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転生博士の魔術原論 ~魔術適性ゼロの子爵家に生まれた少年は魔術を再定義する~  作者: 式部 夜未
第三章 相転移の朝に名を携えて

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幕間 十年の先で

 最後の客人を見送ると、カティア・ヴァレンティナは応接室をあとにした。


 深紅の髪を背に流し、穏やかな微笑を崩さない姿は、誰が見ても侯爵家の令嬢にふさわしい。


 体調を崩しがちな父に代わり、客人を迎え、家としての姿勢を示すことも、今では彼女の日常になっていた。


 若く、聡明で、剣も魔術も修め、軍務院にも席を持つ侯爵令嬢。


 周囲は惜しみなく称賛したが、その言葉はいつも次の役目を連れてきた。


 廊下へ出ると、屋敷を預かる年配の女性が進み出る。


「この後は、領地管理官から届いた税収見込みのご確認を。そのあと、奥様が夜会の返礼品についてご相談したいとのことです」


「軍務院の資料は?」


「執務室に届いております。副官殿がお待ちです」


「では、そちらを先に。母には四半刻ほど遅れると伝えて」


 続けて、妹からの伝言も告げられた。夕食は一緒に取れるのかという、幼い頃から変わらない問いだった。


「遅くなるかもしれないけれど、顔は出すわ」


 そう答え、カティアは執務室へ向かった。


 扉の先では、軍務院の制服を身につけた女性副官が、すでに資料を整えて待っていた。


 机上の順序を見るだけで、カティアが何を優先したいかまで心得ていると分かる。


「お疲れさまです、参謀官」


「待たせたわね。始めましょう」


 王国軍務院、特務監察参謀。


 その肩書きは飾りではない。


 貴族家私兵と王国軍の合同訓練、地方守備隊の補給路、装備更新の予算。書類に並ぶ数字の後ろには、現場の疲弊と人の命がある。


「西部守備隊の補給路変更案は、人員を増やす前に拠点間隔の見直しを。現場の負担を根性で埋める案は通せません」


「修正案を添えます」


「合同訓練については、ヴァルモント伯爵家の私兵数が報告より多いわ。詰問はせず、事前調整として確認を。面子を潰せば、次から正確な数字が出なくなります」


 副官は頷き、すぐに控えへ書きつけた。


 いくつかの案件を片づけると、卓上の書類は目に見えて減った。


「本日の急ぎは以上です。少なくとも、軍務院のものは」


「上出来ね」


「参謀官も、少しはお休みください。倒れられると困る者が大勢おります」


「分かっているわ」


「本当に分かっておられる方は、もう少し休まれます」


「手厳しいのね」


「職務ですので」


 生真面目な返答に、カティアは小さく笑った。


 副官が退室すると、執務室に静けさが戻る。


 夕暮れの光が白い壁を淡く染めていた。机の端には蜂蜜を薄く絡めた焼き菓子が二つ置かれている。副官が気を利かせたのだろう。


 ひとつ摘まむと、甘さとともに張っていた肩の力がわずかに抜けた。


「……おいし」


 誰に聞かせるでもなく呟き、次の封書へ手を伸ばす。


 王立魔術学術院から届いた、コロキウム・フェルムの案内だった。


 登壇予定者の一覧を追っていた指が、中ほどで止まる。


 ユリウス・ヴァルディエル。


 その名を見た瞬間、十年前の庭園が蘇った。


 慎重に言葉を選びながら、魔術の仕組みを一つずつ確かめようとしていた五歳の少年。


 聞いているだけで胸が弾み、もっと話していたいと思った、あの日の時間。


 あれから十年。


 自分は侯爵家の顔として立ち、軍務院に席を得た。


 では、彼は。


 世界を解き明かすべき問いのように見つめていた少年は、いま、どんな言葉で魔術を語るのだろう。


 カティアはその名をもう一度見つめ、誰にも見せないほど小さく微笑んだ。


「……やっと、会えるわね」


 その声だけが、少女の頃と同じ温度を帯びていた。

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