第四日目 ②
「奈緒ちゃーん!」
玄関の外から、もう一度声がした。
元気。
とても元気。
朝から全力だった。
奈緒は苦笑しながら立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
「はい」
リツカは素直に頷いた。
玄関へ向かう奈緒。
居間から様子をうかがうリツカ。
そして。
玄関が開く。
「おはようございますー!」
声の主は六十代くらいの女性だった。
帽子。
買い物かご。
満面の笑顔。
「おはよう、由美さん」
「聞いたわよ!」
「何を?」
「女の子!」
奈緒が額を押さえた。
「ああ……」
リツカには話が見えない。
女性——由美は、
奈緒の肩越しに居間を覗き込む。
そして。
リツカを発見した。
「あらー!」
リツカがびくっとする。
「可愛い!」
「え」
「本当にいた!」
「いた?」
「噂通り!」
何の噂だろう。
由美はにこにこしていた。
奈緒は諦めた顔をしている。
「どうぞ」
結局。
由美は居間へ通された。
フミがお茶を出す。
ハクは撫でられている。
とても慣れていた。
「はじめまして」
リツカが頭を下げる。
「はじめまして!」
由美も笑顔で返す。
「私は由美」
「リツカです」
「知ってる!」
リツカが固まる。
まだ会ったことがない。
なのに知っている。
「どうしてですか」
真顔で聞く。
由美が笑う。
「町だからよ」
意味が分からない。
「海の近くに住んでるとね」
「はい」
「噂は海風より速いの」
フミが吹き出した。
奈緒も笑っている。
どうやら本当らしい。
リツカは少し考える。
つまり。
この町では。
知らないうちに知られている。
不思議な文化だった。
「リツカちゃん、何歳?」
「二十です」
「若いわぁ」
「そうでしょうか」
「そうよぉ」
質問は続く。
好きな食べ物。
好きな色。
苦手なもの。
リツカは一つ一つ真面目に答えた。
そして。
由美は一つのことに気付く。
「この子、本当に素直ねぇ」
「でしょ」
奈緒が即答した。
「あと全部信じる」
「それも分かる」
リツカは少し納得がいかない。
そんな話をしていると、
由美が持ってきた袋を机へ置いた。
「そうそう」
中から何かを取り出す。
薄い桃色。
小さな和菓子だった。
「おすそ分け」
「わぁ」
フミが嬉しそうに受け取る。
「桜餅?」
「作りすぎちゃって」
春らしい香りが広がる。
リツカは興味津々だった。
「これは何ですか」
「桜餅」
「さくらもち」
また知らない食べ物。
由美が笑う。
「春の味よ」
春の味。
そんな表現があるのか。
リツカは少し驚いた。
薬の味。
野菜の味。
果物の味。
それは分かる。
でも。
季節の味。
この町の人たちは、
そういう言葉を自然に使う。
由美が帰ったあと。
居間は少し静かになった。
机の上には桜餅。
窓の外には青空。
リツカは桜餅を見つめる。
「春の味……」
小さく呟く。
するとフミが笑った。
「食べてみるかい?」
リツカは頷いた。
そしてこのあと。
人生で初めて桜餅を食べて、
もう一つ新しい季節を知ることになる。




