王都の魔王
予定していた三部作が終わったので、またしばらくこのシリーズの更新は止まります。
思いついたらまた書きます。
すいません。
ちょっとネタに走りました。
一部単語を修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。
「あなたは労働基準法に反し、罪を犯しました。あなたには、その罪を償う責任があります」
王城。
謁見の間。
目の前で拘束された男を玉座から見下ろし、私はそう告げた。
その男は茶屋の店主である。
彼は、厳しい表情を怪訝に顰め、反論する。
「お言葉ですが、王妃様。労働基準法……。とは何でしょうか?」
「人が労働に従事するため、最低限守られるべき基準を定めた法です」
「初耳です」
「私がさっき作りました」
私は新しい法案を記し、王の認鑑を捺された書類を店主へ見せた。
店主の眉間の皺がさらに深くなった。
私はそれに構わず続ける。
「仕事という物は、十分な休息を取る事でその能率は上がるものです。十分な休みもなしに従業員を働かせるなどという事は効率が悪く、何より人の尊厳や権利を踏み躙る行為に他なりません。あなたはその罪を犯した。そう言っているんです」
「うちに私以外の従業員はおりませんが」
「その通り、つまりあなたは自分自身の尊厳や権利を踏み躙っている」
「それは……」
「朝早くに起きて茶葉の状態の管理に努め、店を開いてからも接客の合間のわずかな休憩時間すら茶の管理に費やし、夜遅くまで茶葉の配合を研究する。それも毎日。十分な休みが取れているとは思えません。酷い労働環境だとは思いませんか、あなた?」
「……思いませんが? 好きでやっている事ですので」
店主が答える。
私は自分の両頬を両手で挟み、大仰に驚いて見せた。
「何と言う事でしょう。つまりあなたは、自分の楽しみのためならば法を曲げても良いと言う。自己中心的で短絡的、そして法を蔑ろにする事すら厭わない反社会的思考と言わざるを得ません」
私は玉座へしなだれかかるように身を預け、芝居がかった動作で天を仰いだ。
その額へ手の甲をやる。
「はぁ……」
茶屋の店主は要領を得ない様子で微妙な声を漏らす。
「よって有罪。僻地の収容施設へ送ります。連れて行ってください」
茶屋の店主が兵士に引き立てられ、謁見の間から連れ出された。
店主は何も言わなかったが、表情をこれ以上ない程に厳しく顰め、最後まで抗議するように強い眼光を私へ送っていた。
そんなに恨みがましい目で見ないでほしい。
きっとあなたは、この後山賊に襲われてその一味に身柄を奪われてしまうかもしれませんが。
悪いようにはならないはずだから。
多分。
連れられていく店主を見送ると、私は法案の記された紙を魔法で燃やす。
「よく考えると、あまり良い法律じゃない気がしてきましたし、これは廃止しましょう」
「為政者にとっては都合が悪いですからね」
隣に控えていた私の側近が答える。
軍服を身に纏った童顔の女性である。
「何より、勤勉で真面目な茶屋の店主を罪人に陥れてしまった。これは間違いなく悪法です」
「そうですね」
側近は小さく笑って答え、次いで訊ね返す。
「陛下。お体の加減はどうですか?」
そう訊ねてくるのは、今の私の状態を慮っての事だ。
今の私は、通常とは言いがたい状態となっている。
というのも……。
「だいぶマシですよ。安定期に入ったという事でしょう」
私の胎には一人、住人がいるからだ。
この住人が居座る分には何も文句はないが、この住人の性質の悪い事悪い事。
私の栄養を無断で横領する上に、嫌悪と倦怠を与えてくるというなんとも始末に負えない迷惑な店子である。
なおかつ悪阻によって不快な思いをさせる。
吐き気を催す存在だ。
私はこの住人が十月十日の賃貸契約を満了して退去するまでの間、じっと不便を強いられるわけである。
そういう理由から私はしばらく体調の悪さに引っ張られて、自身の機嫌も悪くしていたわけであるが……。
今日は、比較的気分がよかった。
「身体だけは少し重いですけどね」
「まさしく身重ですね」
「そうね」
得意げに言う側近に、私は適当な返事をした。
「陛下。あなたのやりようには、目に余る物がある」
社交の場において、私は周囲に貴族夫人達を侍らせて会話をしていた。
テーブル席に着き、茶と菓子を嗜んでいた。
そんな時だった。
一人の青年貴族が私に言い放った。
彼はまるで、好青年を絵に描いたような風貌だった。
顔つきは精悍で纏う衣服も洒落ていて、何より清潔感があった。
正直、婦人達とのやり取りに退屈していたので、この乱入者を私は歓迎した。
少し、楽しくなりそうだ。
そんな期待から、笑みがこぼれる。
「貴公、失礼でありましょう?」
側近が私を庇うように、青年貴族の前に立った。
「いいですよ。下がりなさい」
私が言うと、側近は一礼して私の横へ立った。
「言いたい事があるならどうぞ」
肘掛けを支えに頬杖を付き、私は空いた方の手を差し出して青年貴族の言葉を促す。
青年貴族は強く頷くと、口を開く。
その頷きと同じく、強い口調で語り出す。
「あなたが王妃として陛下のそばへ侍るようになってから、多くの地位ある者が不正を暴かれて失脚した」
「地位ある者の多くが不正を働いていた。それは残念な事ですね。しかしながら、それが露見したという事は国政の膿をそれだけ出す事ができたという事ではないですか」
「いいえ」
青年貴族は首を左右に振って否定した。
「それはあなたが法律を、自分にとって邪魔な存在を消すという方向に悪用しているからに他ならない」
まぁ、それも間違いではない。
しかし、それは弱みを見せるから悪い。
と私は思うのだけれどね。
この国の、それも王都に近しい上位の貴族ほど違法行為に手を染めている。
さながら、自分こそが法律であるかのように、振舞っている。
下手をすれば、違法行為だとすら思っていないかもしれない。
だから自分は大丈夫だと高を括って堂々と不正を働き、その証拠を掴まれて失脚した。
それは甘さと驕りがもたらしたものだ。
「これは断じて看過できぬ悪行です。法とは、この国の秩序を守るためのもの。個人が私欲によって悪用して良いものではありません」
私はじっと、青年貴族の表情をうかがう。
その間も彼は言葉を続ける。
「悪徳の限りを尽くすあなたは、善政を敷く陛下の足を引っ張る存在に他ならない。あなたは、この国の害悪だ」
「なら、あなたはどうすると言うのです?」
私は青年貴族に問い返す。
「私には何らできる事などないでしょう」
すると、彼はあっさりとそう答えた。
「それが解っているのに、そんな言葉を私に向けるのですね」
「語る事しかできないから、語るのです」
ふぅん。
「陛下」
不意に、一人の貴族夫人が私に声をかけた。
「このような場で、そんな堅苦しい話は不似合いです。それを弁えない殿方の言葉など、流してしまわれるのがよろしいかと」
言って、貴族夫人はポットからカップへ紅茶を注いだ。
それを私の方へと滑らせる。
私はその手元から、夫人の顔へ視線を向ける。
笑みを返しつつ、夫人の目をジッと見る。
彼女はその視線をそらした。
「こっちを見なさい」
「え?」
「こっちを見ろ……!」
戸惑う婦人に、私は重ねて言葉を向けた。
同時に、場が凍る。
今まで誰かしらと会話に花を咲かせていた周囲の婦人達が、一斉に黙り込む。
固唾を呑み、私と貴族夫人とのやり取りを注視する。
そんな中、夫人は表情を緊張に強張らせながら、私の方へ視線を向けた。
私は夫人に、ニッコリと笑って見せた。
側近に手振りで指示を出す。
側近は頷くと、私のそばから離れて部屋を出て行く。
「いつも、美味しいお茶を淹れてくれてありがとう」
カップを手に取り、紅茶の香りを楽しむ。
本当にいい香り。
「あなたの淹れるお茶は、他の人が淹れるよりも特別に美味しく思います。だから感謝している。信頼もしている」
「こ、光栄です。陛下」
「私としては、そんなあなたを労いたい……」
私は、手にとったカップを婦人の前へ置いた。
「どうぞ」
婦人は、小さく身を震わせた。
その表情は緊張を通り過ぎ、怯えに彩られている。
「……お許しください。陛下」
「何の事ですか? 私はただ、あなたの淹れた美味しいお茶をあなた自身に楽しんで欲しいだけですよ。何も問題はない。ただおいしくお茶をいただけるだけです。そうでしょう?」
夫人は黙り込む。
「私はあなたにこれを飲んで欲しいだけですよ。それだけで『済ませてあげる』と言っているんです。他には何も影響しないし、これ以降は何もない。約束します」
私はそう言って、笑いかける。
夫人はそんな私の顔を一度見て、小さく頷いた。
「お願いします……」
私にだけ聞こえるような小さな声でそう言うと、婦人はカップの中身を呷った。
それからしばしあり、夫人は自分の喉を両手で押さえた。
「うぐが……っ」
呻きながら、夫人は床に倒れて蹲る。
その様子に、周囲から悲鳴が上がった。
同時に、側近が医者を伴って戻ってくる。
「これは……何です?」
貴族青年が驚いた様子で訊ねてくる。
「毒です。彼女は私に毒を盛った。信頼していたのですけれどね」
答えると、貴族青年は眉根を吊り上げた。
人差し指を私へ突きつける。
「見なさい! 正道を行く者がそのような目に合うはずがない。これはあなたが正道を行かず、あまつさえ世を乱しているからこその結果だ」
「かもしれませんね。なら彼女は、道を正そうとしたからこのような目に合ったという事でしょうかね?」
青年貴族はそれに答えなかった。
「あなたの招いた災禍だ。いずれ、それは確実にあなた自身を滅ぼす事となりましょう」
ただそう吐き捨て、彼は背を向ける。
私は離れて行く彼の背中を見送った。
視線を倒れた夫人へ向ける。
夫人は、医者に介抱されていた。
「あとはお任せします」
私は側近に言う。
彼女は黙ったまま、強く頷いた。
「てぇへんです! てぇへんです、王妃様!」
側近が慌てた様子で私の部屋へ訪れた。
「落ち着きなさい」
「はい」
私が言うと、側近は早急に落ち着いてみせる。
さっきのはただの芝居だったのだろう。
「あなたには、夫人の一件を任せていたはずですが?」
「もう一つ、大事な用件も任されていますでしょう?」
それで私は察した。
思わず、笑みが零れた。
「連絡が来たのですね? 次は何ですか?」
「はっ。お菓子屋さんです」
「わかりました」
お姉様が菓子を食べたいと言うなら、恐らくあの菓子屋だろう。
「今から言う菓子屋の店主を連行してきなさい」
そう前おいて、菓子屋の名を告げる。
「それが終わり次第、引き続き今の仕事を全うなさい」
「わかりました」
側近は敬礼すると、部屋を出て行った。
私は今携わっていた仕事を中断し、白紙を出してそこに文章を書いていく。
十分ほどで書き終えると、火の魔法で軽く炙ってインクを乾かす。
「はい、できた」
文章を記した紙を手に取ると、私は王の私室へ向かう。
王は書類に目を通している最中だった。
「あ・な・た、お願ぁーい」
「そなたが猫撫で声を出して近づいてくると警戒してしまう」
酷いわ、旦那様。
「判子ちょーだい♥ あと、謁見の間使わせてぇ♥」
言って、今しがた出来上がった書類を王に見せた。
王は怪訝な表情でそれに目を通す。
「これはちょっと無理があるのでは?」
「やれるかどうかじゃない。やるんだ!」
「……」
「ね、お願い!」
私は王の体にしなだれかかり、服の上から乳首の辺りを執拗にくりくりと指で撫でた。
「やめてほしい。……わかった。ほどほどにしておくのだぞ」
言いながら、王は書類に認鑑を捺した。
「ありがとう! 愛してる」
「心にも無いことを……」
そんな王の言葉を無視して、私は謁見の間へ向かった。
謁見の間で待っていると、少しして菓子屋の店主が連行されてきた。
「あなたを無差別威力妨害罪の罪で流罪に処します」
「思いがけぬ嫌疑! 何ですかその罪状!? 身に覚えがなさ過ぎます!」
「さっき作りました」
言いながら、ぴらりとそれに関する書類を見せる。
「あなたの作ったお菓子は美味しすぎます。この王都にある菓子店でその味は抜きん出て美味しい」
「はぁ、それはありがとうございます」
こんな場所に引っ立てられながら、彼は今の言葉で素直に喜びを顔へ映した。
「なので、他の菓子屋が繁盛せず、あなたの店だけに利益が偏っています。これはあなたの作るお菓子が美味し過ぎる事が悪いのです」
「何ですかそれは!?」
さっきの嬉しそうな様子から一転して、菓子店の店主は驚愕する。
この人は自分の感情に素直だ。
その時々、思った事が顔や口に出るようだ。
「そして、あなたはあまりにも太りすぎている。
いつも汗まみれで、見ているだけでこちらまで息苦しい気分になります。
そんな姿で商品を持ってこられるとお菓子に汗が混入していそうで気分が悪くなりますし。
脂肪まみれの体型を見ているだけで、消渇《糖尿病》にならないかと心配になります。
と、見ている者の精神を蝕み、あらゆる作業の効率を低下させる恐れがあるのです。
これは立派な威力妨害でしょう!」
言い放ち、ビシッと人差し指を突きつける。
「酷い理不尽です、王妃様! 救いはないんですか!?」
「皆無です。おしまい! 閉廷! 連れて行きなさい」
「そんなぁ!」
じたばたと足掻く菓子屋の店主だったが、屈強な兵士達の手によって、抵抗虚しく部屋の外へと引き摺られていった。
これで、また一つお姉様の願いが叶う。
その日は、珍しく王が私の部屋へ訪れた。
「どうしたんですか? ……あっ(察し)、お腹の子に障るので手短に」
言いながら、ドレスのスカートをぴらっとめくり上げる。
「戯れは止して欲しい」
「じゃあ、他に何の用があるんですか?」
密室。
王と王妃が二人きり。
何も起こらないはずもなく……。
「仕事の話だが?」
そうだと思っていたけれど、側近もいなくて退屈だったのでコミュニケーションを取ろうと思った。
「この前に認鑑を捺した書類の話だ。新しい法案について」
「『無差別威力妨害罪』ですか?」
「違う。『労働基準法』だったか? あれの書類はどうした?」
「あれですか。あれは熟考した結果、悪法だと判断したので廃止しましたけど」
「何?」
「いけませんか?」
陛下は皺の寄った自分の額をもみもみした。
言葉を続ける。
「一部恣意的な部分はあったが、それ自体はなかなか悪くない法案だと思ったから本格的に詰めて制定しようと思ったんだが……」
「あー、じゃあもう一度書きますから、あとは好きにしてください。私にはもう必要ないので」
「なら、そうさせてもらおう。廃止されたのなら、改正もしやすい」
「『無差別威力妨害罪』は?」
「何故そう推してくる? あれは即刻廃止してほしい。理不尽過ぎる」
あっちの方が、何かと言いがかりをつけられるので便利だと思うんだけど。
「それから、最近暗殺されかかったそうだな」
「……秘密にしていたんですけど?」
「私にも密偵はいる」
「妻の秘密を探らせるなんて、女々しい事ですね」
「ただの妻ならそのような事はしない。それで、大丈夫なのか?」
問われ、私は小さく笑う。
「心配してくださるのですか?」
「ある意味心配ではある。何をやらかすのか……。その後処理はどうしようか、と」
「そう時間はかからないと思いますし。後処理も私がしますよ」
「そうか。ほどほどにな」
夜道を進む馬車。
馬車が目指すのは、ある貴族の邸宅。
その家の夫人から、晩餐会に招待されたのだ。
私は、一部の選ばれた人間以外を侍従に置かない。
絶対に裏切らないであろう人間だけをそばに置いている。
計二人。
いや、三人になるか。
その内の一人が側近をしている彼女であり、その彼女が私にとって唯一の護衛である。
しかし最近は、別の仕事にあたらせているため彼女がそばにいない。
そんな状況が続いている。
その上で、私はここ数日こうして外出する機会を増やしていた。
招待主が誰であれ、内容が何であれ、できるだけ受けるようにしていた。
だから……。
そろそろ動きがあるだろうな。
そう思っていた。
馬の嘶きが聞こえ、馬車が揺れる
馬車が徐々に失速し、やがて留まった。
案の定だ。
馬車の壁に、無数の矢が刺さった。
鏃が馬車内に次々と生えてくる。
窓ガラスが割れ、矢が飛来する。
矢は私の頭部に迫り、それを魔法で止める。
「やれやれ」
しばらくその調子が続き、矢が放たれ続ける。
が、矢も無尽蔵ではない。
やがて尽きたのか、ピタリと矢の雨が止んだ。
私は馬車の椅子から立ち上がり、出入り口の戸を開けて外へ出た。
ひんやりとした空気が、入り込んでくる。
「こんばんは、皆さん。気分はどうですか?」
そう言って、馬車の周囲を取り囲むように立っていた十数名の男達を見回した。
皆、布で口元を覆って顔を隠し、手にはクロスボウを持っていた。
そして彼らは一様に、その場から離れようとしない。
それもそのはず。
離れられないようになっているからだ。
さらに詳しく言えば、彼らの動きを封じているのは氷である。
足が凍りつき、足が縫いとめられるように地面へ張り付いていた。
冷気を操る魔法である。
馬車が囲まれてから、私は密かに周囲へ魔法の冷気を行渡らせていた。
彼らが矢をつがえ、この馬車へ斉射している間にもその冷気は彼らの動きを蝕んでいき……。
今は完全に彼らの動きを封じていた。
この場で動けるのは、魔法を操る私だけ。
「くそ……」
男の一人が、悪態を吐く。
その男に目を向け、近づいていく。
「まさか私に会いたがる人間がこんなに大勢いるとは……。自身にここまで熱狂的な人気があるとは夢にも思いませんでした。握手でもしてあげましょうか?」
微笑を湛えながら私は馬車の昇降台を踏み、一歩ずつ降りていく。
昇降台は地面まで伸びておらず、途中からは地面までそれなりに高い空白を持っている。
なので途中、氷の魔法で新たに踏み台を階段状に作っていき、私は緩やかに地面へと降り立った。
男に近づく。
息遣いの届くような距離まで寄る。
「さて、誰にこんな事を頼まれたのかなぁ?」
訊ねるが、男は黙り込んで私を睨む。
「言えない事? でも、バレなきゃ大丈夫だよ」
言いながら背伸びして、耳元に口を寄せる。
「ほら、このお姉ちゃんに話してごらん? ここだけの秘密にしてあげるから」
男にだけ聞こえる声で、囁く。
「……! 舐めるな!」
男は、手を動かして私を捕まえようとする。
けれど……。
私はするりとそれを避けて距離を取った。
男は腕を動かした拍子にバランスを崩し、その場で倒れこんだ。
「言いたくなければいいけれどね。正直、誰がやったかなんてどうでもいい事だから」
倒れこんだ男を見下ろしながら、言葉をかける。
「何だ……? 足?」
当の男は視線を巡らせ、『ある物』に気付く。
それは、地面に張り付いたままの自分の足……。
その足は、しっかりと地面を踏みしめていたが、足首より先がなかった。
「無理に動かすとそりゃ壊れるよ。凍っているんだもの」
私はそう告げるが、男にはそれが聞こえているのかいないのか、別の事に意識を向ける。
「手が、顔が、凍る……?」
自分の手を見て、頬に触れ、男は呟く。
でも、それだけじゃない。
冷気は足元に充満し続けている。
足元より下に落ちたのだから、今は男の体全てが冷気によって凍り始めていた。
「はぁ、うあああああっ!」
蝕む冷気、今にも活動を停止しそうな体。
その恐怖からか、男は叫びを上げる。
そして、ほどなくして、動かなくなり、何も言わなくなった。
さて……。
私は別の男に近づいていく。
私が近づいてきている事に気付くと、男は半ば喚くようにして声を上げる。
「待て! 待ってくれ! 全部話す! 誰に頼まれたのか――」
私は男に近寄ると、布越しに唇へ人差し指を押し付けて言葉を止めさせる。
「しー……。別に言いたくなければ言わなくていいんだよ。人間、一つ二つ隠したい事ぐらいあるでしょう?」
そのまま指で男の唇をなぞる。
すると、男の唇がぴったりと閉じた形で凍りつく。
「私にだってある。それで、秘密って誰かに話したくなる時があるよね。でも、それが原因でたくさんの人に知られるのは困る。とても嫌な事だ。ジレンマだね」
「うう、うう!」
「だから、口の堅い人を探していたんだ。他愛無い内緒話でも、お墓まで黙って持って行ってくれるような人を……。あなたは、自分がそれにうってつけだと思わない?」
「ううっ! んんんっ!」
呻き続ける男を無視して、私は続ける。
「実は私、自分の花壇を持っているんだ。そこに植えられた花は、特別な肥料を使って育てていてね。で、どっちがいいと思う? 今までは燃やして出た灰を使っていたんだけどね。今は凍らして細かく砕いて撒くのも良いかもしれない、と思ってるんだ」
私が言うと、男は何かを察したらしく一層に大きな声で呻き、どうにか逃れようと足掻く。
けれど、倒れでもすれば先ほどの男の二の舞になる事がわかるため、どうにも思い切り動けない。
そのジレンマの中で足掻く姿が奇妙な動きという形になって現れ、少しばかり愉快だった。
そんな呻くだけの男の声へ耳を傾けるように、耳へ手をやる。
「ああ。なるほど。確かにそうだ。まぁ試して比べるのが一番良いのかもね。半分は燃やして、半分は凍らせよう。試せるだけの量はある」
言うと、私は男に微笑み掛けた。
「ありがとう。相談に乗ってくれて。おかげで悩みが消えた」
男の胸に手を当てる。
「あなたは凍らせる方にしておこうか」
そう言って、私は男の体を強く押した。
「もうそろそろ、お呼びいただけると思っていました」
私の部屋。
応接用の椅子に座り、私と向かい合う彼はそう言った。
その様子には、一切の緊張感がない。
そして同じく椅子に座る私の隣には、側近が控えている。
命じた仕事が完了したと判断し、戻ってきたのだ。
「わかっているわりには、落ち着いていますね」
「まさか。そう見えるだけですよ。王都の魔王を目の前にしているんです。恐ろしくてたまらない。ただ、私は内心を悟らせない事に長けているだけですよ」
魔王?
私はただの、お姉ちゃんっ子だというのに、物騒なあだ名を付けられたものだ。
「じゃあ、本題に入りましょうか。あなたが、毒を盛らせたんですね?」
そう訊ねると彼は、微笑んだ。
その表情は爽やかで、とても罪を追求されている人間のそれではなかった。
彼はあの日、私に正道を説いた青年貴族だった。
「いつから気付いていました?」
何の弁明もせず、青年貴族は訊ね返した。
「怪しいと思ったのは、初めて言葉を交わした時から。確信したのは、彼女に毒を盛られた時」
「へぇ……」
青年貴族は笑みを絶やさぬまま、目を細めた。
「確かに、王妃様は行動が早かった。けれど、そんなに早くから気付いていたとは思いませんでしたよ」
「あの時、私にはあなたの考えが読めなかった」
表情や仕草から、相手の考えを把握する。
それは貴族にとって必修と言うべき技能だ。
上手下手の違いこそあれ、貴族ならばある程度それができる。
……お姉様は一切できなかったが。
そもそも表情の変わらない方だったので、それでも事足りていた。
私はそんなお姉様の考えを読める程、技能に長けている方だが……。
この男の内面は、まるっきりうかがい知る事ができなかった。
そんな相手は王以来だ。
「あなたは、私に考えを読ませなかった。この技術は、権謀術数の中にあって活きるもの。正道を高らかに宣言し、拘る方が習熟して然る技能ではない」
だから初めて会った時から、私は彼を警戒していたのだ。
「そしてあの宣言によって、あなたは私や他の貴族の注意を引いた。彼女が毒を盛る隙を作るために。正直、怪しさしかない」
あの場で彼が声を張り上げたのは、それが理由だ。
「なるほど。勉強になりました」
「以後、精進するように」
「活かせる時間が、私にあるのでしたら」
私が笑顔で言うと、青年貴族はこの期に及んで微笑んだ。
そんな彼に向けていた笑顔を私は消した。
「あなたの誤算は、あなたが思っている以上に私が彼女を重用していた事」
「ええ。彼女を助けた事には驚きましたよ。茶を淹れる事以外に取り柄のない凡俗な貴族夫人に、あなたがあそこまで心を砕いていたなんてね。あの日から、彼女の家に着けていた手の者との連絡が途絶えました」
「心から信頼できる人間は、得がたいんですよ。関係の維持に努めるのは当然でしょう?」
だから、彼女に茶を飲ませる直前、私は側近に医者を呼ばせていた。
初めから、彼女を死なせるつもりはなかったのである。
「そして信頼しているからこそ、察せる事もあるのです」
裏切るはずのない人間である彼女が裏切るには、それだけの理由がある。
そう思ったから。
そして、私の思った通り、彼女は家族を質に脅迫を受けていた。
私の暗殺を行わねばならない状況に、追い込まれていた。
だから私は側近に命じ、彼女の周辺を掃除させた。
「道理で……。付き合いのあった者達との連絡が取れなくなったはずだ。私の手足を全て、捥いでしまったというわけだ」
「はい。ほとんど私がやりました」
側近が元気良く答えた。
「それでどうします? 頭も捥いでしまいますか?」
青年貴族は私に問う。
「あなたは、どうしてこんな事を?」
私は青年貴族の問いに対し、さらに問いを重ねた。
「自分の能力が、どこまで届くのか試してみたかっただけですよ」
「出世栄達のためだと?」
青年貴族は頷き、答える。
「登り詰めるためには、どう考えてもあなたが邪魔になる。そのためには、排除しなければならない。そう思いました。あなたさえいなければ、私はきっと王にも並べる」
ふぅん。
訊きはしたが……
正直に言えば、興味がないし、意味がない。
そう思える問いだった。
それがどんな動機で成されていようが、起こされる行動に何の差異もない。
ただ、意外性があれば退屈しのぎになってよいかもしれない。
そう思っての戯れだ。
そして彼の供述がどうかと言えば……。
まぁまぁ楽しめた方だと言えよう。
「わかりました。では、今回の事は不問にしましょう」
青年貴族は意外そうな顔をした。
「何が「では」なのかわかりませんが、よろしいのですか?」
「あなたは、優秀な人材です。それに個性的だ」
「個性的、ですか? よくわかりませんが」
「自分の行いを顧みつつ悪びれず、さながら聖人の如く話す様はなかなか面白かった。そこに澱みはなく、迷いも躊躇いもなかった。そのように振舞えるのは一種の才覚と言えるでしょうね」
誰にでもできる事ではない。
どんな人間も、嘘を吐く時には小さくとも躊躇いがある物だ。
彼には、それがなかった。
多分彼のそれは、生まれ持った物だろう。
「そんな人材を手元に置いておきたい」
「私を手駒にしようとお考えですか……。裏切るかもしれませんよ?」
「構いませんよ。二つ目の理由は、少し面白かったからです。相手をするのも、動機も……。今後の行動に対する期待も含めて、面白い。少しは退屈しのぎになりました。そのお礼ですよ」
青年貴族は笑う。
その笑みは、今までの爽やかな物とは違う。
口元を皮肉げに歪める、悪党らしい笑みだった。
そして立ち上がると、私の前で跪いた。
「わかりました。では、あなたに仮初の忠誠を……」
私が手を差し出すと、青年貴族はその手の甲に口付けをした。
これで、当面の問題は解決した。
新しく、優秀な手駒も手に入った。
そして、私は……。
また退屈になった……。
楽しい事は、すぐに終わる。
ある日の事だった。
根城に潜入させていた私の部下から、連絡があった。
その内容によれば、今夜お兄さんが直接会いに来るという事だった。
そして夜になり、書類仕事を片付けている時。
お兄さんは私の部屋へ訪れた。
「お久しぶりですね。お兄さん」
「ガハハ。そうだな」
「こんな時にも仕事してるのか?」
「私は約束を守る主義でしてね。国を治めるのに手腕が欲しいと口説かれた以上、その役目は果たさないと」
「それが王妃の役目ってんなら……。今は休んでいるだけでも十分だと思うがな」
お兄さんは、私のお腹を見て言う。
「正直に言えば、じっとしているのは暇なんですよ。かと言って仕事が楽しいかと言えばそうでもないんですが、何もしてないよりましですからね」
これは本心だ。
色々とあってしばらくは楽しかったが、それも解決して今は何も楽しみがない。
「ふぅん」
お兄さんは自分で訊いておいて、興味なさそうに言う。
「それで、何の用事ですか? わざわざ会いに来るなんて」
「そうだな」
お兄さんは答えると、封書を私の前に置いた。
「これは?」
こんな物を渡される心当たりがなく、訊ね返す。
お兄さんは、私から少し離れた壁へ背をもたれさせた。
窓があるから、そこにもたれかかるしかなかったのだろう。
「あいつからの手紙だよ」
あいつ……。
お姉様……。
「どうして?」
「お前がどうしているか、心配だったんだとさ。それで、手紙を書いたら探して渡すと約束した」
その答えに、淡い期待が湧く……。
お姉様に今の私が知れたのなら、会いに来てくれるかもしれない。
けれど、すぐにその期待を消す。
探して渡す、この男がそうお姉様に告げたという事は、その辺りをぼかして伝えたという事だろう。
でも、それでいい。
そうでなくてはならない。
「……関わりがある、という事は言わなかったのですね」
「ああ。お前は会いたくねぇんだろ?」
その通り。
私はもう、お姉様に会わない。
けれど、お姉様が私を慮ってくれた。
その証明となる物が、形となって今目の前にある。
そう思うと、素直に嬉しい。
「素直に感謝しますよ」
「いいよ。別に。俺は、あいつのために何かしてやりたかっただけだ」
「そうですか」
私は手を伸ばす。
しかし、これを手にして……。
その内容を読んでしまっても良い物だろうか。
その時私は、自分への罰を放棄してしまわないだろうか……。
そんな迷いが私を苛んだ。
「あいつは、お前の事を心配していたぜ」
その言葉で、手紙を前に漂わせていた手を止める。
「お前の気持ちも知っているから、会ってやれとは言わねぇ。けど、返事ぐらいしてやったらどうだ?」
それはなんて、甘美な提案であろう。
まるで、悪魔の囁きのようだ。
でも……。
「それは……できませんよ」
彼は小さく溜息を吐き、言葉を返す。
「お前が自分に厳しいのはわかってる。だが、それでもお前にとってあいつは大事な存在のはずだ。だったら、あいつの気持ちを一番に考えてやるべきなんじゃねぇのか?」
それは私に対する強い誘惑の言葉だ。
耐え抜く事には苦痛を要する。
しかしながら、彼が心から心配してそう言っている事は表情から読み取れた。
それはお姉様へ対する心配であり、そして私に対する心配でもあるようだった。
私など、お兄さんにとって厄介な存在だろうに。
そんな人間を慮るとは……。
だからこそ、私はお兄さんを信頼できる。
やはり、この人にお姉様を預けてよかった。
この人がいる限り……。
お姉様に、私は必要ない。
「わかっていませんね。お兄さん。そうだとしても、お姉様の気持ちを無碍にしなければならない苦痛。そして葛藤も含めて、それが私への罰なのですよ」
そして、これは曲げてはならない私の信念だ。
でなければ……だとしても、私は自分を許す事ができない。
「そうかよ」
お兄さんは、壁から背を離した。
「お前がそれで良いって言うなら、もう何も言わねぇさ。俺の用事はそれだけだ」
「そうですか」
彼はその言葉を最後に、部屋を出て行く。
彼が部屋を去り、一人になる……。
私は、恐る恐る手紙に触れた。
手紙の内容がどのような物か……。
それはわからない。
ただ、今の私の中にある様々な物を忘れさせてくれる……。
そんな物であろう事は疑いなかった。
そこにはきっと退屈を紛らせるような苛烈さや刺激はないだろう。
それでも私はこの紙面をなぞる間、退屈を忘れて幸福を得る事ができる……。
だからこそ、これは読むべきではないだろう。
後々、辛くなるだけだ。
読み終わった時には、色々な感情が私を苦しめる事となる。
それだけは、わかる。
しかし、今さっき彼に言った通りでもある。
それでもなお気持ちを押し殺す辛さ。
それが私への罰となる。
なら、読むべきだろう。
手紙の封を切り、中の紙面をなぞり……。
私は束の間の安らぎを得た。
読み終わった後、我が身を焦がす激情を予感しながら。
書いてて思った事を脈絡なく書いていきます。
この世界では詠唱した方が、魔法の威力は高くなる。
賊を撃退する時に無詠唱で事足りている……。
……かつてガハハを洗浄した時、わざわざ詠唱したという事は半ば本気で殺しにかかっていたのかもしれない。
身に覚えのない罪× わけのわからない罪○
あなた達を労働基準法と無差別威力妨害罪で訴えます!
理由はもちろんお分かりですね?
あなた達がお姉様の求める人材だからです!
覚悟の準備をしておいて下さい。
ちかい内に冤罪を科します。
王妃《私》の前にも来てもらいます。
山賊にも問答無用で襲わせます。
山賊の根城で営業する準備もしておいて下さい!
あなた達は優秀な人材です!
僻地の収容所にぶち込まれる楽しみにしてください!
いいですね!
それぞれの世界観。
アナちゃん=サ○エさん
ガハハ=龍が○く
妹様=アウト○イジ