↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪異報告蒐集サイト  作者: 九重


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/8

『逼真彫刻』

投稿日時: 19X9/03/14 02:04:33

投稿者: M・Rさん(52歳・男性・彫刻家 )

 「ウェット・ドレーパリー技法」と呼ばれるものがある。まるで濡れた布を纏ったかのように、彫像を形作る技法。約二千五百年前には、既にそのような表現が作られていた。そこから技術は進歩して、本当に薄い布を纏ったような彫像が、大理石や石膏から生み出されるようになった。


 つまり、何が言いたいかというと。


 技術を突き詰めていけば、硬い鉱物も柔らかな布そのものになるということだ。技術を洗練し、モデルに近づけていけば、そのものを再現できる。


 自宅兼アトリエの薄暗い作業台で、男は静かにそう考えていた。中年の彫刻家である彼は、世間的な名声や美術展の賞レースには一切の興味がなかった。ただひたすらに、生命力のあふれるリアルな像を作り上げるための技術を追求している。彼は注文の類も一切受け付けていなかった。誰かに言われて作るようなものは、彼の求める造形を洗練させる上であまり意味を持たないからだ。


 数ヶ月に一度、自分がじっくりと納得のいく検証を行えたものだけを数点作り上げると、昔馴染みが営んでいる少し風変わりなセレクトショップの片隅に、そっと置かせてもらっていた。


「相変わらずいい腕だ。これならすぐに買い手がつく」


 店主はいつも、出来上がった彫像をプロの割り切りとして受け取り、それなりの値をつけた。熱心なコレクターたちが「これ、誰が作っているんですか?」と素性を問うてきても、店主は商売上の建前として「さぁね、私だって詳しくは知らないんだよ」とだけ答えて通している。お互いに深く踏み込まない、徹底して社会から隠された孤独な定位置。だからこそ、彼のアトリエは誰にも干渉されない純粋な研究空間として成立していた。


 男が求めるのは、本物のリアルさだった。そのために、これまでに様々なアプローチを試してきた。


 大理石や花崗岩を削り、ブロンズや真鍮を流し込み、ガラスや硬化樹脂にいたるまで、彫像になり得る多様な鉱物や無機質に触れてきた。それだけではない。伝統的な木材を彫り、テラコッタを捏ね、ときには動物の骨を削り出し、獣の毛を膠や漆で固めて一体の像を形作ることさえあった。しかし、どんな素材に命を吹き込もうとしても、完璧な再現には届かなかった。


 素材を変えるだけでは駄目なのだ。そう気づいた男は、対象そのものへのアプローチも段階的に洗練させていった。


 初めは、一つの対象を写真で何万枚も撮影したり、ビデオで何時間も撮影し、繰り返し繰り返し観察して、その動きを写し取ることから始めた。現在、馴染みの店に卸している作品群は、すべてそうした気の遠くなるような観察から生み出されたものだった。ただ、映像という二次元のメディアに落とし込んでしまった時点で、生命力の再現としては一歩手前で留まることも理解していた。


 あえてリアルをそのまま写し取るのをやめて、ダヴィデ像やサモトラケのニケのような、人間の視覚に合わせたディフォルメ技法に手を染めたこともあったが、自分の求めるものとは違ったので、すぐにやめた。


 博物館で剥製展が開催された際には、本物の肉体の連続性を確認するために足を運んだ。職人の技術は素晴らしかったが、それはあくまで静止した死骸の再現であり、自分の目指す実在する生命の連続性とは方向性が異なっていた。


 自分は実在する生命を、そのまま再現したいのだ。


 映像や死体というフィルターでは届かないと判断した男は、次の検証対象として、生きたままの生物を選んだ。生きたまま動物を捕まえてきて、石膏で固めてみたこともあった。しかし、動物が過度にもがいたせいで型が歪み、上手く形にはならなかった。ならばと、殺したり眠らせたりしてから固めてみたが、今度は生命力が全く感じられないただの泥人形になった。


 なかなか思うようにはいかなかったが、男に特に焦る様子はなかった。淡々と試行錯誤を繰り返し、データを取り続けるだけだ。自分の生きているうちに究極の再現へはたどり着けないかもしれないが、それはそれで、長い美術史の発展における一つの通過点に過ぎないと考えていた。


 男は作業台の上に置かれたケージへと、ゆっくりと手を伸ばした。次のアプローチを、試すために。


 ◆


 ある日、男は街に出てぶらぶらと歩いていた。道すがら、気になる手作りの品を売る店などがあれば中を覗き、並んでいる商品を眺めた。木工品、革製品、陶器にいたるまで、ジャンルを問わずに物の出来栄えや職人の手の入り方を観察することは、自分の仕事にとっても良い刺激になるかもしれなかった。そうして街を宛てもなく歩いているうちに、男は一軒の古臭い店を発見した。


 セレクトショップだろうか、と思いつつ窓から中を覗き込むと、何やら怪しげな物品が乱雑に並んでいるのが見えた。オカルトやスピリチュアルといった趣味を持つ層に向けた、怪しげな骨董品を集めた店なのだろう。男はそう考えながら、木製の古い扉を押して中に入った。薄暗い店内を歩きながら、一つ一つの商品をじっくりと見ていく。


 並んでいるのは、どこか不気味な造形の燭台や、呪術的な意匠が施されたアミュレット、錆びついた天秤など、歴史を感じさせるアイテムばかりだった。凄腕の美術家が手掛けた芸術品というわけではなかったが、経年変化による風合いや古物としての佇まいは面白く、男は純粋にその空間を楽しむことができた。その時、店の最も奥にある棚で、一冊の古びた本が男の目に留まった。


 背表紙は擦り切れ、ページは茶色く変色している。手に取ってパラパラとめくってみると、そこには悪魔を召喚するための具体的な手順や、奇妙な魔法陣の図が細かく描かれていた。記述によると、それは呼び出した者の『願いを叶える悪魔』なのだという。手にした本が気になった男は、そのまま購入することにした。会計の際、魔女のような見た目の店主が怪しく笑いかけてきたが、男は特に気づくこともなく、ただ本を受け取って店を出た。


 アトリエへ戻り、作業台に古書を広げた男は、ページをめくりながらどうしたものかと悩んでいた。本に書かれている悪魔の召喚手順は、男の目から見ても奇妙な現実味を帯びていた。必要とされる生贄の類も、アトリエの周りでそこらの生き物を捕まえてくれば事足りる。やろうと思えば、今すぐにでも実行できるだけの条件は揃っていた。


 仮にこれが精巧に作られた嘘であったとしても、かつての人間が知恵を絞って構築した『悪魔を呼び出す儀式の手順』をそのままなぞってみること自体には、何かを考えて生み出すことへの敬意として、試すだけの価値があると思えた。男は本に書かれた指示通りに淡々と作業を進めていく。


◆


 真夜中。アトリエの床には生贄の首が飾られ、血で引かれた幾何学模様の魔法陣が不気味に広がっていた。男はその中心に立ち、本に記された通りの呪文を静かに唱え始めた。


 唱え終えてから、十数分が経過した。アトリエの窓から静かに月の光が差し込んだ、まさにその瞬間だった。


 突如として、室内の空気が凝固した。耳の奥を金属が擦れ合うような、あるいは無数の生き物が蠢くようなおぞましいノイズが空間を満たしていく。月の光が不自然に屈折し、魔法陣の上の空間がぐにゃりと歪んだ。影が、泥のように濃厚に膨れ上がっていく。現実に染み出してきたその禍々しい気配に、男の中に純粋な驚愕が突き上げた。本物だったのか。男は息を呑み、またとない機会を逃さないよう、その光景をじっと眺めた。


 歪んだ空間の裂け目から、這い出るようにしてその姿が現れた。それは、半獣半人の女だった。上半身は確かに人間らしい輪郭をしていたが、腰から下は、生々しい質感の皮膚と野獣の四肢を持っていた。異形の女はゆっくりと首をもたげると、本に書されていた通りに、頭の芯に直接響くような声で告げた。


【願いを、叶えてやろう】


「願いは、無い」


 男は作業台の古書に視線を落としたまま、事務的なトーンでそう返した。感情の起伏はない。ただ事実を告げているだけの声だった。


【……無い?】


 悪魔は呼び出しの霧の向こうから這い出るような声を漏らした。半獣半人の耳が不審そうにピクリと動く。


【願いが無いのなら、なぜ我を呼び出した。この生贄の血も、魔法陣も、そなたの意志で用意したものであろう。まさか、悪魔を喚び出すという大罪の重さも知らぬわけではあるまい】


 男は眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、作業台の古書に視線を落とした。


「偶々手に入れた本に書かれていた図面が綺麗だったから試しただけだ。手順通りにやったらどうなるかという検証だよ。結果としてお前が出た。それだけだ。だから、叶えてもらう願いなんて最初から無い」


 悪魔は男のあまりにも短い返答を聞き、呆気にとられたように絶句した。しかし、すぐに気を取り直したように喉を鳴らし、今度は低く甘い声で、男の耳元に直接響くように囁きかけた。まずは人間の最も普遍的な渇望を揺さぶる。


【人間よ、強がる必要はないのだぞ。我には分かっている、そなたの胸の奥にある昏い渇望が。富か? 権力か? そなたを認めぬ愚者どもを根絶やしにする絶対的な力か? 望むものを言え。この世の全てをそなたの足元に跪かせてやろう】


「いらない。金なら馴染みの店で作品が高く売れるから困っていない。名誉や権力にも興味がないな。誰かに評価されたり、他人を支配したりするために彫っているわけではないからだ」


 男は悪魔の誘惑を、まるで出来の悪いセールスを断るかのように尽く撥ね退けた。警戒しているのではなく、本当に「必要がないから、いらない」と言っているのだ。そのあまりの平然さに、悪魔の切れ長の瞳に焦りの色が混じる。


【ならば……狂おしいほどの情愛はどうだ? そなたの奴隷となり、どんな命令にも従う絶世の美女を、望むままに差し出してやろう。人間の男なら、誰しも他者を完全に手に入れたいという欲があるはずだ】


「絶世の美女」という言葉がアトリエに響いた瞬間、男の脳裏をよぎったのは、性的な欲望や伴侶への憧れなどでは毛頭なかった。彼の思考は瞬時に、これまでに積み重ねてきた検証データへと飛んでいた。


 ――生きた生物は型取りの役に立たない。『どんな命令にも従う』という言葉には少々興味を引かれたが、生物が提供されるというのなら、彫像の材料にすればもがき苦しむのは変わらないだろう。もがけば歪んだ失敗作が生まれるし、殺せば泥人形が出来上がるだけだ。これまで何度も証明してきた事実だった。男にとって悪魔の提案は、かつて失敗したアプローチをもう一度繰り返すだけのものにしか思えなかった。


 男は眉ひとつ動かさず、ただ静かに首を横に振った。


「いらない。作業の邪魔だ。私の時間はすべて造形の検証に捧げられている。他人と生活を共にするなど効率が悪いだけだからな。用が無いなら、もう帰ってくれて構わないぞ」


 男がそう言って古書を閉じようとした瞬間、悪魔の顔が引き攣った。


 帰れ、と言われても帰れるはずがなかった。そもそもこの召喚術のシステムは、「呼び出された悪魔が、人間の願いを叶え、対価を得てから帰還する」という一連の処理がワンセットで設計されている。願いが入力されないままプロセスを終了するというパターンは、最初から想定されていないのだ。


 おまけに、ここ数百年はオカルトの衰退によって全く獲物が掛かっておらず、この悪魔の力は限界近くまで落ち込んでいた。このまま何のエネルギーも補給できないまま、システムのエラーを無理やり突き破って魔界へ帰還しようものなら、次元の移動にかかる莫大な消費に耐えきれず、存在そのものが消滅しかねない。


 悪魔は男の部屋の様子――無数に積まれた多様な無機質の端材、失敗した泥人形のデータシート、そして男のブレない言葉から、この人間が持つ「芸術への尋常ならざる執着」の存在を鋭く察知した。悪魔はこれを突破口にするしかないと確信し、必死に芸術に絡んだ誘惑を提示し始めた。


【……なるほど、そなたの望む領域が分かったぞ。ならば、この世のあらゆる芸術家が嫉妬のあまりに狂い死ぬような、至高の絵画や彫刻を今すぐに手元に与えよう。世界の至宝と呼ばれるものすら霞むほどの傑作を、そなたのコレクションにするがいい】


 男は作業台の彫刻刀を一本ずつ引き出しに仕舞いながら、一瞥もくれずに返した。


「いらない。私は自分で作るのが目的なんだ。他人が作った傑作を眺めるためにここをアトリエにしているわけじゃない」


 悪魔の髪が、焦燥で逆立つ。


【ならば! そなたのその『手』に、奇跡の技を授けよう。触れるだけで大理石を柔らかな布へと変え、思い描いた通りの完璧な生命の形を一瞬で生み出せる、神のごとき技量を与える。これならそなた自身が作ることになるぞ!】


 男は引き出しをカチリと閉め、眼鏡の奥の冷淡な目で悪魔を見た。


「結果だけ出してどうするんだ。技術の研鑽もせず、試行錯誤のプロセスも踏まずに、悪魔の力でショートカットした造形に何の意味がある。それは私の技術ではないし、私の作品でもない」


 悪魔の顔が、今度こそ屈辱と恐怖で青ざめた。エネルギーが足りない。悪魔は消えかかる霧を必死に繋ぎ止めながら、喉を血が滲むような声で鳴らした。


【ならば……ならば、作り方を! 人類が未だ到達していない、硬い鉱物に完璧な命を吹き込むための、至高の技法と理論をそなたへ授けよう! これならそなた自身の手で作ることが叶うはずだ!】


 男は呆れたように小さく息を吐いた。


「そこを試行錯誤して、壁にぶつかりながら一歩ずつ進めてきたのが人類の美術史だろう。過去の職人たちの何千回という失敗と努力を無視して、悪魔に答えだけ教わって作ったものなど、後世の参考にならない。無価値だ」


 悪魔は完全に言葉を失った。


 目の前にいるのは、ただの無欲な善人ではない。「悪魔の超常現象というズルを一切認めず、人類の歩みの延長線上のロジックだけで完璧な再現を目指す」という、一般社会から見ればあまりにも常識のズレた、しかし強固な自立性を持ったシステムそのものだった。


 悪魔の足元から、さらさらと黒い灰のようなノイズが零れ落ち始める。ここ数百年もの間、ロクに獲物が掛かっていない身体には、この男を逃せば次がないという焦燥だけが満ちていた。強い拒絶を前にして、悪魔の中にこれまで経験したことのない恐怖が膨れ上がっていった。


【くそ……! [何でもいい! なんでも叶えてやる!! ]望みを言え!!】


 異形の女は絶叫した。その言葉自体は、これまで男に提示してきた有象無象の甘言と何ら変わりはなかった。しかし、その中身は決定的に違っていた。


 いつもなら、ただ耳当たりの良い言葉を並べておけば、人間が自ら底なしの欲望を口にしてくれた。悪魔が自らの力を使ってまで、能動的に相手の願いを引き出す必要などなかったし、そんな規約上のリスクを冒す価値もなかった。しかし今、悪魔は目の前の男の異常な頑なさに対し、思わず普段は絶対にやらない契約の強制割り込みを行ってしまったのだ。どうにかして相手の欲望のエネルギーを引き出そうとした結果の、焦りゆえの悪手だった。


 そしてそれは、悪魔自身をさらに強固な契約の鎖で縛り上げる、最悪の自縄自縛に等しかった。「何でもいい」と自ら能力を乗せて宣言したからには本当に内容を問わず、「何でも叶える」と言ってしまったからには、どんな理不尽な内容であろうとも文字通りすべてを遂行しなければならなくなる。


 男は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、そこまで言うなら、と少しだけ考えを巡らせた。脳裏に浮かぶのは、やはり地道な技術の研鑽の日々だった。


 そういえば、と男はふと気づいた。目の前にいる存在は悪魔であり、今まで試してきた生き物とは違うのだと。それに悪魔というのは人間に害をなすのが定番なのだから、倫理的な側面や世間体を考慮する必要も最初からないのだな、と。


「では、私の芸術の糧になってくれ」


 男が極めてフラットな声でそう口にした瞬間、アトリエの空気が爆発した。


 呪文としての言葉ではない。しかし、強制的に引き出された願いが言葉として出力された瞬間、悪魔の全存在を縛る冷酷な契約のシステムが発動した。


 悪魔の身体がガチガチと音を立てて硬直していく。願いを口にされたことで、男の内からは多少の欲望のエネルギーが放出された。しかし、その量は悪魔の予想を遥かに下回る微量なものだった。なぜなら、男の願いは「悪魔そのものを材料として提供すれば済む」程度の極めてミニマムなものであり、そこに過剰な強欲など含まれていなかったからだ。


 生まれたエネルギーは少なすぎた。悪魔自身を縛る契約の鎖を粉砕して自由になるには、到底足りない。


「よし。まずは石膏の型取りから試すか」


 男は以前、生きた動物をそのまま固めようとして暴れられ、型が歪んで失敗したデータを思い出しながらも、淡々と作業の準備を始めた。


 悪魔は叫び声すら上げられなかった。身動き一つ取れない。男の「芸術の糧になれ」という願いを「なんでも叶える」と誓ってしまった悪魔の肉体は、自らの魔力によって完璧に固定され、生きたまま純粋な「素材」へと変貌させられていた。悪魔は己の浅はかな暴挙を激しく後悔したが、盟約に縛られた身では、もはや男の指先一つ拒絶することはできなかった。


 男は悪魔を前にしても、恐怖も愉悦も感じていなかった。悪魔自身の放った力によって、「相手は悪魔なのだから、道具や素材としてどう扱っても問題ない」という割り切りが脳内で完成していた。男は静かに、かつ冷徹な声で固定された素材に向けて命じた。


「作業の邪魔だからな。私の許可なく声を出すなよ」


 その絶対的な制約により、悪魔の喉はうめき声すら自発的に出すことは出来なくなった。


「これが終わったら、次はブロンズの鋳造を試してみよう。その次は木材と組み合わせるのもいいな。伝統的な粘土の芯材として肉を使ってみるのも面白そうだ。最終的には細かくバラして、悪魔の骨組織そのものを取り出した彫像を作ってみるのもいいか」


 普通の人間なら正気を疑うような凄惨な工程を、男は今後の研究スケジュールとしていくつも挙げながら、淡々と研鑽を積む日々を始めた。一晩で終わるような話ではない。男にとってそれは、数ヶ月、数年単位の気が遠くなるような、しかし充実した職人の時間だった。


 ◆


 一年ほどが経った頃。


 昔馴染みの店主が営む、少し風変わりなセレクトショップの片隅に、男の新作が飾られていた。


 それは、大理石を削り出して作られた、恐ろしい半獣半人の異形の姿をした彫像だった。この世に存在しない生物の造形であるにもかかわらず、そこには信じられないほどの生命感と圧倒的な実在感が宿っていた。今にも石の肉体を軋ませて動き出し、咆哮を上げるのではないかと思わせるほどの極致の再現度。それを目にした通りすがりの目利きのコレクターが、弾かれたように足を止め、顔色を変えて店主に詰め寄っていた。


「素晴らしい……! なんという造形だ! 一体誰がこれを作ったんだ!? いくらだ、いくら出せばこれを譲ってくれる!?」


 店主はいつもならプロの割り切りとしてすぐに値を叩き出すはずだったが、今回ばかりは珍しく渋るような表情を浮かべ、葉巻の煙を吐き出した。


「いや……本当はね、俺もこれは売りたくないんだよ。これほどのものは二度とお目にかかれない。まるで本物の悪魔でも参考にしたかのような……」


 割り切った商売をしてきた店主すら、手放すのが惜しいと本能で察するほどの、人類の美術史の極致に迫る技術がそこには現れていた。


 ◆


 夕暮れ時の薄暗い光が差し込むアトリエで、男はいつも通り、作業台に向かって新しい像を黙々と彫り続けていた。


 その工房の静かな隅に、一つの胸像がひっそりと置かれている。それは、いまだに生きている悪魔の姿だった。


 身体は計画通りにバラされ、素材として使い尽くされ、今は胸から上の部分だけが台座に固定されている。悪魔特有の強靭な生命力ゆえに、そんな状態になってもなお、それは死ぬことすら許されずに生き続けていた。素材として使われていない時だけは、生きたモデルとしての最低限の自由があり、薄暗い影の中でかすかに、不気味にうごめくことだけが許されていた。


 男には強欲はない。しかし、人間である以上、創作における最低限の「もっと良いものを作りたい」「次のアプローチを試したい」という健全なレベルの欲求は常に湧き上がってくる。


 そして、男が日々の仕事の中でごく自然に生み出す「新鮮で健全な欲のエネルギー」を、皮肉にも胸像となった悪魔は、無意識のうちに拒絶することもできず、呼吸をするように吸収し続けていた。死を免れるだけのエネルギーが絶え間なく供給されてしまうせいで、悪魔は消滅することもできず、それどころか失った肉体が、時間をかけてゆっくりと、しかし確実に再生していくのを感じていた。


 男にとっては、無限に素材を供給し、何度でもアプローチを変えて実験を行える「最高の永久素材」が手に入ったということだった。


 長期にわたる、淡々と行われる作業の繰り返し。その過程で悪魔としての自尊心も知性も完全に磨り潰され、もはや脳内ですらしっかしとした言語を紡ぐ力すら残されていなかった。


(……あ……ぅ、嗚呼……ぁあ……嗚呼……ぁ……)


 死に瀕した悪魔の暗い頭の奥底で、言葉にすらならない、ただ苦痛と絶望に染まった獣のような呻きだけが、狂ったように反響し続けている。男の作業を止めさせるような涙を流すことすら許されず、ただその切れ長の瞳の表面に、じわりと冷たい絶望の光がにじむだけだった。


「うん、やはりこの組織は馴染みがいいな。次は首の肉の繊維を削り出して観察してみるか」


 男は悪魔の瞳の奥の絶望など意にも介さず、ただ次の検証の段取りを淡々と考えながら、新たなノミを手に取った。


 ノミが異形の肉をを削る規則正しい音が、アトリエの中にただ淡々と響き渡っていた。

制作継続中

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。