第14話 ほどける糸
黒刃が森を覆い尽くしたまま、夜は深く沈んでいた。
無数の刃に縫い止められた村人たちは身動きできず、ただ荒い息だけを漏らしている。糸はすでに断たれ、青白い光は空気に溶けて消えた。
森は、異様なほど静かだった。
その中心で、青年だけが立っている。
首元の銀のペンダントは、まだかすかに脈を打っていた。弱く、不安定に。まるで何かを探すように、青い光が揺れている。
その隣で、女性の身体がふらりと傾いた。
糸は、もうない。
支えるものを失った身体は、抗うことなく重力に従い、ゆっくりと崩れ落ちる。
「……っ」
アナが駆け出し、間一髪で抱きとめた。
軽い。
思っていたよりも、ずっと。
女性の瞳は虚ろなままだが、先ほどの不自然な張り詰めは消えている。ただ静かに、呼吸だけが続いていた。
立ってはいない。
ただ、生きている。
その事実だけが、夜に残る。
青年は動かない。
手にしたペンダントを、見つめている。
「……立ってた」
掠れた声が落ちる。
誰に向けたものでもない。
「俺の方に……歩いたんだ」
青い石が、微かに明滅する。
先ほどまでの力はない。行き場をなくした鼓動のように、頼りなく揺れている
青年は、理解してしまった。
理解したからこそ、叫ばない。
否定もしない。
ただ、その場に膝をついた。
土が、わずかに沈む。
視線は落ち、焦点を結ばない。
ペンダントを握る手に、力は入っていなかった。
ユキはゆっくりと歩み寄る。
黒刃はすでに動きを止め、空間に静かに突き立ったまま、森を封じている。だがその圧は、もう誰かを追い詰めるためのものではなかった。
「……お前の願いは、間違ってはいない」
低く、落ち着いた声が夜に溶ける。
青年の肩が、わずかに震えた。
ユキは続ける。
「ただ、使い方が違っただけだ」
「そして、ただの俺のエゴである」
それ以上は言わない。
責めもしない。
慰めもしない。
事実だけを、置く。
青い光が、さらに弱まる。
脈動は間延びし、やがて感じ取れないほどに薄れる。糸はもう現れない。呼びかけても、応じない。
奇跡は、起きない。
青年はもう一度だけ、ペンダントを握った。
祈るように。
縋るように。
だが石は沈黙したまま、冷たい光を返すだけだった。
ゆっくりと、青年の指が緩む。
銀の鎖がほどけ、ペンダントが地面へと落ちた。
乾いた音が、静かな森に小さく響く。
青年は、それを拾わない。
ただ、呆然と前を見ている。
アナは女性を抱えたまま、何も言えずに唇を閉じた。
夜風が、そっと吹き抜ける。
ユキはしゃがみ込み、落ちたペンダントを拾い上げた。
重い。
だが、先ほどまで感じていた脈打つ熱はない。ただの金属の感触だけが掌に伝わる。
青い石は、静かだった。
「……」
ユキはそれを見つめる。
まだ、壊してはいない。




