第1話 何その危ない表現⁉
「将棋部の見学へようこそ。さっそくですが、私と一局いかがですか?」
「は、はい。ぜひお願いします、先輩」
一か月前。初めて彼女と将棋を指した。
駒を持つ手は、透き通るほど真っ白で。動かされる腕は、制服越しでも分かるほど華奢で。盤上を見つめる表情は、これ以上ないほどまっすぐで。彼女の凛とした佇まいに、思わずドキリとしたことをよく覚えている。
けれど同時に、彼女が苦しんでいるようにも感じてしまったんだ。
窮屈で窮屈で。助けを呼びたいのに呼ぶことができない。そんな苦しみ。
一体なぜ? そう聞かれても、正確な答えは出せない。あえて言うなら、「なんとなく」だ。
駒を盤上に打ち下ろすたび、彼女と言葉のない会話を繰り返すたび、僕の疑念は強くなった。
そうしていつの間にか対局が終了。「負けました」と言って頭を軽く下げる。敗北の悔しさが心を駆け巡ると同時、僕の口は自然と次の言葉を紡いでいた。
「先輩、なんだか無理してませんか?」
「……え?」
そう。
これが、僕たちの始まり。
不思議で仕方のない、最初の出会い。
まあその後、なんだかんだありまして。
一か月後、彼女がどうなったかと言いますと。
「ううううう! もう人前でキャラ作るのいやだああああ!」
こうなった。
♢♢♢
私立千駄第一高等学校。僕、渡辺香也は、そこの将棋部に所属している。部員数は僕を含めて三名。大所帯ではないけれど、まあまあ有名。え? なぜかって? 理由は、今目の前でテーブルに突っ伏している彼女の存在である。
「う、ううう。無理やり口調変えたり、姿勢やら歩き方やらいちいち気をつけたり。あまつさえ『分かってる』風で相手に話合わせたり。しんどい。しんどすぎる」
「里見さん、毎回同じこと言ってますよね。そんなにキャラ作りするのが嫌なら、最初からやらなきゃいいじゃないですか」
「そんなわけにいかないでしょ!」
テーブルを勢いよく叩き、その反動で手を痛そうにヒラヒラとさせている彼女の名は、里見桂花。昨年、将棋の全国大会で個人準優勝という成績を残し、部活動において特に秀でた活躍のない私立千駄第一高等学校の名を全国に知らしめた女生徒。
艶のある長い黒髪。整った顔立ちはどこか大人びていて、一年生の僕と一つしか学年が違わないことをたまに忘れそうになる。体つきはスレンダーで、彼女が学校の制服を身にまとっていなければ、有名な女優さんなのかと勘違いしてしまいそう。
「そんなわけにいかないって……どうしてですか?」
「だって。私一応、まあまあ有名な人で通ってるし。新聞とか雑誌の取材もめちゃくちゃ受けちゃったし。周りからの『里見桂花はすごい人なんだぞ』っていう視線が私をそうさせるというか」
「学校の看板背負ってる、的なやつですね」
窓の外に視線を向ける。ここ、西館にある将棋部部室からは、本館の全体像を見ることができる。本館中央に掲げられた大きな垂れ幕には、『祝! 二〇二五年全国高等学校将棋選手権大会準優勝! 一年 里見桂花』の文字が。ああいうのって新年度になれば外されるイメージなのだが。学校にとってよほど記念すべき出来事だったのか、今になっても掲げられたまま。おかげさまで、新入生のほとんどに里見さんの名は知れ渡っているわけで。僕も時々、「なあなあ、将棋部の里見桂花さんってどんな人? 彼氏とかいる?」と聞かれるほどで。
「まあ里見さんの言わんとしてることも分かりますが。だからってやりすぎもよくないでしょ」
「あと、もともと人付き合い苦手だから、キャラ作りしないと上手く話せない」
「そっちが本命っぽいですね」
「うぐっ! な、ナベくんのイジワル!」
そう吐き捨て、彼女は再びテーブルに突っ伏してしまった。
決して広くはない将棋部の部室。一つしかない長テーブルに突っ伏し、髪が乱れているのを気にする様子もない学校の有名人。今の状況を他の生徒が見たら、一体何を思うのだろう。幸いにして、今は部室に二人きりだからその心配もないわけだが。
「というか、里見さん。僕の前ではキャラ作りしませんよね。いろいろさらけ出してるというか」
「え? そりゃ、ナベくんだし」
顔を上げ、キョトンと僕を見つめる彼女。
「……ちょっと意味が分かりません」
「ナベくんには私の恥ずかしいとこ見られちゃってるからね。もう何見られても、これ以上失うものはないかなって」
何その危ない表現⁉
というか、恥ずかしい姿って。たぶん初めて会った時の……。
一か月前の記憶が脳裏をよぎる。瞬間、顔が熱くなっていくのを感じ、慌ててその光景を心の金庫に押し込めた。
「それ、他の人の前で絶対言わないでくださいね。あらぬ誤解を招くので」
「はは。こんなこと、ナベくんの前でしか言えないよ」
里見さんが頬を緩める。たぶん、この学校では僕しか見たことのない無防備な笑み。里見桂花という一人の女性が見せる、ありのままの優しい笑み。
その美しさに見とれ、隠している想いを口走ってしまいそうになるのは、果たしてこれで何回目だろうか。
「ん、んん! そういえば、今日はまだ対局してませんよね! 里見さん、お手合わせお願いできますか?」
「いいよー。心してかかってくるがよーい」
「何ですか、そのキャラは」
部室隅にある戸棚から、将棋盤と駒を取り出す。長テーブルの上に将棋盤を置き、里見さんと二人で駒を並べる。
「そういえば、ナベくんっていつから将棋はじめたの?」
「また唐突ですね」
駒を打ち下ろしながら会話が始まる。僕たちの間ではよくあること。将棋は厳粛な雰囲気のもとで行われるのが普通だけれど、緩い空気の中行う将棋というのもまた一興だ。
「本格的に始めたのは中学生からですね。ほら。丁度、将棋が話題になってたじゃないですか。史上最年少名人爆誕って。それがきっかけで将棋に興味を持ったんです」
「あー。そういうニュースもあったねー。私、正直プロとかあんまり興味なかったしスルーしてたな」
「……将棋の強い人って、皆、プロ棋士とかプロの世界に興味あるものだと思ってました」
「全然知らないってわけじゃないけどさ。それに私の場合、小さい頃からずっとネット将棋やってただけで、将棋教室に行ったり大会に出たりっていう外との繋がりが薄かったから。プロに限らず、今流行ってる定跡とかにも疎いんだよね」
それで全国大会準優勝とは。つくづく彼女の才能には圧倒される。
そうこうしているうちに駒を並べ終え、どちらからともなく「お願いします」と言って頭を下げる。
里見さんと対局するとき、基本的には僕が先手番だ。駒を手に取り、ゆっくりと盤に打ち下ろす。パチリと、狭い部室に小さな駒音が響く。間を置かず、彼女もまた駒を進める。
「ふふふ。ナベくん、今日はどんな戦法で来るんだろ。楽しみだなー」
「いつも通りですよ。あんまり期待しないでください。まあ、昨日負けた分、しっかり勉強してきましたけど」
「お、いいねえ。そういう将棋にひたむきなところ、私好きだよ」
「…………」
「ん? どうかした?」
「いえ、別に」
この人、なんでそういうことサラッと言うかなあ! ひょっとして、僕の気持ちに気づいてる⁉ 気づいててわざとからかってるの⁉ いやまあ違うんだろうけど!
考えるふりをしながら顔を上に向ける。対局が開始してまだ二手しか進んでいない。だが、二手目や三手目で決断を迫られることがあるのも将棋の醍醐味だ。案の定、里見さんも「おー。ここで考えるんだ。ワクワク」と僕のごまかしに気がついていない。
天井のシミを見つめながら、緩みそうになる唇をどうにか引き締める。胸の高鳴りが落ち着いてきた頃合いを見て、盤上へと顔を戻す。
「やけに長く考えてたねー」
「ええ。どっちの作戦で行こうか悩んでました」
「はてさて、ナベくんの選択は?」
里見さんに促されるように駒を掴もうとしたその時。バタン! と大きな音とともに部室の扉が開かれた。
「部長様の帰還だよ~」
皆さん、おはこんばんにちは! takemotでございます!
本日よりこちらの作品、毎日投稿始めていきます。将棋に詳しくない方でも楽しめるよう頑張って書きましたので、ぜひとも応援よろしくお願いします。




