第十話 生贄となるハズだった聖女
私は、生まれながらにして神の供物となることが定められていた。
意思疎通のために言葉を教えられ、労働力として家の手伝いくらいできるよう読み書きは覚えさせられたが、それ以外まともな教育を受けていない。
どうせ死ぬのだからと、親から愛情を与えられることもなかった。
私には兄が存在したが、兄にとって私はただの道具に過ぎず、家族として扱われたことは一度もない。
戯れに暴力を振るわれ、10歳を過ぎた辺りからは体中をまさぐられるようになった。
兄は私に「純潔は奪えないが、それ以外のことは全てやってもらうぞ」と口にしながら様々な行為に及んだ。
その行為にどんな意味があったのかはわからないが、とにかく不快だったことだけは覚えている。
ただ、その行為も14歳になる頃には一切なくなり、代わりに聖水で毎日体を清めるようになった。
そして12月となり、いよいよあと数週間で生贄の儀式が開始されるという段階で、一人の少女が私に声をかけてきた。
「トリアさん」
「?」
「私はネリネと申します」
ネリネと名乗った少女は、私の「きよめ」担当の一人である。
「きよめ」とは、生餌の体を文字通り清める役割を持つ者のことだ。
担当は生贄と年齢の近い女子から選ばれるらしく、ここ数日は毎日顔を合わせていた。
しかし、声をかけられるのは今日が初めてのことである。
「単刀直入に申し上げますと、アナタにはこの村を出て行ってもらいます」
「っ!? え、それは、どういう……?」
「そのままの意味です。要するに、アナタを逃がしてあげるということです」
逃がして、あげる……?
それは、私が生贄にならなくてもいいということ……?
突然そんなことを言われても、私は困惑するしかなかった。
生贄にならずに済む――、本来ならば喜ぶべきところなのかもしれないが、そんな感情は一切湧いてこない。
生まれた瞬間から生贄になることが定められ、生きる喜びを与えられてこなかった私には、そもそも逃げるという発想すら浮かんだことがなかった。
それに、私が生贄にならなかった場合、村はどうなるのだろうか?
恐らくだけど、きっと大変なことになる。
「あの、それは、困ります……」
「申し訳ないのですが、アナタに拒否権はありません。あ、村のことなら安心してください。私がなんとかしますので」
拒否権がないということは、私のことを考えて逃がしてくれる――ということではないのかもしれない。
ひょっとして、村を滅ぼそうとしている?
いや、でもなんとかするって言っているし……
「明日、アナタは街の聖教会で洗礼式を受けることになっています。その帰り道で、モンスターに攫われ行方不明になる――という手筈です」
「……それは、私が何をしようとも変わらず実行される、ということですか?」
「そうです」
つまり、私には本当に選択権がなく、ただ攫われるしかないということだ。
しかしそれならば、どうして私にそれを伝えたのだろう……
「あの……、最初から拒否権がないのであれば、何故私にそれを伝えたんですか?」
モンスターに襲われれば私に抵抗するすべなどないが、そのことを誰かに伝えることくらいはできる。
私がそうするとは思わなかったのだろうか……
「余計な行動を取らせないためです。万が一逃げられても面倒ですし、これもないとは思いますが、誰かを庇って死なれては私の望む結果ではなくなってしまいますので」
……ああ、やっぱりこの子は、私のことを助けたいという理由ではなく、何か他の目的のために私を逃がそうとしているんだ。
それは先程頭を過った、村を滅ぼそうとしているという目的かもしれないし、もっと他の理由かもしれない。
ともかく、その目的のため、私には消えてもらいたいということなのだろう。
「お察しの通り、私はアナタを助けたくてこのような企てをしたワケではありません。私の目的のために、アナタを利用するというだけのことです。……ただ、折角助けるのだから、アナタにはこの先幸せに生きてもらいたいという気持ちはあります」
「っ! 私に……、幸せに、生きてもらいたい……?」
「はい。……私のお姉ちゃんは、去年の儀式で神の生贄となりました。お姉ちゃんも、今のアナタと同じように生きる希望すら抱いていなかったんです。それって、とても悲しいことじゃありませんか」
「…………」
正直、よくわからなかった。
だって私は、それが当たり前だと思って生きてきたから……
「理解できないって顔してますね。私はそれを、理解させたいと思っているんですよ。残念ながらお姉ちゃんのときには間に合いませんでしたけど、アナタにはお姉ちゃんの分も――っとそろそろ時間ですね」
話しかけてから手を止めていたネリネという少女が、再び「きよめ」を再開する。
「もうすぐ他の担当者が合流しますので、会話はこれで最後です。本来生贄と会話するのは禁じられていますので。アナタは今晩、ゆっくり今後のことでも考えておいてください」
家族以外の村人が私を無視していたのは、そんな決まりがあったからなんだ……
そういえば、今日はもう一人いる「きよめ」の担当者がいなかった。
きっとこのネリネという少女がこの会話の時間を作るために、何かをしたのだろう。
◇
結局、昨晩は色々考えたものの具体的な方針は何も浮かんでこなかった。
モンスターに襲われるということを親に伝えようかとも考えたけど、私がそれを伝えても命惜しさの狂言か何かと思われるだけなのでやめた。
それに、そもそもネリネという少女の話は本当なのだろうか?
モンスターに攫わせると言っていたけど、そんなことが可能なのか……
一般常識をほとんど知らない私には、それが現実的に可能か不可能かもわからない。
「これにて、洗礼の儀を終了する」
洗礼式は、聖水で満たされた池に一時間程浸かることで全身に聖水を染み込ませ、最後に聖痕を刻むことで完了となるようだ。
聖痕を刻むというので、兄に昔刃物で刻まれた苦い記憶を思い出したが、実際は魔術的な行為だったようで痛みはなかった。
聖痕は左胸に刻まれ、しばらくの間は鮮やかな光を放っていたが、今はもう視認することもできなくなっている。
洗礼式が終わり、速やかに街を出る。
村から街までは馬車で半日ほどかかるので、村に到着するのは夜中となるだろう。
既に辺りは暗くなり始め、視界はあまりよくない。
馬車には魔力石による光源が取り付けられているが、本格的に暗くなればそれも役に立たなくなる。
何も聞いていないが、今夜は野営することになるのかもしれない。
(本当にモンスターなんて現れるのかな……)
モンスターがどういう存在なのか詳細は知らないが、ただ恐ろしい存在だということは聞いている。
そんな化け物に襲われるかもしれない恐怖と同時に、少しだけ興味もあった。
私は人と家畜以外の生物はほとんど見たことがないので、恐怖を覚える見た目というのが全く想像できない。
こんな風に胸が高鳴るのは、私の人生で初めてのことかもしれなかった。
「うわぁぁぁぁぁっ! 化け物だ!」
野営前の準備として周囲の見回りをしていた冒険者が、悲鳴を上げながら野営地に戻ってきた。
「ど、どうしたんですか!?」
「モ、モンスターだ! それも、かなりデカい!」
っ!? ほ、本当に、モンスターが現れた……!?
一体……、どんな姿をしているのだろう。
気付けば私は、惹かれるように森の奥に向かって走り出していた。
自分でも驚くほどの好奇心である。
「お、おい! 待て!」
「追うな! あれはベアウルフだ! 俺達の手には負えない!」
「し、しかし、聖女が……」
「そんなことを言っている場合じゃない! 早く馬車を出せ! あのガキが食われている間に逃げるぞ!」
村人と冒険者が言い争っている隙に私はどんどん奥へと進み、そして――
(これが、モンスター……)
目の前に現れたのは、私の三倍以上はありそうな大きな獣だった。
がっしりとした巨大な体躯に、犬に似た頭部。
口から覗く牙は、私の頭など簡単に噛み砕いてしまいそうなほど凶悪に見える。
……こんな恐ろしい生物が存在していたなんて。
「わざわざ自分から近づいてくるとは、手間が省けたな」
「っ!?」
モンスターが、喋った?
モンスターとは、会話ができる存在なのだろうか?
「……なあ嬢ちゃん、この状況で笑うとか、一体どういう神経してるんだ?」
「え?」
モンスターにそう言われ、自分の口元に手を当ててみる。
確かに私は、口角を引きつるように上げて、笑っていた。
何故私は、こんな状況だというのに笑っているのだろうか?
「恐怖でイカレちまったか? ……まあ、なんにしても俺は依頼通り働くだけだがな」
モンスターはそう言って大きな口を開き、私に顔を近づけてくる。
捕食されるという本能的な恐怖から私の意識は一瞬で遠のき、視界には真っ暗な闇が広がった。




