出席番号七番 大田太雅
前回から引き続きまた遅くなってすいません。
私事ですが、色々と忙しかったので。
来週からはまた戻ると思います。
「大田君。調理実習に使う材料は、もう買い揃えましたか?」
「何だ、神楽か」
急にばくばくと暴れ出す心臓。平常を装って振り向くのもやっとのこと、俺は声の発信源、神楽の方を振り返った。
「えっと……何だっけか」
「買い揃えてなかったんですか?」
まぁ、多少はね? それはしょうがなくね?
そう言いたかったが、グッとこらえ、俺は神楽の指示を聞く。
「えぇと、そうだ。私の家庭科の班の材料を書いたメモ帳がありますから、それをどうぞ」
「あ、ありがとうな」
神楽は、机の引き出しから可愛らしいメモ帳を取り出した。ビリっと軽快な音がして、破られたメモには、神楽特有の綺麗な文字で書かれている。
「……すげぇな、神楽って」
「そんなことないよ。……それより、代表委員会の話なんですが……」
「あぁ、それがどした?」
家庭科の調理実習は、班別で好きな食品を作ることになっていた。俺達の班はクレープ。神楽と同じ班になったため、こういう調理実習の打ち合わせや、代表委員会の話もできる。
俺としては、もっと別の話をしたいところだが。
眼鏡をかけて、サラサラのおかっぱが、窓から吹いてくる風になびいて揺れる。
ほんのり桃の香りが漂う。やっぱり、俺は神楽が好きなんだと、自覚する。
それに比べ、と言っては何だが、藤川はどうしたらいいものか。
藤川美玖。
ツインテール、お洒落、ぶりっ子。男子の人気をこれほど狙った女子はいない。だが、そんな女子がまた苦手だった。
藤川は、すぐ男子に寄ってきては、「ねぇねぇやってくれる?」と猫なで声で喋りまくる。去年の運動会は、他のクラスの男子が、藤川にメロメロになって「いいよ~」なんて、係の仕事を丸投げされてしまうなんて出来事があった。その男子は疲れ切った目をしながら、尚も「美玖ちゃんのお手伝いをしなきゃ」とのたうちまわっていたのだ。藤川怖い。クラスの男子は誰もがそう思い、以来藤川を突き放しているようにも思える。
よく考えたら、彼女は訳が分からないことを言っていた。
◆◇
ミシンの設計がよく分からず、上原の腕を掴んで、上から目線で「やってくれる~?」とお得意のぶりっ子ポーズをした時だ。
確かその時から、藤川の神楽を見る視線が、えげつないぐらいきつくなったのだ。
「あぁ? それ、神楽に頼めば? あいつ、設計も上手だし、きっと俺よりよく出来るしさ。それよりも、俺、お前が腕掴んでると、鳥肌立ってしょうがないんだけど」
今のはきっと、上原の本音だ。眼鏡の奥の目を細くさせ、眉を吊り上げる。
途端に二人の雰囲気は険悪になり、続いて、いくつも周りから罵倒が飛んだ。
「そうだぞ、藤川、何でもかんでも男に頼ってばっかじゃ、友達いなくなるぜ? 神楽見習えよ、あいつミシンの設計何から何まで全部一人でやってんだぜ? 月とスッポン以上だろ」
「男好きなの? なぁ、男ばっかり頼ってないで、女子頼れよ。俺達だって忙しいんだぜ。神楽、才色兼備って言葉が一番似合うじゃねぇかよ。だから、神楽に頼めばいいじゃん?」
「お前、男が誰しも上原みたいに頭の良い奴じゃないってこと、覚えておけよ。あと、俺達はそんなに優しくはあ、り、ま、せーん!」
何故皆が藤川を責め立てるのか。それは、六年三組きっての美少女優等生、神楽藍花と藤川美玖が、月とスッポンの差だということを、知らせたかったからなのかもしれない。
藤川は、「……へ、へぇ、そうなんだ。あんたらって、藍花ちゃんが好きなのね! だからそんなこと言うんだわ! 馬鹿みたい」と少女漫画でも中々言わない台詞を言い放った。藤川の黒歴史に残れば良いのにと、いつも思ってしまう。
すると、男子は「はぁ? 誰が神楽を好きって言ったよ?」「神楽見習えってだけだよ」「勘違いしてんじゃねーよ!」とまた藤川を責め立てた。
俺は神楽を見やる。神楽は栗沢とミシンの糸を通しながら話していた。窓辺に座る二人は、いや特に神楽は、キラキラと輝いていて、ぶりっ子の藤川とはまるで大違いだった。
「……そうよね。そうよね、きっと皆、違うわよね……」
何なんだろう、藤川は。クラスの男子全員、自分のことを好きだと思いこんでるアホ女なのだろうか。
「だって、私は皆が……」
そんな本音を漏らしちゃっていいのか、藤川。そう止めることもなく、俺は藤川と神楽を交互に見つめていた。
自分のことは自分でしたい神楽。
自分のことも人任せな藤川。
どっちが俺が良いなと思うかは一目瞭然、前者だ。大切な所を、神楽はちゃんと理解している。
「……神楽、貴方は……」
ふっと、そんな声がした。
藤川をそっと見やると、栗沢と笑っている神楽を、精一杯睨みつけていた。
◆◇
「今月の挨拶週間の話についてです。校門前の挨拶は、四年生の代表委員全員がやることになっています」
「おぅ、そうか。……四年って、お前の弟いるよな?」
「はい、いますねぇ」
神楽が、少しだけ笑う。来週から始まる挨拶週間に向け、代表委員会は挨拶担当を決めるのだが、そこらへんも、俺をしのぎ、神楽がやっていってしまう。
「弟も、ちゃんとやれますかねぇ?」
神楽の弟、神楽藍人は、神楽と似て、眼鏡をかけたイケメンだった。更に成績優秀で運動神経抜群と来たものだ、姉と同じで、モテるのには違いなかった。
「やれるぜ、お前の弟が失敗しただなんて話、聞いたことねぇよ、俺も」
俺が親指を立てると、神楽も、ふっと笑顔を見せた。
「ありがとうございます。何だか元気が出てきました」
「おう、そうか。なら俺も嬉しい」
俺は、神楽に向かって、ニッと今年の秋最高級の笑顔を向ける。
そして、机の引き出しから算数の教科書を取り出し、パラパラとめくった。
すると、何故か背後から強烈な視線を感じた。
俺がふと振り向くと、そこには、田中がいた。田中は、俺をじっと見ている。何だ、薄気味悪いな。
「は? 何で田中?」
声に出してしまったのが悪いのか、今度は上原に声をかけられた。
「なぁ大田、今神楽と何話してた」
「は? 何って、代表委員会の話だけど?」
はは~ん。
こいつ、きっと神楽が好きなんだな。
俺にそう言われた後の「うわっやべっ俺勘違いしちゃった」的な表情と、「あ、そうか……」は完全にもう好きのそれだろ。
「何? そんなに神楽気になるんだ?」
俺はちらっと神楽を見やる。神楽は、もう隣の席にいなかった。「いねぇじゃん」と上原がニヤけた。そこにいると勘違いしてたんだ? とでも言いたげな表情だ。
「……知らね」
おいおい、何が知らねだ、馬鹿じゃないのか。お前頭良いのに。
そんなことを言ったって、しょうがないのだ。でも、俺は上原に悪態をつくように、脳内で語った。
◆◇
ぶおおおおおおおおお、と吹き荒れる風。
五年二組のベランダで、俺は、「神楽ー! 好きだーっ!」と思いっきり叫んでやった。誰もいない。俺が死んでも、多分誰も悲しまないだろうから。だから、俺は自分の命を危険に晒すような真似をしてやった。
そして、神楽への好意を、口に出したかった。
俺は、神楽が好きだ。
その神楽が、死んだ。
「は? お前、マジかよ?」
「あ、あぁマジだ。……神楽が死んだ」
その情報を聞きつけたのは、梶山だった。
正義感が強く、RPGの主人公らしい男子で、頭にバンドを付けていて、目が細い。
「うっそだろ、マジかよ……」
心臓がどくどくと、これまでにないほど暴れ出す。
「ふっざけんなよ、は? は? お前、冗談言ってんじゃねぇだろうな。俺、マジで怒るぞ」
「冗談じゃねぇよ、マジで。何でそんな信用してねぇんだよ」
梶山は、珍しく人を睨みつけた。いつでも目が細いからか、睨みつけたのが少しの間だけ分からなかった。
「……マジかよ……。嘘、本当に?」
あまりの突然の絶望状況に、声が上ずり、汗が毛穴と言う毛穴から噴き出す。
人が死ぬって、こんな状況なの。
大切な人がこれほどまでに脆く、あっけなくいなくなるだなんて、そんなことがどうしても理解できなかった。
「何で……何でこんなことに……」
足と手が思うように動かない。膝がただがくがく震えて、歯ががちがち音を立てて。俺はどうしようも出来なくって、その場にしゃがみこんだ。
梶山は、俺の背中をさする。
「大丈夫だ、太雅なら、絶対に生き残れるさ」
「そんな保証が、一体どこにある」
不思議と涙は出なかった。ただ、俺から出た言葉は、酷くかすれていて。
俺を慰めてくれる梶山に、そんな言葉しか投げかけられない俺が悔しくって。
「神楽、大好きだったのに……」
梶山の隣で、そんなか細い声を漏らすことしか出来なくって。俺は俯いた。
梶山が目を見開いたと分かっても、中々顔を上げることが出来ず、そのまま、涙を流し続けていた。
◆◇
俺は、叫んだ挙句、校長室に足を運ぶことにした。
夕焼けに照らされた校長室は、革張りのソファが立派に照らされていた。
おいおい、こんな時までソファが輝いているなんて、イジメか? なぁ、イジメだろ? 学校全体が六年三組を殺しにかかってんのかよ。何で? 何でそこまでする必要があるんだよ。
「……こんな所にいても、ぜんっぜん仕方ないってか?」
分かってる。そんなことを口に出しても、逆に見付かる危険性が高まることも、分かっている。
だから、俺はわざと口に出した。
校長室から出れば、死して尚綺麗な、神楽の死体がある。
絶望に歪んで、倒れていってしまった神楽。神楽が、俺の知らない所で、どんな人生を歩んできたのだろう。どんなことに悩み、ここで死んでいったのだろう。
それも分からない。今になって気付いた。俺は、神楽の何を知っていたのだろう。何も分かっていないのに、普通に、彼女の完璧なところを好きになり、彼女の顔を見て好きになったのだろうか。
何だか許せない。そんな俺、ちょっと嫌いだと思った。
そして、俺は、藤川が大嫌いになった。
彼女の行動は、信じられないものだった。
俺が、ヨロヨロと二階まで来た頃だ。
がすっ、がすっ、と職員室前で音がしたのだ。
「お前が死んでっ、せいせいしたわっ!」
がすっ、がすっ、という音と共に、どこかで聞いたことのある声が響く。
「あぁよかった、お前が死んで! お前のその優等生ぶった美人面、超絶大嫌いだったんだよなぁ! 死んでよかった、マジ、お前毎日呪ってたかいがあったわ~、これで大田君は私のもの? なんちゃって~、ヤバ~い、自分で言って笑っちゃうわ~」
この声は……。
藤川?
俺は、藤川に見付からないように、壁の出っ張りから職員室前の廊下を覗いた。
「は?」
藤川が、神楽の頭を踏みつけていた。
悪魔のような笑顔を顔いっぱいに張り付けて、蹴ったり踏んだり、とにかく、色々な酷いことをしていた。
何でなんだよ。マジ有り得ない。何で? いくら神楽を恨んでたかは知らないけれど、そこまでやる必要あるの? 女って怖いんだけど。
って、最後の言葉何だよ。俺は藤川のもの? はっ? んなわけねぇじゃん。
俺、ずっと神楽が好きなのに。誰がぶりっ子のお前のもんなんだよ。
「藤川っ、お前!」
言いたいことは山ほどあったが、それを全てひっくるめて、俺は叫んだ。
許せなかった。
好きな人の頭を、生ゴミを蹴るかのように転がしている藤川が。俺の大切な人を、貶し、蹴り、踏んだ藤川が。
とにかく、許せなかった。
俺を確認した藤川は、目を見開き、「ちっ、違うの! これは……」と言い訳をしようとした。
「何がっ、何が違うんだよ! お前、ふざけんなよ、何でっ、何で神楽に!」
怒りをあらわにし、俺は体を奮い立たせる。
神楽を憎んだからって、こんなのあるかよ? 神楽が何か悪いことしたのかよ。逆に言うならお前がそうされるべきなんじゃねぇのか?
「俺の大切な人に何してんだよ。許せねぇ」
途端に、藤川は顔を真っ青にし、階段向かって逃げ出した。
「待ちやがれっ、この……っ」
俺が叫ぶと、突然、銃の発砲音が聞こえた。
バンッ!
「……!?」
「おやおや、大田太雅でしたか。どうしたのですか、神楽藍花の死体の前で」
それはやはり、担任の、渡辺碧の声だった。
神楽を殺した、殺人鬼。サイコパス。クレイジー。頭の中を、そんな単語が駆け巡り、俺を更に困惑させる。
こいつに、好きな人の相談をしたのがまずかった。嫌味なことを言われるのだろうか。
「……お前の……人殺しの同情なんか、いらねぇ」
「まさか、同情する気はありませんよ。一握りもありません。ただ、神楽藍花にはご冥福をお祈りいたしますが」
「ふざけんな!」
何が「ご冥福をお祈りいたします」だ。俺の大切な人を……神楽を殺した張本人が、よくぬけぬけとそんなことが言えるな。
「……お前なんか教師じゃない!」
俺は、担任の横をすり抜け、走り抜けた。
俺の自慢の速い足は、重要な時にだけ役に立たない。
「チクショーッッッ!」
俺は叫んで、校長室に入り込んだ。
担任が入ってこれないように、急いで扉を閉める。両手で踏ん張り、ドアノブの鍵穴を探すが、見付からない。
何故逃げ場のないここに逃げ込んだか。それは、俺が一番よく分かっている気がする。
もう、生きていても意味がないと思ったから。
だから、死んだ方が良いのではないかと。
「ぶぁっ」
俺は、校長室のドアを押すのをやめた。
校長室に入ろうとした先生が、雪崩れ込んでくる。
本当は今、ここで逃げることが一番良いはずだ。けれど、何故か、足がすくんで出来なかった。
「…………」
神楽が死んでしまった今、俺の生きる希望が、無くなってしまった気がしたから。
「君は、馬鹿なのですか?」
「馬鹿じゃねぇ。生きる希望が、分かんなくなっちまっただけだ」
「それを馬鹿だと言うのですよ」
くくくっと笑う担任。何がおかしい。お前の方がおかしいのに。お前を笑ってしまいたいほどだ。
「……で、何故校長室なのですか? ここには何もありませんよ。あるとすれば、校長がこよなく愛す花と棚と歴代校長の写真。貴方の愛しい神楽藍花の持ち物はどこにあるんですか? 校長は、流石に女子生徒を盗撮するなんてことはありませんよ。まぁ絶命してしまっていますが」
俺は、目まいがしそうになった。
何ということだ。校長まで殺してしまっては、この担任は本当に頭がおかしい。
「っ!」
校長。
そう、校長だ。全ては、校長が悪い。
確かに俺は、四年の頃からずっと神楽が好きだった。五年の頃は叶わなかった、同じクラス。今年、同じクラスになって喜んだ四月の頃の俺を、誰か殺してほしかった。
あのハゲ。何でこんな異常な教師を六年三組の担任にしたんだ。六年二組でもよかった。神楽がこんなデスゲームに遭わなければ。俺は、こんなに辛い思いをせずに済んだのかもしれない。
俺は、ハゲ校長がこよなく愛すという花に目を向けた。コスモスだろうか。ピンク色の可憐な花が、あの腹ばかり異常にデカい校長には、似合わない。
それに、桃色の可憐なコスモスを見て、何故だか藤川を連想する。
藤川の、生ゴミを見るかのような笑顔。
そして、その笑顔で踏みつけているのは、神楽。
俺は、担任の目など気にもせず、コスモスの入った花瓶を、床に叩きつけた。
バリィン! という音がして、花瓶が割れる。担任は小さく目を見開いた。俺は、怒り任せに叫んだ。
「神楽を六年三組にしたから、神楽はこんな狂ったゲームに巻き込まれて、そして死んじゃったんだ! 全て、お前、ハゲのせいだ! お前こそこのゲームに巻き込まれれば良かったんだ!」
涙がどくどくとあふれ出てくる。そんな俺を、担任はまるでバラエティ番組でも見るかのように口角を吊り上げながら見つめている。
やめろ。これはお笑いなんかじゃない。これは殺人ゲームなんだ。こんな狂ったゲームを作った奴が、何を笑っているんだ。
「は、ははは……」
乾いた笑いが、俺の口から漏れた。
もう嫌だ。もう嫌だ、何もかも。
神楽がいない世界だなんて、もう嫌だ。
俺は、神楽が好きだったのに。
どうしようもないくらい、好きだったのに。
それなのに。何でこうならなければならない。
「先生……、俺、殺してください……」
「は、はぁ? 何を言っているのですか大田太雅」
珍しく担任が戸惑っている。少しだけ優越感を味わいながら、俺は叫んだ。
「神楽が死んでしまったなら、俺は生きる意味なんてない。俺を殺せ!」
目を見開いた担任は、次の瞬間目を細めた。目の細さが梶山みたい。そんな下らないことを想像しながら、俺は銃声を待った。
だが、いつまで待っても、銃声は聞こえない。それどころか、銃を操作する音も聞こえない。
「は?」
担任は、微笑みを浮かべながら、俺を見ていた。
何だよ、どういうことだよ。
「……それ貸せっ!」
俺は、微笑んでいる担任の手から銃を奪い取った。
「俺はもう生きる価値なんてない! 俺はどうせ、馬鹿だ! でも、神楽を想う気持ちは人一倍あるんだよおぉぉぉぉ!」
俺は、叫びながら、前頭葉に向けて、引き金を引いた。
◆◇
ぽっかりと頭に穴が開いた大田太雅を見て、碧は呟く。
「本当は両想いだったというのに、何と愚かであろう」
呟きは誰にも聞こえることはなかった。
碧は、銃を太雅の手から奪い取り、校長室を出ていった。