◇ノアの為に出来ること
結婚後、久しぶりに姉マレーネのもとへご機嫌伺いに向かった私は、思いがけない相手が姉の隣にいて謝罪を受けることになった。
「そなたには申し訳ないことをした。済まなかった」
「あの。頭をお上げ下さい。陛下」
私に向かって頭を下げてきたのは、姉のマレーネの夫である御方。このリギシア国の王さまである。この国の頂点に立つ御方が私に向かって深々と頭を下げてきたので何事かと思えば、マレーネが厳しい口調で言う。
「ユーリ。この人を簡単に許してはダメよ」
「お姉さま」
「この人のせいで、あなたはいらない苦労をする羽目になったんですからね」
マレーネは、未だに私の元夫が私にしたことが許せないらしい。陛下は悪かった。と、何度も謝ってきた。陛下は姉の尻の下に敷かれているようで、見ていて居たたまれない気持ちにさせられた。確かに陛下によって結ばれた政略結婚だったけど、直接私を酷い目に合わせたのはアントンで陛下ではない。
「つらい目に合わされたけど、それはアントンにされたことだし、それは陛下のせいではないと思う」
「何言っているの? あの屑男との縁を結んだのはこの人よ。周囲に相談もなく、勝手に決めたのよ。せめて王妃さまか、私に相談してくれたなら、あの男の評判くらい確かめられたのにぃ……」
姉は悔しがっていた。トロイルに連れて行かれてからのことを報告する為に、私は帰国してから数日後、フィーと共に宮殿に登城していた。その謁見室には、陛下と王妃さまがいた。側妃の姉の姿はなかった。他にいたのは義父のデニスだ。
皆の前でフィーは、私がアントンの手の者に攫われて、トロイル国で監禁されていたことを告げていた。アントンの監視の下、逃げられない状況にあったことと、彼と駆け落ちした元侍女に刺されてしばらくは静養を余儀なくされていたことを聞いた陛下と王妃さまは、自分のことのように悲痛な顔をして聞いていた。
事情を知るデニスは、皆の前で私に謝罪し、将軍職を辞して田舎に引っ込むことを陛下に申し出た。その時にフィーを、自分の後継者に指名していた。フィーは、将軍職を引き継ぐ事は受け入れたものの、ガーラント家の当主の件に関しては、ノアが正当な跡継ぎとして相応しいと言って、彼が成長するまでの間の預かりとして引き継ぐことを申し出た。
それを陛下は認め、私としては、すでにアントンは毒杯を賜って亡くなっていたので、死人に対し、被害を受けた事に関しては許せないものを感じてはいても、もう終わった事と淡々と受け止めてはいた。
でも姉としては、行き場のない憤りを今まで抱え込んできていたようだ。あの場にいなかった姉は、後から事の次第を陛下から聞かされて許せないでいたらしい。
「あの男、死んでも許せないわ。今すぐ墓を暴いて、遺体を猛獣の餌にでもくれてやりたい気分よ。このまま黙って天国になんて逝かせてたまるものですか」
「お姉さま。物騒ですよ」
姉の怒りは深かった。姉は彼が自分の身を守る為に、私を自分の盾としたことを許せないのだ。身内として私のことを思ってくれる気持ちは嬉しいけれど苛烈過ぎる。
「ユーリ、あなたは平気なの? あの男が憎くはないの?」
「平気じゃないです。心底憎いですわ」
姉の問いに迷いなく答えると、頬の辺りに視線を感じた。陛下が注目していた。
「自分のお腹の傷を見る度に、死んだあの人の顔がちらつくんです。別にもう好きでもなんでもないのに。あの人が私にしでかしたことは最悪です。傷を見る度に、あの出来事を嫌でも思い出さなくてはならないのよ。これから先、生きている限りずっとね。それが許せないわ」
「ユーリ」
不憫だと姉の目は言っていた。
「まだ若いのにあなたの体に傷が残ってしまった。それをあなたは気にして生きていかねばならない。私はそこが悔しいわ。アントンになんか引き合わせられなかったなら、あなたはそのような事とは無縁で生きていけたはずなのに……!」
姉は私が傷物になってしまったと陛下を睨み付ける。私とアントンの縁を結んだ陛下のことが許せないらしい。夫婦喧嘩のもとになってしまったようで、私は申し訳なく思い、居心地が悪かった。
大好きな姉が私の為に怒ってくれているのは有り難いけど、その為に誰かに怒りをぶつける姿はこれ以上、見ては居られなかった。姉の深い悲しみが伝わってくるような気がしたのだ。もしかしたらこの場にはいない両親達も、同じ気持ちなのかも知れなかった。
「あの、お姉さま。正直、あの人の顔はもう見たくないと思っていたので、これで良かったのだと思います。もしも、あの人が生きていたのなら、恨み辛みをぶつけてやりたかったような気もするし、苛立ってアンナのようにあの人を刺してしまったかも知れないわ。そうなるとあんな人の為に手を汚すなんて、実に馬鹿らしいとも思うし……」
「ユーリ、あの男を庇うつもり?」
「とんでもない。庇う気持ちなんて一つもないわ」
姉は私がこの場を納めようとして、亡きアントンを擁護するのかと聞いてきた。そんな気持ちはさらさらない。でも、聞いて欲しいことがあった。
「でもね、ふと思ったの。もしもあの時、私が死んでいたらどうなっていたかって。そしたらノアや、フィーに永遠に会えなくなってしまう。それだけは嫌だって強く思ったの」
姉は縁起でもない。そんなこと言わないでって顔をしていたけど、私は言った。
「死んでも死にきれないって思ったら、生きていて良かったって思えたのよ」
「でも、私はユーリをそんな目に合わせた男をまだ許せないわ。ユーリを害したくせに毒杯を賜って亡くなった? しかもそのことを秘されて皆には病死で亡くなったことにされて。これが許せて? 斬首されて当然な男なのに」
「ありがとう。お姉さま。でもこれは私が望んだことでもあるの」
「どうして?」
「ノアの為よ。あの子の未来に私はあの人を切り捨てたの」
言い切った私を姉は信じられないように見つめていた。実は陛下達と謁見した際に、アントンへの刑はまだ実行されていないと打ち明けられた。一足先に帰国していたデニスからの報告で、トロイルでアントンが私にしていたことが明らかとなり、フィーに連れられて私が登城したのは、事情確認の為だった。
陛下はその時、私にアントンの罪を公にして斬首にすることも可能だと言った。私の気持ち一つで、彼を罪人として皆に知らしめる事も可能だと。アントンがアンナと駆け落ちした時点で、彼が毒杯を賜ることは決まっていた。しかしアントンは、毒杯を賜るだけでは済まないくらいに罪を重ねすぎた。
このまま穏便に病死で済まない所まで来ていた。あの時、陛下は言ってくれた。
「きみのことは義妹のように思っている。そのきみをこの男なら大切にしてくれるだろうと思い託した気でいたのに、彼はきみに対し不実なことをしたばかりか、きみの命すら奪いかねない行動をとった。義兄としては腹の中が煮えたぎっている」
きみが望むなら、アントンを今すぐ斬首にしてもいいとまで言ってくれていた。でも、それを止めてもらった。
私はアントンとは離縁して縁が切れていたけど、ノアはアントンとは親子だ。もし、父親の罪が明らかになったのなら、ノアは不本意にも父親のせいで罪人の子と見なされてしまう。それだけは避けたかった。
表向き病死で死んでもらった方が、ノアの為にいいと私は言った。私はその時、元夫の命を我が子の輝かしい未来の為に利用することにしたのだ。別にアントンの罪を庇ったわけじゃない。非道な女だ。
「それほどまでにしてあの子のことを?」
「ノアは誰が何と言おうと私の子です。私がお腹を痛めた子ではないけれど、あの子の為なら私の命だって捧げたっていい」
それを聞いた陛下がぽつりと言った。
「アントンに、そなたのその思いが万分の一でも残っていたのならば」
それを聞いて姉が涙ぐむ。その姉の肩を抱きながら陛下が聞いてきた。
「ガーラント伯爵夫人。そなたの息子のノアはとても利発だと聞く。我々が何か出来ることはあるだろうか?」
「そうですね。では一つだけお願いがあります」
後日、ノアに許嫁が出来た。陛下のお声掛かりだけど、王妃さまや姉が厳選した相手で家柄も釣り合いがとれて、性格の素直で可愛らしい少女だ。辺境伯爵のご令嬢ですぐにノアと仲良くなった。私やフィーのことも慕ってくれている。
金髪に青い目をしたお人形さんのような容姿の彼女は、一見大人しそうに見えるが意外とお転婆だった。夫のフィーや、ノアから誰かに似ているなと意味ありげに言われることもあるけれど、私は概ね満足だ。




