第六十九話 郷愁
リンディッヒへ向う一行がヴァイデン王都を出て三週間目、景虎達は分かれ道へと差し掛かっていた。片方の道はリンディッヒ城へと続く道、もう片方は景虎が元ドラゴンのフライハイトと出会った、死の場所と呼ばれる場所へと向う道である。
道とは言うものの獣道のようにまともに舗装されている訳でもなく、誰かが通った形跡もほとんどないような所だった。
「さて、んじゃここで一旦お別れだな、お前らは……」
「私も行く!」
「役には立たないかもしれませんが、私も行かせて頂けますか?」
「拙者も当然行くでござるよ! 師匠について行くのも弟子の務めでござる!」
一人で行こうとするも、クリスタ、シャルロッテ、ムラサメが景虎について行くと申し出る。ドラゴン相手では危険だと忠告しようとするも、三人は一歩も引かないといった感じで景虎の前に立ちふさがる。
「ったく、しゃーねぇなあ、けど何度も言ってっけどドラゴン出たらすぐ逃げろよ? 俺ぁともかく、おめーらじゃ何にもできねーんだからよ」
「大丈夫! 景虎の足手まといには絶対にならないから!」
元気に答えるクリスタに苦笑いしながらも、共に戦ってくれる者がいるという事に喜びを感じぜずにはいられなかった。ふと景虎はじっと見つめているシャルに気付く。
「まさかシャルも来たいって思ってんじゃねぇだろうな?」
「……ダメ、デスカ?」
「気持ちは嬉しいけどな、ほんと危ないからシャルはカティアと一緒に城で待っててくれ。いいな?」
「……ワカリ、マシタ、デス」
寂しそうな顔で俯くシャルの頭を撫でながら、景虎はカティアにシャルを預ける。
「悪ぃけどシャルの事頼むわ」
「はい、景虎殿もどうかお気をつけてください」
「おう!」
カティア自身も景虎と一緒について行きたかったが、自分が役に立たないという事もわかっていた。一緒に行けるクリスタを羨望の眼差しで見ながらも、今は自分の出来る事をしようと想い、シャルの手を優しく握り締める。
「一緒に、留守番してようね、シャルちゃん」
「……ハイ、デス」
カティアとシャルに見送られながら、景虎達は死の場所と呼ばれる場所へと向う。
景虎、クリスタ、シャルロッテ、ムラサメ、そしてクリスタ達の警護の騎士十名が共に向かう事となった。
馬では通れない場所だった為、歩いて向かう景虎達。先頭に立つムラサメが、慣れた手つきで草むらを剣で切り裂き道を開いていく。
こういった場所には慣れず、音を上げるかと思っていたシャルロッテだったが、特に気にする気配もなく、景虎がその理由をなんとなく聞いてみると。
「このくらい何ともありませんよ。お姉様方に付き合っていると、こういった場所には何度も何度も何度ーも、経験させられていますから……」
「そ、そうか」
苦々しく答えるシャルロッテに同情する景虎。天真爛漫のクリスタとヴィルヘルミナをサポートするのが、どれほど大変なのかというのがわかっていたからだ。
そんなやりとりをしながら進む事三十分、景虎達の前に川が見えてくる。
「おー、なっつかしーなー」
「どうかしたの景虎?」
「ああ、ここじゃねぇけど、もちっと行った所でカティアと出会ったんだわ。あん時あの野郎魔獣に襲われててかなりヤバくてよー、助けた時も呆然としてたな。ほんとあの時のあいつの顔忘れらんねーわ」
楽しそうにカティアの事を話す景虎を見つめるクリスタは、心が締め付けられるような想いになってしまう。カティアに剣を向け景虎に近づかないよう警告したものの、彼女は怯む事無く景虎を愛するとクリスタに宣言した。
その度胸のようなものが気に入り、それからはカティアと仲良くなったのだが、カティアと一緒にいればいるほど彼女は人柄も良く、皆から慕われるアイドル的な存在だというのがわかった。
もし自分が男だったら、きっとカティアのような娘を好きになりそうだとも。
「か、景虎はカティアの事どう思っているの?」
「んー、ちっと苦手かもな、あの野郎ああ見えて肝据わってるからな、こっちが威嚇しても全然怯まねーんでやんの、まぁそーゆー所は気に入ってっけどな」
「わ、私の事はど、どう思ってるの?」
「んー、馬鹿?」
その言葉と同時にその場に崩れ落ちるクリスタ。一方景虎は大笑いしながらズンズン先へと進んでいった。王家に忠誠を誓うものならば、不敬罪で切られる事もやむなしというほどの暴言ではあったが、今はそれを追及出来る者はいなかった。
ゆっくりと立ち上がったクリスタはよろめきながら、それでも景虎を追って歩いていく。その姿を痛々しく見つめるシャルロッテが、姉に声をかけようとした時。
「けどまぁ、頼りにはしてんだぜ」
「え?」
「クローナハでブルードラゴンと戦う時によ、結構苦戦してよ、誰か手伝ってくれりゃもうちっと楽にやれるんだよとか思ってたんだわ。ヴィルヘルミナのねーちゃんかクリスタがいてくれればよって」
「景虎……」
クリスタは想う、ドラゴンと戦うだけでも凄いと関心してはいたが、考えれば伝説級の化け物と戦う事がどれほど恐ろしいものかと。恐らく自分では景虎の足元にも及ばない、だが今景虎は自分を頼りにしてくれると言ってくれた。
景虎と別れて以来ずっと研鑽し、自身を鍛え抜いてきたのはこの時の為だった。
「だからよ、無茶しろとは言わねーけどよ、手伝ってくれな、クリスタ」
「うん……、うん! 任せて景虎! 私頑張るから!」
「おう」
景虎の優しい笑みにクリスタは手を握り締め、景虎に心配や、煩わせるような事をさせてはいけないのだと、改めて心に誓うクリスタ。
――景虎と一緒に戦うんだ!――
返事を聞いたクリスタは景虎に寄り添うように歩みだす。その様子を見ていたシャルロッテとムラサメは、安堵の溜息を吐くと、お互い顔を見合わせ二人に続いて行く。
魔獣を警戒しながら川沿いに進む一行、景虎はフライハイトにドラゴンの気配を常に察知するようにさせてはいたが、反応のようなものはまったくなかった。
そして、時間にして二時間ほどで死の場所と呼ばれている場所が見える所までやってくる。見えたその場所は一際大きな山が見え、その山の周りには鬱蒼とした黒い森が広がっていた。景虎自身はその場所から来た為外から見る事はなかったのだが、確かに雰囲気のようなものが尋常ではなかった。
「おお、ここが死の場所と呼ばれる場所でござるか」
「私も初めて来ましたが、これは一筋縄ではいかなそうですね。聞いた話では中に入る事が出来ず、必ず迷って出て来る事ができなくなると聞きましたが」
ムラサメに続き、シャルロッテも死の場所についての感想を述べた。二人共始めて見るこの場所に、本能的に何か危険のようなものを感じているようだった。
「こーんな感じの場所だったのかよ、おめぇよくこんな所にいたな」
『まぁ巨躯のドラゴンの身体だった時は姿を隠すには良い所だったのだよ、人もそうそう迷い込んで来る事もなく、景虎は数百年ぶりくらいという感じだったのだ」
懐かしむフライハイトに呆れる景虎、とはいえ景虎自身もこの場所を懐かしむ気落ちがあった。思えば元の世界から何故かこの世界にやってきてからもう一年近くになろうとしていた。最初は元の世界に戻る事ばかり考えてはいたが、今はその事を考える事も無くなったなと思ってしまう。
「そういや、長ぇ事忘れてたな……」
「どうしたの景虎?」
「あ、いや何でもねぇよ、とりあえず一旦この辺りで休憩しようぜ。とりあえず近くにゃ糞野郎も魔獣もいねぇみたいだしよ」
景虎の言葉に他の三人は頷き、騎士達に命令して荷物を降ろして休息をし始める。慣れてるとは言ってもさすがに緊張感ある行程だったのか、シャルロッテは座り込んで足を休めていた。
一方ムラサメは慣れた手つきで火をおこし、川から水を汲んできてお湯を沸かしてお茶を皆に配っていた。
「はぁ、落ち着きます。それで景虎さん、これからどうされますか?」
「ぷはっ! ん? そーだな、とりあえずあの中に入ってみるわ」
気楽に答えた景虎だったが、他の三人はその言葉に唖然とする。中に入った者は誰も戻っては来れないと言う話を先ほどしたばかりだったからだ。心配する三人をよそに、景虎はお茶を飲みながら死の場所と呼ばれる場所を見つめる。
「あ、あの景虎さん、中に入るのはやめた方がいいのでは? もし戻って来れなくなったりいしたら大変ですし……」
「そ、そうでござる師匠! もし師匠がいなくなったら拙者はどうすれば!」
「景虎……」
景虎が死の場所に入るという言葉に、残りの三人は皆不安そうに見つめる。一方の景虎は残ったお茶を飲み干し、おかわりをしながら気楽に答えた。
「心配すんなって、だって俺ぁあっこから来たんだし。出る事自体はそうそう難しいこっちゃねーから」
「「「えっ!」」」
さすがにその言葉には皆驚き、景虎はその三人の素っ頓狂な顔を見て大笑いするばかりだった。呆然とする三人をよそに、景虎は紅い斧を持ちその死の場所へと向かい歩き出す。後ろからは心配そうな三人が声をかけるが、景虎は大丈夫だといった仕草をする。
「さって行くか、お前らはちっとここで待っててくれや、できるだけ早く戻るからよ! あ、一日経っても戻って来ないようだったらリンディッヒ城に行っといてくれ!」
「景虎!」
「クリスタ、後は任せたからな!」
手を振り景虎は一人死の場所と呼ばれる漆黒の森へと入っていく。
入り始めた時はそれほど変な感じには思えなかったが、中に進むにつれて徐々に目の前が暗闇に包まれ始め、気のせいか感覚のようなものも虚ろになっていく感じに襲われた。
「なーんか変な感じだな、おい糞ドラゴン! ちゃんと道案内しろよ!」
『任せておけ、人間にはこの場所は合わんだろうが、我らドラゴンにはそこいらの平原と区別がないほどはっきりしておるよ』
偉そうなフライハイトの言葉に少し苛立ちを覚えはしたものの、今この状況では頼りにするしかないと諦める景虎。その後もフライハイトの指示に従い森の中を進む景虎は、少しだけ開けた場所へと辿り着く。だがそこには白骨化した人間や、すでに原型すら留めていない生物の残骸らしきものが無数にあった。
匂いこそしないものの、その惨状にはさすがの景虎も顔を顰めるほどだった。
「俺もてめーがいなきゃこうなってる可能性があったって事か」
『心配するな、景虎は殺させはせんよ。私はまだまだこの世界を楽しみたいからな』
「へいへい、で、あの糞野郎の気配とかはあるか?』
『ふむ、奴の気配は感じんな、もう少し……』
と、言葉を続けようとした時、フライハイトが何かに気付く。
『景虎、ドラゴンの気配がある』
「ヤローか!」
『いや、奴ではない、だが確かにドラゴンの気配がわずかだがある』
「別のドラゴン!? ちっ! どうしたもんかな、殺してもいいがミスってクリスタ達の所に行かれても厄介だしなあ……」
珍しく考え込む景虎にフライハイトは提案をする。
『景虎、反応のある方向に向ってはくれまいか? 少し確かめたい事がある』
「あ? 何か気になる事があんのかよ?」
『うむ、実はこのドラゴンの反応なのだが凄く弱くてな、もしかしたら私の時のように死にかけのドラゴンかもしれぬ』
「マジか!」
景虎が初めてフライハイトと出会った時、その姿は酷いものだった。硬い鱗はあちこち剥がれ落ち、下半身は腐って見るも無残なものだった。その後フライハイトの願いで景虎がフライハイトを殺し、今の紅い斧に転生させたのだが、今度もまた同じような事になるのではと考える景虎。
「わかった、とりあえず行ってみんべーよ!」
景虎はフライハイトの願いを聞きその場所へと進む、先ほどまでのように変な感覚にはならなかったが、足元が無数の死体等で歩きづらく、途中で地面を破壊しそうになったりしたものの、何とか堪え歩く事数十分、目の前の小高い丘のような場所から下を見下ろした時、あるものが目に入る。
大きさ的にはバスケットボールほどの白い物体。景虎自身はそれが何なのかわからなかったが、フライハイトはそれが何かを知っていたようだった。
「おい糞ドラゴン、あれ、何だ?」
聞かれたフライハイトは少し時間を置き、そして、ゆっくりと景虎に答えた。
『あれは……、ドラゴンの卵だ』




