95話・ストレスがないって素晴らしいって思っていたのに
それから幸いにもアントンとは顔を合わせることがなかった。自分の身を守るために、私を盾にしたことへの罪悪感があるからなのか、あれから一度も見ていない。今まで私に執着していたのが嘘のようだ。
でも、私は満足していた。アントンと一緒にいる時間は気が抜けなくて常に緊張を強いられてきたのだ。その相手がいなくなって姿を見せなくなったことで、気分が清々しく食欲が湧いてきた。
ストレスがないって素晴らしい。 アントンに勧められた食事は美味しそうだったけど、いつ彼に薬を盛られるか分からず不信感を抱いていたせいか、心から美味しいと感じられなかった。
今は傍に信頼の置けるドーラがいてくれるおかげで身の危険を心配しなくても済むし、食欲が自然に湧いてくる。フィーの作ってくれる栄養満点の食事は美味しいし、このまま永遠にアントンに会わなくても良いのだけど。なんて思っていたら、ようやく傷口がふさがって、笑っても傷口に響くことが無くなった頃に、アントンは姿を見せた。
私が寝台から起き上がれるようになって、二日ほど経っていた。
「やあ、ユリカ。顔色がだいぶ良くなってきたね」
「アントンさま。何か御用ですか?」
「つれない態度だな。まあ、いい。きみは大分、体調がよさそうだ。これなら会わせられるな」
何がやあ、だ。人を傷つけておいて彼からは、謝罪の言葉一つなかった。アントンは何事もなかったような顔をしていた。それを見てむかつくのは当然だと思う。そんな相手に愛想よく出来たらよっぽど出来た人か、間抜けな人だと思うのだけど。
「会わせるってどなたにですか?」
「リアモス陛下だよ」
「……ご遠慮します」
「気を使わなくともいいよ。気さくなお方だよ」
トロイル国のリアモス陛下は一度、この屋敷にお忍びで来ると言われていた日があったが、その日は日が悪いとかでお断りされていたはずだった。その話は流れたものと思っていたら、延長していただけだったらしい。
「私が出てどうするのですか?」
「陛下がきみに会いたがっている。愛人に襲われそうになった夫を庇った出来た妻に興味を惹かれたらしい」
「お断りしてください」
「なぜ?」
「なぜって分かりませんか? 私はお会いしたくありません」
「きみ、リアモス陛下にお会いする機会なんて早々ないことだよ。これは僥倖だ」
「あなたさまにはそうでも私にとっては目出度くもありませんわ。今度は何を企んでいるのです? アントンさま」
アントンを見据えると、アントンは顔を顰めたがそれは一瞬のことですぐに口角を上げた。顔には胡散臭い笑みが浮かぶ。
「何を言うんだい? ユリカ」
「今度は私を陛下の盾にでもするおつもりですか?」
「……!」
アントンをねめつけていると、彼の前ではミールで通しているドーラが声をかけてきた。
「あの旦那さま。奥さまはようやく寝台から離れられるようになったばかりです。奥さまは気分がすぐれないようでして」
「そうか。悪かったな。私の気が急いていたようだ。この話はまた後日にしよう」
ミールがそのような話はまた後日にして下さいと諫めてくれたおかげで、アントンは退出して行った。
「もう何なのかしら? あの人」
アントンの神経が信じられなかった。私は彼の妻ではないし、もう縁が切れているのに。今度は私を陛下に紹介してどうしようと言うのだろう? ドーラが不安を煽るようなことを言い出した。
「まさかあの男、ユリカさまをリアモス陛下に差し出すようなことはないですよね?」
「止めてよ」
アントンならしかねないような気がして、背筋に冷たいものが走った。




