6.贋作村の贋作師
小さな工房がいくつもある通りを抜けると、ナシルとミルドレッドは、脇道に入り、もと来た方向へ戻って行った。どうやら、彼らは再び、偽ナショナルギャラリーへと向かっているようだ。その中に、ナシルの言う”極上のアトリエ”があるというのだろうか。
ふてくされながらも、キースはパトラッシュを伴い、ファサードの左側にある建物の裏口から中に入った彼らの後をついてゆく。
何だかんだいっても、贋作村の中にある”極上のアトリエ”っていうのには、興味津々だったし、和気あいあいと先を歩いてゆく、ナシルとミルドレッドを二人きりにさせるのも癪にさわったからだ。
* *
「……すごいな。レンブラントの”肖像画” ゴッホの”ひまわり” ゴーギャンの”果物のボウルとウィンドウの前のタンカード” どれもこれも、俺はナショナルギャラリーで、本物を見たことがあるけれども、ここの贋作って、それとまったく変わらないくらいに精巧に描けてる」
偽ナショナルギャラリーの壁に、ずらりと掛けられた贋作のラインナップに甚く感動し、見入ってしまっている青年画家。
ナシルは、切れ長の瞳を細めて笑みを浮かべると、そっと彼の近くへ歩み寄っていった。そして、肩に馴れ馴れしく手を回し、艶っぽい声音で、
「気に入ってもらえて嬉しいよ……特に君にはね。現時点では、まだ、本家のナショナルギャラリーに展示されているすべての作品の贋作が出来上がっているわけではないけれども、この部屋には、この贋作村で製作された贋作の中でも、最も出来のいい作品を集めてある。まぁ、見ててご覧よ。そのうちに、すべての部屋に、本家本元と変わらぬような展示をしてみせるから」
キースは、回された手を、気色悪いなっとばかりに振りほどき、
「あのな……いくら、あんたが金持ちだって、出来ることと出来ないことの区別ってもんがあるだろ。ロンドンのナショナルギャラリーは中世期から20世紀初めまで、2,300点以上もの名画、それも有名どころの画家ばかりの作品を所蔵してんだぞ。そのすべての贋作を作れるわけがないじゃんかよ」
「ちょっと、キースっ、その態度は何よ。ナシルに失礼でしょっ」
たまりかねて彼らの間に入ったものの、ミルドレッドは、心の中で顔をしかめた。ムキになって、反論してくる青年画家を、中東の王族は、蔑むどころか、むしろ楽しんでいるように思えてしまったからだ。
聖堂美術館では、私にキスしようとしたり……まさか、ナシルって、本当に”男女共用の快楽主義者”? 冗談じゃないわよ。そんな下世話な趣味に、真っ当なキースまで巻き込むんじゃなわよ!
ナシルは、そんな少女の気持ちを一掃するかのように爽やかに笑い、
「まあまあ、そう難しい顔をしないで。二人とも、今度、ロンドンでシティ・アカデミアが、得意先向けに贋作村のプレゼンをやることは知っているよね。僕は、その場で、キース君をこの贋作村の”一番の贋作師”として、デビューさせるつもりなんだ。本家のナショナルギャラリーを3年間もだまし続けている贋作が描ける彼だ。きっと、就任後は、いい仕事をやってくれると、僕は確信してる。そのためにも、キース君には見て欲しいんだ。ここにある”極上の贋作師のアトリエ”をね」
「ちょっと、俺はそんな話は聞いてないぞ! そ・れ・に、俺は贋作師になんかになる気はないと……」
「私もそんな話は聞いてないわ!」
ナシルは、むっと表情を硬くしたお嬢様と青年画家を軽く手で制して微笑む。
「レイチェル女史に口止めされていたんだ。でも、キース君の才能を見てしまった後では、黙っているなんて無理だったね。僕は、なるべく早くこの贋作村を完璧に仕上げたい。それには、優秀な贋作師が今すぐにでも必要なんだ! まずは、何も考えず、アトリエの中をご覧じろさ。そうすれば、きっと、君たちも満足すると思うから」
気をつけなきゃ! この中東の王族の心の中では、絶対に悪いキツネが舌舐めずりしてる。うっかりペースに乗せられると、食いつかれて、頭の先から足の先まで腹の中におさめられてしまうぞ。
キースの頭の中には、そんな警報音が止めどなく鳴り響いていた。けれども、油絵具を溶くテレピン油の匂いがほのかに流れてくる部屋の前に導かれ、どうぞと誘われると、中を見てみたい気持ちが抑えられなくなってしまう。
「パトラッシュは外で待ってて」
そう言い残し、キースとミルドレッドが中へ入ってみると、
部屋の中央に置かれたイーゼルと画材。
それは当然としても、窓の傍にある巨大な炉と、棚にずらりと並べられた化学薬品とビーカーは、目に異様に映る。
「ここだけは、まるで、どこかの大学の科学実験室みたいだ」
それとは、がらりと様相を変えて、反対の書棚には夥しい数の文献、画集。そして、極め付けは、壁際にずらりと並べられた、見たことがある名作揃いの油絵。
その光景を見ているうちに、キースの脳裏に、彼が以前、フェルメールの贋作を手がけようとした時に読んだ、ジャーナリストの記事が思い浮かんできた。
”贋作者に必要な才能は、詐欺師としての才能、美術史家、修復家、化学者、筆跡鑑定家、文書係、嘘をつく才能 ”
“贋作師を目指しているわけではない”と断言はしたものの、一度はその手法に夢中にさせられた青年画家には、一目で分った。
その部屋は紛れもなく“贋作師”の ― 極上のアトリエ ― だったのだ。
「すごい……な。俺が『ヴァージナルの前に座る婦人』を描くために、付け焼刃で集めた道具なんて、これに比べたら玩具みたいなもんだ」
ナシルは微笑み、
「ここには、贋作村でも、1番の腕利きの贋作師の道具を全部持ち込んであるんだ。ただ、その贋作師っていうのが、82歳って高齢が災いしてか、つい1ヶ月前に亡くなってしまったんだよ。私物を、全部、ここに残したままで」
「82歳? そんな高齢で現役の贋作師? やっぱり東洋って奥が知れないな」
すると、2人の話を傍で聞いていたミルドレッドが、
「あ、その贋作師のことはレイチェルに話を聞いたことがあったけど、その贋作師って、東洋人じゃないわよ。レイチェルが言うには、何十年も前に海外に渡った天涯孤独のイギリス人なんだって」
「天涯孤独のイギリス人?」
またまた、胡散臭い話が持ちあがったと、キースは眉をひそめたが、
「その贋作師って何て名前?」
その質問には、ナシルが答えた。
「ジャック・ハンネルって名乗ってたが、贋作村では“ハン爺さん”で通ってたそうだ」
“ハン爺さん?”
その名を聞いたとたんに、キースは即、フェルメールの贋作を描かせたら天下一品の伝説の贋作師、ハン・ファン・メーヘレンの名を思い出してしまった。彼のファーストネームも“ハン”。おまけに、ジャックはイギリスの男では一番多いファーストネームだ。絶対に、そのイギリス人の贋作師は偽名を使ってる。
すると、ナシルが、
「おそらく、ジャック・ハンネルっていうのは偽名だろうな。ただ、どういう経緯で国を出たかは知らないが、今回の贋作村移転の件で、彼は母国に戻れると、えらく喜んでいたそうなんだ」
そう言って、キースとミルドレッドに、やけに意味深な視線を向けた。
「おまけに、この“ハン爺さん”っていうのが、なかなかのクセ者でさ、“俺はターナーの隠し子”だって、豪語していたんだ」
「ターナー?! イギリスを代表する風景画家の?! でも、彼の子供って娘が2人いるだけでしょ?まぁ、自分のことに関しては秘密主義だったみたいだから、隠し子がいても不思議はないっていえばそうだけど……」
疑いの眼を向けてくる二人に小気味良さそうな笑顔を浮かべると、中東の王族は、アトリエの窓辺に置いてある油絵の作品群に歩み寄り、
「“ハン爺さん”の作品を見てみるかい? ターナー風なのがいくつかある。」
どれどれと、それらの作品を見て、キースはへぇと琥珀色の瞳を輝かした。贋作村一の贋作師というだけあって、どれもこれも素晴らしい出来栄えだった。すると、ミルドレッドが彼の脇から、ひょいと顔を覗かせ、
「確かにこの黄色をふんだんに使った絵の抽象的な筆使いは、後期のターナーを彷彿させる……」
……が、その時、
「キース? どうしたの」
青年画家が“ハン爺さん”の作品の中の1枚を見つめたまま、固まってしまっている。不審に思ったミルドレッドは、彼が手にした絵に目をやって、大いなるムカつきを胸に抱いてしまった。
なぜなら、その絵は、キースがシティ・アカデミアのアトリエに後生大事にしまっているのと同種の
“赤のドレスと白のケープが可愛いらしい女の子”の肖像画だったのだから
”アンナ 10歳”
手にした肖像画の右下にあった題名。それを目の当たりにしたとたんに、キースは心臓の鼓動を止めることができなくなってしまった。
あの幽霊の娘 ― アンナ ― は言ってた……彼女が亡くなる11歳まで、クリスマスの誕生日毎に絵筆をとり、11枚の肖像画を描きあげてくれた“父”は、“有名な画家の息子”なのだと。
ジャック・ハンネルは、自称“ターナーの隠し子”
1ヶ月前に82歳で死んだ彼は、40年前に死んだアンナの父親だとしても、妥当な年齢だ。
その上、贋作村の経営権をシティ・アカデミアに譲ったグレン男爵は、アンナの肖像画の何枚かを贋作村で見たことがあると言ってた。この肖像画がその1枚ならば……
アンナの父がジャック・ハンネルってこと? まさかって気もするが、自慢にしていた画家の父が、実は贋作師なんてことを知ったら、あの娘はがっかりしすぎて、これからも、ずっとこの世をさまよい続けるんじゃないのか……。
脳裏に一瞬、アンナのはにかんだような可愛い笑顔が浮かぶ。
俺は絶対にそんなのは嫌なんだからな。
考えこんでしまったキースに、ミルドレッドが胡散臭そうな瞳を向けてくる。ふとそれに気づき、
「ミ、ミリーは、ここでナシルと話でもしてて。俺、あっちも見てくるから」
「え、ちょっと、待ってよ」
だが、彼女の横を通り抜けると、キースは、そそくさと部屋の奥の方へ行ってしまった。そんな背中をセレブなお嬢様は、かなり不満げな表情で見送るのだった。




