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4.アンナ11歳

 暮れなずむ空から西日が入り込んでくるシティ・アカデミアのアトリエ。


 時間は午後5時。


 窓の下に敷かれたラグマットの上では、白と茶色の中型犬が寝息をたてている。超豪華な造りの建物の中で、唯一といっていいほど質素なこの部屋だけが、落ち着ける場所なはずだたった、キース・L・ヴァンベルトは、いらいらとした様子で壁掛け時計に目をやった。

 仕方なしに、パトラッシュと一緒に学園に戻って来たものの、グレン男爵の館で別れたきりのミルドレッドからの帰還の連絡はまだ無く、キースは落ち着かない気持ちのままで、女教師レイチェルとの会話を思い出していた。


* *

「……だ・か・ら、グレン男爵の館には、所狭しと東洋マフィアがいて、訳もわからず、銃弾を撃ち込んできたんだ! それに、ミリーの姿がどこにも見えない。おまけに館の庭にはマフィアが、バタバタ倒れてて、辺りは真赤な血の海だ。レイチェル、あんた、何で、あんな危ない場所にミリーを同伴させたんだよ。あいつの親は、シティ・アカデミアのPTAの中でもとびきりのお得意様だって、いつも言ってるくせに、このまま彼女が帰ってこなかったら、どう責任とるつもりなんだよ!」


「そう声を荒らげないでよ。とにかく、先にグレン男爵にコンタクトを取るから、警察やミリーの親には絶対に何も話すんじゃないわよ」


「ふざけんなよ! そんなに、あんたはシティ・アカデミアのビジネスとかが大事なのか!」


「当たり前でしょ。とにかく、今は余計な事はしない方が得策よ」


* *


 キースは、もう1度、時計を見上げ、深いため息をつくと、仕方なしに、イーゼルに立てかけた曰くつきの”ヴァージナルの前に座る婦人”に目を向けた。

 キースが預かったこの絵には、グレン男爵によると “彼の息子”が入り込んでしまっているらしい。


「……で、その少年を俺の力で、この絵の中から出してやってくれって言ったって……」


 無理だろ?


 だいたい、男爵の話の信憑性だって疑わしいもんだ。あのマフィアの暴れっぷりから見ても、あいつが相当な食わせ者だって事は明らかだし。

 キースは、仕方なく、もう1度、”ヴァージナル”の絵の近くまで歩み寄って、その絵をまじまじと眺めてみた。すると、


 ”あら、その絵には本当に少年が入り込んでいるわよ”


 鈴が鳴るような可愛らしい声が背後から響いてきたのだ。どくんと心臓が大きく波打つ。この声は……いや、まさかな。けど……


 ふぅと一つ息を吐く。


 それから、キースは覚悟を決めたように、くるりと後ろを振り返った。ところが、


「……」


 彼の背後には誰もいなかった。その代わりに、アトリエの隅に立てかけられた、グレン男爵から託された”少女の肖像画”が、はにかんだ笑顔でこちらを見つめていた。


 気のせいだったのか。


 その時、彼の上着のポケットから、携帯電話の呼出し音が鳴り響いた。


 非通知の着信表示……誰だ? 


 も、もしかしたら、ミルドレッドを拉致した東洋マフィアか?


 どきりと心臓が鳴る。警戒しながら携帯電話に出てみると、


「ハーイ、キース? 私よ、ミルドレッド。今、どこ? アトリエ?」


「ミ、ミルドレッドぉ? お、お、お前こそ、今、どこにいるんだっ」


「う~んと、私が乗せてもらったバイクってね、今、ちょうど、学園の近くの交差点まで来てるの。黒い大型バイクだから、すぐにわかると思うけど、あとちょっとで、正門前に着くから外に出てきて待っててよ」


「……」


「ねぇ、聞いてるの? その時に必ず、グレン男爵にもらった“女の子の肖像画”を一緒に持ってきてね! イヴァンが見たがってるんだから」


「ち、ちょっと待ってくれよ! お前っ、無事だったんだな。けど、助けたもらったバイクって何? イヴァンって誰?」


 ……が、携帯電話はそれきり、ぷつんと切れてしまった。


「何だよ……あいつ、やけに上機嫌で……」


 キースは、訳が分らず、小麦色の髪を掻きむしる。けれども、少女の肖像画を小脇に抱えると、パトラッシュを引き連れて、大急ぎでアトリエから出て行った。


* *


 日はすでに西に傾いていた。アンナの肖像画を小脇に抱えたまま、強い西日が差し込む正面玄関のファサードから外に飛びだしたキースは、西日の眩しさに目を細めた。すると、その視界に一台の黒いバイクが入り込んできたのだ。


「あれがイヴァンって、野郎か?」


 車体と同じ黒のフルフェイスのヘルメットのせいで、そのライダーの顔はよく分からなかったが、全身、黒ずくめの格好と、けたたましい、4気筒のエンジン音が合いまみれて、何ともいえない殺那的な雰囲気を醸し出しているではないか。

 それにしても……


「あのデレデレしたお嬢様の態度って、どうなんだよ!」


 ゼファー1100の後部座席で操縦者に、ぴったりとくっついている大型バイクの風体には全くそぐわない花模様のワンピースの小学生。それでも、キースは彼女の無事な姿を見たとたんに、


「おーい、ミリー、こっちだ!」


 嬉しくなって大声でその名前を呼んでしまった。黒塗りのバイクが砂煙をあげて、彼の前に止まったのは、その直後のことだった。

 だが、


「キース! パトラッシュも来てくれたのっ」


 ミルドレッドがバイクから降りた……瞬間、

  キースは、小脇に抱えた肖像画が、何かに驚いたように腕の中で飛び跳ねた……ような気がしたのだ。肖像画はそのまま彼の手をすり抜け、地面に落ちてしまった。

 ヘルメットを少し上にあげ、肖像画に目をむけたゼファーのライダー。

 その時の意味深な表情……って?


  陰鬱な灰色をした寂しげな瞳。

 けれども、少女の肖像画を見て、彼はかすかに笑った。


 “こいつ……何、笑ってやがる”


 けっこうイケ面なところが、余計に気にくわない。けれども、キースが、一言、声をあげようとした瞬間、彼はヘルメットを装着し直し、バイクをUターンさせてしまった。


「イヴァン、肖像画は見なくていいの!」


 そう言ったミルドレッドに背中ごしに手をあげる。すると、彼はそのまま、バイクを発進させ、その場から去って行ってしまった。


「何だよ。あいつ、自分から見たいって言っておいて」


「あら、そんな言い方ってないわ。イヴァンは、マフィアから私を助けてくれたんだから。そりゃぁ、凄かったのよ。バイクであいつらをバタバタ蹴散らして」


 キースは、強く顔をしかめた。グレン男爵の私有地の中に、あんな男が居合わせること自体、おかしいじゃないか。……まさか、あのマフィアを切り刻んだのって……

 ところが、ミルドレッドは、


「あら、マフィアなんて全然怖くなかったし、あの人って見かけによらず、すごく優しかったのよ」

 と、渋い表情のキースとは反対に、けろりと笑ってみせるのだった。


*  *

 午後10時。

 窓の外に白い月の薄明かりが灯るシティ・アカデミアのアトリエで、キースはすっかり曰く付きになってしまった”ヴァージナルの前に座る婦人”をしげしげと見つめていた。


 だいたい、常識で考えてみたって、人間の子供が絵の中なんかに入り込むわけがないんだ。


 ”だよな?”と、足元で、丸い瞳を瞬かせている相棒のパトラッシュに同意を求めてみたものの、何かが心に引っかかって、もう一度、その絵をじっと見つめてみる。


 その時、

「あら、本当にその絵には男の子が入り込んでるんだってば」


 背後から聞こえてきた声に、キースはぎょっと後ろを振り向いた。枕を抱えた少女が、アトリエの戸口に立っている。


「ミリー?」


 ふらふらと、自分の近くに歩いてきた少女の顔を不審げに覗き込んだ後で、寝ぼけてやがると苦笑する。そういえば、今日は色んな事がありすぎて、こいつもかなり疲れてたみたいだったからな。 ……が、ふと、おかしいぞと眉をひそめる。


 生徒の寄宿舎から彼のアトリエに辿り着くには、けっこう幾つもの廊下と階段を通る必要があるのだ。寝ぼけながら、来れる距離じゃない……。

 すると、


「それに、夕方に会ったバイクの男とは、以前に会ったことがあるわ!」


 寝ぼけてるわりには、そんな風にまくし立ててくる、ミルドレッドの声って?


 違う、これって、ミリーの声じゃない……。


 キースの心臓がどきりと高鳴りだした。やっぱり、この娘が帰ってくる前に聞いたと思ったあの声は気のせいなんかじゃなかったんだ。あの幽霊とは去年のクリスマスにお別れしたと思っていたのに……けれども、姿はミルドレッドでも、この声は間違いなくあの時の少女だ……月灯りに照らされたアトリエの中の画家は、壁に立てかけてあった、赤いドレスの少女の肖像画に目を向け、


「アンナ11歳! ……お前、ミルドレッドの中に入り込んで、一体、何をしようっていうんだよ!」


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