表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
249/262

豆ダッシュ、襲来

 放課後の那須塩原学園は、音がほどける。

 廊下の反響が弱くなり、遠くの運動部の掛け声だけが、薄い膜みたいに残る。

 文化棟の端、日ノ本文化部の部室のドアは、開ける前から分かる。

 中で誰かが、すでにやっている。

「――見て! これよこれ!」

 琴美の声。

 真平は、今日という一日が終わるはずだった予定表を、心の中で静かに破った。

 ドアを開ける。

 室内の机が寄せられ、床に段ボール。

 その上に、やたら大きいプルバックカーが鎮座していた。

 金属の光り方が、妙に古い。新品の艶じゃない。時間の艶だ。

 沙羅が腕を組んでいる。

 勇馬は目を細めて品定め中。

 美優は端っこでお茶を淹れていて、シャオは目を丸くしている。

 巫鈴は椅子に座ってノートを開いたまま、ただ眺めていた。

「おかえり、真平。いいとこよ」

 琴美が振り向く。緋色の髪が揺れて、本人だけが勝ちを確信している顔。

「いいとこって何」

「昭和が届いたの!」

 琴美は言い切り、段ボールを叩いた。

 どう見ても、誰かが倉庫の奥から引っ張り出してきた古い物だ。

「それ、どこから」

 真平が聞くと、沙羅が淡々と答えた。

「旧校舎の元倉庫。『整理対象』の山。琴美が勝手に救出した」

「救出って言い方がもう怪しいんだけど」

 琴美は気にしない。

「だってさ、廃棄よ? 昭和が廃棄されるの、許せないでしょ」

「昭和を生き物扱いするな」

 真平が言うと、勇馬が静かに補足した。

「でも、あながち間違いじゃないです。文化は捨てれば死にますから」

「お前まで乗るな」

 萌香がいないのが惜しい。

 この瞬間にいれば、必ず雑な一言で状況を崩してくれたのに。

 代わりにシャオが、プルバックカーを覗き込む。

「パォ……これ、かわいい。走るの?」

「走るわよ!」

 琴美が即答する。

「これで昭和の遊びを再現するの。今の子どもたちってさ、痛みが足りないじゃない?」

「やめろ。何を言ってる」

 真平は反射で止めたが、琴美はさらに笑う。

「保健室のお世話になるのが青春でしょ? 昭和は、そういう教育よ」

「教育の意味を辞書で引け」

 沙羅が眉間に皺を寄せる。

 勇馬は真顔で頷いた。

「痛みは学習装置です」

「お前も辞書引け」

 勇馬はプルバックカーの側面を指で撫でる。

「……これは豆ダッシュですね」

「え、チョロQじゃないの?」

 沙羅が眉をひそめる。

 勇馬は少し誇らしげに言った。

「チョロQは軽い。豆ダッシュは鉄。質量がある。つまり――」

「つまり?」

 美優が湯呑みを持ったまま、きょとんとする。

「当たると痛い」

 勇馬は淡々と言った。

 沈黙が一秒。

 その沈黙の中で、真平だけが確信していた。

 今日、誰かが必ず怪我をする。

「じゃ、試走いくわよ!」

 琴美が床に置いた。

 金属が床に触れる音が、いやに重い。

「待て待て待て」

 真平が前に出る。

「大丈夫。安全確認はしたわ」

「お前の安全確認、信用ならないんだよ」

 沙羅が一歩前に出て、床を見た。

「椅子の脚、机の角、カバン。障害物だらけ。やるなら片付けてから」

 琴美は唇を尖らせた。

「片付けたら昭和の雑さがなくなるじゃない」

「昭和の雑さを美化するな」

 真平が言い切る前に、シャオが挙手した。

「パォ! 私、カバー行く!」

「その言い方、どこで覚えた」

 真平が聞くと、シャオは胸を張る。

「ズーハン。右入る、って言ってた!」

「右入るってなんなんだよ……」

 琴美がニヤッと笑った。

「ほら、今の子は遊びにもスポーツ用語を使う。昭和と融合。最高!」

 巫鈴がノートにさらさら書く。

 口は開かないが、ペンだけは止まらない。

 琴美は構えた。

「よーし。三、二――」

「待て!」

 真平が叫ぶ。

 しかし琴美は止まらない。

「一!」

 バチン、と手が離れる。

 豆ダッシュは低い音を鳴らしながら走り出した。

 速度が速い。質量があるから、音が重い。

 小さな玩具のはずなのに、鉄の塊として来る。

「……速っ」

 沙羅が思わず呟いた瞬間。

 豆ダッシュは椅子の脚に当たって跳ねた。

 跳ねた角度が、最悪だった。

「真平、避け――」

 沙羅の声は途中で切れた。

 真平の足に、鉄の塊が突っ込む。

 ガツン、と鈍い音。

 一瞬、声が出ない。

 次の瞬間、遅れて痛みが追いついてきて、呼吸が詰まった。

「っっっ……痛ぁ!!」

 真平は片足で跳ね、床に座り込む。

 足首の辺りが、熱い。熱いのに、冷たい。

 痛みってこんなに理不尽だったか、と変に冷静になる。

 琴美は両手で口を押さえ――次の瞬間、目を輝かせた。

「すごい! これが昭和!」

「感動してる場合じゃないだろ」

 沙羅が冷たく言う。

 勇馬が頷く。

「言った通りです」

「お前も反省しろ」

 真平は足を押さえたまま呻く。

 美優が慌てて立ち上がり、鞄を探る。

「えっと……えっと……絆創膏……」

 シャオがオロオロしながら、豆ダッシュを拾い上げる。

「パォ……ごめん……私、カバー失敗……」

「お前は悪くない。全員悪い」

 真平は言った。

 沙羅が即答する。

「琴美が七割」

「え、ちょっと!」

「八割」

「増えた!」

 巫鈴が静かに口を開いた。

「結論。危険物の管理責任者を定めるべきです」

「危険物って言うなよ」

 巫鈴は目も動かさない。

「鉄の玩具は危険物です。定義上、質量がある」

「定義って便利だな」

 巫鈴はさらに書き足す。

「それと、活動計画書に負傷リスクを追記するべきです」

 琴美が胸を張る。

「ね? こうやって学びが生まれるのよ!」

「お前の学び方、毎回誰かが犠牲になるんだよ」

 沙羅が言う。

 美優が真平の前にしゃがんで、そっと絆創膏を差し出した。

「大丈夫ですか……? 痛いの……飛んでいけ、って……言っても、飛ばないですよね……」

「飛ばない」

 真平は小さく笑った。

 笑うと痛い。なぜ笑う。

「でも……まあ、いつものことか」

 琴美がキラキラした目で言った。

「よし! 決めた! 明日は昭和救急箱を作るわよ!」

 真平の顔から笑いが消える。

「……原因がお前なのに、対策だけ作るな」

 沙羅がため息。

「それ、学校の改革と同じ構造だよね」

「沙羅、それ言うと巫鈴が燃える」

 真平が言う。

 巫鈴は、すでにノートに新しい項目を書いていた。

「事故は制度の穴から生まれる」

 勇馬が豆ダッシュを撫でながら、ぽつりと言った。

「……昭和は、強いですね」

「強いっていうか、硬いんだよ」

 真平が言う。

 琴美は満足げに頷いた。

「硬い。痛い。だから忘れない。これが昭和魂よ!」

 シャオが元気よく拳を上げた。

「パォ! 明日、救急箱! 私、包帯係やる!」

「包帯係って何だよ」

 美優がふわっと笑う。

「でも……楽しそうですね~」

 部室の外では、夕暮れの音がさらに薄くなっていく。

 そして琴美は、もう次の段ボールのガムテープに指をかけていた。

 真平はそれを見て、痛む足を押さえたまま思った。

 ――明日の救急箱、まず必要なのは消毒じゃない。

 部長を止めるための、誰かの手錠だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ