5.幽霊の少女
青年画家に真正面から見つめられた少女は、はにかんだような笑顔を浮かべた。
「だって、キースにまた、会いたくなっちゃたし、私とこの娘の波長って、すごく合うのよね」
足元に中型犬をはべらせた青年は、かなり複雑な顔をした。
確かに、去年のクリスマスに、この娘が天に帰ってしまった時には、もう少し一緒にいたかったなんて思いもしたけど、あれはあれで、俺の中ではハッピーエンドって事になってたんだ。
すると、ミルドレッドの中の幽霊の少女は、こんな事を言い出したのだ。
「その絵の中に入り込んでしまっている少年のことは、ちょっと後回しにして、あのバイクの男! 私は彼を知ってるわよ。キースだって、見てたでしょ。あの男が私の肖像画を見て笑ったのを!」
「あの男を知ってる……って? おかしいじゃないか。お前が死んだのって40年も前の話だろ。あのイヴァンって野郎は、どうみても20代にしか見えないが……それとも、アンナが幽霊になってからの知り合いってことか」
「ううん。私があの男、イヴァン・クロウに初めて会ったのは、40年前の……私が病気で死んだ日のちょうど1ヶ月前のことよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。それって……」
思わず、足元にいるパトラッシュと目をかわしたが、彼の相棒も、この展開に、きょとんと目を瞬かせている。
ミルドレッドの中のアンナは言った。
「あれは、40年前の11月終わりのことだった。体が弱かった私は、具合が悪かったのに、どうしてもクリスマスの聖歌隊の練習がしたくて、親に無理を言って教会に出かけていったの。結局、その時にひいた風邪がもとで、私は死んでしまったんだけど……あの男……イヴァン・クロウと私が会ったのが、その教会の中だったのよ。彼は教会の壁に飾られた宗教画を見上げていた」
「宗教画?」
「その教会で、イヴァンが私を見つけた時に、彼は私に何て言ったと思う? やけに優しげに微笑んで私のそばに歩み寄ってから……あいつは、こう言ったのよ」
キースは、少女の真剣な瞳に一瞬、沈黙する。イヴァン・クロウ? それが、あいつのフルネームかと訝しがりながら。すると、アンナはふぅと一つ冷たい息を吐き、
「お前、もうすぐ、死ぬぞって」
「何ぃ……!」
「私が生きている間に彼と会ったのは、それが最初で最後。でも、あの時と格好は違っていても、あいつは、あのバイクに乗ってた男よ! 私は絶対に見間違えたりしないわ」
聞けば聞くほど訳がわからない話が多すぎて、キースは頭が痛くなってしまった。
その時、アトリエの窓が、風に吹かれてがたんと音をたてて開いた。それとともに、室内に入り込んできた夜風が、首筋に薄ら寒い感触を残して通り過ぎていった。
* *
ヤバイ。話が本当にオカルトめいてきた。
……が、
くわんっ
”気を取り直せ”とばかりに、彼を励ましてくれたのは、彼の相棒―パトラッシューの元気な鳴き声だった。キースは、はっと、足元で尾を振る中型犬に目を向ける。
いけねぇ、こんなことくらいで、めげてちゃ駄目だ。どっちみち、この学園と契約した時から、俺は波乱含みの展開は覚悟の上だったんじゃないか。
ふぅと深呼吸してから、アンナが入り込んでしまっている黒髪の少女に再び向かい合う。
「……で、言いたいことは、それだけか」
「え……っと、まあ、そんなとこかな」
「なら、さっさと、ミリーから出ていけよ。いつまでもそいつの中に入ってると、その娘の気の強いのがうつっちまうぞ」
アンナは好きだけど、ミルドレッドの許可もなしに、彼女の体に勝手に入り込まれるっていうのは、やっぱり、あまりいい気分じゃない。
すると、アンナがくすんと哀しそうに瞳を潤ませたのだ。キースは慌てて、
「あっ、あっ、ご免。せっかく来てくれたのに、俺、お茶の一つも出さなくて……」
そんな会話を続けているうちに、午前0時の鐘が鳴った。すると、少女の幽霊は、
「あ……いけない。あまり長居してると、私、本当にこの子の体をのっとってしまうわ」
と、はにかんだ笑みをうかべ、
「また、来るわね」
彼の頬に軽くキスすると、ミルドレッドの体から出ていったのだ。
再び、夜風がキースの頬を柔らかになぜ、その直後に、アトリエの窓ががたんと音をたてた。どうやら、アンナは去っていったらしい。けれども、彼女に“また、来てね”とは、言えない状況に青年画家は小さくため息をつく。
一方、ミルドレッドといえば、
「ちょ、ちょっと、ちょっと……何で、キースが私の部屋にいるのよっ!」
心臓が飛び出そうになるほど驚いて、青年を見つめている。
「何、言ってんだよ。ここは寄宿舎の部屋じゃないよ。寝ぼけて、枕持参で俺のアトリエにやって来たのはミリーの方だろ」
自分のパジャマ姿と汚れたアトリエを交互に見渡して、良家のお嬢様は、そうとは思えないような間のぬけた顔で、ぽかんと口を開いた。
ヤだ……、私ったら……。
「こんな夜中に、こんな小汚い画家の部屋にいたなんて、みんなに知れたら、もうお嫁になんてゆけない!」
「小汚くて悪かったな。じゃ、みんなに見られないうちに、さっさと自分の部屋へ戻れば」
「……駄目よ。こんな時間にパジャマで外出だなんて、先生たちに見られたら、退学になっちゃう!」
ああ、本当に面倒臭い奴。やっぱり、アンナにのり移られてた方が、絶対に性格はいいに決まってる。
「なら、お前はどうしたいっていうんだよ」
「ここで寝る! ちょうど、そこに毛布があるじゃないの。それと、そこのソファを貸して。枕はここにあるから」
「おい、こんな場所で寝たら、お嫁に行けないんじゃなかったのか!」
「別にいいの、バレなきゃ……あ、でも、間違っても、私を襲おうなんて思わないでね……」
「誰が襲うか! お前みたいな色気のない小学生が、そんな台詞を吐くのは10年以上も早いんだよ」
けれども、突然、猛烈な眠気におそわれて、ミルドレッドは、ころんとソファに横になると、激早に寝息をたてだしてしまった。その姿を青年画家は、呆れた様子で見つめる。
すやすやと眠る少女の艶やかな黒の巻き毛が、ばら色の頬を明るく浮きあがらせている。
寝てる時はすごく可愛いのになぁ……
キースは、はぁと吐息をもらした。
けど、こいつって、また目を覚ましてから、色々と騒ぐんだろうな……まぁ、それって、いつものことか。
軽く笑みを浮かべ、少女の寝顔をもう一度見つめてから、青年画家は、再びイーゼルの上に立てかけてある“ヴァージナルの前に座る婦人”の絵に視線を移した。そして、
「こっちの方は、そんな悠長なことも言えなくなってきた。そろそろ、本気を出さないとな」と、足元にいるパトラッシュに、半ば諦め加減にそう呟いた。




