再会
Ⅰ
そいつは地中から現れた。
土をえぐり草原を裂いた強固な爪に次いで、獲物を噛み砕くための鋭利な牙が露わになる。
地中からの急襲、獲物の不意を打つ捕食。
野生の本能が成立させた魔物の奇襲を、だが直前で勘付いて回避行動を取った。
地面を強く蹴ることで跳躍し、空中へと逃れる。その直ぐ後を追うように、魔物は牙をかみ合わせたが、あと一歩ほど及ばない。
間一髪の所で九死に一生を得て、この身体は魔物を俯瞰視点で眺められるほどの高度に至る。誰よりも太陽に近い位置から遥か下を眺めて見れば、人間の数倍はある巨躯の魔物がこの目に写った。
「見たことない魔物だな」
こちらを見上げ、魔物は咆哮を放っている。
それが耳に届く頃には、この身体も上昇を終えて、下降に移っていた。
「ったく、王都は目の前だってのに」
重力の糸に絡め取られるように、地面へと身体を引きずられる。
その最中、自身のうちにある魔力を操作し、この手へと流し込む。
手中に集う魔力は、俺の意思によって形を成す。
形なき魔力は、形ある魔法へと。
手の内に構築されるのは、すらりと伸びた一つの刃。それは美しい反りを残して途切れ、その身を紅く染め上げる。
「刻め――創傷」
魔力を帯びた紅い刀身は曲線を描いて虚空を斬り、俺の背後にある大気を傷付ける。
瞬間、開いた傷から突風が吹き荒れ、この身体を吹き飛ばした。
風を背に受けての加速は魔物までの直線を引く。落下と加速の両方を加えた突貫の最中、逆手に持ち替えた刀の鋒が、着地の衝撃と共に魔物の外皮を突き破る。
皮膚を裂き、肉を断ち、骨を貫いた刃は、そして魔法として形作られた存在意義を果たす。
その名に違わぬ力が、魔物の体内を駆け巡った。
瞬間、身体中を――体内中を切り刻まれた魔物は、多大なる痛みに悲鳴を上げた。しかし、それも僅かな間だけだ。悲鳴は秒と経たず断末魔となり、その大口から大量の血を吐いて息絶える。
力無く倒れ伏した魔物の亡骸から得物を引き抜いて、俺はようやく一息をついた。
「相手が悪かったな」
血に濡れた刀の形を象る魔法。
それを解除して無に帰すと、亡骸の外皮の上を滑り降りる。
「っと、しかし……倒したは良いが、どうすっかな。これ」
周囲はすっかり血の海だ。
草原の豊かな緑が台無しになった。
「あーあ、近くて遠いな」
降りかかってきた不幸にため息を吐きつつ、地平線に目を向ける。
空と大地を分かつ境界線は緩やかな曲線を引いて何処までも続いている。そんな地平線から、ひょっこり顔を覗かせているのが王都の周囲を取り囲む巨大な防壁だ。
目的地はもう目と鼻の先に見えているというのに、こんな所で立ち往生とは非常に参る。
「さて、どうしたもんか……」
そう思案していたところ。
「――こいつは驚いた」
背後から声が聞こえ、そちらに振り向く。
目に入ったのは大きな荷馬車と、その手綱を握る商人と思しき男性だ。彼は荷馬車を降りると被っていた帽子を取りながら、こちらに近付いてくる。
「誰が仕留めたのかと思えば……そいつは本当にお前さんが倒したのかい?」
「そうだよ、俺が仕留めたんだ。――にしても、この辺は随分と物騒なんだな。街道だぜ? ここ」
人の生活圏や通路に、魔物はあまり近寄らない。
そうなるよう、周辺の街や都市が魔物を駆逐しているからだ。一度、学習した魔物は余程のことがない限り、街道や都市の近くで人を襲わなくなる。
だが、こいつは違った。
「あぁ、そいつは変異種だな。最近になって出て来た気性の荒い凶暴な奴なんだ。たしか、討伐難易度はB級相当、だったかな」
「へぇー、変異種か」
まぁ、B級相当なら大したことないか。
「あ、そうだ。おっちゃん、いま幾ら持ってる?」
「そりゃ俺も商人だ。それなりに持っているが……そいつを半分買い取るくらいしか持ち合わせてないなぁ」
「いや、それでいいよ。どうせ俺一人じゃあ此処から動かせないし」
「いいのかい? いやー、こいつは儲けちまったなぁ」
その場で約束通りの金額を受け取り、魔物の亡骸は商人のおっちゃんのモノになる。
魔物の亡骸は、その後すぐに荷馬車の屋根に括り付けられた。少々、荷を引く馬達が可哀想に思えるが、血液は殆ど抜けているし、臓物も取り出してその辺に埋めてある。
重量は見た目ほどではないはずだ。
「お前さん、これから何処にいくんだい?」
「あそこに見えてる王都だよ」
「なら、ちょうどいい。乗りなよ、俺の目的地もそこだ」
「ホントか? 悪いことの後は良いことが起こるもんだ!」
意気揚々と荷馬車に乗り込み、おっちゃんの好意に甘えさせてもらった。
Ⅱ
「それでお前さん。王都になんの用があるんだい?」
馬が地面を蹴る音。木製の車輪が軋む音。積み荷が揺れで傾く音。
それらの音を心地よく聞いていると、商人のおっちゃんから質問が飛んでくる。
「王都で学生になった古い馴染みに会いに行くんだよ。俺も学生になるためにな」
仰向けに寝転んだまま、荷馬車の屋根を眺めつつ、そう答える。
「ほー、学生に。ということは、あと数年もすれば探求者か。なるほど、道理でその歳であんな魔物を狩っちまう訳だ」
「ま、あれくらい出来ないとシーカーになんて成れないからな」
「はっはー、違いない。――っと、そうこうしているうちに到着したぜ」
荷馬車に揺られることしばらく。
検問を抜けて進んだ先に、王都アガレンティスは広がっていた。
活気ある人々の喧騒と、美しい街並みが見渡す限りに続く王の都。背の高い厚壁に囲まれた此処には、世界中からありとあらゆるものが集うとされている。情報、資源、人、文化、などなど、両手両足の指では数え切れないほどだ。
そんな旅の目的地に、俺はようやく辿り着いた。
「助かったよ、ありがとう、おっちゃん」
「なに、礼を言うのはこっちのほうだ。お陰でかなり儲けさせてもらったよ」
商人のおっちゃんは荷台の屋根を見上げて満足そうに笑う。
「じゃあ、達者でな。良いシーカーになるんだよ」
「あぁ、達者で。その時が来たら、おっちゃんを贔屓にするよ」
「はっはー、楽しみにしてるよ」
荷馬車は再び動き始め、人混みに紛れてすぐに姿が見えなくなる。
「さて、と」
視線は移り変わり、自身の周囲にいる人々に向かう。
古い馴染みはたしか、この広場で待っているはずだ。目印である大きな噴水も目の前にある。だが、流石は王都と言うだけあって人口密度が非常に高い。行き交う人々は、寄せては返す波の如くだ。
これは骨が折れそうだと気が滅入りそうになる。
「――あ、おーい! 翼ー!」
しかし、その憂いは杞憂だったようで、ほど近くから懐かしい声が響いた。
そちらに目をやると、はやり懐かしい顔が目に写る。すこしだけ幼さを残した顔付きも、溌剌とした声音も、無意識に取る仕草も、すべて昔にみた幼馴染みと変わらない。それがすこし嬉しく感じ、俺もすぐに駆け寄った。
「よう、雨月。久しぶり――よく居場所がわかったな」
「私が翼を見付けられない訳ないでしょ? それに黒髪はここじゃ珍しいの」
「あぁ、それでか」
たしかに、周りを見ても頭髪が黒い人を見掛けない。
「何年ぶりになるのかな? 翼が旅に出てから、だから……」
「二年くらいだな」
「もう二年か。長いような、短いようなー」
二年合わないうちに、雨月は王都の学生となったのだから驚きだ。
「あれ? んんー?」
そう過ぎ去った歳月に思いを馳せていると、不意に雨月が足を動かす。俺の周囲をぐるりと一周して正面に戻って来た。
「やっぱり、背が伸びてる。二年前まで私とそんなに変わらなかったのに!」
「そりゃ、二年も経てば背くらい伸びるだろ。雨月は……伸びてないみたいだが、あんまり」
雨月の頭に手をやって、大まかな高さを測ってみる。
だいたい150センチ後半くらいか。今の俺とは10センチほど差があることになる。
いやはや、こうして雨月を見下ろす日が来るとは感慨深い。
「むぅ……でも、よかった。翼もちゃんと成長してるんだね。体重は? いくつ増えたの?」
「聞いて驚け。今の俺の体重は――」
胸を張って、雨月に告げる。
「――35キロだ」




