肉痛になってんだぜ。
カチャンとお盆を置くと、看護師さんはさっさと部屋を出ていってしまった。
「……」
誰も居ない部屋って寂しいな。
テレビをつけると観客のわざとらしい笑い声が聞こえてくる。話の中身が妙に俺のツボを外していて、俺だけがつまらないようで余計に孤独に感じる。
「……」
ホウレンソウのおひたし、焼きサバ、味噌汁、白米にふりかけ付き。すげーおいしい。
だけど満たされない。腹は満たされるけど、なんだろうこの感じ。めっちゃ寂しい。
「……」
どうしてだっけ。大学で一人暮らしでも寂しさなんて感じたことなかったはず。
スマホはいじり倒してこの二週間の出来事は把握したし。
「することがねぇな」
……
大学に入ってからというもの、一人は気楽だと思うことが結構あった。教授やゼミ生、バイト先の友達からサークル(最近は行けてない)まで片手に持つスマホ一つで誰とでもつながることが出来る。
でも他人と絡み過ぎていて正直しんどかった。気楽っちゃ気楽になったはずなのに。
「……」
人が恋しいのはどうしてだろう。この間まで一人でいることがすげ楽だったのにな。
向こうの親しい友達の返信はまだない。何度更新しても既読もつかない。
「はぁー」
もういいや、スマホを投げ出す。
『あっはっはっはっ』
久しぶりのテレビ、リモコンをいじろうがどれもこれも自分の趣味じゃない。
ブツッ。
「……」
そうだ、メシ食わなきゃ。いつの間にか手が止まっている。
もぐ。
「……」
咀嚼する。言葉にできることがそれしかない。
もぐもぐ。
とても病院食とは思えないほどうまい。けれど満たされない。
見放されたと思うとこれほど苦しいものか。
……