第四十六話 手紙
グリムゼール学院へ向う馬車の中――
景虎は正直学院に行くのが嫌だった。昨日集団戦闘訓練で上級生の決めた事を破り、一人大暴れした事で色々面倒臭い事になってしまうと思ったからだ。
しかしだからといって逃げ出して休むのも癪だったので、とりあえずイリスと共に学院へは向っていた。
「はー、ったくめんどくせー事やっちまったわ」
「何を言っているのですか、景虎さんは正しい事をしたではないですか」
昨日の闘技大会で景虎一人が戦うという状況に腹を立てたイリスは、何故そんな事になってしまったかというのを自分なりに考え、そしてD組がA組にわざと負けようとしていたのだと結論付けていた。
「そーゆーんを空気読めねーって言うんだよ! まあどーでもいいけどな、何かあったらソッコー学校辞めりゃいいし」
「馬鹿な事を言わないでください!」
景虎の言葉に激昂するイリス、年齢的には下ではあるのに、どちらかというと姉のような感じで景虎を叱責していた。
「もし学校を辞めたりすればお母様もお父様も悲しむではありませんか! いいですね! そんな事だけは絶対にさせませんから!」
「わかってるっちゅーの、冗談だよ冗談」
結局その後イリスと景虎の間で会話は行われなかった。
そうこうしているうちに学院に到着し、二人が馬車から降りたその時だった。
「んだありゃ?」
景虎が睨むその先にいたのは、数十人の上級生らしき生徒達が学院の正門で待っていた光景だった。そして景虎が現れたと同時に皆動き出し、景虎を鋭い眼で見つめる。昨日の事で何か文句を言ってくるだろうと警戒していた景虎だったが、次の瞬間その生徒達が頭を深々と下げ、景虎に向かい謝罪した。
「昨日はすまなかった! 怪我人が出ないのならそれが一番と思いD組の言葉に乗ってしまったが、思えばそれは騎士にあるまじき行為だった!」
「は、はあ?」
「君の戦いは賞賛に値する戦いだった! ただ一人で戦う姿はまさに騎士の中の騎士! さすがはクラウゼン卿の御子息! 感服した!」
その上級生はA組の生徒であり、生徒会長を務める人物だった。生徒会長の言葉と共に周りも景虎を羨望の眼差しで見始める。呆気に取られていた景虎だったが、とりあえず敵意がない事がわかると上級生達に向かい言葉をかける。
「あー、とりあえず教室行きたいんで中入っていいっすか?」
「おお、これはすまない! ささっ、勉学に励んでくれ! あ、もしよければ後日私達と手合わせをしてはくれまいか!」
「はあ、まぁ考えておきます」
丁寧な返事を返した後、上級生達は景虎に向けにこやかに挨拶をした後各々の教室へと戻っていく。残された景虎はただただ呆然とするばかりだった。そこにクスクスと笑いながらイリスがやってきて声をかける。
「よかったですね景虎さん」
「何かよくわからん……」
その日から景虎の生活は一変する――。
景虎が教室に入るとクラスメイト達から謝罪され、さらにはD組の上級生達もやってきて昨日の事を謝罪した。面倒臭いから何も思ってないと景虎が言うと、皆は喜び景虎に何度も頭を下げまくる、中には感極まって泣き出す者すらいたほどだ。休み時間になると教室の外には景虎を見に来る者も現れるなど、瞬く間に景虎は学院の話題の人物となってしまっていた。
「めんどくせえ! これならシカトされてる方がマシじゃねーか!」
そして景虎の話題はイリスの耳にも入り、イリス自身もクラスメイトなどから景虎の事を聞かれる事になる。いつもの優しい笑顔で応対するも、内心は複雑な感じだった。
そして昼休み、イリスが食堂に向かおうとするのを止める声。
「く、クラウゼンさん、お待ちなっていただけないかしら?」
声をかけたのはイリスをライバル視しているバルバラ=バルリングだった。
「バルリングさん、何か御用でしょうか?」
「え、ええ、その……、少しお聞きしたい事がありまして……」
そこにはいつもの高圧的な態度のバルバラの姿はなく、何やらモジモジしている乙女のようなバルバラが居た。イリスは少し怯んだものの、いつものように優しい笑顔でバルバラに話しかけてみる。
「それで、どのような御用でしょうか?」
「そ、それはその……、貴方のお兄様の事について、お聞きしたいのですが……」
「お兄様? 私のお兄様は六年前に戦死しておりますが、それが何か?」
「い、いえそちらの方ではなく、新しくお兄様になった……」
言われてイリスはそれが景虎の事だと気付く、確かに父ウィリアムの息子になったのだから自分の兄に当たる存在になるのだが、今までどうも景虎を兄として見られなかったので気付かなかったのだ。
「え、えと、景虎さんの事ですね、彼に何か?」
「あ、あの、その……」
相変わらずモジモジするバルバラは、勇気を振り絞って懐からあるものを取り出し、それをイリスに勢い良く渡す。
「こ、これをお兄様にお渡しください! そ、それでは!」
言うとバルバラは素早い動きで走り去っていく。あまりの事に呼び止める事すら忘れたイリス、手に残ったバルバラの手紙を見て固まってしまう。
そこに書かれていた文字は――。
――愛する景虎=クラウゼン様へ――
景虎宛てのラブレターだった。どうやらバルバラは昨日の戦いぶりを見て、景虎に一目惚れしてしまったようなのだった。体から変な汗が流れるのを感じるイリスは、この手紙をどうしたものかと考える。もちろん渡すのは当然だと考えてはいたが、これを貰った景虎がどう反応するのかというのが気になった。
その時イリスの胸がチクリと痛む感じがした、それが何かはわからなかったが、イリスはその手紙を持って景虎の元へと向かう事にした。
景虎の教室の前まで来た時、イリスはその人の多さに驚いてしまう。九年生D組の教室の前は人で溢れ、進む事もできない状態だったのだ。イリスが生徒にその訳を聞いてみると、先生方や生徒会の人たちが訪れ、景虎をA組への編入や生徒会へ誘うなどの話をしているとの事だった
「だーからやんねーってのに! とっとと帰れボケ!」
廊下にまで響き渡る景虎の罵声が聞こえてくる、そして直後人並みをかき分け現れる景虎にイリスはドキリとしてしまう。
「お、イリス丁度良かった、飯食うぞ飯」
「え、あっ」
言うと景虎はイリスの手を引きその場を去っていく。
人のいない裏庭にまで来てようやくイリスの手を離す景虎。
「ったく、急に態度変えやがって、何なんだよありゃ」
「昨日の試合がそれほど凄かったという事なのでしょうね」
「んなもん知るかい! あークソッ、めんどくせぇなあもう!」
「人気があってよかったではないですか」
イリスの声に少し棘があるように感じた景虎だったが、特に追求もする事なく持っていたパンを食べ始める。一方のイリスは手に持った手紙をどうしようかと迷っていた。
普通に渡せばいいだけなのだが、何故か渡す事ができないでいた。
「そーいや俺の教室まで来てたが、何か用事でもあったんか?」
「え! い、いえ別に」
「そーか、まぁいいけど」
気付けばあっという間にパンを食べた景虎は教室へ戻ろうとする、イリスは声をかけようとしたが結局声をかける事ができなかった。
持った手紙を見つめ、溜息をつくイリス。
クラウゼン邸――
湯船につかるイリスは今日の学院での出来事を思い出していた。今まで決して好意的とはいえなかった景虎が瞬く間に学院のヒーローになってしまった事、そしてバルバラからのラブレター、結局家にまで持って帰ってきてしまい、未だ景虎に渡せていなかった。
「どうしたら……」
ただ渡すだけでいいはずなのにそれが出来なかった。それが何かはわからなかったが、胸の中に渦巻く何かがそれを邪魔しているように思えた。湯船から出たイリスは着替えた後、いつものようにおやすみの挨拶をすべく母ヒルダの元へと向う。ノックをして入るとヒルダが何かを作っていた。
「お母様それは?」
「ああこれは景虎君のセーターよ、これから寒くなってくるし、作ってあげようと思ってね」
慣れた手つきでセーターを編み上げるヒルダはとても楽しそうだった。
景虎が来て以来みるみる元気になっていくヒルダ、それが何故か羨ましくてイリスはヒルダに尋ねてみた。
「お母様、お母様はどうしてあの人……、景虎さんに優しいのですか?」
「あらあら、突然な質問ね、何かあったのイリス?」
「あ、べ、別に……」
言って言葉を詰まらせるイリスにヒルダは優しく微笑み。
「最初、ウィリアムが見ず知らずの景虎君を養子にしたいと言ってきた時には驚いたわ。死んだあの子の……、バーナードの代わりなの? って、けどウィリアムは私にこう言ったの」
――あいつは誰かの代わりとかじゃない、あいつは新しい家族なんだよ!――
「?」
「わからないでしょ? けど景虎君を見た時ウィリアムの言った言葉の意味がわかったのよ。この子は赤ちゃんのような子なんだわって」
「赤ちゃん?」
意味がわからないと戸惑うイリスに、ヒルダは笑みを浮かべて話を続ける。
「景虎君はまっすぐなのよ、純粋で素直でまっすぐに生きている赤ちゃんみたいな子」
「まっすぐ……」
「きっと色々辛い想いをしてきたんだと思うわ、けどそれでも負けないで必死で生きてきたんだと思うの、だから私はあの子を子供にしたいと思った。あの子を助けてあげたいって、けど逆になっちゃったわ、ずっと景虎君に助けられてばかりですもの」
そして一呼吸おいて、言葉を続けた。
「景虎君はね、私とウィリアムの間に生まれた新しい子供なの、そしてイリスにとっても新しい家族なのよ」
ヒルダの言葉にイリスは言葉を失う。正直景虎を兄と思った事はなかった、その言動や学力、粗雑な振る舞いなど見ていれば自分より年上とはまったく思えなかったからだ。しかし今ヒルダの言葉を聞いて思った、そして顔を綻ばせてつい楽しげに笑ってしまう。
「あの人は赤ちゃんというより、イタズラっ子という感じがします」
「あらあら、けどそんな感じかもしれないわね」
「バーナード兄様とは……、ほんとに違いますね」
「ええ、だからこそウィリアムは養子にって思ったんだと思うわ。誰かの代わりじゃなく新しく出来た子供、あの人は、私にまた生きる目的と勇気を与えてくれたのよ」
その言葉でイリスの中にあった景虎に対する、歪なイメージのようなものが消え去る感じがした。自分が知らず知らずのうちに死んだ兄バーナードの面影を景虎に被せており、勝手にそれを押し付けていたのだと。
「何か悩んでいたみたいだったけど、解決したかしら?」
「はい、ありがとうございますお母様」
言うとイリスは部屋を出て行き、そしてバルバラの手紙を持って景虎の部屋へと足早に向う。ノックをして入るとそこにはクラリッサに勉強を受け、憔悴しきった景虎の姿があった。そんな景虎にイリスはバルバラの手紙を渡し。
「返事は明日までにする事! いいですね!」
「え?何よこの手紙? ってか俺字わかんねーっての、読めよ」
「駄目です! これは景虎さんに宛てられた手紙、それを自身で読まずにどうしますか! いいですね! これを読むまでは寝かせませんから!」
「ほんと鬼だなてめーはよ!」
文句を言う景虎を見つめながら、イリスは頬を染めると、震える声でゆっくりとその言葉をしぼり出した。
「が、頑張ってください、か……、景虎お兄様……」
言った瞬間顔に熱がこもるのを感じ、すぐに目を閉じ顔を背けるイリス、ゆっくりと目を開けていき、景虎がどういった反応をしているかと恐る恐る確認すると……。
そこにはあんぐりと口を開けたまぬけ面の景虎がいた。そして痛い子を見るような可哀想な目でイリスを見つめ、声を荒げる。
「い、いきなり何気持ち悪い事言ってんだよてめえわ! う、うわっ寒気がっ! 鳥肌がすげぇ! ぐあああ!」
「なっ! 何ですかその反応は! わ、私がどれだけ勇気を振り絞って言ったと思っているのですか!」
「知らねーよボケ! いいか、二度とんな気持ち悪い事言うんじゃねぇぞ! いいな! 今度言ったらぶっとばすぞ!」
あまりにも酷すぎる景虎の物言いにイリスは顔をさらに紅く染め、景虎の目の前にまで顔を近づけると、声色を強めて何度も言い放つ。
「景虎お兄様! 景虎お兄様! 景虎お兄様ぁ!」
「やめーやてめぇ! それ以上言うならマジぶっ叩くぞゴラァ!」
勉強どころではなくなったこの状況にクラリッサは一瞬止めようと思ったものの、その姿がまさに兄妹という感じに見え、つい見入ってしまう。
「きゃあっ! い、今私の胸触りましたよね! 妹の胸を触りましたよね!」
「いきなり妹ヅラしてんじゃねぇよ!」
まだ仮という状態ではあるかもしれなかったが、ようやく二人が兄妹の関係になったのだと、クラリッサは笑顔で二人のやりとりを見守っていた。




