第六十話 抱擁
ヴィスルムの港街を出てから一週間、景虎達一行はヴァイデン王国へ向う為、クルフの街へと向っていた。
大陸の東と西を分ける巨大なヴェーザー川、この川を渡るにはクルフの街から出航する船に乗るしか方法がなかったからだ。
元々一人でヴァイデンへ向う予定だった景虎だったが、ヴィスルムの港街でドワーフの奴隷のシャルを仲間にし、さらに旅の途中魔獣に襲われていた荷馬車隊を助けた時、その戦いぶりに感銘を受けたジンゲンの国のムラサメも同道し、旅はそれなりに賑やかなものとなっていた。
「クルフまでは後どんくらいだ?」
「この速度ならあと一週間ほどでござろうか」
荷台にいる景虎の言葉に、御者台で手綱を握っているムラサメが答える。元々景虎が御者台で馬車を操縦していたのだが、景虎を師匠と仰ぐムラサメが手綱を奪うような形で御者になっていた。
最初はムラサメに疑念を抱いていた景虎だったが、ムラサメがシャルに対しても甲斐甲斐しく面倒を見る姿を見てその考えを改めていった。
この国の人々はドワーフに対する差別が酷く、景虎はそれが許せなかった。それは元の世界で自分に対して向けられていたものと似ていたからだったのかもしれない。
しかしムラサメはヴィスマル教国の人間ではないせいか、そういった差別的な事は一切せず、シャルもまたムラサメに少しずつ心を許していった。
「ゴシュジンサマ、ムラサメサン、オナカ、スイテイマセンカ?」
「ん? ああそうだな、そろそろ昼だし飯にするか?」
「了解でござる」
二人の返事を聞いたシャルは笑顔を見せて食事の準備を始める。そんな姿が微笑ましく、景虎はついシャルの頭を撫でてやる。
シャルもその手が気持ちいいのか、頬を染め照れたような仕草で景虎に身を委ねた。
そんな和やかなムードのまま木陰に馬車を止めたムラサメは、近くの川から水を汲んでシャルと共に食事の支度を始めた。
食事は干し肉と保存の利く堅いパンを三人で仲良く分ける。食べながらムラサメは今後の事を考え景虎に話しかけた。
「師匠、食料などはまだ大丈夫ではござるが、念の為、今の内に近くの村で調達するのは如何でござろうか?」
「そうだな、クルフまではあと一週間ほどだが、その間にあとどんだけ村あるかわかんねーしな」
「では食事が終わりましたら拙者が買い付けに行ってくるでござるよ!」
ムラサメがやる気満々で手を上げると、景虎は苦笑いでそれを了承する。思えばムラサメが同道してからかなり順調な旅になっているなと感じる景虎。
馬車の御者を進んで志願し、夜は夜で最後まで火の番をし、さらに今のように食料の調達なども進んで行ってくれるのだ。
「では師匠! 行ってくるでござる!」
ただ師匠と呼ばれる事には未だに抵抗があった。何度言っても聞かないので景虎自身はもう諦めてはいるのだが。
ムラサメが近くの村に買い付けに行ってる間、景虎はシャルと色々と話をしていた。 シャル自身あまり自分の事を喋る事はなかったが、景虎の質問には丁寧に答えた。
ムラサメが村に向ってから三十分ほどした頃、景虎は退屈になって寝転がり、シャルは食事の後の食器の片付けをしていた時の事だった。
「出てけー!」
子供の声がしたと同時にシャルの近くに石が投げつけられる。景虎がその声で起きて周りを見回すと、五十メートルほど離れた木の下から、四人の子供達がこちらに向けさらに石を投げようとしていた所だった。
「オラ糞ガキ! 何やってんだゴラ!」
景虎の大声に驚いた子供達はその場から逃げようとするも、景虎は素早く動き子供の一人を捕まえる。
「おいコラガキ! てめ何してくれてんだ嗚呼? 俺ぁガキだからって容赦しねーぞ」
怯える子供を容赦なく威圧する景虎、ドラゴン相手にも引かないほどの景虎の眼力に子供が耐えられるはずもなく、大声で泣き始める子供。その声を聞きつけた子供の仲間達は逃げるのをやめ、恐る恐る景虎に近づいてくる。
「おうコラ、何で石なんぞ投げてきた? 正直に話せば許してやる、オラ言え!」
「あ、悪魔がいたからだ!」
景虎の問いに答えたのは一番大きな子供だった。景虎は一瞬何の事かわからなかったが、続くその言葉でその意味がわかる。
「ド、ドワーフや魔獣は悪魔だって神父様が言ってたんだ! 不幸と災いをもたらすから、見つけたら追い払えって言われてるんだ!」
「!」
子供の言葉にシャルが悲しそうな顔をする。自分が魔獣と同等の扱いを受けた事に酷くショックを受けたようだった。一方の景虎はまたかという感じに怒りを超えて諦めの感情が湧き出してくる。この国での差別意識のようなものは根が深く、子供にすらそういった事が浸透しているのだと。
景虎は子供の手を離し、威圧するように言い放つ。
「望み通りすぐ出て行ってやっから安心しろ。けどまた今度石とか投げつけてきやがったら子供だからって容赦しねー、ボコボコにしてやっから覚悟しとけよ糞ガキ共!」
景虎の言葉に大粒の涙を流して逃げ去っていく子供達、姿が見えなくなるのを確認した景虎は、俯いているシャルの元に行き優しく頭を撫でてやる。
「心配すんな、てめぇは何も悪くないからよ、だから安心しろ」
「ゴシュジン……サマ」
景虎の言葉にシャルは涙をポロポロと流す。そんなシャルを優しく抱きしめる景虎は、一刻も早くこの国を出て行く事を改めて決意する。
その後買い付けに行っていたムラサメが戻ると同時に、すぐに出発する旨を伝える景虎。ムラサメは何があったのかと戸惑ったものの、問う事はせずすぐに荷物を荷台に載せ馬車を走らせる。
その日は休まず馬車を走らせた景虎達一行。夜の帳が近づき、ようやくにして馬車を止め野宿をする準備をし始める。シャルも手伝いはしていたものの、その顔はずっと陰ったままだった。
「シャル殿、後は拙者に任せてどうぞ休んでくだされ」
「ダイジョブ、デス、モウスコシ、ガンバル、デス」
ムラサメの言葉にたどたどしく答え、寝床の準備などをするシャル。その姿に危うさのようなものを感じたムラサメは、その後もシャルに何度も休むように促した。
そしてようやくにしてシャルはムラサメに答え、自分の毛布を持って眠る準備をし始め、それを確認した景虎も安心して眠り始める。
ムラサメはその後も火の番を続け、そろそろ眠ろうとした時、シャルがゆっくりと起き上がるとどこかに行こうとする。
「シャル殿、どちらに?」
「……オシッコ」
「こ、これは申し訳ないでござる」
ムラサメは子供とはいえ女性に失礼な事を聞いてしまったと反省し、シャルが帰るまでは火の番を引き続き続ける事にする。それを確認したシャルは俯き加減で一人林の中へと入っていった。
それからしばらくして――。
「……しょう、師匠」
「んが、何だ?」
「師匠、就寝中申し訳ありませぬが、起きてはいただけないではござらぬか?」
眠りこけていた景虎はムラサメの起こす声にゆっくりと目を開ける。まだ周りは暗く、朝という訳ではなさそうだったので景虎は不機嫌そうにムラサメを睨んだ。
一方見つめられたムラサメも申し訳ないといった仕草をしながらも、思いつめた様子で景虎に起きた理由を話す。
「師匠、シャル殿がお花を摘みに行ったきり戻ってこないのでござる」
「あ? お花? 何?」
『用を足しに行ったという意味だ』
フライハイトの補足に景虎もその意味を理解したようだったが、シャルが戻ってこないという言葉にようやくにして意識をはっきりさせる。
「戻ってこないって、どういう事だ?」
「シャル殿がお花を摘みに行くと言ってしばらく経つのでござるが、一行に戻ってくる気配はがないのでござる、近くを見て回ったのでござるがいなくて、師匠に伝えねばと思い……」
「馬鹿やろ! 何で早く言わねーんだよ!」
「も、申し訳ござらぬ、師匠はよく眠っておられたので起こすのは忍びないと思った次第で……」
謝るムラサメを見て頭を掻く景虎。自分が寝ている間も火の番をしていてくれてるムラサメに非はないとわかっていた。とにかく今はシャルの身に何か起こったのではと考える景虎は、フライハイトにシャルの気配を探させる。
「どうだ?いたか?」
『近くにはおらぬようだ、かなり遠くに行ったとみえる』
その言葉に舌打ちした景虎は、紅い斧を持つとすぐさまシャルを探しに向う。
「ムラサメ、シャルはどっちに行った!」
「そ、そこの林に入っていったでござる!」
ムラサメの指した方向を確認すると、景虎は林の中へと入っていく、フライハイトに治癒の魔法を使わせる事で斧はほのかな明かりを放ち始める。
松明代わりの斧で暗い林の中を進む景虎、脳裏によぎるのはシャルが何か事故や魔獣や獣に襲われているのではないかという事だった。必死で自分の思考が悪い方向に向うのを振り払い、暗い林の中を走りシャルの名を大声で叫ぶ。
と、その時フライハイトがシャルの気配を感知する。
『景虎、ドワーフの少女を見つけた。だが、これは……』
「おい、どうした! まさか死んでたりしねぇだろうな!」
『いや、生きてはいる、だが、ドワーフの少女がいる場所が、崖のすぐ傍なのだ』
「何ぃ!」
フライハイトの言葉に景虎は走る速度を上げる。何があったか知らないが、シャルがピンチだというのがわかったからだ。景虎は無我夢中で走り、とにかくシャルを探した。
そしてようやく林が抜ける場所に辿り着いた時、その目の前にシャルが立ち尽くしている姿を見つける。
「シャル!」
「! ゴ、ゴシュジンサマ」
シャルはフライハイトの言った通り、崖のすぐ傍に立っていた。暗くてよくは見えなかったが、崖の下から吹きすさぶ風から高さがかなりあるように感じられた。
この場所から落ちたら景虎といえども無事では済まされないだろう。
「シャ、シャル、早くこっちこい、そんなとこいたら危ねーぞ」
焦る声でシャルを呼ぶが、シャルは寂しそうにじっとその場から動かなかった。
イラつくものの、とにかく自分に冷静になれと言い聞かせ、景虎はなおもシャルを崖から引き離すように声をかけ続けた。
「何やってんだよ、早く来い」
「イケ……、マセン」
「あ?」
「ワタシノ、セイデ、ゴシュジンサマ、タイヘン、ダカラ……ワタシ、イナイホウガ、イイデス……」
震えるような声でしぼりだしたその言葉に唖然とする景虎、何を言ってるのだと言おうと近づこうとした時、シャルの身体が震え自然と一歩下がってしまう。と、次の瞬間足を踏み外し崖から落ちかける。
「アッ!」
「シャル!」
素早く動いてぎりぎりシャルの手を掴んで引き上げる景虎、そのままシャルを地面に放り投げると、怒りを露にしてへたり込んでいるシャルを恫喝する。
「この馬鹿野郎! てめ、何考えてんだ! 俺じゃなかったら追いつかずに崖下に落ちてんぞ!」
「ワタシ……、イナイホウガイイ、ゴシュジンサマノ、メイワク」
「ふざけんな!」
景虎の一際大きい声に怯えるシャル、一方の景虎はそのシャルに頭突きをしてそのまま額を当ててシャルに話しかける。
「俺がいつてめぇを迷惑だって言ったよ! いつ居ない方が良いって言ったよ! 勝手に決め付けてんじゃねぇぞゴラ!」
「デモ、ワタシノセイデ……」
「てめぇのせいがどうした! そんなもん俺がなんとかしてやんよ! いいかよく聞けシャル! 俺はてめぇの味方だ! どんな事があっても俺だけはてめぇの味方だ! わかったか! オラ返事は!」
「ハ、ハイ……」
景虎の迫力に圧倒されついハイと返事をしてしまったシャル、景虎はその返事を聞くとシャルをしっかりと抱きしめた。
「なんも心配すんな、俺がお前を守ってやる。だからてめぇも俺の事を信じろ。 苛められたら俺が相手ボコってやる。泣きそうになったら慰めてやる。だからもう二度と死のうとか考えんじゃねえぞ!」
「ゴシュ……ジン、サ、マ……」
シャルの目から大粒の涙が溢れる。小さく幼い身体が必死で景虎の身体を掴む。
暗く静かな林にシャルの泣き声だけが聞こえた。しかしそれは悲しみの泣き声ではなく嬉しさの泣き声だった。ようやくにして得られた安心感、そして自分を拒否しない暖かな温もりにただただ喜びを溢れさせていた。
その姿を追いかけてきたムラサメが木の傍からじっと見つめていた。そして静かに景虎の元に歩み寄ると、静かに姿勢を正し、尊敬の念を込め平伏した。
「拙者の目に狂いはなかったでござる。師匠こそ、拙者が仕えるに相応しい人物にござる。拙者、師匠の為ならば命とて惜しくはないでござる!」
「ボケ、死んだら許さねぇよ、師匠って呼び続けたきゃ長生きしろ」
「はっ!」
わずかな月明かりと星の光だけが、三人を照らしていた。
次は2/25予定です




