狂い始めた歯車
(毒殺もされなかったし、大丈夫かな)
私は自分の手に目を向ける。証拠はこれでばっちりのはずだった。あとは、うまくアピールして、この手に残った『毒』を提出すれば、犯人は逃げ場がなくなる。
(山口警視と女の警官……名前は『平苗』だっけ?)
意外と簡単なミッションだったな、と私は大きな欠伸をする。さすがに眠るわけにはいかないが、コテージや豪華客船に比べれば不自由なだけで何の危険もなかった。
(ま、私はこの『ゲーム』のシナリオは熟知してるし、当然っちゃ当然か)
この時の私は、甘かったと思わざるを得ない。
私をゲームへ召喚した『何か』恐らくはそれがやったであろう所業は、どう考えても禁断の行為だった。どういうものかと言えば……
「あなたたちは同窓会で、このホテルに集まっていた。そうでしたね?」
「えぇ、そうです」
女警官が幹事の一人へ事情を聞いている。
私は、その光景に違和感を覚える。おかしい。記憶と違う。
(山口警視が……いない?)
私の戸惑いをよそに、その女警官『平苗』は続ける。
「なるほど。でしたら、一人ずつ事情をお伺い出来ますか?」
「ど、どういうことですか?」
「理由は個別にお伝えいたします。それから……」
平苗は、後ろに控える何人かの制服男へ指示を出す。
「全員から事情を聞くまで、屋上とこの下のフロア以外への出入りは禁止します」
「なぜですか?」
服部が平苗刑事に向かって上ずった声をあげた。
小柄で細身の平苗刑事は、丁寧な言葉遣いに似合わず、猛禽類を思わせるように獰猛な目つきに変わる。薄く笑いを貼り付けるように口角をにいっとあげると、服部にそっと囁いた。
「……それは、あなたたちの中に犯人がいるからです」
唖然として、立ち尽くす服部を見て、私は鼓動が早くなっていくのを感じる。
(おかしい。おかしい。おかしい。こんな展開、私は知らない)
探偵役の服部はただ茫然としている。ここで奮起して『私がみんなの無罪を証明します! ……私だってじんくんの相棒だから!』となるはずだが、そんな気配は微塵もない。
私は、豪華客船の事件でも感じた疑問を、もう一度、思い浮かべた。
(確かに、私が生き残る展開は……『ゲーム』に存在しない)
歯車が少しずつ狂っている。『何か』によって閉じ込められたこの『ゲーム』のシナリオから、少しずつ離れているのかもしれない。だとしたら……
(さっさと元の世界に戻れないと、本気で死ぬかも)
いまの私には、ただ祈るしかなかった。
(早く事件を解いてくれ……誰でもいいから……)
◇◆◇
何人かの警官と元同級生が下のフロアへ降りていく。控室代わりに貸切られていたフロアは事情聴取にちょうどよいのだろう。私は、不安そうに振り返ったひなに「大丈夫」と小さく微笑むと、向き直って歩み寄る。
同級生二人の亡骸そばにしゃがみ込む、平苗刑事に向かって。
「……平苗刑事」
「あぁ、服部さん。ちょうど良かった。あなたのことは山口からも聞いています」
「山口警視ですか?」
聞き慣れた名前だった。『山口警視』彼は警視庁きっての天才と呼ばれ、人懐っこい笑みを浮かべながら真相を暴き出す。そして、探偵を目指している鳩山がライバル視している人物。
「そうです。私は山口の直属でして」
そう言いながら、平苗刑事は死体の口から零れる唾液を観察し、転がっていたチョコロールを眺める。その目はまるで、何かを探しているように。
「屋上はオートロックで解除キーは会の参加者しか知らない」
平苗刑事は平坦な声で呟く。
私はその言葉を聞いて、急に胸が苦しくなった。その意味はわかる。先ほど平苗刑事に言われた内容が頭の中をぐるぐると回る。
(私たちの中に、犯人がいる)
信じられるはずがなかった。あんな楽しそうにみんなしていたのに。小学校の頃から五年。確かに皆どこか変わったようには見えた、だからって、元同級生を、いや、友達や仲間と呼べる人を殺すなんてことがあるだろうか。
私の困惑とは無関係に、事件の捜査は進んでいく。
落ちていたチョコロールに塗られたチョコをそっと舐める平苗刑事。その表情がとても美味しい物を味わった、そんな風に変わっていく。
「……ドクウツギ」
「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ、平苗刑事!」
鑑識作業だろうか。色々とノートに書き込みをしている四十ばかりの男性が平苗刑事の行為を咎める。
「毒味で判断しないでくださいよ。ったく、現場保持は常識でしょう……」
「こっちはギムネマ」
「あっ、だから、もう……」
平苗は冷めかけたティーカップに指を突っ込んで舐める。
(な、なんなのこの人……)
山口警視も公務員としてはどうかと思う言動をする人物だったが、この平苗刑事とやらも相当だと服部は思う。詳しいことはわからないが、先ほど聞こえたのは『毒殺』という言葉。
だとしたら、亡骸の側にある物を平気で口に含めるはずがない。もしそれに『毒』が付着していたら、自分だって死ぬかもしれない。
「……何か?」
そんな私の視線に気づいたのか、平苗刑事はにっこりと微笑んで来る。
「い、いえ。何も」
「そうですか。でしたら、そろそろあなたも下の階で事情を話して来てください」
「あ、はい」
手を差し出してきた制服警官に伴われ、虚ろな心のままで下の控え室へ向かう。何人かの同級生とちょうどすれ違った。最後尾には、とぼとぼと歩くひな。表情は暗く、血の気が失せている。
(どうしよう。せっかくの同窓会だったのに……じんくん……)
名探偵の血を引く祖母から教えを受けた彼はいない。きっとこの場に居れば、事件なんてたちどころに解決してくれるだろう。自分一人では、せいぜい聞かれたことに答えるくらいしかできない。龍屋さんは私のことも買ってくれたけど、実際はこんなもんだ。
私はただの女子高校生に過ぎない。事件の謎を解くことなんてできない。普段は抜けているのに、スイッチが入ったときは急に頼りになる彼、『鳩山 二』ずっと一緒にいる、彼さえいれば……。
服部が祈るように目を閉じた時、ぽんと肩に何かが触れた。
(え?)
目を開ける。
「何やってんだよ。ひとみん。前見ないと、危ないぜ」
まさか、と思った。どうして、とも。事件に巻き込まれて自分の限界を思い知った時、よりにもよってこんな時に来るだなんて。どんな謎だって解いてくれる、そんな頼もしい幼馴染が、目の前にいた。
「なんで……じんくんが?」
「ちょっと山口警視と野暮用でさ。そしたら、事件だって言うからついてきた」
「ば、ばか! 遅いよ……」
「ごめん……。ていうか、どうしたの?」
「知らない! みんな、久しぶりで、あんなに仲良くしてたのに。わけわかんないよ!」
私が彼の胸をどんどん叩くと、鳩山は困ったように頭をかいた。彼の癖だ。私が感情的になって周りが見えなくなった時、大体はこうやって頭をかいてから、こうする。
「そんなに慌てるな。すぐに終わるよ。……姉ちゃんにも挨拶してきたからさ」
そう言って、鳩山は私の額をぴんと指で弾く。いつも通りだった。
「私もちょっと鬱憤が溜まっているので、本気で解きますよ。それにしても、あー、青春ってうらやましい」
大袈裟に両手を広げてためいきを吐く、ニンジンスティックを咥えた山口警視。
「すぐ終わるだろうけど、休憩がてら下行ってなよ。ひとみん」
「ま、調書は作らないといけないですからねえ」
じんくんがやる気なのはわかる。姉の『鳩山 市白』彼女のことを思い出して謎を解こうと言うなら、気合が入らないわけがない。ただ、意外なのは山口警視だ。何があったのか知らないが、いつもの人懐っこさが嘘みたいに顔を歪めている。あ、ネクタイも外した。
「……わかった。何かわからないけど、頑張って!」
さっきまでの暗い気持ちは消え去り、むしろ犯人がかわいそうだとすら思えてきた。スロースターターな鳩山は最初から本気で、ムラっ気の天才山口が事件に集中。おまけに、『平苗』刑事だ。
私にはわかる。剣道で培ってきた勘が告げていた。
(あの人の殺気は、けっこうヤバい)
鉛の靴を脱ぎ捨てた心地。背筋がすっと伸びた。私は回廊を進み、開けた階下へ向かうと、ぴしと顔を両手で叩いた。
「しっかりしないと」




