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居酒屋店員が異世界転生して、兵站で魔王を倒し元の世界へ帰るまで  作者: もしものべりすと


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第七章 串打ちは構造工学

翌朝、宮廷料理人筆頭・ガイウス、と名乗る老人が、店の前に立った。


 六十がらみの、白い口髭を、丁寧に整えた男だった。


 肩には、銀の留め金で、料理人の白衣が、止められていた。


 その白衣の襟元に、王家の紋章が、刺繍されていた。


「鳴海どのと、申されるか」


「はい、いらっしゃいませ」


「貴公の料理の工程を、拝見したい」


「あー、それは、別に、見せられますが」


「お見せ、いただけるか」


 彼の声は、低く、丁寧で、しかし、ぴりぴりと、緊張を孕んでいた。


 俺は、調理場の入り口を、片手で示した。


「どうぞ。冷蔵庫の中、見ても、平気ですよ」


 ガイウス氏は、ゆっくりと、調理場に入った。


 彼の視線は、まず、ステンレスの調理台、次に、業務用冷蔵庫、最後に、炭火台へと、流れていった。


 彼の眉間に、深い、皺が、寄った。


「これは、見たことのない、形の、炉だ」


「炭火台、というやつです」


「炭を、これほど、密に並べる、調理器具を、見たことがない」


「ええ、まあ、日本のチェーン店なら、よくあるやつです」


 ガイウス氏は、両手を、後ろに組んで、調理場の壁際に、立った。


 俺は、いつもどおり、串を打ち始めた。


 まず、もも肉と、ネギの、串。


 肉の塊を、左手で押さえ、包丁で、繊維と垂直に、薄く、切る。


 切った肉の繊維方向を、揃え、ネギと、交互に、串に通す。


 肉は、逆台形に、配置。


 手元側を大きく、先端を小さく。


 縫い留め技術で、肉が、串の上で、回転しないように刺す。


 ……これだけだ。


 いつもの、八年分の、工程。


「鳴海どの」


 ガイウス氏の声が、ふと、震えた。


「貴公は、肉の、繊維方向を、見て、串を、通したか」


「ええ、まあ、当たり前ですけど」


「その、肉の、先端と、手元の、大きさが、違うのは、なぜか」


「火元から近い側が、焦げにくいです。あと、食べてくときに、ボリュームが、出ます」


「縫うように、刺すのは、なぜか」


「焼いてる間に、肉が、串の上で、くるくる回らないように、するためです」


 ガイウス氏の手が、自分の腰の革帯を、ぎゅっと、握った。


 その手が、震えていた。


「鳴海どの。……これは、構造工学、ではないか」


「いや、串打ち、ですけど」


「肉の繊維、肉塊の重心、火元との距離、加熱時間、すべてが、一本の串の中に、計算されておる」


「いえ、毎日、やってるだけです」


 ガイウス氏は、しばらく、無言で、俺の手元を、見続けた。


 俺は、五十本の串を、いつものペースで、打ち終えた。


 炭火台に、まず、十本。


 火の強い「上段」と、ゆるい「中段」に、肉の脂の量で、振り分ける。


 脂の多い、もも肉は、上段で、表面を、すばやく、固める。


 脂の少ない、ささみは、中段で、ゆっくり、火を通す。


 全部、頭の中で、考えるまでもなく、手が動いていた。


 俺は、炭の温度を、額の皮膚で、測る。


 脂が、炭に落ちる粒の、大きさで、火力の微調整をする。


 ジュッ、と、いつもの音が、立った。


「……っ」


 ガイウス氏が、その音に、小さく、息を、吸い込んだ。


 彼の白衣の襟元に、汗が、にじんでいた。


「鳴海どの。すまない、ひとつだけ、聞かせてくれ」


「はい」


「貴公は、どこの国の、何流派の、料理人でいらっしゃるか」


 俺は、串を、ひっくり返した。


「日本の、チェーン居酒屋の、ただのバイトです」


「……バイト、とは」


「アルバイト、です。時給制の、一般従業員です」


 ガイウス氏は、しばらく、口を、開けっ放しに、していた。


 白い口髭が、ふるふる、と、震えていた。


「……信じられぬ」


 彼は、首を、左右に、振った。


「我が国の、宮廷料理の、伝統に、生涯を捧げた、私の、修めた、技の、すべてが――今、貴公が、十分間で、組み立てた、串打ちの、工程の中に――すでに、内包されている」


 俺は、焼き網の上の、串を、見つめていた。


 褐色の表面に、白い塩の結晶が、ぽつぽつと、光っていた。


「我が国の、食文化、そのものが、書き換わる」


 ガイウス氏は、両手で、自分の白衣の襟元を、握りしめていた。


「鳴海どの。私を、貴公の、弟子に、していただきたい」


「いや、別に、見せて、いいですけど」


「ありがとう」


 彼は、深く、深く、頭を下げた。


 その瞬間、店の外で、王女の馬車が、ゆっくりと、近づいてきた。


 俺は、焼き網の上の、最初の十本を、皿に並べた。


 ガイウス氏は、その皿を、両手で、押し戴いて、王女のもとへ、運んだ。



 俺は、ガイウス氏が、王女の元へ運んでいく皿を、ちらりと、見送った。


 彼の足取りは、最初に店に入ってきた時とは、まるで、別人のものだった。


 背中が、ぴんと、伸びていた。


 まるで、長年探していた何かを、見つけた、そんな歩き方だった。


 王女と、ガイウス氏の、低い声が、外から、聞こえてくる。


「殿下……これは、まこと、奇跡でございます……」


「ええ、わたくしも、そう思います」


「我らが、長年、王宮の厨で、追い求めてきた、料理人の理想――『食材の中に隠れた構造を、解き明かして、組み直す』――その理想を、彼は、当たり前のように、無自覚に、達成しております……」


「ガイウス殿、貴方が、そう仰るならば、間違いはありませんね」


 俺は、その声を、半分、聞きながら、もも肉を、もう一本、串に通した。


 無自覚、と、彼は、言った。


 たしかに、俺は、自分のしていることが、すごいことだと、思ったことは、なかった。


 ただ、毎日、続けてきた。


 誰よりも早く出勤して、誰よりも遅く帰った。


 誰も褒めてくれなくても、串の角度を、一度ずつ、調整してきた。


 ……それが、いつのまにか、こんな形で、人を、驚かせる日が来るとは。


 俺は、ふと、頭の中で、八年分の焼き場の記憶が、ぱらぱらと、めくれていく感じを、覚えた。


 深夜、客のいなくなった店で、ひとり、串を打っていた、無数の夜。


 誰も、見ていなかった。


 でも、たしかに、俺の手は、一本ずつ、覚えていた。


 俺は、再び、十本、串を、炭火台に並べた。


 残りの、四十本も、これから、焼く。


 手は、いつもどおりに、動いていた。


 その夜、王女は、店を発つ前に、もう一度、俺の前に立った。


 彼女の手の中には、銀の封蝋で閉じられた、一通の手紙が、握られていた。


「鳴海どの。これを、お渡し、申し上げます」


「あ、なんですか」


「王都への、ご招待状です」


「……は」


「いずれ、機が熟したならば、王都へ、ご足労を、お願いいたしたく」


 俺は、手紙を、両手で受け取った。


 その封蝋は、ずっしりと、重かった。


 彼女は、馬車に乗り込む直前、振り返って、もう一度、こちらを、見つめた。


 その緑の瞳の中に――


 もう、料理人を観察する目では、ない、別の色が、滲んでいた。


 彼女は、低く、囁いた。


「鳴海どの。……あなたは、世界を、救えるかも、しれません」


「いえ、無理ですよ」


「いいえ。すでに、お救い、なされています。我が国の、五十名の聖騎士の命を」


 彼女は、それだけ、告げて、馬車の幕を、閉じた。


 俺は、暮れていく森の中、王家の馬車が、ゆっくりと、遠ざかっていくのを、見送った。


 手の中の封蝋が、夕日に、赤く、染まっていた。

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