第11話 そこからかよ。
クビを回避した初日から、田村大地は新卒のように覚える事が沢山あった。
本人が逃げを打つのはもはや本能、無意識に近いものがあったが、雨空晴から話が回っていて、事務もデザインもそれを認めない。
「いいからやって」
このひと言で封殺すると、田村大地は大人しくなって仕事をした。
経理の方は最低限の土台が出来ていたので、まだデザインよりはなんとかなり、教育を任された野田はまだましだったが、デザインの冬原は開始2時間で「晴先輩、無理ですー」と泣きついてきた。
だが雨空晴自身も自分の仕事があるので、ザッとだけ話を聞くと、「ああ、アイツらしい」と言えてしまった。
杓子定規が正しいのか、ルールはルールなのか、使う人間の事を考えていないのか、何が正解なのか悩ましい話になる。
綿堂商事の名刺も他社名刺と変わらず、基本のテンプレートが用意されていて、肩書や役職、資格によってパターンが変わり、その定型にはめて作る必要がある。
年度が変わるので新しく新入社員15人分の名刺を作らせてみたのだが、田村大地は頭でっかちな素人で、ソフトの触り方を覚えれば何とかなるレベルではなかった。
定型にはめるのは間違いではないが、ベタ打ちで多少息苦しい時には、文字を少しだけ痩せさせたり調整をしてあげるひと手間がありがたがられるし、そうでなくても昨今スマートフォンの普及により、名刺なんかのハードルが下がって一般的になった。
今回たまたまだが、ハーフなのか結婚相手が日本人なのか、「梅平バルチック幸雄」という人がいた。
ベタ打ちでは息苦しさもあるので、チックのチとッの隙間を詰めたり、梅平とバルチックの間にスペースが不要なら平とバの隙間を詰めたりして息苦しさを取り除く一手間がありがたいのだが、まあ田村大地にそれはない。
「はい?余計なことはしないほうが?」
「これでも間違いじゃないんですよね?」
「これで良いではないですか?」
冬原は今年24才。
六つも上の田村大地には強く出れなくて雨空晴に泣きついてきた。
盛大なため息の後で、雨空晴は「終わったら校正の秋田さんが見る前に、アタシが見るってウンチクンに言ってくれ」と言って冬原を帰らせた。
定時ギリギリになり15名分の名刺データを見せにくる田村大地。
「やり…ました」
「お疲れ。ソフトは理解できそう?」
「…はい」
まだ敬語を使う事に抵抗があるのだろう。
それこそが田村大地らしいと言えばらしいが、締めるところは締める必要がある。
「アタシとアンタは同い年だが、ここでは先輩後輩だ。冬原も六つ下でも先輩だ。キチンとしなよ」
釘を刺された田村大地は「…はい」と言い、名刺データをプリントしたものを提出した。
冬原がした注意と同じ注意をして、「キチンとやっていけば、そのうち言ってる意味がわかるようになる。今はまず言われた通りにやりなよ。無駄な嫌がらせなんて、一つもやらせてないんだ」と言う。
悔しそうに「はい」と返事をする田村大地。
「次、後はこれ、冬原なら原稿揃えてセルフチェックまで入れたら2時間。アタシは1時間半かからないくらいな。アンタは何分使った?」
時計を見ると午後全てを使っている。初日とはいえ、冬原の倍以上に愕然とする田村大地。
雨空晴は更に赤ペンで注意する箇所、直させる箇所に手を入れながら話をする。
「初日ということを加味しても、アタシの手を止めた事、今からやり直す時間も足して、アンタは7時間くらい、これに手をかける。それの意味をよく考えな。やり切ったらもう一度プリントアウトして、アタシの赤字と共に校正の秋田さんに提出して終わり。デザインとしては帰ってよし、事務として居残り言われてるならやって帰りな」
雨空晴は話しながら指示をして終わらせる流れにする。
礼を言って立ち去る田村大地を見ながら、冬原に「冬原、終了を教えるだけならアタシがやるから帰っていいよ」と声をかける。
それだけではない冬原が「え…」と困惑するのを見ながら、「わかってる。そっちも平気」と言うと、冬原は田村大地にも「残り、頑張ってくださいね」と言って帰って行った。
雨空晴の見立て通り、田村大地は名刺の直しに1時間かける。
そして、終わった後でプリントアウトのやり方が分からずに困惑する。
遠目で見ながら「だと思った」と呆れた雨空晴が待っていると、10分して「プリントアウトが…わかりません」と聞きにきた。
「だと思ったよ。アンタは冬原を年下の女の子って事で馬鹿にしたんだよ。だからプリントアウトの仕方を教わったのにメモも取らずにいた。周りは見てるんだよ。仕事舐めんな」
雨空晴は「いいか?キチンと覚えろ」と言って、もう一度説明をしてプリントアウトアウトをさせると、「秋田さんに出してから帰れ。ちなみに明日見てくださいだぞ?今から見たら秋田さん帰るの9時になるだろ?」と説明しながら、そこまで説明しないとコイツはとんでもないことを言いそうだと思ってしまう。
帰り支度を終えた田村大地は、未だパンフレットに向かう雨空晴に声をかけて帰る時、「あの…、パンフレットの仕事」と画面を見ながら言う。
「あ?終わってねえんだよ。明日の朝までに完璧に全部終わらせてセルフチェック仕掛けて相手に出すんだよ」
「…でも午前中いっぱいって」
「バカか?山田さんの立場も、印刷会社の事もあるんだよ。アタシが帰りたいから遅らせてOKなんていいわけあるか!明日の朝に間に合いましたって素知らぬ顔で出すんだよ」
すごく微妙な顔で会釈して帰って行く田村大地の背中を見て、「そこからかよ」とボヤいて仕事の残りを片付けた後で、雨空晴は面倒な事になったと忘年会のグループに経緯を書いておいた。




