後日談 第200章 貴族令嬢は、ウッティちゃんをお医者さんの卵にします
第200章 貴族令嬢は、ウッティちゃんをお医者さんの卵にします
1718年10月19日の朝です。
ボストン空港のエプロンに泊まっているムリヤちゃんの後部居住区で、どろちゃんが目を覚ましました。
顔を洗い、身支度を済ませます。今日のお客さんは、14年前に助けたウッティちゃんです。
ギャレーへ行くと、フランソワさんとFE兼警備の弟子2人も、それぞれ朝食を選んでいました。
「おはようございます」
「おはよう。今日は村まで行くよ」
「はい。村の近くで、着陸できる場所を探しましょう」
4人は好きな朝食を持って、最後部の共用ダイニングへ集まりました。
昨日まで王様や女王様を含む大勢の乗客を運んでいた大きな飛行機が、今日は4人だけの小さな食卓になっています。
「ウッティさんは、お嬢様のことを覚えていらっしゃるでしょうね」
「どうかな。あのときは、すごい熱だったもの」
「翌日には、お返事をなさっていました」
「うん。元気だったらいいな」
食事を終えたら、まず出発の準備です。
どろちゃんとフランソワさんは操縦席へ向かいました。FE君たちは機体の外へ出て、脚やタイヤ、翼の下のエンジン、外板を順に点検します。長い翼にはエンジンが左右3基ずつ、合計6基。貨物室では、ハイラックスとトレーラー、それに積んできた箱の固定も確認しました。
昨夜から駐機していた機体を、今日も同じ手順で点検します。短い飛行でも、離陸前に調べるところは同じです。
「今日は近くの村ですね」
「うん。向こうでは着陸できる候補地を見つけて、神様に滑走路を造ってもらうの。適地が見つからなければボストンへ戻るよ」
「その分の燃料も確保できていますね」
「はい。風と天気を確認しましょう」
どろちゃんは左席、フランソワさんは右席です。
フランソワさんが確認表を開き、空港から受け取った風向と気圧を読み上げます。どろちゃんは飛行経路を合わせ、離陸重量に応じた速度を確認しました。昨日、乗客の大部分が降りて機体はかなり軽くなりましたが、今日も巨大な輸送機を動かすための準備が続きます。
燃料、重心位置、操縦系統、フラップとトリム。フランソワさんが項目を読み、どろちゃんが確認して答えます。
「操縦系統」
「動きます。異常なし」
「フラップ、離陸位置」
「確認」
「トリム、設定済み。高度計も合わせました」
「了解です」
外部点検を終えたFE君たちが、操縦席へ戻ってきました。
「貨物の固定、異常ありません。扉も閉鎖しています」
「では、始動しましょう」
補助動力と油圧の状態を確かめ、6基のエンジンを順に始動します。回転が安定するたびに、FE君が油圧、油温、発電機、警報の表示を確認しました。
「6基とも安定しました」
「ありがとう。フランソワさん、地上と連絡をお願いします」
「はい」
ボストン空港から地上走行の許可を受け、ムリヤちゃんはゆっくり動き出しました。
大きな翼と多数の車輪を持つ機体です。曲がるときには主脚の通る位置にも気を配ります。フランソワさんは右側と誘導路を確認し、どろちゃんは左側の余裕と進行方向を確かめました。
滑走路の手前で、もう一度停止します。
「離陸前確認、完了。フラップ位置、正常。6基の計器、異常ありません」
「ありがとう」
離陸許可が届きました。
どろちゃんは滑走路へ進み、機首をまっすぐ合わせます。フランソワさんは速度計とエンジン表示に目を配りました。
「離陸します」
「はい」
どろちゃんが推力を上げると、6基のエンジンの音がそろって大きくなりました。
ブレーキを離します。長い胴体が加速し、滑走路の白い線が次々に過ぎていきます。
フランソワさんは速度を読み上げ、左右のエンジンの状態も確かめます。どろちゃんは操縦桿を持ち、機首を滑走路の中心線へ保ちました。
「速度、正常です」
加速が続きます。
「ローテーション」
フランソワさんの声に合わせ、どろちゃんが操縦桿を静かに引きました。
前脚が浮き、続いて多数の主脚が滑走路を離れます。巨大な翼が機体を支えました。
「上がりました。上昇、確認」
「脚を上げてください」
「ギア、アップ」
FE君も作動表示を見ています。降着装置の収納が終わると、フランソワさんが確認しました。
「脚、収納完了です」
安全な高度と速度になってからフラップを段階的に戻し、上昇に合わせて推力を調整します。フランソワさんは計器と無線を担当し、どろちゃんは村の方角へ機体を向けました。
今回の飛行は短距離です。ムリヤちゃんの大きな翼の下に、ボストンの町と、その外側へ広がる森が流れていきました。
◇ ◇ ◇
近づいたのは、1704年にチェブラーシカちゃんを降ろした村の近くです。
どろちゃんは、以前の着陸場所を探しました。
「あった。ここだ」
「この草地ですか」
「うん。チェブラーシカちゃんは、ここへ降りたの」
ムリヤちゃんとチェブラーシカちゃんでは、必要な場所の大きさがまるで違います。
前に使った草地から川筋に沿って、平坦な土地が広がっていました。短い草の間には低い木が点在し、その向こうまで地面が続いています。
どろちゃんは、以前の着陸場所と、その周囲の広さを見比べました。前の草地だけではムリヤちゃんの翼幅も滑走距離も収まりませんが、この開けた一帯なら滑走路を設ける余地があります。
どろちゃんは進入する方角と、必要な滑走路の幅を確かめました。
今日は大勢の旅客がボストンで降りたあとで、貨物も軽めです。
フランソワさんは高度計と速度計を見ながら、地上の地形も見ています。
「このまま降りるには、まだ長さも幅も足りませんね」
「うん。だから一度、上を通るね」
高度500mで、候補地の上空をまっすぐ通過します。
地上の景色が流れる、その短い間に、空き地の一角が滑走路へ変わっていきました。
「できた」
「約3,000mあります。両側の余裕も十分ですね」
「これなら降りられるね」
神様が造ってくれた滑走路です。もともと人の暮らしを邪魔しない場所に、必要な長さと幅がそろいました。
「フランソワさん、周りに人がいないか見ていてください」
「はい。右側は空いています。滑走路上にも人影はありません」
ムリヤちゃんは大きく旋回しました。
こんなものが突然できれば、近くの人は見に来たくなるでしょう。誰かが滑走路へ入ってしまう前に、着陸を終えたいところです。
フランソワさんは着陸重量に合った進入速度を確かめ、フラップを着陸位置へ進めます。FE君は、脚を下ろすための油圧と6基のエンジンの表示を監視していました。
「脚を下ろしてください」
「ギア、ダウン」
しばらくして表示がそろいます。
「脚、降下完了。ロック確認」
「ありがとう。進入します」
どろちゃんは滑走路の中心線に機体を合わせました。フランソワさんは速度と高度を読み、もう一度滑走路の上を確かめます。
「進入速度、正常です。前方、障害物なし」
「了解」
機首を保ってゆっくり高度を落とします。接地する直前に降下をやわらげ、長い主脚が滑走路へ触れました。
続いて前脚が降ります。
「接地、確認」
どろちゃんは操縦輪をまっすぐ保ち、逆推力と車輪のブレーキで減速しました。スラストリバーサーの音が周囲に響き、巨大な機体の速度が落ちていきます。
約2,300m走ったところで停止しました。
「止まりました。残りは約700mですね」
「今日はずいぶん軽いですから」
「軽いのは味方だね」
最大離陸重量640tにもなるムリヤちゃんですが、今回の着陸重量はそれよりずっと小さいものです。止めなければならない運動エネルギーも、その分だけ小さくなります。
風向、周囲の人影、残りの滑走路を確かめてから、エンジンを順に止めました。FE君たちは外へ出て車輪を止め、機体の周囲に人が近づいていないか確認します。
どろちゃんも地上へ降り、滑走路の脇へ歩きました。神様が造ってくれた滑走路の外には、もとの草地が続いています。
足元には砂と小石が混じっていました。しゃがんで石を拾うと、角が丸くなった礫がいくつもあります。近くを流れる川が、長い時間をかけて運んできたのでしょう。
「ここ、川の砂利が広がっているんだね」
「地面がさらさらしていますね」
フランソワさんも、草の根元にある砂を見ました。
「水は通りやすそう。畑にするなら、水をどう確保するかが大事になるね」
「広い土地ですが、手間がかかりそうですね」
「ワサビなら、冷たい水がずっと流れる場所を作れば育つかもしれないけど」
「ワサビを、ですか」
「でも、ワサビを主食にする人は、ちょっと変だよね」
フランソワさんが笑いました。
地面の様子まで分かったところで、2人はムリヤちゃんのそばへ戻りました。
FE君の1人が留守番を引き受けました。
「こちらは私が見ておきます」
「お願い。夜には戻るね」
◇ ◇ ◇
貨物室から降ろすのは、何度も働いてくれた、あちこち穴のある古いトヨタ・ハイラックスです。
ムリヤちゃんから車を降ろすのも、久しぶりでした。
「では、貨物扉を開けましょう」
「お願いします」
エンジンが停止し、機体が動かないことを確認してから、FE君が貨物扉の操作を始めます。
ムリヤちゃんは機首側に貨物用の出入口を備えています。ルスラーンが機首と後部の両側から貨物を扱うのに対し、ムリヤちゃんの大型貨物は前方から出し入れする構造です。機体後方には、今回4人が使っている居住区も設けられています。
まず、巨大な機首のカーゴドアが、油圧でゆっくり持ち上がりました。操縦席のある上部まで、前の方が大きく開いていきます。
次に、前部の降着装置を使って機体の前方を低くしました。ムリヤちゃんが少し膝をついたような姿勢になります。貨物室の床と地面との高さの差を小さくするためです。
FE君が、カーゴドアとは別体の前部ランプを展開します。開いた貨物室の床から地面まで、車輪が通るための通路をつくります。
ランプの先端が地面に接し、左右の位置がそろいました。
「ランプ、設置できました」
「車を降ろせるね」
「固定を確認してからです」
貨物室のハイラックスは、車が勝手に動かないよう、車輪止めと固定具で床へ留めてあります。FE君がランプの勾配と車輪の通る位置を見て、もう1人と手順を確かめました。
どろちゃんとフランソワさんも、荷物が車外へ落ちたり動いたりしないか確認します。
ハイラックスの車体を留めていた固定具を順に外します。運転するFE君が車に乗ってブレーキを確かめ、地上のFE君が合図をして最後の車輪止めを取り除きました。
「では、降ろします」
「ゆっくりお願いします」
FE君がハイラックスのエンジンをかけます。いつもの古い車が、小さな音を立てました。
フランソワさんはランプの脇から、タイヤの位置を見て合図します。どろちゃんは機首の下と車の進む先に人がいないか確かめました。
ハイラックスは、前部のランプへゆっくり進みます。
前輪が勾配へ入り、車体が傾きました。足元の金属板をタイヤが踏む音がして、後輪も貨物室の床からランプへ移ります。
ブレーキで速度を抑えながら、まっすぐ降ります。
前輪が地面へ着き、続いて後輪がランプから降りました。
「地上へ出ました」
FE君は機体から少し離れた平らな場所に車を止めました。
続いて、食事会で使う空のトレーラーも前部のランプから降ろして、機体の脇に置きます。あとで食事会セットを運ぶためです。
村は歩いても行ける距離ですが、今日は木橋用の道具を運びます。
木造橋を作るための固定金具。
のこぎり。
ノミ。
刃を研ぎ、木工道具を手入れするための用品。
それから、村へ置いていく予定の無線設備です。
必要な道具を荷台に積み、荷崩れしないように留めました。
貨物室へ戻ると、留守番のFE君がランプを片付け、機体前方を元の姿勢に戻して、機首のカーゴドアを閉じます。閉鎖とロックを確認すれば、ムリヤちゃんは村から人が来ても貨物室に入れない状態です。
3人でハイラックスへ乗りました。
どろちゃん、フランソワさん、そしてFE君。
村の人の言葉で会話できるのは、相変わらずどろちゃんだけです。
村へ着くと、どろちゃんは車を止めて挨拶しました。
「こんにちは」
近くにいた人たちが、顔を見合わせます。
それから、誰かが声を上げました。
14年前、空から来た女の子が、死にかけていた子を助けた。
その話は、村でずっと語り継がれていたのです。
そして今日、同じように空からやって来た女の子が、村の言葉で挨拶しています。
村人は、どろちゃんが何をしに来たのか、尋ねる前から分かっていました。
「ウッティを訪ねて来たんでしょう?」
「うん。ウッティちゃんは、どこにいるの?」
教えられたのは、河岸段丘の下から3段目でした。
ウッティちゃんは、そこに自分の家を建てて暮らしているそうです。
「上の方なのね」
車を出すと、段丘を登る馬車道が続いていました。
道は斜面をジグザグに横切って登ります。折り返しの部分は、大きな荷馬車でも切り返さずに曲がれるよう、ゆったりとした曲線になっています。
道の脇にはクローバーが生え、草を食べる動物たちの姿も見えました。
荷を満載した馬車でも通れる道です。軽いハイラックスは、無理なく登っていきます。
「なかなか上まで来たね」
どろちゃんが下を見ました。
滑走路に置いてきたムリヤちゃんが見えます。
もうこちらの方が高いところにいるのかと思ったのですが、垂直尾翼の先端は、まだ目線より上でした。
「……大きいねえ」
「下から見上げるときとは、また違って見えますね」
ウッティちゃんの家は、3段目の平らな土地にありました。
ハイラックスが近づくと、エンジンの音を聞いたのでしょう。家の戸が開き、若い女性が出てきました。
◇ ◇ ◇
14年前、熱にうなされて横になっていた女の子です。
今は、すらりとした、たいへんきれいな女性になっていました。
見た目では、どろちゃんが高校生くらいなら、ウッティちゃんは大学生くらい。フランソワさんよりも少し年上に見えます。
出てきたウッティちゃんは、車を降りるどろちゃんを見ました。
一瞬、動きが止まります。
「ウッティちゃん」
名前を呼ぶと、彼女が駆け寄ってきました。
14年ぶりです。
目の前にいる2人は、14年前と同じ若い姿のままでした。
「覚えていてくれたんだ」
ウッティちゃんは大きくうなずきました。
どろちゃんは、ハイラックスからお土産を取り出しました。
「これ、ウッティちゃんに。エルレンフェルトのお菓子だよ」
渡したのは、きれいな絵柄のある、しっかりした金属缶です。
蓋を開けると、中には上質な焼き菓子が詰められていました。
作ったのは、かつて旧神聖ローマ帝国の王族のために菓子を焼いていた職人です。
今はエルレンフェルトと4カ国同盟の首都に店を構えています。さらに、ときどきカナリア諸島へも菓子を届けます。
そこへ移り住んだ旧皇帝家や王侯一族は、戦争を終わらせるために潔く身を引きました。職人は、その決断を深く尊敬しています。昔の主君への敬意は、住む場所が変わっても続いているのです。
缶にも職人のこだわりがありました。
蓋の絵は繊細で、色の合わせ方も落ち着いています。手に持てる大きさですが、浅すぎず、深すぎず、丈夫な蓋がきちんと閉まります。お菓子を食べ終えても、小物をしまうのに使いやすそうです。
どろちゃんは、日本のアニメや漫画に出てきた家庭の裁縫箱を思い出しました。
お母さんやおばあちゃんが開ける箱の中に、針や糸、ボタン、指ぬきが入っている。よく見ると、もとはお菓子の缶だったりします。
名古屋の両口屋是清の「二人静」。神戸風月堂の「ゴーフル」。そうした菓子缶を使い続ける日本の家庭の様子を、どろちゃんは知っていました。
どちらも日本のアニメや漫画を通じて知ったお菓子です。いつか中身も食べてみたいと思っていました。
「中を食べたら、缶も使ってね」
どろちゃんが言うと、ウッティちゃんは缶の絵を見て、うれしそうに礼を言いました。
家へ招かれ、3人は席に着きました。
ウッティちゃんが、この14年のことを話し始めます。
◇ ◇ ◇
村では、どろちゃんのことが伝説になっていました。
空から来た人が、もう助からないと思われていた少女を薬で治した。
そして、その少女は大人になっても元気に暮らしている。
そのせいで、ウッティちゃん自身も、医術をつかさどる神様のような存在とつながりがある人だと思われるようになりました。
「それで、今はときどき巫女をしているの」
「ウッティちゃんが?」
「うん」
村の習慣では、巫女は結婚しません。
だから彼女は、まだ独身です。
「それ、困らなかった?」
「村の男の人と結婚するつもりはなかったから」
あっさりした答えでした。
どろちゃんは、そうなんだ、と頷きます。
「それより、勉強したいの」
こちらの言葉は、ずっと真剣でした。
少しずつ続いているボストンとの交流で、村の人たちも、外の世界について昔より多くのことを知るようになっていました。
その中には、学校という場所があることも含まれています。
字を習い、数字を覚え、医学や自然について学ぶ人たちがいる。
そうした話を聞くたび、ウッティちゃんは自分も学びたいと思うようになったそうです。
村と外の社会には、介入を制限する取り決めがあります。
留学も、外から村へ学校を設けることも、その取り決めに関わる問題です。
「そっか……」
どろちゃんは、しばらく考えました。
目の前のウッティちゃんは、14年を経て大人になりました。
自分の家で暮らし、将来のことを自分で考えている女性です。
「ウッティちゃん。ヨーロッパで勉強できるなら、行きたい?」
ウッティちゃんの顔が上がりました。
「うん。行きたい」
「お医者さんの勉強も?」
「したい。どろちゃんが助けてくれたみたいに」
どろちゃんは席を立ちました。
「ちょっと、聞いてみるね」
◇ ◇ ◇
ハイラックスには無線機があります。
ここからボストンへの連絡なら、十分に使えます。
どろちゃんは車へ戻って、マルガレーテさんを呼び出しました。
昨日ボストンで降りた4人は、トルシー侯のツアーに加わり、王様や女王様の近くにいるはずです。
「マルガレーテさん、聞こえますか」
『はい、お嬢様。聞こえております』
「ルイ14世陛下とアン女王陛下に、お尋ねしたいことがあるんです。お取り次ぎいただけますか」
『承知しました。少々お待ちください』
村から遠く離れたボストンで、人が動いています。
それを、ハイラックスの中で待てるのが無線機のありがたいところです。
しばらくして、まずアン女王へつながりました。
「陛下。ひとつ、規則の例外について伺いたいのです」
どろちゃんは事情を説明しました。
14年前に治療した村の少女が、今は成人し、自分の意思で医学を学びたいと思っていること。
ヨーロッパへ留学する希望があること。
介入禁止の取り決めがあるため、許可を得たいこと。
『事情は分かりました。議会と連絡を取ってください』
「はい、陛下」
アン女王からは、イングランドの議会に確認するよう指示が出ました。
続いて、ルイ14世につながりました。
「陛下。村に、医学を学びたい成人の女性がいます。本人はフランスへの留学を希望しています。介入禁止の取り決めの例外になりますが、お認めいただけますか」
『よい』
返事が速すぎて、どろちゃんは一瞬、続く言葉を待ってしまいました。
二つ返事の半分くらいです。
「ありがとうございます、陛下」
フランスへの留学が決まりました。
どろちゃんは無線機を切り、家へ戻りました。
「ウッティちゃん。フランスへ行っていいって」
ウッティちゃんは、しばらくどろちゃんを見つめました。
「……本当に?」
「うん。王様がいいって」
それから、彼女は何度も頷きました。
◇ ◇ ◇
村の人たちが集まったところで、ウッティちゃんが自分の言葉で話しました。
外から来た3人のうち、村の言葉が分かるのはどろちゃんだけです。でも、今、村人たちへ伝えるのはウッティちゃん自身です。
「しばらく、フランスへ勉強に行きます。お医者さんになるために」
村人たちは顔を見合わせました。
かつてウッティちゃんが、脚の怪我から熱を出して死にかけたことを、よく覚えています。
お祈りをしても治らなかった傷が、どろちゃんの薬と治療でよくなったことも知っています。
「だったら、早く立派なお医者さんになって帰ってきてくれ」
「俺たちが死にかける前にな」
「できれば、怪我をしたらすぐ治してもらいたいものだ」
なんとも自分勝手なお願いです。
けれど、みんな笑っています。
ウッティちゃんが勉強したいと言っていることも、その場で分かってもらえました。
どろちゃんは、ウッティちゃんの顔を見ました。
本人も笑っています。
「それなら、今日はお食事会をしよう」
どろちゃんは、ムリヤちゃんに食事会の道具と食材を積んできていました。
どんな料理を用意するかは、もう決まっています。
◇ ◇ ◇
ハイラックスで滑走路へ戻り、トレーラーをつないで、ムリヤちゃんから食事会セットを運び出します。
FE君が積み荷を固定し、3人で村へ運びました。
村の広場には、テーブルと椅子、調理台や焼き台が並びます。
レスボス島やカナリア諸島の別荘で、みんなと食事をするときに使っている、いつものやり方です。
バーリでも、屋外に席を並べるつもりでしたが、あのときは南イタリアでも冬の寒さが厳しく、建物の中へ移りました。
今日は、村の広場をそのまま使います。
肉をたっぷり。
焼いて食べる野菜もたっぷり。
パンと、すぐに食べられる料理。
食事の合間につまめる果物も、箱ごと運んできました。
焼き台では肉が焼け、そばでは野菜が温まります。
取り分ける皿が次々に動き、子どもたちは果物の方へも集まりました。
好きなものを好きなだけ取っていい食事会です。
「たくさん食べてね」
どろちゃんが言うと、村の人たちが遠慮なく料理へ手を伸ばしました。
誰かが肉を切り、誰かが新しい皿を並べます。
運んできた道具と食材を、今度は村の人たち自身も使っていました。
どろちゃんは、料理を取って席に戻りました。
ウッティちゃんの周りには、いつの間にか人が集まっています。
「お前が巫女になってなかったら、俺の妻だったんだぞ」
「何を言ってる。先に仲良くしていたのは俺だ」
「お前たち、今になって言うのか」
みんな好き勝手です。
言われたウッティちゃんは、笑って聞き流しています。
本人の関心は、ずっと勉強の方へ向いていました。
「いま、なんとおっしゃっているのですか」
フランソワさんが尋ねました。
「巫女じゃなかったら、あの人のお嫁さんだったって」
「まあ」
「ほかの人も、自分の方が先だったって」
フランソワさんは、にぎやかな一団を見ました。
「ずいぶんお慕いされているのですね」
「みんな勝手だよね」
そこから話は、14年前へ戻りました。
どろちゃんが最初にやって来たときのこと。
チェブラーシカちゃんという大きな白い飛行機を見て、村中が驚いたこと。
傷の手当てを受けたウッティちゃんが、翌日ようやく返事をしたこと。
どろちゃんは、話のところどころをフランソワさんとFE君に訳しました。
毎回全部を訳していたら、食事をする時間がなくなりそうです。
夕方になり、仕事を終えたウッティちゃんのご両親も帰ってきました。
どろちゃんは、留学の話を最初から説明しました。
「ウッティちゃんが、お医者さんの勉強をしたいって。フランスの王様にも聞いて、いいって言ってもらえました」
ご両親は、もう大人になった娘を見ました。
自分で家を持ち、自分で行き先を選んだ娘です。
話を聞き、ウッティちゃんの希望を確かめました。
それから、ご両親がどろちゃんとフランソワさんを見て、驚いたように黙ります。
14年という年月は、ウッティちゃんを大人にしました。
けれど、どろちゃんもフランソワさんも、あのころと同じ若い姿のままです。
「……やっぱり、神様だったんだ」
村では前からそういう話になっていました。
今日の再会で、もう確定したようです。
どろちゃんは医学神。
フランソワさんは美の女神。
どろちゃんは、どうしてフランソワさんまで、と少し考えました。
そう言われていることを本人へ訳すと、フランソワさんは、困ったように微笑みました。
「私はお嬢様のお世話をしているだけなのですけれど」
「こっちでは、それで美の女神なんだって」
「困りましたね」
ご両親も、周りの人たちも、すでにそのつもりです。
どろちゃんは、今日のところはおいしいものを食べてもらう方を優先しました。
◇ ◇ ◇
食事会は、夜20時ごろまで続きました。
料理も果物も、みんなでずいぶん食べました。
「そろそろ片付けようか」
どろちゃんが声をかけると、村人たちも立ち上がります。
焼き台の火を処理し、器具が冷めたところから順に片付けます。
テーブルを畳み、食器を集め、残った食べ物を整理します。
持ってきた道具は、みんなでハイラックスのトレーラーへ積み戻しました。
明日は、村へ無線機を設置する予定です。
機械や道具に詳しい人を数人集めてもらい、使い方を説明します。
「これが使えるようになると、ボストンとお話ができるよ」
どろちゃんは、村の人たちへ伝えました。
「条件がうまく合えば、ずっと遠くのパリとも連絡できるかもしれない。ウッティちゃんが行くところだよ」
すぐに、あれこれ質問が飛んできます。
明日、実際に機械を見ながら説明することにしました。
ウッティちゃんは、ご両親と一緒に残っています。
今夜は、家族で話すことがたくさんあるでしょう。
14年前には助かるかどうか分からなかった女の子が、もう自分の意思で進路を決める大人になっています。
「じゃあ、また明日ね」
どろちゃんが言うと、ウッティちゃんは頷きました。
どろちゃん、フランソワさん、FE君の3人は、ハイラックスに乗りました。
ループを描くジグザグの馬車道を下り、夜の河岸段丘を抜けて、ムリヤちゃんの待つ滑走路へ戻ります。
大きな垂直尾翼が、暗くなった空に高く伸びていました。
機内には、留守番のFE君が待っています。
明日は、村に無線機を取り付ける日です。




