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不思議の国

 大きな桂の木が風に揺れている。

 木漏れ日が眩しい。

 私は手で庇を作り、目を細めた。


 遅れて、恋愛永樹の根元で仰向けになっていることに気がついた。

 いつの間に横になっていたのだろう。

 腕に力を込めてゆっくりと起き上がる。


(……木漏れ日が眩しい?)


 ふと疑問を覚え、私は空を仰いだ。

 まるでペンキで塗ったような澄み渡った青。

 しばらく呆然としてから、携帯を取り出した。


「……何これ?」


 私は顔をしかめる。

 時刻表示が文字化けしていたのだ。

 訝しみながら、通話履歴の一番上にあった佳代の番号にコールしてみた。

 でも繋がらない。

 ツーツーと電子音がするだけだ。


(故障? いや、山の中だから電波が入らないのかな……)


 ダメ元で今度は唯の携帯にコールしようとして、充電が残り少ないことを思い出す。

 とりあえず山を降りようと携帯をポケットにしまい、足元の鞄を拾い上げた。


 その時、異変に気がついた。

 川原に、ごつごつとした石が一つも見当たらなかったのだ。

 それどころか、柔らかい下草が繁茂していた。


 私は辺りを見回した。

 恋愛永樹、流れの速い川。

 それらに異変は見られなかったけれど、川原を囲む木立に微かな違和感を覚えた。

 なんだろう、何かがおかしい気がしたけれど、確信は持てなかった。


 そして私は、決定的なものを見つけてしまう。

 赤い尖塔の荘厳な建造物。

 西洋のお城だ。

 遠くにあるはずなのに、浮き出るような存在感があった。


「あなたは誰?」


 ぽかんとしていたところに声をかけられ、私は文字通り飛び上がった。


「ひっ」


 喉の奥から引きつった叫び声が漏れる。

 転びそうになりながらなんとか振り返ると、そこには気心の知れた相手がいた。


「佳代っ」


 まず浮かんだのは、疑問だった。

 なぜここに彼女がいるのだろう。

 けれどそんな瑣末な問題は、すぐに安堵感に埋もれてしまう。


「もう、びっくりさせないでよ。ねえ、あの城は何? いつのまに山の中にあんなものが。というか、さっきまで夕暮れ――」


 私は言葉を詰まらせた。

 口にしかけた問いよりも、もっと気になることが目の前にあったからだ。


「……ねえ、佳代。なんでドレス着てるの?」


 深紅のドレスを着た佳代が、不思議そうに首を傾げる。


「あなたは誰?」


 彼女の瞳に色はなく、まるで作り物のようだった。


「だ、誰って、有子だよ。藤村有子。……嫌がらせしないでよ」


 彼女は顔を歪めた。

 目に映るもの全てが気に入らないとでも言いたげに。


 佳代とは深い仲だと自負しているけれど、彼女のそんな表情を見るのは初めてだった。

 途端に、目の前にいる親しいはずの友人が見知らぬ人に思えてしまう。

 この佳代とそっくりな女性は一体誰なのだろう?


「あなたは誰?」


 まるで私の胸中を代弁するように、彼女は同じ質問を繰り返した。

 私は取り返しのつかない何かをしでかそうとしている。

 そんな予感がした。


 彼女の視線から逃れるように、もう一度周囲を見回した。

 川を眺め、次に恋愛永樹に目をやる。

 荘厳なお城が、視界の端に入った。


 一体、何が起きているのだろう。

 眉間に力を入れて、記憶を手繰り寄せようとする。


 そうだ、私は白ウサギを見かけたのだ。

 正確には、ウサギの被り物をした誰かを。

 そしてその後を追いかけ、穴に落ちてしまった。


 ――白ウサギを追いかけて穴に落ちた?


(それじゃあ、まるで……)


 不意に近くの茂みが揺れ、ひょこりと小動物が飛び出してきた。

 尻尾の大きなげっ歯類。

 馴染み深い動物なのに、考えてみたら実物を目にするのは初めてだった。


「あ、リス」


 思わず声に出る。


「そう、アリスっていうのね」

「え?」


 佳代の目には光が戻っていた。

 先ほどまでの不穏な雰囲気はどこにもない。


(あ、脚本の台詞……)


 そのことに思い至る。

 けれど、わからない。

 なぜ彼女はこんな場所で、脚本通りの言葉を口にし、それを私にも強要するのか。


「……ねえ、佳代は何がしたいの?」


 途端に、彼女の瞳から人間味がそげ落ちる。

 黒目がただの空洞のように見え、彼女の後頭部を内側から覗けるんじゃないかとさえ思った。

 彼女は虚ろな目で私をじっと見つめ、同じ言葉を繰り返した。


「そう、アリスっていうのね」

「……ここはどこなの?」


 私は耐えられなくて、脚本通りの言葉を口にした。

 声が震えていた。

 いや、声だけじゃない。

 手も足も情けないほど震えていた。


「ここは不思議の国よ」


 そこにはいつも通りの佳代が――いつもと変わらないように見える彼女がいた。


「不思議の国?」


 だから私は、何度も繰り返し練習した掛け合いに応じる。

 それで何かが解決するわけじゃないけれど、少なくともあの虚ろな目でじっと見つめられることはない。


「そうよ。ところであなたはこの国の者かしら」

「違うわ」

「誰かに招かれた?」

「それも違う」

「そう、ならあなたは不法入国者ね」


 ふと、彼女が着ている深紅のドレスが、美穂の作ったものではないことに気がついた。

 美穂が作った衣装は確かに見事な出来栄えだったけれど、それはあくまで高校の文化祭レベルの話であって、高級なドレスに比肩するような代物ではなかった。


 それなのに今佳代が身に纏っているドレスは、シルエットやデザインは同じでも、明らかに高級な代物だったのだ。

 それこそ、本物の女王様が身に纏うような。

 佳代は――ハートの女王は、優雅な身振りで私を指さした。


「この者を捕らえなさい」


『メイスを持ったトランプ兵が現れる。

 アリスは逃げ出し、その後をトランプ兵たちが、

「追え!」

「逃がすな!」

 などと叫びながら追いかける。』


 脚本の筋書が脳裏に浮かぶ。

 声に応じるように木立の隙間から姿を現したのは、トランプ兵役の男子五人だった。


 彼らはトランプの柄が描かれた服を着ていた。

 半袖、長袖、タンクトップにポロシャツと統一感がないけれど、どれも白地に黒や赤の模様が映えている。

 彼らはみな、棒状をした金属製の何かを手に持っていた。

 一メートルほどの長さで先端が大きく、たくさんの突起がついている。


 一見メイスのようだけれど……。

 いや、一見も何も普通にメイスだ。

 西洋の武器大百科で見たまんまの。

 さあっと血の気が引く。


「ち、ちょっと待ってっ」


 そう叫んだけれど、彼らは立ち止まらない。


「それはさすがにやばいって!」


 踵を返し、私は慌てて逃げ出した。


「追えぇぇぇ!」

「逃がすなぁぁぁ!」


 背後でトランプ兵たちの絶叫。

 私は恐慌に陥りながら山林に飛び込んだ。


 彼らがすぐ背後にまで迫まり、今まさにメイスを振り下ろそうとしている――そんな気がして、生きた心地がしなかった。

 台風の日に川が決壊しないか見に行く人の気持ちを、私は初めて理解する。

 脇目も振らず、前だけ向いて全力で走るべきだ。

 そう頭ではわかっていても、我慢できずに、つい肩越しに背後を振り返ってしまう。


「……え?」


 意外なことに、彼らは私を追いかけてきていなかった。

 川原と山林の境目で立ち止まり、こちらを呆然と眺めている。

 惰性で五メートルほど進んでから、私も立ち止まった。


 彼らは身じろぎもしない。

 しばらく無言で見つめ合っていると、彼らはふいに背後を振り返った。

 その視線の先には、西洋の城がある。


 私は思い出す。

 劇中では三つ背景があり、その二つ目は城内の廊下の絵だ。

 つまり私が逃げ込む先は、脚本通りにいけば城の中ということになる。

 彼らは私が城に逃げ込むことを望んでいるのだろうか?


(そんなの、私の知ったことじゃ……)


 早く山を降りようと彼らに背を向けかけて――佳代のあの虚な目を思い出す。

 足が震えて、走り出すことができなかった。


「…………」


 私は警戒しながら、ゆっくりと彼らに近づいていく。

 怖い。

 でも、どうしてだろう。

 彼らの意に背くことの方が、ずっと恐ろしかった。


 またあの虚な目で見つめられるのではないか……。

 そう考えただけで息が詰まる。

 じりじりと進み、距離が三メートルほどに縮まった時、彼らはすっと左右に分かれて道を譲ってくれた。


「あ、どうも」


 反射的に会釈して、彼らの間を小走りに通り抜ける。

 なんだ意外と大人しいじゃないか、なんてほっとしたのも束の間。


「追えぇぇぇ!」

「逃がすなぁぁぁ!」


 絶叫するトランプ兵たち。


「なんなのよもぉ!」


 私は泣きそうになりながら駆け出した。


   ♠ ♥ ♣ ♦

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