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番外編4 生きたいように

 ナザレスが近衛から身を引くことにした、という噂は立ち所に王宮中に広まった。


「嘘よね。あり得ない」

 顔見知りの女官に声をかけられ、ルシュカは曖昧に微笑んだ。

「そういうのは、本人から」

 あまり噂話に顔をつっこみたくないと濁して、背を向ける。

「待って。聞いているんでしょ? どういうこと? ルシュカは!?」

 逃がさないとばかりに、声が追いすがってきた。


 ルシュカは。


 振り返って、微笑したまま首を振り、それ以上の追及を避けるべく足早に立ち去った。


 誰でも知っている、二人の関係。

 ナザレスはその真っすぐな好意を隠さないから。

 思いは誰に恥じるものでもないとばかりに、自分が誰を選んだのか、周囲にはっきりと示してきた。


 彼が前王家の血筋であり、旧王党派からはアンジェリカとの婚姻を望まれていたという事情をルシュカが飲み込む頃には、すべてが過去形になっていた。

 そんな思惑には乗らないと、当の二人が各々の意思を白日の元にさらしてしまっていたせいで。


 国内外から来賓のあった宴で、うつくしく着飾ったアンジェリカを、近衛の隊服に身を包んだナザレスがエスコートして現れた。そのどよめきの中で、ナザレスが姫を託したのは上官であるジャニス。三歩下がって跪き、深々と(こうべ)を垂れ、並び立つ二人に対して臣下の礼をとり、祝辞を述べた。

 どんな横やりが入っても覆せないであろう、見事な手際だった。


(アンジェリカ様の、最後の思い出に……)

 姫君が誰に思いを寄せていたかは、鈍いルシュカでさえ知っていた。

 当の彼はその思いに応えることはなく、別の相手の手を取った。

 アンジェリカは傷ついただろうが、それをルシュカに見せることはなかった。

 そして、いつの間にか伴侶たるべき相手をしっかりと見出していた。

 それでも、それを公表するにあたり、最後の手助けをナザレスに頼んだのは、疼く未練と決別するための儀式だったのではないかと思う。


 あの瞬間、姫とジャニスとナザレスの間には、三人にしかわからない空気があったに違いない。


 ナザレスの上官でありながら、彼に王位を望んでいたジャニスにとっても、その決断はあまりにも大きな区切りになったはずなのだ。

 望まぬ上下関係のまま、この先長い道のりを歩んでいくことを、受け入れる。


 一連の騒ぎが収まった頃、ルシュカはナザレスから打ち明けられた。近衛を外れる、と。


『武官をやめて文官になるの? 宰相かな?』


 軍縮の傾向の中、十分あり得ると思っていたので、自分としては落ち着いて聞けたと思う。

 しかしナザレスの回答は予想とは少し違っていた。


『外遊に出る。外交官の肩書きでな。俺は育ちのおかげで、出るとこ出ればそれなりに上品に振舞えるし……』

 片目を瞑って悪戯っぽく話していたナザレスだが、声は存外に真剣だった。

『国内はジャニスとアンジェリカでどうにかできるはずだから。軍事力に頼らない政策でいくなら、外交は結構頑張らないといけないんだ』


 言っていることは理解できた。彼が適任であろうということも。

 他国からの強烈な干渉を避ける為とはいえ、アンジェリカが国内の相手との結婚を決めてしまったせいで、使えるカードは確実に減っていた。あまり猶予はなかった。


 彼の決断のどこにも、自分の存在がないことに、ルシュカは速やかに気付いた。


(そんな未来を描いていたなんて、知らなかった。ナザレスといる為には、ただ身体を鍛えていればいいだけとは思っていなかったけど)

 自分なりに勉強も進めてきたつもりであったが。

 国外を飛び回る彼に付き従う為のものであったかといえば、違うと言わざるを得ない。


 ナザレスは自分で言う通り、「出るところに出ればそれなり」おそらく「それなり以上」の貫禄をもって振舞うだろう。その彼に、ルシュカがついて歩いたところで、足を引っ張ることはあっても、助けになることはないと断言できる。

 おまけに、ナザレスは本人が強い。ルシュカ程度の腕の護衛を必要としない。

 さらに言うならば、軍備は縮小していくとしても、要人の警護が不要になることはない。近衛の要と望まれたナザレスが抜ける動揺は、小さくない。そんな中、女性としては一番の腕利きであるルシュカまで抜けるわけにはいかない。


 何より、ルシュカ自身近衛をやめる気はない。

 ナザレスに「一緒についてきてほしい」と言われないから、ではなく。

 いつかアンジェリカの盾となり、剣となる心積もりで生きて来た。その信念はやすやすと曲げられない。

(笑って、送り出すしかない)


 ナザレスは私を好きになってくれた。

 私もナザレスを好きになった。

 それだけで十分。


 打ち明けられた晩、食事の後に宿舎まで送ってもらい、別れの際に口づけを交わしたが、いつもより会話はずっと少なかった。

 以来、落ち着いて話す時間を持てないでいるうちに噂はあっという間に広まってしまったのだ。


 ――ルシュカは?


 私は近衛をやめない。ナザレスはやめて、どこか遠くへと旅立つ。

 それはつまり、「別れる」ということなんだろうか?

 具体的に話を詰めたわけではないけれど、この先側にいられない、いつ会えるかもわからない。

 明確な「別れ」がそこにある以上、あとはどちらが言い出すかという段階なのではないだろうか。


         *


 少し出かけよう、とナザレスに誘われたのは、二人の非番が重なった日のこと。

「色々と準備があるんじゃ……」

 誘われるのは嬉しいが、もうこの人は自分の手に入らない人だと諦めの気持ちも強く、ぐずぐずと言ってしまう。

「あるけど。これも大事な用事だから」

 結局、押し切られる形で二人で街に出ることになった。


「買い物はある程度、王宮の御用職人に任せているんだ。外交だからな。さすがに、その辺で買った服で遊びに行くわけにも」

 いつもながらののんびりとした調子で言うが、採寸して一から作る礼服のようなものを、公費で用意させているということなのだろう。

 ナザレスには、そういうところがある。感覚が庶民的ではない。

 育ちと簡単に言ってしまっていいのか悩むが、物怖じしない性質だ。さすが王族出身といったところか。

(もともと、世界が違うんだよね……)

 彼が自分へ向けてくれた好意に嘘があったとは思っていないけれど。

 大義の前には、彼はどちらをとるかなど悩むこともない。


 いつ別れを切り出されるのだろう。

 自分から言った方がいいんだろうか。


 二人で歩いていても、そんなことばかり考えてしまう。

 どことなくよそよそしい態度が伝わるのか、目を合わせることも手をつなぐこともない。

 求められていないなあ、と気付いてしまったが、気付かなかったことにした。

 これまでの彼を知っているだけに、彼が出先で女性の誘惑に負ける姿というのはちょっと想像がつかない。ただし、必要とあればもっとも条件の良い相手と結婚くらいはしてしまいそうな気もする。


(すごく好きなんだけどな……。待ってなんて言うんじゃなかった)


 触れたい気持ちも、触れられたい気持ちもあったのに。もう遅い。

 まだどちらも別れを切り出していないのに、時間の問題だという思いは大きく、気持ちはただただ暗い。


 半歩下がって追いかけるように歩いていたら、見慣れぬ道に入っていた。

 高級住宅街だ。王宮勤めの高官などが住む瀟洒な館が立ち並んでいる。

 ナザレスは、その中の一つの門をくぐった。

 左右に紫色の花が咲き誇っており、まっすぐの道の先には、木々に囲まれた年季の入ってそうな石造りの建物があった。


「街中だからそんなに大きくないけど。俺の持ち家だ」

 不意に思い出したように、ナザレスが言った。

「ん?」

 何を言った? と思ったそばから何もないところで足をもつれさせてバランスを崩す。まるで予想の範囲内とばかりに、腕を伸ばしてきたナザレスに捕まった。支えてくれるだけで十分なのに、そのままぎゅうっと抱きしめられてしまった。

「ナザレス」

 嬉しいけれど、いけないような気持ちがないまぜで、つい非難がましく名を呼んでしまう。


「ルシュカ。俺の目を見ないよな。すげー避けてる。そんなに嫌だった?」

 聞き方が、直截的すぎる。

 言いたいことはたくさんある。「嫌だった?」と聞かれたからといって、一言で答えられるわけないのに。


(離れるのは嫌だけど、国益的観点から見れば間違いのない決断だし。ついて来いって言われたい気持ちもなくはないけど、ついて行かないし。全体的に「仕方ない」って言うか。諦めはついているから)

 返事に困っている間にも腕にどんどん力が込められていく。

 ルシュカの抵抗なんか全部封じてしまうつもりのようだった。


「なんて言えばいいのかわからない。行かないでと言うつもりはないし、ついて行く気もない。離れるのは嫌だけど……」

 ナザレスの唇が額に押し付けられる。ああもう、別れるのに、と思いながら嫌ではない自分が情けない。拒否できない。

 一分でも一秒でも一緒にいたい気持ちの方が、はるかにはるかに大きくて。


「この家に住んで欲しいんだ。俺は近衛の宿舎を出ないといけない。この先、帰国したときに過ごす家が必要になる。ここに帰ってくるから」

「……えーと」

「今日から。時間が惜しいんだ。このまま一緒に暮らさないか」

 ルシュカは目を瞑って考え込んでしまった。

 何を? とは思わない。実に彼らしいことを言っている気はする。彼はルシュカを好きだと公言していたわけだし、それを貫いているだけなのだろう。

 彼の中では一貫性がある。間違いない。


「今後、一度出かけたら何か月も戻らない生活だよね? 私はその間……」

「俺以外の男を好きになるのか。好きになれるのか。俺しか眼中にないくせに」

 ひどい。ひどいことを言っていると思う。足元見過ぎだ。


「引きずると思うけど……吹っ切れるかも……」

「あり得ない。吹っ切ろうとするたびに俺が目の前に現れて全力で口説くんだぞ。そのたびにぐらつくんだ。俺は絶対に遠慮なんかしない。何度だって奪う。強引な手なんか使わなくても、ルシュカは俺を忘れられないから」

 腕の力がわずかに緩められたおかげで、少しだけ身を引いて顔を見上げることができる。

 どんな顔をして言っているのか見てやろうか。

 そう思ったが、目が合った瞬間、しまったと思った。


 掛け値なしに真剣な黒瞳に、射すくめられる。


「強引な手とは……参考までに……」

 なんでそこを聞いてしまったのか。

 ぐっと眉を寄せ、厳しい顔をしたナザレスが「言っていいのか」と聞き返してきた。


「…………やっぱりいいです」

「遠慮するなよ。言ってもいいんだぜ。とはいえ、俺が考えるようなことはもうわかっているだろ。後はルシュカが納得するかどうかだけだ」

 怖い。全然目が笑わない。

 納得するかどうか。とは。

 思わず唾を飲み込んで、ルシュカは「検討します」と逃げを打った。

 即座に「だめだ」と退路を断たれた。


「ナザレスは……もっと……、物わかりのいいことを言うんだと思っていた……。『俺のことは待たなくてもいいから、幸せに』とかさ」

「誰だそれ。俺がそんなことを言うはずがない。本当は『一緒に来てくれ』というのを堪えまくっているんだよ。これ以上何を我慢しろと」

 自分で、外回りをすると決めたくせに。離れる人生を選択したくせに。

 側にいない。一緒にいられない。それなのに、全力で束縛しようとしている。


「我慢ってなに……? 生きたいように生きているようにしか見えないんだけど」

「そうだな。やりたいようにはやっているよ。だけど我慢もしている。いい加減、お前を俺だけのものにしたい。俺はずっとお前だけのものだ、それは自分が一番わかっている。他の誰もいらない。だけどルシュカは……俺のこと吹っ切るとか言うからな……」

 根に持たれた。

(そうだ、ナザレス、私のことに関しては結構落ち込みやすいんだった)

 抱きしめられて、肩口に顔を埋めながら、後ろ髪を手で梳かれつつ思う。

 これで結構弱気だし、従順なのだ。嘘みたいに。ルシュカが悪人だったら骨の髄まで利用できたんじゃないかというくらい。


「私が悪かったよ……。ごめん。私もナザレスのものになってしまいたい」

 正式に婚約する? というつもりで言ってみた。

「うん。良かった。断られなくて。ようやく朝まで一緒にいられる……」

 とても達成感のある声音で言われ、背中に腕を回されて歩くのを促される。


「えーと……?」

 ようやく、何?

「荷物。全部こっちにうつすぞ。王宮に通うのもここからだとそんなに遠くないから。まあ、追々。今日はこのまま。ちゃんと手を入れて暮らせる状態だから」

 小径を早歩きで進みながら、ルシュカは隣のナザレスを見上げる。

 よほどこの短いやりとりで精神的に参っていたのか、見たこともないほど疲れた横顔をしていたナザレスだが、視線に気付いて顔を向けてきた。


「なんか急いでる?」

「うん。急いでる。館の案内も追々。まずは夫婦の寝室に行こう」

 婚約は? 結婚は? まだ夫婦じゃ……ないよね!?

(そんなに!? そんなになの……!?)

 恋人相手に申し訳ないんだけど、戦慄するんですけど!


 よほど言おうかと思ったが、そんなナザレスの思いを憎からずというかむしろ嬉しく思ってしまっている自分にも気付いてしまっていて。

 覚悟決めなきゃだめかな、と青空を仰ぐ。

 その澄んだ色合いを見て、ふと思ったことを口にしてしまった。


「朝までって、まだ昼前じゃん……」

 独り言であったが、ばっちり聞こえたであろうナザレスに、とても優しい声で返事をされる。


「出来るだけ長く一緒にいたかったから、朝一で出てきた。今日は時間の許す限り」

 許す限り何、と聞き返すことはできずに、ルシュカはほんのりと笑みを浮かべた。

 やがて、そっとナザレスの背に自分も腕を回したのだった。




 (了)


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