11話(完)
夜は、静かだった。
屋敷の庭に出ると、空気がひんやりとしている。
遠くの喧騒も、もう届かない。
(……終わった)
何が、とは言えない。
でも確かに。
何かが終わって、そして何かが始まっている。
「お一人で、どうなさいましたか」
背後から、いつもの声。
振り返らなくても分かる。
「……少し、考え事を」
答えると、足音が近づく。
隣に立つ気配。
距離は、もう当たり前のように近い。
「本日は、いかがでしたか」
「……見てしまいました」
正直に言う。
隠す意味が、もうない。
「すべて」
あの光景。
崩れていく願い。
止まらない欲。
そして。
それを、ただ“叶えた”存在。
「……怖い、と思いましたか」
穏やかな問い。
少しだけ、考える。
「はい」
頷く。
嘘はつかない。
「でも」
続ける。
「それだけじゃ、ありません」
沈黙。
彼は、何も言わない。
ただ、待っている。
「……分かってしまったんです」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「ここが、どういう場所か」
優しさだけじゃない。
救いだけでもない。
選ばれた者だけが、残る場所。
そして。
(……私は)
選ばれたんじゃない。
――選んだ。
振り返る。
イシュヴァルの目が、すぐそこにある。
変わらない。
でも。
少しだけ、“待っている”ように見えた。
「……それでも」
声が、静かに落ちる。
「ここにいたいと、思いました」
はっきりと。
逃げずに言う。
ほんの一瞬。
彼の目が、わずかに細まる。
「そうですか」
それだけ。
たったそれだけなのに。
何かが、決まる音がした。
手が、伸びる。
顎に触れる。
最初と同じ。
でも。
もう意味は違う。
「では」
低く、囁く。
「改めて――」
その先を。
言わせない。
「……待ってください」
そっと、手に触れる。
止める。
イシュヴァルが、わずかに目を見開く。
初めて見る、ほんの小さな隙。
「それは」
息を整える。
近い。
でも、逃げない。
「私が、選びたい」
そう言って。
一歩、踏み込む。
距離が、消える。
触れる寸前。
彼は、何も言わない。
ただ。
受け入れるように、わずかに視線を落とした。
その仕草が。
許された合図のように思えて。
そっと。
唇を、重ねた。
ほんの一瞬。
触れるだけの、静かなキス。
でも。
それだけで、十分だった。
離れる。
心臓が、少しだけ早い。
でも。
怖くはない。
「……これが」
小さく、息を吐く。
「私の答えです」
逃げない。
委ねるだけでもない。
選んだ。
自分で。
沈黙。
そして。
イシュヴァルが、ゆっくりと微笑む。
今までで一番。
はっきりとした、満足の色で。
「――ええ」
低く、優しく。
「ようこそ」
指先が、頬に触れる。
今度は、彼から。
でも。
もう意味は同じ。
「私のセシリア」
逃げ道は、もうない。
でも。
そのすべてを受け入れて。
彼女は、そこにいた。
それは救いではない。
けれど。
確かに、幸福だった。




