第三日目④
雛人形を飾り終えた頃には、
すっかり朝も遅い時間になっていた。
居間にはお茶の香り。
縁側には春の日差し。
ハクは満足そうに昼寝を始めている。
そんな穏やかな時間の中。
奈緒が立ち上がった。
「買い物行こうかな」
フミが頷く。
「醤油も切れそうだったねぇ」
「卵も」
「牛乳も」
奈緒は指を折りながら数える。
リツカは首を傾げた。
「買い物」
「うん」
「市場ですか?」
奈緒は少し考える。
「似てるけど違うかな」
また知らないものらしい。
「リツカも行く?」
「よろしいのですか」
「もちろん」
即答だった。
リツカの目が少し輝く。
まだ来て三日目。
知らないことは山ほどある。
行かない理由がなかった。
十分後。
奈緒の軽自動車は町を走っていた。
前より少しだけ落ち着いている。
それでも。
対向車が来るたびに、
リツカは少し緊張していた。
「慣れた?」
「少し」
「少しなんだ」
「まだ速いです」
奈緒は笑う。
今日は日曜日。
道路には家族連れの車も多い。
やがて。
大きな建物が見えてきた。
リツカは目を見開く。
「城ですか」
「違う」
「要塞ですか」
「違う」
「では何ですか」
「スーパー」
また知らない言葉だった。
駐車場にはたくさんの車。
人々が出入りしている。
リツカはその光景を見つめる。
市場より大きい。
薬師組合の建物より大きい。
どう見ても普通ではない。
車を降りる。
奈緒は慣れた様子で入口へ向かう。
リツカも後を追う。
そして。
見覚えのある扉が現れた。
ガラスの扉。
リツカが一歩近付く。
スッ。
扉が開いた。
リツカが止まる。
また開いた。
何も触っていない。
何度見ても納得できない。
「……」
奈緒は振り返る。
「どうしたの?」
「開きました」
「開くね」
「勝手に」
「勝手に」
リツカは真剣な顔だった。
「やはり不思議です」
奈緒が笑う。
三日前。
この扉に本気で驚いていた。
今も驚いている。
けれど少し違う。
恐怖ではなく。
興味だった。
リツカは慎重に扉を通る。
中へ入った瞬間。
冷たい空気が流れてきた。
「っ!」
思わず肩を震わせる。
外は春。
なのに。
中は涼しい。
「季節が違います」
奈緒が吹き出した。
「冷房だよ」
「れいぼう」
また知らない言葉。
そして。
リツカは立ち尽くした。
目の前に広がる光景。
野菜。
魚。
肉。
果物。
お菓子。
飲み物。
果てしなく続く棚。
人々が当たり前のように買い物をしている。
リツカは呆然と呟いた。
「全部……売っているのですか」
「うん」
「こんなに」
「こんなに」
奈緒は買い物かごを手に取る。
リツカはまだ動けなかった。
薬局。
電車。
車。
雛人形。
そして今。
巨大な食料庫。
この世界は。
知れば知るほど不思議だった。
そして。
リツカはまだ知らない。
このあと文房具売り場で、
一本のボールペンと出会い、
再び感動することになる。




