第三十話 時空の歪み
現世のアリーナのエントランスは壁や床が凍りついていた。天井からは氷柱が下がり、周囲は凍気が充満している。ただ、ゲート付近だけ炎で凍気が及んでいなかった。赤口が淤加美の凍気から自らの身を守っていたからだ。
「……想像以上ですね。これほどとは……」
赤口が呟く。
「凍気を体から捻り出しているのではなく、抑えていないと勝手に体から溢れ出していく感じですね……。本気を出せば世界を丸ごと氷つかせる事も出来そうだ……」
赤口が周囲を見渡し分析する。
「……言ったでしょ?加減は出来ないって……」
淤加美が冷たい目つきで赤口を見ながら言う。いつもの淤加美とは雰囲気が全然違う。冷たく少し怖そうな感じに見える。髪色や着物も白いせいかまるで別人のようだ。
「まさに『神』が相手ですね……こちらも全力でいきますよ!」
淤加美は右手の人差し指で赤口を指差した。すると凄まじい凍気の塊が赤口に向かって行く。凍気と炎は激しくぶつかり合い、二人の間で鍔迫り合いのように力比べとなった。その後方ではアキ君が印による結界をバリアのように張り、押し寄せる正気を失った観客と淤加美の凍気を押さえていた。天音は影人間と対峙していて、奈美ちゃんは雨宮優寿寧を守るように連れ添っている。影人間は片手に剣のような物を持ち襲いかかってきた。天音は冷静に影人間の剣撃をかわしていくと、隙をついて飛び込み影人間の手首を掌底で払う。剣が下を向き無防備になった所に左右の正拳二段突き。堪らず後ろに退がった影人間に、右回し蹴りを叩き込んだ。影人間は吹っ飛んで地面を転がる。影人間の戦闘力は、さほど高くないようだ。今の所、天音が圧倒している。天音は仕事終わりに、昔通っていた武心流空手の道場に再度通い始めたのだ。実戦さながらの試合形式の練習を繰り返し行っていると言う。酒木にやられたのが、よっぽど頭にきたようだ。負けず嫌いの天音らしい。だが今問題なのは、押し寄せる三万人の正気を失った群衆だ。一階フロアは勿論、二階フロアのエスカレーターからも押し寄せてきている。外に出ようにもゲート付近には淤加美と赤口が戦っていて通れないのだ。すると奈美ちゃんが
「壁を壊したら外に出られるんじゃ……?」
と叫んだ。天音が頷いて壁に向かう。だが地面に倒れたままの影人間が
『逃すかあぁぁぁぁぁ!』
と叫ぶとアリーナの外側の壁が真っ黒の影で覆われたのだ。自らの力でアリーナの外壁を補強したのか?天音が構わず渾身の右正拳突きを叩きつけるが、アリーナの壁は壊れない。影によって衝撃が分散されているようだ。
「天音さん!こっちの壁を壊して!」
アキ君が今度は一階フロアの内側の壁を指差す。
「?……それだとアリーナの観客席に戻っちゃうけど……?」
雨宮が言うと、アキ君は頷く。どうやら何か考えがあるのか?天音がすかさず内側の壁を蹴り破った。その勢いで天音のポケットから無線機が落ちる。奈美ちゃんがすかさずキャッチして自分のポケットにしまった。天音とアキ君、雨宮と奈美ちゃんは壊れた壁を通り、アリーナの一階フロアに入った。観客は出入り口に殺到していて、フロアはそこまで人はいなかったのだ。四人はステージに向かい走っていく。
「どこに行くの?」
天音が叫ぶと
「ステージ裏にある非常口!さっきは行けなかったけど、今なら大丈夫だと思う!」
アキ君が答えた。斎藤達から避難経路の説明を受けた時に、ステージ裏にある非常口を使用しろと言われていたのだ。さっきは押し寄せる観客の勢いに、やむなくエントランスに向かう事になってしまった。今なら観客はエントランスに殺到していて、ステージの方は少ない。非常口から外へ出られるはずだ。すると一階フロアに菅野真道が彷徨っていた。一緒に雨宮のサブマネージャーの米津志乃絵もいる。そしてもう一人。
「真央?なんで真央が……?帰ったって聞いてたけど……」
雨宮が驚いた声を出す。菅野達と一緒にいたのは豊田真央だったのだ。
「……ご、ごめん。やっぱり優寿寧のライブが観たくて、こっそり戻ってきたんだ……」
豊田が申し訳なさそうに言うと
「おぉ!探したんだぞ!その娘は観客席をウロウロしてたから、一緒に連れてきたんだ!それより、これは一体何が起こってんだ?」
菅野がアキ君達に言う。菅野は無線機を持っていない為、状況を把握出来ていないのだ。
「説明は後で!とにかく逃げましょう!」
アキ君が後ろを振り返りながら叫ぶ。エントランスから観客達が雨宮を追いかけてきている。七人はステージに向かって走りだした。だが、奈美ちゃんは走りながら考えていた。菅野さんと米津さんと豊田さん……何故この三人は神主や霊体でもないのに、影人間の影響を受けていないんだろう?ひょっとして影人間の神主は、この三人の中の誰か……?菅野さんは将吾君の付き添いとして、キイロノイズミのメンバーになった。可能性は低い……。影人間の影響を受けないのは、菅野さんが記者としては別だが、雨宮さんにそもそも興味がないからかも知れない……スタッフの中にも正気の人がいたのは、そういう事なのだろう……。だとすると、やはり豊田真央さん……?豊田さんの事を知っているのは、この中では雨宮さんと私だけ……。あとあの時一緒にいたのは、クッキーさんと淤加美ちゃんと斎藤さんとマネージャーの大黒さんだけだ。でも、豊田さんが影人間の影響を受けないのは、雨宮さんに嫉妬心があったからかも知れない……。だとすれば……サブマネージャーの米津さん……?マネージャーだから雨宮さんに興味がなかったり、嫉妬したりなどはないはず……。米津さんが影人間の神主……?奈美ちゃんが隣を走る米津志乃絵を見たその時
「きゃあ!」
すぐ目の前で悲鳴が聞こえた。影人間が豊田の隣を並走していて、それに気づいた雨宮が悲鳴を上げたのだ。
「……!……な、何コイツ?」
豊田も気づいて慌てて影人間から距離を取る。
「まさか真央……あなたが影人間の……?」
雨宮が驚いた表情で豊田を見た。だが次の瞬間、影人間が手にした剣のような物を振り上げ豊田に襲いかかったのだ。
「あぶない!」
すぐに天音が影人間を前蹴りで蹴り飛ばす。だが、血飛沫を上げて倒れたのは雨宮優寿寧だった。右の首筋を押さえてうつ伏せに倒れる。雨宮が倒れた地面は、すぐに真っ赤な血の海になった。その隣で、米津志乃絵が血の付いたカッターナイフを握りしめていた。影人間にみんなが気を取られた瞬間、米津が隠し持っていたカッターナイフで雨宮に斬りかかったのだ。
「やっぱりあなたが影人間の神主……」
奈美ちゃんが言いながら倒れた雨宮の元へ行く。米津が無言のままカッターナイフを振り上げて、倒れた雨宮にトドメを刺しに向かった瞬間、アキ君と天音が米津の前に立ちはだかった。
「神主さえ分かれば!」
天音が米津の鳩尾に拳を打ち込むと、米津はグッタリとして気を失った。その瞬間、影人間は消えていなくなり、アリーナを包む黒い影も消えたのだ。三万人の観客も一斉に正気を取り戻し、ザワつきながら周囲を見渡している。正気を失っている間の記憶がないのだろう。奈美ちゃんは必死に両手を当てて意識のない雨宮の治療をしている。首筋の動脈を深く斬られていて、出血がなかなか止まらない。だがその時、八尾からあの緊急通信が入った。
エントランスでは淤加美と赤口の力比べが続いていた。だが、少しずつ淤加美が押され始める。淤加美としては、いくらアキ君の印で守られているとはいえ、背後にいる大勢の観客達に被害が及ばないよう最低限の調整していたのだ。だが、赤口は火力を上げていく。
「淤加美神!加減は出来ないはずではなかったのですか?本気を出さないと、あなたが溶けてしまいますよ!」
赤口が叫ぶと、一段と炎が激しく燃えあがった。淤加美は無言のまま凍気を出し続ける。赤口の挑発に乗れば、間違いなくアキ君の印を吹き飛ばしてしまう。そうなれば、凄まじい凍気と激しい炎に大勢の観客達がさらされる事になるのだ。すると赤口の周りを一匹の小さな虫が飛び回り始めた。
「……蟲の知らせ……瑞波か?」
赤口は呟くと、虫を片手で掴んだ。掴んだ手から音声が流れる。
「瑞波だ。大山さんがやられた。金山とも連絡がつかない。それと天岩戸隠れが消滅するようだ。次元と次元がぶつかり合い何が起こるかわからない。夏海を連れて撤退する」
瑞波からの音声を聞くと、赤口が舌打ちをした。すると淤加美の無線機にも八尾からの緊急通信が流れる。淤加美と赤口は凍気と炎を出すの止め、八尾の通信に黙って耳を傾けていたが
「……まさか大山さんがやられるとは……。それに淤加美神を仕留める絶好のチャンスなのに……」
赤口が恨めしそうに呟くと
「淤加美神、ここは勝負を預けます……」
と言い放ち、炎と共に姿を消した。淤加美はフゥと溜息をつくと、元の黒髪と黒い着物姿に戻ったのだった。
「……マズいですね。観客をすぐに避難させないと……」
緊急通信を聞き終わると、アキ君が周囲を見渡しながら言う。一階フロアには沢山の観客が正気に戻り、どうして良いかわからずウロウロとしている。これだけの人数を避難させるのは至難の業だ。すると遠くからゴゴゴゴゴと地鳴りのような音が響いてきた。そしてカタカタと地面が揺れ始める。
「……?……地震?」
天音が呟くように言うと、少し離れた所でドサァっと人が倒れるような音がした。
「……!……あれ?斎藤さん?」
アキ君が驚いた声を上げる。音がした方を見ると、斎藤達が重なりあって倒れていたのだ。
「イテテテテ……」
「な、何?何があったの?」
「だ、誰か私の足を踏んでる……」
近藤と斎藤と土方がそれぞれ起き上がる。少し離れた所に、将吾とタツと双葉も起き上がろうとしていた。クッキーと藤堂、井幡と金山は横たわったままだ。大黒も起き上がる。そこへ淤加美が走ってきた。
「マズい!すぐに避難しないと!みんなが戻ってきたって事は、もう時間の猶予があまり……」
淤加美が言い終わらない内に、地面の揺れが激しくなった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
天音と菅野が声を上げる。
「みんな逃げてぇ!時空が元に戻る!」
淤加美が叫ぶと
「ウチらは逃げれたとしても、観客はどうする!」
斎藤が叫び返した。アリーナの中は大勢の観客が突然の激しい揺れにパニック状態だ。
「……ど、どうするって言ったって……どうすれば……」
淤加美が逃げ惑ったりしゃがみ込んだりしている観客を見て絶句する。人数が多すぎる!この人数を避難させていたら、絶対に間に合わない!その瞬間、揺れが更に激しくなりステージの方でバリバリバリッと大き音がした。観客達からは大きな悲鳴が上がる。ステージを見ると黒くて丸い渦のような穴が開いていたのだ。まるでブラックホールのようだ。
「『時空の歪み』だ!時空と時空が急激に元に戻る衝撃で発生したんだ!あれに吸い込まれたら二度と出れない!」
淤加美が叫ぶと、時空の歪みが凄まじい吸引を始めた。紙やゴミなど軽い物が物凄い勢いで吸い込まれていく。何もしないと体が持っていかれる為、淤加美達は座席に掴まる。だが観客の何人かが掴まる所がなく、引き摺られるように吸い込まれていきそうになっていた。それを見たアキ君が
「天音さん、僕を掴んで!」
と、叫ぶと両手で印を結び始める。慌てて天音がアキ君を吸い込まれないよう捕まえた。すると大きな壁のような結界が張られ、引き摺られる観客達を吸引から守ったのだ。これで少しは時間は稼げる。すると雨宮の手当をしていた奈美ちゃんが立ち上がった。
「……私の『再生』の力で、天岩戸隠れを再生して次元の歪みを修復します……」
奈美ちゃんが両手を合わせて握りしめ、瞳を閉じて祈りを捧げ始めた。
「……奈美ちゃんの伊邪那美は力を大きく失っているはず。そんな事、出来る訳が……」
言いかけた淤加美を奈美ちゃんが遮る。
「それでもやらないと!……私がやらないと、この場のみんなが死にます!三万人の観客も!みんな死んじゃう!私が……私の全てをかけてやります!」
そう言い放つ奈美ちゃんの目を見て、みんなは黙ってしまった。いつもどこかのんびりしていて、無口な天然キャラの奈美ちゃんだったが、いざとなるとクッキーとも張り合える芯の強い女性なのだ。すると、奈美ちゃんの背後に着物姿で背中に翼が生えた綺麗な女性の姿が浮かび上がる。その女性から眩い光が放たれた。
「……伊邪那美……?伊邪那美の力をフルパワーで使い、次元そのものを再生する……そんな事したら奈美ちゃん自身がどうなるか……!」
淤加美が叫ぶと、奈美ちゃんはいつもの笑顔を浮かべ
「……私はもうすでに死んでる身です。私はどうなったってイイんです。私なんかより皆さんの方が……」
と言い始めた奈美ちゃんを、今度は淤加美が遮った。
「よくない!……そんなのよくないよ……奈美ちゃんが……奈美ちゃんがいなくなったら…………妃瑠子は?……ひーちゃんはどうすんのよ!」
淤加美が叫ぶと、この場の全員が固まる。妃瑠子?ひーちゃんがどうして?奈美ちゃんは少し照れくさそうに笑うと
「……やっぱり淤加美ちゃんとクッキーさんは、わかっちゃってたか……。あと天照の天野さんもお見通しでしたね……」
と言い、続けて静かに語りだす。
「……妃瑠子は私の娘です。私が生きてる時に中絶した子供なんです……私は死んだ後に伊邪那美の力に目覚めました……悔しかった……ただただ、悔しかった……。生きる事を許されなかった、あの子に生きてもらいたい……そんな思いで私は妃瑠子を『再生』しました……ですが、力の使い方が上手くいかず、片足だけ再生出来なかったんです……」
奈美ちゃんはそう言うと、再度両手を合わせ瞳を閉じて祈りのポーズを取る。途端にアリーナ全体が光輝き始めた。
「妃瑠子を再生した為、私は伊邪那美の力を大きく失いました。けど、生まれたばかりの妃瑠子を赤ちゃんポストに預け、施設で育つあの子を霊体として見守りました。妃瑠子は神主だった為、私の事が見えていました。あまり大きくなって私が記憶に残ってしまうと、大人になってから支障が出てしまうと思い、三歳の時に私は離れました。その後、私は赤口と大山に捕まり、呪力を付加され淤加美ちゃん達と出会う事になったんです……。でもまさか、妃瑠子と再会するとは思わなかった……。最初に見た時から、すぐにわかったんです……私の娘だって……」
奈美ちゃんは祈りながら話し続ける。すると豊田が
「……!……き、傷が!」
と、叫んだ。雨宮の首筋の傷が塞がっているのだ。藤堂やクッキーの出血も止まっている。伊邪那美の力は広範囲に再生をもたらしているようだ。だが、肝心の時空の歪みはなくならない。相変わらず凄まじい吸引が続いていた。
「だから私の身に何かあっても、妃瑠子の事をよろしくお願いします!」
奈美ちゃんが叫ぶと、更に光の輝きが増した。だが、その時だった。米津志乃絵が素早く起き上がると、奈美ちゃんに体当たりしたのだ。
「……せっかく優寿寧をアタシだけのものに出来そうだったのに……余計な事をして……」
米津はそう呟きながら、勢い余って時空の歪みに吸い込まれていった。奈美ちゃんも体制を崩し、時空の歪みに吸い込まれていく。
「奈美ちゃん!」
「奈美さん!」
その瞬間、一斉にみんなが走りだした。将吾、タツ、双葉、天音、アキ君と淤加美が、我が身を顧みず手を差し出し必死に奈美ちゃんを追いかけた。だが、誰も追いつけず奈美ちゃんは吸い込まれていく。それどころか、このままでは追いかけた者達も全員吸い込まれてしまう。その時、時間軸が変わった。時間が止まっているような中、倒れていたクッキーが起き上がり奈美ちゃん目掛けて走りだした。クッキーは既に三回時間軸を変えている。もう後、数回しか変えられない。だが、走りだしたクッキーが脇腹を押さえて蹲る。一度は塞がった傷口から血が溢れ出した。
「奈美ぃ……ふざけんなよ……勝手に妃瑠子を押しつけて、後はよろしくだとぉ?テメェの子供だろ?テメェが責任持って面倒みろやぁ!」
クッキーが蹲りながら叫ぶ。時間軸が元に戻る瞬間、もう一度時間軸を変える。クッキーはゆっくり立ち上がると、脇腹を押さえながら歩き出した。
「……奈美ぃ……何やってんだよ……手ぇ伸ばせ……」
時間軸を変えるのも、もう後一回が限界だ。クッキーはフラフラと歩きながら奈美ちゃんとの距離を詰める。奈美ちゃんは吸い込まれながらも、両手を合わせて祈りの姿勢を崩さないのだ。そして時間軸が元に戻った。
「奈美ぃ!手ぇ伸ばせぇぇぇ!」
クッキーが走りながら右手を伸ばして叫ぶと
「手を伸ばしたら、みんなを助けられなくなる!クッキーさん、妃瑠子の事をお願い!」
奈美ちゃんは両手を合わせたまま叫んだ。眩い光に周囲が包まれていく。
「バカやろう!頼むから手ェ伸ばせぇぇ!」
クッキーが最後の時間軸を変えた。痛む脇腹を押さえ、必死に走る。時間軸が元に戻る瞬間、クッキーは思いっきり右手を伸ばした。クッキーにはハッキリと奈美ちゃんの優しい笑顔が見えていた……
だが、あと1センチ足りなかった。時間軸が元に戻り、クッキーの右手は空を切った。奈美ちゃんは次元の歪みに吸い込まれていく。そして奈美ちゃんが吸い込まれた瞬間、光と共に次元の歪みは消えてなくなったのだった。
病院のベッドの上でクッキーは寝ていた。ここは八千代市の谷川総合医療センターの一室だ。あの後、すぐに黄泉国保安局が到着した。奈美ちゃんの伊邪那美の力は絶大で、時空の歪みは消え、現世のアリーナと天岩戸隠れの両方を完璧に再生したのだ。その後、アリーナは黄泉国保安局により完全封鎖され、雲寄による大規模な記憶操作が行われた。ここまで大規模な記憶操作は類を見ないそうだ。警察や関係各所にも協力を要請して、アリーナで起きた全ての出来事の封印に努めた。今回ばかりは黄泉国保安局局長の神谷もキイロノイズミ室長の八尾も、情報の操作にかなり手こずったようだ。少々強引な手を使い各所に根回しをして、表向きは『ライブ中の原因不明の火災』で、なんとか処理したようだ。二日間あったライブ日程は当然中止となり、チケットは全額払い戻された。雨宮側は多額の損失を被った形だが、雨宮が復帰すればすぐにでも取り戻せるだろう。クッキーと藤堂、雨宮優寿寧はすぐに病院に搬送された。クッキーはアリーナから運びだされる時に、淤加美が神谷に掴みかかっているのを見た。
「なんで?なんでもっと早く来なかった?なんでだよ!」
泣きながら神谷の胸ぐらを掴む淤加美を、小雪と冬美と冷奈が必死に押さえていた。淤加美を宥めるのは奈美ちゃんの役目だった……でも、もう奈美ちゃんはいない……。クッキーは傷口が開いてしまった為入院する事になったが、藤堂と雨宮は既に退院していた。マネージャーの大黒も軽症だったようだ。テレビのワイドショーでは連日、雨宮のライブのボヤ騒ぎを放送している。雨宮の事は表向きは軽い火傷となっていた。米津志乃絵に関しては『突然の失踪』として処理され、斎藤達が自宅を家宅捜査した。米津の部屋の壁一面には、雨宮の写真がビッシリ貼ってあったらしい。両親は他界していて兄弟もいなかったと言う。斎藤の見解では、雨宮への愛情が行き過ぎて捻じ曲がってしまい、いつしか殺意へと変わっていったのではないか?との事だが、詳しい動機など真相は結局わからず終いだ。ただ一つ。天照の天野の話しでは、米津の守神は予母都志許売だったそうだ。影を操り人の好意を敵意に変える……米津の心の変化そのものが能力として備わったのかもしれない……。井幡も病院に運ばれたが、五島と同じく意識が戻らないと言う。守神の埴安神が消えたからだろう。金山は黄泉国保安局に引き渡された。金山毘古神と切り離され滅却処分となるかは、これから決まるらしい。クッキーは窓の外を見る。天気が良く、窓が開いていて風が気持ちいい。窓の外を見ながら、クッキーはふと思い出す。陰陽神社の居住家屋の縁側で、奈美ちゃんとひーちゃんが遊んでいた姿を……。その姿を見た瞬間、この二人は親子では?と思ったのだ。半信半疑のまま、ちゃんと確認はしなかった。きっと色々と事情があるんだろうと思っていたからだ。するとドアをノックする音がして、誰かが部屋に入ってきた。見るとタツとひーちゃんだった。みんなは昨日お見舞いに来てくれて、今日は遅れてタツがお見舞いに来てくれる予定だったのだ。ひーちゃんはランドセルを背負ったままだ。きっと学校帰りにタツと出会し、強引に付いてきたのだろう。タツの苦笑いから、なんとなく想像出来る。
「ったく……妃瑠子ぉ……まぁた寄り道してんのかぁ?お父さんお母さんに怒られても知らねぇぞ?」
クッキーが溜息混じりに言うと、ひーちゃんは無言でクッキーのベッドに近寄る。
「……あのね。クッキーにお願いがあって来たんだ……」
ひーちゃんが真っ直ぐクッキーを見つめて言うと、クッキーは黙ってひーちゃんを見る。
「……奈美ちゃんを助けて。お願い。一人で閉じ込められちゃったんでしょ?可哀想だよ。絶対助けて、お願い……」
ひーちゃんが必死で訴えかける。ひーちゃんは奈美ちゃんが実の母親だとは知らない。きっと気づいてはいないだろう。クッキーは黙ったままひーちゃんを見つめた。そしてポケットから無線機を取り出す。
「これはな、愛麻羅が作った無線機だ。コイツは無線機の機能だけじゃなく、発信機の機能も付いてる。誰が何処にいてもわかるようにな……」
クッキーは言いながら、無線機のスイッチを入れた。ピコーン、ピコーンとゆっくりと等間隔で音が鳴る。
「全ての無線機を回収したが、天音の無線機だけがみつからねぇ。アキの話しだと、奈美が持ってる可能性が高いんだ。今は全ての無線機の電源を切っているから、この反応があるのは……」
クッキーがここまで言うと
「……!……奈美さん?奈美さんの居場所がわかるって事?」
と、タツが驚いて叫ぶ。クッキーはニヤリと笑い
「妃瑠子……オレは必ず奈美を探し出す。それまで待ってろ!」
と、ひーちゃんに言う。ひーちゃんはニッコリ笑って元気よく頷いたのだった。
都内にある神無月ファイナンスのビルの一室で、魔月妃は窓の外を見ている。コンコンとドアがノックされ、瑞波と赤口が入ってきた。二人は魔月妃の近くまで歩いてくると
「……申し訳ありません。大山さんがやられました……」
赤口が深々と頭を下げる。瑞波も続いて頭を下げた。魔月妃は振り向きもせず、顔色一つ変えずに
「……大山は最後に何か言ってたか?」
と、窓の外を見ながら言う。
「……すまん、と……謝っていました。あと、建御雷神や八岐大蛇と出会えた事に感謝していると……」
瑞波が頭を上げずに言うと
「……そうか」
魔月妃は窓を見ながらフッと笑った。
「……なら良い。最後まで大山らしい……」
魔月妃は言いながら振り向いた。そしてデスクの引き出しから一枚の写真を出す。
「この者を探せ。赤星が見つけた最後の『器』の候補者だ……」
魔月妃が赤口と瑞波に見せた写真には、伊坂凪の姿が写っていた。
ひーちゃんが天音の所に行くと言って部屋から出ていった後、タツはクッキーの隣で椅子に腰掛けた。
「……みんなの様子はどうだ?」
「……皆さん、気丈に振る舞ってます……。いつも通りにしようと、なんとか……」
タツはそこまで言うと、言葉に詰まった。そしてボロボロと涙を流し
「……人が……人が一人いなくなるって……こんなに……こんなに辛いんですね……ポッカリと心に穴が空いたみたいで……人の存在って……こんなにも大きい物なんですね……奈美さんは人じゃなく霊体だから……なんか可笑しいけど……でも……でも……昨日までソコにいた人が……ソコにいないのが……もう声も聞けないって思ったら……」
タツは両手で顔を押さえ激しく泣き崩れた。そんなタツの頭をクッキーが片手で鷲掴みにする。
「……可笑しくなんかねぇよ。奈美は大事な仲間だ。人だろうが霊体だろうが関係ぇねえ。失ったら辛いのは当たり前だ……」
クッキーがそう言うと、窓から風が入ってくる。爽やかな風はカーテンを揺らし、部屋を吹き抜けていった。
「それにな……さっきも言ったろ……。オレは必ず奈美を探し出すってな……」
クッキーはそう言うと、タツに頷いて見せたのだった。
[登場人物紹介]
名前:雨宮優寿寧
別名:雨宮 雨宮さん 優寿寧 優寿寧さん
年齢:21歳
守神:天宇受賣命
能力:踊りや歌を歌う事で、人を惹きつけ魅力する
備考:オーディション番組から誕生したグループのボーカル
グループの中でも絶大な人気がある。
最近、ソロデビューを果たした
歌手活動以外にも、ソロでタレント活動をしている
同じグループに豊田真央がいる
名前:米津志乃絵
別名:米津
年齢:31歳
守神:予母都志許売
能力:影人間を自由に操る事が出来る
影に支配されると、人への好意が敵意に変わる
好意の強さに比例して敵意も高くなる
備考:雨宮優寿寧のサブマネージャー
両親は早くに他界 兄弟もいない
実は雨宮の熱狂的なファンと見られる
奈美ちゃんと共に、時空の歪みに飲み込まれた
次章、思金神編、第三十一話の配信は8月5日の配信になります。




