第四十八話 兄妹
クラウゼン邸・厩舎――
ウィリアムの調査書で元ドラゴンのフライハイトがいそうな場所に向おうとしていた景虎は、クラリッサの用意した馬車に乗ろうと扉を開け呆然とする。何故か馬車の中にイリスが座っていたからだ。
「てめ、何やってんだよ」
「私も行きます」
「何でだよ!」
さすがに意味がわからないといった感じで激怒する景虎、一方のイリスは依然涼しい顔をし、一切姿勢を崩さす座ったままだった。
「おい、今すぐ降りろ、でねーと力づくで叩きだすぞ」
そう景虎が言った瞬間、イリスが脇に置いてあった鞄からウィリアムが用意した調査書の束を取り出す。そしてイリスはそれをこれ見よがしに景虎に見せると。
「お兄様がコレの内容を読めない事はわかっています。クラリッサには私が一緒に行かない場合、お兄様にコレの内容を何も教えないようにと命令しています」
「な! てめっ!」
「お願いです、私も一緒に行かせてください」
まっすぐ見つめるイリスに景虎は溜息をつき、御者台に座っているクラリッサに少し威嚇するように話しかける。
「馬車用意したんはこいつの為っすか?」
「申し訳ありませんが、何を言っているのかわかりません」
しらばっくれるクラリッサに怒りを覚えつつ、改めてイリスに話しかける。
「俺ぁただ探しもの行くだけだぞ、何日かかるかわかんねーんだぞ」
「構いません」
「学校はどうすんだよ、ヒルダさんも心配するだろうが!」
「学院にはすでに休学届けを出しています、お母様にはしばらくお兄様と一緒に旅行に出かけると言いましたら、とても喜んでおられました」
旅行じゃねーし! と言い掛けた景虎だったが、ウィリアムの調査書をしっかりと胸に抱えてるイリスを見ているうちに、どんどん怒る気力を失っていく。
「もういいよ好きにしろ、ったくめんどくせー奴」
「お兄様!」
「あ、それやめろ、マジきめぇから、いいなコラ」
「うう……」
「クラリッサさん出発しましょうや、もういいっすから」
景虎の言葉にクラリッサは馬車を動かし始める、ゆっくりと動き出す馬車を使用人達が見送っていた。
動き出した馬車の中は気まずい空気のままだった。イリスも景虎も特に話をするでもなく、揺られる馬車の中でただただ無言のままだった。しばらくしてクラリッサが馬車を止め、イリスと景虎に休憩をしようと申し出る。
「ん? まだそんな時間経ってないと思うんすけど、何かあったんすか?」
「少し車輪の調子が悪いようです。修理を致しますので、お二方は降りて少し休息でもしてらっしゃっては頂けませんでしょうか?」
「あ、んじゃ俺も手伝……」
「結構です」
迫力さえ感じられる否定の言葉に、さすがの景虎も引くしかなかった。馬車の止まった場所は殺風景という言葉が当てはまるような、ほんとに何もない場所だった。
景虎が特に何もせずブラブラしていると、後ろから静かについてくる気配を感じる。
最初は気にもしていなかったが、それがずっと続くとさすがにイライラしてくる。
「おいコラ! ついてくんなよ!」
「……怒ってらっしゃってますか」
「見りゃわかんだろ! ったくあんまチョロチョロすんなよ鬱陶しい!」
イラつく景虎を見ながら、イリスは顔を曇らせる。自分がやった事とはいえ、景虎を脅すような事をしてついてきたのだから仕方ないとは思っていた。罪悪感にかられ今にも泣き出しそうなイリスを見て、景虎は溜息をついて話しかける。
「めんどくせーなほんと、てめー結局何したいんよ? 無理矢理ついてきたのも何かあんだろ? 言ってみ?」
突然目の前に景虎が顔を近づけてきた為、心の準備ができてなかったイリスはあたふたと狼狽する。そんな風にコロコロ変わるイリスの表情が滑稽だったのか、景虎は声を上げて笑い出す。
「そ、そんなに笑わなくてもいいではないですか!」
「悪ぃ悪ぃ、いやほんと笑わしてもらったわ、おめーの顔おもしれーな」
「や、やめてください! 怒りますよ!」
笑われたイリスは真っ赤になって怒り出す。そんなイリスをさらにからかう景虎、馬車を直すフリをしながら、二人を見守っていたクラリッサの顔に安堵の色が浮かぶ。
馬車の中で空気の悪かった二人の為、車輪の故障という理由で休憩をとり、二人が打ち解けるまではここにいるつもりだった。だがもうそれも必要ないと考え、クラリッサは修理が終わったと二人を呼び、旅を続ける。
「さって、変な感じで話中断したんでもっかい聞くけどよ、てめーなんでついて来たんよ? ほんと俺ぁ探しもん見つけに行くだけだぞ?」
馬車の中で景虎は、再びイリスが何故ついて来たかの理由を問いただす。景虎の言葉にイリスは口ごもり、俯き加減でボソボソと何かを呟く。
「あ? 聞こえねーよ、もちっと大きな声で喋れよ」
「も……、もっと、知りたかった……から」
先程よりは大き目の言葉で聞き取れはしたものの、意味がイマイチわからなかった景虎はイリスに再び問う。
「知りたいって探しもんか? 探してんのはこんくらいの紅い斧で……」
「ち、違います! し、知りたいのはお兄様の事で……す」
「だからお兄様ってのやめーって! って俺の事?」
小さく頷くイリスに頭を掻く景虎。面倒臭そうに適当に答えようとしたが、イリスの顔は紅潮し、目にもうっすらと光るものが見えたので溜息をつきながらも、イリスの問いに真面目に答える事にした。
「聞きたきゃ答えるがよ、てめー前信じなかったじゃねーか」
「こ、今度はちゃんと信じます!」
「ったく、しゃーねぇなあ、あんま面白いもんでもねーぞ」
そして景虎はイリスの問いに答えていく。好きなものや嫌いなものなどを聞いている間、イリスは楽しげだったが、景虎の生い立ちやこの世界に来てからの話を聞くうちに、どんどん言葉を失っていく。
そんなイリスをはたく景虎、突然叩かれて驚くイリスに。
「いちいち落ち込んでんじゃねーよ、てめーにゃ関係ねー事だろうが」
「関係なくありません! 私はもっとお兄様の事を知りたいのです! 知って、もっと近しい存在になりたいのです!」
「あ? 何それ? 訳わかんねーんだけど?」
訝しげな景虎に、今度はイリスが自身の事を話し始めていく。
「六年前、バーナード兄様が死なれた時、私は泣き崩れました。それは死んだという事実もありましたが、兄の事をあまり知らなかったというのもありました」
「は?」
「当時戦時中というのもあり、兄はその多くを騎士団の宿舎で過ごしました。家にはたまに戻るくらいで、私とも一言二言かわす程度でした。小さかった私が覚えてるのは凛々しい姿だけ、ですが最近バーナード兄様の事を思い出せなくなってきているのです。何が本当に好きで何が嫌いか、何がしたかったといった事」
弱々しくなっていく声、必死で何かを伝えようとするイリスに、景虎も茶化すような事はせずじっと続きを聞く。
「そして気付いたんです。私はバーナード兄様とちゃんと話をした事がなかったのだと。死んで何も思い出せなくなる事ほど辛い事はありません。だから、色々と話をしておきたくて、一緒に……」
「人を死ぬかもしれねーみてーに言うんじゃねーよ!」
怒る景虎にイリスの身体は竦み、小さく震える。その瞳からは涙が流れ落ち、悲しそうな声で言葉を搾り出す。
「同じことを言った……から」
「ん?」
「お母様の事を頼むって……、バーナード兄様も言ったんです!」
イリスの言葉に、景虎は確かに言ったと思い出す。
「バーナード兄様は帰るって言ったんです。絶対に戻るって……、でも帰ってこなかった……、もう二度と、あんな想いはしたくないんです!」
イリスの言葉に、景虎は再びバーナードという人物の事を考える。
きっとクラウゼン家の人達は、彼が戻らない事は考えていなかったのだろう。それだけに失ったものの大きさに皆心を痛めたのだ。
景虎自身も、この世界に来て多くの人の死を見て心を痛めた。比べるものでもないかもしれないが、きっとイリスもずっと辛かったのだろうと。
泣いているイリスの頭にポンと手を載せる景虎。怒られると一瞬目を瞑ったイリスだったが、かけられた言葉は意外なものだった。
「心配してくれてあんがとな、まぁ俺なんぞ大した人間じゃあねえし、前のにーちゃんほど出来も良くねぇ馬鹿なクッソみてーなにーちゃんだけどよ、嘘ついてイリス達を置いていくような事はしねーよ」
「お兄様……」
「まぁあれだ、これからもよろしく頼むわイリス」
思いがけない優しい言葉に涙が溢れ出すイリス、そしてそのまま景虎に抱きつくも、拳骨を食らって痛さにさらに涙を溢れさせるのだった。
中の様子に耳を傾け聞いていたクラリッサ、二人の距離が近づいた事に安堵しながら、馬車を少しだけゆっくりと走らせるのだった。
時間にして半日、空が暗くなってきた所でクラリッサは馬車を止め、近くの村で一夜の宿を取る為交渉をしに行く、そして数分後――。
「景虎様の部屋と私とイリス様の部屋を貸してくださるそうです、あと食事も」
「ほんと仕事はえーっすよね」
出来るメイドのクラリッサに、ただただ頭が下がる景虎だった。
その後食事を終え、部屋に案内された景虎は置かれたベッドに寝転がり身体を休めていた。イリスから聞いた話では、情報のあった場所まではあと三日はかかるという事だったので、とにもかくにも今は休もうと考えた。
気付けば睡魔が襲い掛かり、瞼が重くなっていくのを感じた景虎はそのまま着替える事なく眠りに落ちていく。
どのくらい寝たかわからなかった景虎だったが、何か心地良い、柔らかい感触を感じて目を覚ました。毛布か何かだと思い手を動かすと、どうもそれは人のようだった。
――人?――
ぼやけた思考で、しかし何か変だと感じた景虎は重い目をゆっくりと開いていく。陽の光が窓から差し込むのを感じると、もう朝になっているのがわかった。欠伸をしながらゆっくりと頭を左右に動かす、と、目の前には陽の光に照らされた美しいブロンドの髪があった。
「い、イリス?」
その髪の主はイリスだった。イリスが寝ていた事に驚いた景虎だったが、その寝姿を見てすぐに目を背けてしまう。イリスはシャツのようなものを一枚着ていただけで、胸元からは、白くて柔らかそうな乳房が見え隠れしていたからだ。
一方のイリスはというと、景虎が急に起きたにもかかわらず可愛い寝息をたてぐっすりと熟睡を続けていた。訳のわからない景虎はどうしたものかと考える。こんな所をクラリッサにでも見つかれば、何をされるかわかったもんじゃないかと考え、景虎はとにかくイリスを起こそうとする。
「おいコラ起きろ、おい!」
景虎の声に最初は反応しなかったイリスだったが、二度三度と頭をはたかれ、寝ぼけながらもゆっくりと目を覚まし、虚ろな眼で景虎を見つめる。
「おあようございまふ、おにいひゃま」
「てめ、何してんのよ? ここ俺の部屋だぞ!」
まだ寝ぼけていたのか、景虎の問いにイリスは何も答えなかった。そして時間にして十秒ほど経って、イリスはそのまま景虎に倒れこむ。
「おやひゅみなひゃいませ、おにいひゃま~」
「寝てんじゃねえよ!」
振り下ろされた景虎の拳骨は、大きな音を響かせた。
用意された朝食を食べる景虎、一方イリスは朝あんな事があったと言うのに特に景虎を避けるでもなく、それ所か甲斐甲斐しく景虎にお茶を用意してくれてたりした。
さらに不気味だったのは、クラリッサが何も言ってこなかった事だった。同室のクラリッサならイリスが部屋からいなくなった事などすぐ気付くだろうし、景虎の部屋に居る事にも当然気付いてた筈なのにだ。
(この人何考えてんだかわかんねーんだよなあ……)
そんな事を考えながら朝食を取る景虎。
「お兄様、おかわりはいりますか?」
「いらねーよ」
「で、では何か他に食べたい物とかありましたら……」
「いいからてめーも朝飯食えよ」
「はい! お兄様!」
素直に従うイリスに、違和感バリバリの景虎だった。
(……何かこいつ、キャラ変わってねーか?)
そう思わずにはいられないほど、イリスは可愛い系の妹キャラになっていた。
何故こうなってしまったのを考える景虎。確かに昨日馬車で色々話し、イリスとの距離は近づいたとは思ったが、ここまで懐かれるほどのものはなかったはずだった。にもかかわらず朝の事といい、今の状況といい、イリスのこの豹変っぷりがわからなかった。
しかし、イリスの言葉の端々に出てくる単語にイラついていた景虎は、もしかしてと気付き、確かめるべくイリスに向かい。
「あーイリス、この後、に、にーちゃんと散歩でもすっか?」
「ほんとですかお兄様! 嬉しいです!」
頬を染め、満面の笑みで答えたイリスに景虎は心の中で確信する。
(ああ、こいつブラコンなんだわ……、何でか知らんが、俺をガチでにーちゃんとして認識しちまったんだな……)
その後目的地へと再び馬車で走るその車内では、楽しげなイリスと、ただひたすら面倒臭そうな景虎の二人がいた。結局景虎は目的地までの三日間、ずっとこの状態だった為心神耗弱状態に陥るほどだった。
「や、やっと、着いたかよ……」
げっそりやつれた景虎の目の前には大きな湖が広がっていた。
ここは帝都の南三日の距離に位置するタウティ湖、その大きさは東西南北十キロメートルはある、ほぼ円形の湖だった。
「ウィリアム様から頂いた調査書によれば、景虎様が倒れていた同じ時期に、ここに空から何かが落ちたのを見たとの事です」
「マジ? ここ探せってのかよ……」
どう考えてもこんな大きな湖の中から、斧を見つけるなど不可能としか思えなかった。来る前は絶対に探して見せると息巻いては来たものの、まさかこんな大きな湖に沈んでるとは思ってもみなかったのだ。
来る途中イリスに聞けばよかったのだが、ブラコンモードになってるイリスは景虎にとってはウザい事この上なく、話しかけるもの面倒臭かった。
「どうすっかなー」
タウティ湖を目の当たりにして、ただただ頭を抱える景虎。さすがに打つ手なしと諦めようとしていたその時――。
『……か』
「!」
聞きなれた声に周りを見回す景虎。急な動きに何事かと同じく周りを見回すイリスとクラリッサ、しかし何もない事を確認し、再び景虎を見つめる。
と、突然景虎が大声を上げて笑い出す。
「ど、どうしたのですかお兄様?」
「何かあったのですか景虎様」
心配するイリスとクラリッサ、しかし景虎は心配ないといった風に手でジェスチャーすると、必死で笑いを押し殺す。そしてようやく落ち着き、深呼吸を何度かするとタウティ湖を見つめながら大声で叫んだ。
「よーう、久しぶりだな糞ドラゴン!」




