唯一変わらない君の声
上原からの着信は、思っていたよりずっと早く来た。夜の10時を回り、風呂上がりに髪を乾かしていたら携帯が鳴った。携帯のすぐ近くにいたジョンが、驚いてこちらに駆け寄る。ディスプレイには上原の名前が表示され、やっと落ち着いた高揚感がまたこみ上がる。
「もしもし」
「あ、小林さん、上原です。昼間はどうも。」
学校の先生や友人、今の上司もそうだが、昔から僕は下の名前で呼ばれることが多い。小林と呼ばれるのは、26年間小林をやっていてもこそばゆい。
「こちらこそ、ご馳走様でした。ご自宅ですか?」
「いやぁ、残業していて、今帰りなんですよ。駅から家まで歩いているところです。帰ったら、犬の散歩に出ないといけなくて。」
上原も一人暮らしのようで、平日の散歩は夜行くと昼間に話していた。僕の住んでいる最寄り駅と、上原の住んでいる最寄り駅は隣同士で、その間には川が流れている。河川敷を散歩するのだろう。
「お疲れ様です。わんちゃんはどんな子ですか?」
犬派の僕が訊ねると、上原は声のトーンが変わる程のハイテンションで語り出した。
「グレイハウンドです。足が速くて、散歩するだけで僕自身が大分鍛えられましたよ。ちなみに、グレイハウンドってイギリスの犬種なんですけど、是非名前を当ててみて下さい。ヒントは【ジョンではない】です。」
なかなか溺愛しているのだろう。電話なのに表情がはっきりと目に浮かぶような話し方だ。そういえば確かに上原は英国紳士のような雰囲気がある。突如出されたクイズの答えは簡単だ。僕は元彼女が「にゃんこ」としか呼ばなかったジョンの名前を考える時、もう一つ悩んだ名前がある。
「…ポール、ですか。」
「ご名答。流石ですね。小林さんとは仲良くなれそうな気がしますよ。」
人に、そして同性に好感を持たれるというのは、思いの外嬉しいものだと思った。平々凡々なルックスで、特別何かに長けている訳でもない僕は、人から好かれも嫌われもしないで終わることが多い。それは関心を持たれずに終わるということで、人間関係的には最悪な結果だと思う。人の心を動かせていないのだから。そんな僕に、上原の言葉は嬉しかった。上原は少し間を置いてきいてきた。
「土日のご予定はありますか?」
「徒然ですよ。」
「犬がお嫌いでなければ、河川敷でビールでも飲みながら散歩しませんか。」
むしろ犬派だと言うと、上原は大笑いした。
「上原さん、僕ら同い年だし、タメ口にしませんか。」
思い切って提案したところ、上原も同じことを考えていたようだった。
「じゃぁ、そうしましょう。いや、そうしよう。」
上原が言い直したのが何故かツボに入り、笑ってしまった。僕は上原を上原と呼び捨てることにした。
「それじゃ、俺はコバって呼ばせてもらうよ。」
急なタメ口も、コバというあだ名も、上原の俺という一人称も、新鮮だった。
土日に、床屋以外の予定ができるなんて久しぶりで、また胸が高鳴るのがわかる。電話を切って廣田さんからのメールを読むまで、僕は会社を休んでいたことなんて忘れてしまっていた。今回の休みは有休扱いにするという内容で、実に有意義だと言ったらジョンがニャァと鳴いた。




