96話・突然の来訪者
「きみ。アントンはいるかな?」
「あの。どちら様で? アントンさまなら先ほどお出かけしたようで不在ですが、何かお約束でも?」
「余はリアモスだ。約束はしてないが、アントンにはいつでも訪ねてきていいと言われている」
数日後。ドーラを連れて中庭に出て散策をしていたら、垣根越しに中年男性に声かけられた。痩型のその人は黒い髪に黒い瞳をしていて、顔は面長で青白い。黒い顎髭が印象的でまるで山羊みたいだと思った。
リアモス? でも、どこかで聞いたような名前だと思っていると、ドーラの「陛下」と、呟く声の後で、その人が垣根を越えて入ってきた。後ろには屈強な男たちを連れていた。
「ユリカさま。リアモス陛下です」
ドーラが後ろから声をかけてくれたので、慌てて頭を下げる。まさか本人がいきなり訪ねてくるとは思わなかった。
「知らなかったとはいえ、失礼致しました」
「よいよい。構わぬ。きみがアントンの奥方か?」
「いいえ。もう別れておりますので、元妻です」
ドーラがリアモス陛下の反応を気にして「ユリカさま」と、小声で声をかけてくる。余計なことを言わなくても。と、いう気持ちなのだろう。でも、私は相手が誰だろうと、アントンの妻として見られることが嫌だった。
「そうか……」
一見、神経質そうに見える陛下はそのことに言及しなかった。陛下にとってはそのことは別にどうでもいい情報なのかも知れなかった。
「でも、アントンを庇って彼の代わりに切られたと聞いている。女の身であっぱれなものだ。まるであれの母親のようだ」
陛下の言葉には懐かしむような響きがあった。私はアントンに盾にされただけだと言いたくなったが、陛下が目元を潤ませて微笑むのを見て何も言えなくなった。
「……陛下はアントンさまのお母様のことをご存じなのですか?」
「もちろんだよ。彼は彼女によく似ている」
陛下は黙っていると愛想がないように感じられたが、頬を緩ませると表情が崩れて柔和に感じられた。
その陛下は王太子妃を思い浮かべているようだ。アントンを王太子妃の息子と信じている様子だ。でもアントンは王太子の子ではない。ここで私は、アントンは王太子妃の侍女の息子だと、本当のことを告げるべきか躊躇った。
陛下はしみじみと語った。
「彼女は忠義の人だった。女性なのに凜として美しかった」
その言葉は王太子妃を知る私には、別の誰かを指しているように思われた。アントンの実母を義母のマルゴットは「凜とした人」と、称していた。まるで同じ人のことを語っているようだ。私は聞いてみたくなった。
「陛下は、アントンさまのロケットペンダントのことはご存じですか?」
「友人とお揃いの物だと聞いたことがある」
「では中に収まっている絵姿のことも?」
「絵姿は親友のものだよ。彼女はそれを肌身離さず持っていた。これでも彼女とは親しくしていたのさ。彼は中身のことを彼女本人だと勘違いしているようだがね」
「ご存じだったのですね? それならどうしてアントンさまに好き勝手言わせているのですか?」
リアモス陛下は、アントンが今は亡き王太子殿下の子ではないということをご存じだった。どうして騙っている彼をそのままにしているのかと聞けば、教えてくれなかった。
「邪魔したな。また来る」
と、言い残し、影のように付き従っていた屈強の護衛兵らを連れて去って行った。




