雪原行軍
「あー、寒い寒い寒い! 雀部のときを思い出すわー」
吐く息が白いのは言わずもがな。がたんがたんと時折、風でチェアリフトの揺れる音が耳に入る他は、人の影もない。
「ったくよー。わざわざ上の小屋に隠れるなんて、暇かよ……」
市白はスノーボードをざくざく突き立てながら、山の頂き方向へと進む。目的地は山上部にある方の温泉汲み上げ施設だった。市白の会うべき相手はあと一人、和服とスキーウェアを着こなすチャラ男のイケメン。『麒麟』こと『賀央』だ。
(下の小屋にはいなかったから、こっちなんだろうけど)
上部へ向かうリフトの運行は相変わらず止まっている。目指す汲み上げ施設はリフトの終着地点近くにあるので、決して入り組んだ山道を登るのではない。
それでも、普通は滑り降りるゲレンデを逆走するというのは、なかなかに骨の折れる行軍だった。
(目測で角度30度ちょい。ランドマークタワー登る感覚だ……)
汲み上げ小屋はもう目の前だ。上部の施設はホテル側と異なり、年季も入っており簡素な造りをしている。上級コース側と言うことで行き来もしにくいし、人目も少ないからだろうか、フェンスの囲いもなかった。
リフトから歩いて五分もかからない距離。おおかた、キャストの控室としても使われているのだろう。そんなことを思いながら市白はボードについた雪を落とす。
「はてさて」
外から中を伺うと、人がいる気配はする。しかし、罠ということもあるので慎重にいきたい。扉を壁代わりにして、ゆっくりと開く。中から春風のようなゆるやかで香るような声がした。
「葉か? まだ準備は済んで……」
「あ、いえ……。お邪魔します」
特に罠ということはなさそうなので扉の前に立つ。念のため、いつでも外に逃げられるようにはしておくのがいいだろう。
「お客さまですか? 上級コースはリフトの調子が悪くて封鎖中ですが、どうかしました?」
スキーウェアの男は、やはり、どこか口調が軽い。本性はチャラ男で、和服姿の時の丁寧な印象は服装に合わせていただけなのだろう。
「ええと……まず何からお話ししましょうか。私は、あなたに会いに来ました」
「俺に? ……誰からの使いで?」
賀央は露骨に警戒している。違和感を覚えるが、もしかすると彼にはかつての自分と同じような縛りがつけられているのかもしれない。
(『誰かに犯人と確信されたら、即死亡』)
いや、待て。『五人目を止めてくれ』と言われている以上、これから起こる何らかの事件は目の前の相手が起こそうとしているに違いない。おまけに、彼は山口警部補を『警視』と呼んだ。ゆえに『未来を知る、賭けの相手』と見做したわけで、かつて自分が経験してきたような縛りだったら、とっくに死んでいてもおかしくない。
(うーん。『秘密の暴露』が縛られているのかな?)
腑に落ちないがひとまず話を進めるのを優先したい。こいつも運命に翻弄されていることには間違いない。
「誰かの使い……ってよりは、私の意思ですかね。私は……えーっと、『未来予知』ができるものでして」
苦しいが、ひとまず遠回りして様子を探る。『未来を知っている』つまり、もうこの賭けは終いだと分かってもらいたい。
「……葉から何かもらったってことか。それなら、私と交渉の余地なんてないのは聞いたら分かると思うけど」
「あー、まあ、ストレートに言われたわけじゃなくて……」
なんだろう、噛み合っているような、いないような妙な感覚がする。
「わざわざ来てもらって気の毒だけど、今さら後には引けないよ。それにちょうど準備も済んだところだ」
賀央は膝を付き、傍らにある機械から伸びる紐を強く引く。エンジンの唸りが始まり、小屋の中に白い湯気がゆっくり立ち上る。
「えーっと、硫黄と雪崩の謎は解きましたよ。関係者……龍屋さんや雀部さんにも会って来ましたし、あとは、あなたが最後のはずですが」
「ははっ。結局は龍屋の使いってわけ? なんで君みたいな子がそれを伝えに来るんだ? 俺は本気なんだ。このままこの施設を爆破して龍屋に、いや、俺たちの故郷を奪った簒奪者共に同じ苦しみを味わわせてやるんだよ」
ゆらっと賀央が立ち上がる。おかしい。謎は解いたし、五人目も突き止めた。それなのに、何も起こらない。それどころか、この雰囲気は……。
「龍屋には脅迫が本気って理解されなかったのかな。だとしたら、君には……。俺が本気だって伝えるための、材料になってもらう」
じりじりと賀央が近づいてくる。逃げないといけない、すぐ背中にある扉に手をかける。開かない。外から押さえつけられている。
(閉じ込められた? 待て待て待て。こっちはずっと扉の前にいたんだぞ?!)
振り返って扉を背にする。すぐ目の前にスキーウェアの賀央がいた。目は冷たく、右手で何かバールのようなものを振り上げている。あれが振り下ろされたら。そこで市白は気づく。
(右手? 和服姿の男は確か……左利き!!)
ばん、と背中を強く扉に押された。思わず前につんのめる。逆光気味に見えるバールから逃れようと、手で頭を守る。
「もうやめて! 樹林さん! 無関係な子を巻き込んでも仕方ないでしょう!!」
「よ、葉……」
背後を振り返ると『兎本 葉』だった。笑えない話だが、中と外から扉を開けようとしていたらしい。ひとまず撲殺の憂き目は避けられるかもしれないが、まだ状況は明転したとは言えない。
(利き手が違うし、よく見たら目元に黒子がない。これってもしかして……)
不意に弟の顔が頭に浮かぶ。今でこそ男と女の差で見分けようもあるが、昔は瓜二つだとよく言われてきた。何というか、自分たちが『双子』だからこそ、『互いのどこが似ているのだろう』そんな風に思っていた。だから、見逃した。
「すいません。賀央さんって……ご兄弟とかっています? 双子で……」
「あぁ? 竜介と俺は双子だよ。ていうか、そんなことも知らずに何しに来たんだよ?!」
鼻息の荒い『樹林』ええと、この場合は『賀央樹林』となるのだろう。その彼を兎本葉が押さえてくれている。市白は逃げるように扉の前まで移動すると、気持ちと状況を少し整える。
(警視呼ばわりしたのは和服男だから……こいつじゃなくて、『竜介』って奴の方。じゃあ、いま目の前にいるのは……?)
彼はこう言った『施設を爆破してやる』と。まったく、なんて物騒な話だ。これじゃあ、脅迫犯じゃないか。仕事をサボって逢引きしているだけなら笑い話で済んだろうに。
そんな現実逃避は一瞬だけの時間だった。目の前には脅迫犯がいて、止めるべき『五人目』とは別人。正直、どっちを優先していいのかわからない。しかし、この熱くなっている男の目の前にいるのは危険だ。せめて小屋の外には出ておきたい。
「賀央さん、兎本さん。私、人違いをしていたみたいで。用があったのは竜介さんの方でした」
「だからって……。こんな現場を見られて放っておけるかよ」
「樹林さん、これ以上誰かを巻き込む止めようよ。私はいいんだよ。元々、家族なんてなかったんだから……」
(そうだそうだ。私は五人目に会わないと……って、待て。兎本妹も共犯か?)
目の錯覚でなければ、賀央と兎本の距離はかなり近い。身体の距離は心の距離も表すだろうが、それから察すればかなり親密な関係に思えた。
(脅迫の片棒か、それとも……恋人、とか?)
どちらにしても状況が合わない。市白の知る限りでは、妹はこのあと起こる雪崩事故で命を落とすはずだ。自ら起こす災害に巻き込まれる、全くないとは言い切れないが、普通なら避けようとするのではないか。
「兄さん」
爽やかな声がした。入ってくるのは、陰る空とは対照的な、木漏れ日揺れるようにきらきらした青年。その顔は、よくよく見なくても、市白の前にいるスキーウェアの人物と瓜二つ。
「竜介……」
「兄さん。もうすぐ警察がここに来る。あの、山口とかいう警部が県警を連れて」
「くそっ。この手で龍屋を跪かせたかったのに、見向きもせず、か」
「逃げるんだろう?」
「言われるまでもないさ」
樹林は兎本と目を合わせて手を取ると、小屋から駆け出す。外は再び雪が降り始め、暖められた温泉引湯管は白く湯気を発している。逃避行、そんな言葉が市白の頭に浮かんだ。
「竜介さん……」
「葉さま。私のことはお気になさらず。兄は『分かって』いますから」
葉が振り返って竜介に小さく声をかける。樹林は竜介に背を向けたまま。それでも、言いたいことは互いに伝わっているのだろう。兄弟、それも双子だ。
「俺が龍屋を許さないように、お前は俺を許さない、だろう? 分かってるよ」
行くぞ、それだけ言って樹林と葉は森の中へ消えて行った。
小屋に残された『賀央竜介』は、樹林がさっきつけた温泉汲み上げ機のエンジンを落とす。からからと空転音を立てる機械から市白は目を剥がした。
(いまいち腑に落ちない状況だが……)
樹林が企んだ仕掛けは中途半端に終わり、彼は兎本と逃走した。山口警視が捜索してくれるなら、直に捕まるだろう。そう考えれば、いま、自分にやるべきことは一つだ。目の前にいる、和服姿の男、こいつと話をつけなければいけない。
「あなたが、『五人目』ですよね」
「そうです。『兄を裁く』そのためだけに、ここにいます」




