75話・危険なのは私の方でした
「キラン。あなたはあの人を見た?」
「いいえ。見ていません。ノアさまが街道に飛び出そうとしていたのを止めていたので」
「ノアがあの人を見間違うことはないと思うの」
その晩。ノアが就寝した後、私はキランとドーラに、昼間のノアの発言についてどう思うか聞いてみた。ノアは父のアントンを見たという。アントンはトロイル国に渡っているはず。
「もし、本人だとしたら何をしに来たのかしら?」
「もしかしてノアさまを迎えに来たのでは? ノアさまは旦那さまにとってただ一人の実子ですから」
不安を覚えると、ドーラが思いがけない事を言い出した。
「そんな。ノアのことを今まで放って置きながら?」
「こればかりは本人でないので分かりませんが、駆け落ちをしておきながらのこのこ意味もなく姿を現すとは思えません」
「確かにそうね」
私は元夫の思惑が読めないでいた。ドーラもキランもそうだろう。私は書類上では彼と離婚している。この領地はリギシア国の王都からは離れている上に、奥まった場所にある。山奥と言ってもいい場所だ。ここまで来るのに、検閲を幾つか超えないとならないので、アントンのような身辺を探られては困る者は、まず避けるような所でもある。
アントンは自分が追われていることを知っているはず。その彼がもし、密かにこの国に入り込むとしたら? と、考えてあることに思いが及んだ。私はこうしてはいられないと椅子から立ち上がった。
「いけないっ」
「ユリカさま?」
「ちょっと、お父さまに相談してくるわ。二人ともノアのことをお願い」
その夜は慌ただしく過ぎて行った。
私は桟橋に来ていた。ここにはバイス男爵家所有の森で切り倒した材木が、次々丸太船で運ばれて来る。桟橋にいる男性二人は、その船の荷を検分しながら再び送り出す。この先に荷を降ろす場所があって、丸太船で運ばれてきた材木を各地に拡散することになっていた。
ここには父が信頼する者しか置いていない。その為、私について来た護衛が他の使用人に呼ばれて私から離れてもその事に不安はなかった。そのことが後で警戒心を怠ったと反省させられることになるのだけど、今の私はある丸太船の動きがおかしいような気がして気になった。
「ちょっとそこの船、待って」
「お嬢さま」
気になる船に近付こうとすると、検分の男性二人が危険だと止めた。
「ここは我らが」
「そう。頼むわね」
そう言いつつ、背を向けた途端、肩を押えられた。
「……!」
「お嬢さん、悪いな。これもオレらの仕事の一つでね」
検分の男達がにやりと笑う。どこか異国なまりの言葉。先ほどまでの丁寧な物言いや、態度はなかった。
あっと、思った時には口元に薬剤を沁みこませた布のようなものを嗅がされていた。私の意識が保てたのはここまでだった。




