白米と戦えるパスタ選手権
放課後の部室は、夕方の光が斜めに差し込んで、机の上のプリントの白さだけがやけに眩しかった。
窓の外では運動部の掛け声が遠くに薄まり、文化棟はもう、だいたい静かだ。
真平はコンビニ袋を机に置きながら、スマホ画面を見せた。
なぜか、ちょっとだけ得意げに。
「……なぁ。ほっともっとに特製ナポリタン弁当があるんだってさ」
琴美が椅子の背にもたれて、赤い髪を指先でくるくる回す。
その瞳が、危険な光を帯びた。
「ふーん? で?」
真平は、言うべきか迷うように一瞬だけ間を置き、口を開く。
「ナポリタンって……おかずになるか?」
次の瞬間、琴美が机を叩いた。
「なるに決まってるでしょ!!」
音が部室に響いて、紙コップの水が小さく揺れた。
真平は肩をすくめて、早速後悔する顔を作る。
「いや、そんな即答するタイプの議題かよ……」
沙羅が、腕を組んだまま冷たく言った。
いつもの参謀の目で。
「そもそもパスタって、単品で食べるものでしょ。弁当のおかず枠に入れる意味が分からない」
琴美が鼻で笑う。
「沙羅、それはイタリアの正義でしょ。ここは日本。しかも昭和寄り。ナポリタンは立派な副菜よ」
「副菜って言うな。主食に対する侮辱」
「侮辱じゃない、格上げよ!」
真平はスマホを置いて、頭を抱えた。
「待て待て。つまり何だ? ナポリタンは米と一緒に食えるってことか?」
琴美は即答する。
「食える。むしろ合う」
沙羅が即座に切り返す。
「合わない。炭水化物に炭水化物を重ねる感覚がおかしい」
真平がそこに乗っかる。
「ほら、沙羅の言う通りだろ。炭水化物×炭水化物って、スポーツ選手かよ」
琴美は胸を張った。
「スポーツ選手は正しいのよ。あと、ナポリタンは炭水化物じゃなくて——」
「炭水化物です」
沙羅が即座に断じる。
琴美は怯まない。
「——ソースなの。ケチャップとバターの旨味。あれは米に絡めた瞬間、完成するのよ。分かってないわね」
「絡めるな」
「絡めるの!」
真平は議論の焦点がずれていくのを感じて、慌てて元に戻そうとした。
「いや、その前にさ。現実問題として……箸でナポリタン食うのか?」
一瞬、部室の空気が止まった。
琴美がまばたきもせずに言う。
「箸で食うわよ」
「え、フォークじゃないのかよ」
「弁当でフォーク前提のほうが不親切でしょ。昭和は箸よ」
沙羅が深いため息をついた。
「昭和を免罪符にすんな。便利な言葉だと思ってるでしょ」
「便利だもん」
真平は頭を振った。
何を言っても、琴美には勝てない。いつものことだ。
そのとき、机の端で静かにノートをまとめていた美優が、ふわっと顔を上げた。
いつもの、柔らかい笑顔のまま。
「……でも、ケチャップ味って、ご飯すすみません?」
琴美が固まる。
沙羅も固まる。
真平も固まる。
三人の視線が一斉に美優へ向いた。
美優は自分に視線が集まったことに気づいて、少しだけ首をかしげる。
「えへへ……なんか、楽しいですね~」
真平は、ゆっくり椅子に座り直し、諦めた顔で言った。
「……議題、変わったな」
沙羅が小さく呟く。
「変わったというか、終わった」
琴美はゆっくり笑い出した。
悔しいのか嬉しいのか分からない顔で。
「……美優、あんた最強ね」
そして真平は、スマホを拾い上げて、最後の抵抗をするように言った。
「じゃあもうさ、今度みんなで買って検証しようぜ。箸で食えるか、米に合うか、全部」
琴美が指を鳴らした。
「いいわね! 昭和のナポ弁検証回よ!」
沙羅が即座に冷静な声を返す。
「嫌な回だな」
美優がにこにこしたまま言う。
「たのしそうです~」
真平は、心の中でだけ呟いた。
――また始まったよ。
また始まったは、始まりの合図でもあった。
翌日。
家庭科室の机の上には、冷凍パスタとレトルトパウチがズラリと並び、まるで文化祭前日の仕込み現場だった。
真平はその光景を見た瞬間、理解した。
これはもう、止められない。
「……なんでデジタルスケールまであるんだよ」
「検証だから」
淡々と答えたのは巫鈴だった。
ホワイトボードには、太字で一行。
《パスタはおかずになるか?》
その下に、さらに一行。
《米は一人100g。減少量で評価。》
「科学を名乗るなら、条件統一は必須です」
巫鈴が言い切ると、琴美が腕を組んで胸を張った。
「よし! 今日は昭和じゃない! 科学よ!」
沙羅が即ツッコミする。
「琴美が科学って言うと、一番信用できない」
シャオがエプロンをひらひらさせて跳ねた。
「パォ! 数字! 数字が好き! 勝つ!」
「お前、数字の意味分かってないだろ」
真平が言った瞬間、ズーハンが段ボールを抱えて入ってきた。
「了解。重かった。これ全部? 多すぎじゃね?」
「足りないよりマシ」
沙羅が即答する。
現場の空気が、最悪に整っていく。
レンジがピッ、と鳴った。
最初の皿が出てくる。
ケチャップ色の熱気が、もわっと広がった。
「試験体1、ナポリタン!」
琴美が宣言した。宣言する必要はないのに。
「これはおかずです。昭和が証明してる」
「検証なのに根拠が昭和」
沙羅が呆れる。
真平は渋々、ひと口。
次に白米。
そして、ほんの少し目を見開いた。
「……合う。悔しいけど合う」
巫鈴がスケールを見る。機械の数字は嘘をつかない。
「米の減少、二十三グラム。暫定一位」
琴美が満面のドヤ顔で言った。
「見たか。昭和は正しい」
「勝ってんのはケチャップとソーセージだよ」
次。
皿が置かれた瞬間、全員が分かった。
赤い。肉の匂いが強い。
これはもう勝ち筋しかない。
「試験体2、ミートソース」
沙羅が言う。
「これ、議論終わるやつ」
終わった。
ひき肉とトマトが白米を呼び、白米が皿になる。
シャオが目を輝かせて叫んだ。
「パォ! これ、ごはん止まらない!」
「止めろ。検証が終わる」
真平が制止するが、口の中はすでに終戦ムードだった。
巫鈴が数字を見る。
「米の減少、三十一グラム。暫定一位更新」
琴美が悔しそうに唇を噛む。
「昭和……負けた……」
「昭和関係ねぇ!」
さらに次。
白くて重い皿が置かれた瞬間、真平は嫌な予感しかしなかった。
「試験体3、カルボナーラ」
ひと口。
脂と塩とチーズが、白米を強制的に前へ押し出してくる。
「……米が、吸われる」
勇馬が真剣な顔で頷いた。
「塩、脂、チーズ。米を食べさせる設計です。思想があります」
「思想って言うな」
巫鈴が容赦なく記録する。
「米の減少、三十六グラム。暫定一位更新。カルボナーラ最強」
ズーハンが短く言った。
「GG」
「お前さっきからGGしか言ってねぇ!」
美優が明太子を前にして、ふわっと笑った。
「えへへ……これは、やさしいおかずですねぇ」
やさしいのに、確実に米が減る。
強さが静かすぎて怖い。
ペペロンチーノは喧嘩度が高いと巫鈴に判定され、
ボンゴレ・ビアンコは、沙羅の一言で処刑された。
「これは主食。米とは共存しない」
真平がうなだれる。
「……なんでこんなに真剣なんだよ」
ホワイトボードに結果が並ぶ。
順位が出る。
世界が確定する。
琴美が腕を組んで、妙に納得した顔で頷いた。
「よし。科学的に、昭和が勝てないことも分かった」
「その学び方、前向きすぎる」
沙羅が言うと、シャオが手を挙げた。
「パォ! 次は辛いナポリタンで勝つ!」
「検証を改造するな!」
美優がにこにこしながら、紙皿を片付ける。
「えへへ……でも、みんなで同じもの食べて比べるの、楽しいですねぇ」
真平はその一言に、ちょっと救われた気がして——
炊飯器の中が空なのを見て、現実に戻った。
「……100g固定とは」
巫鈴が澄ました顔で訂正する。
「正確には開始時100g固定でした。食欲は固定できません」
「詐欺みたいな言い方すんな!!」
ズーハンが肩を叩く。
「任せて。次は米のカバー行く」
「意味わかんねぇまま頼もしそうに言うな!!」
家庭科室には、炊き立ての匂いと、文化部らしい敗北感が残った。




