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こんなはずじゃ  作者: 莉璃翠


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1/8

前編

「どうして、こうなったんだろう。」


仕事が終わってスマホを見ると、透真さんからメッセージが届いていた。


『今日、遅くまでお疲れ』


たったそれだけの文章なのに、私はなぜか返信を迷っていた。


『お疲れさまでした』


それだけでいいはずなのに、何となく素っ気ない気がして、打っては消す。


結局、


『透真さんもお疲れさまでした』


と送った。


すぐに既読がつく。


『ありがと。ちゃんと寝てね』


「……なんで」


思わず呟いた。


少し前までなら、こんなメッセージをもらっても何とも思わなかった。


むしろ私は、透真さんのことが苦手だった。


同じ大きな事務所に所属していて、顔を合わせることは多かった。でも、ちゃんと話すようになったのは最近のことだ。


最初に話したときから、私は彼を軽そうな人だと思っていた。


だから、あまり関わりたくなかった。


なのに最近、透真さんは私によく話しかけてくる。


翌日も、廊下で会うと、


「昨日、ちゃんと寝た?」


と聞かれた。


「寝ましたよ」


「ほんと?」


「ほんとです」


「ならよかった」


それだけ言って、透真さんは笑った。


私はその背中を見送りながら、少しだけ首を傾げた。


どうして、こんなに気にかけてくるんだろう。


その疑問は、日に日に大きくなっていった。


収録が終われば「このあと予定ある?」と聞かれる。


予定がないと答えれば、一緒に帰ろうと言われる。


休憩中には、以前一度だけ話した飲み物を覚えていて、


「これ、好きだったよね」


と渡してくる。


「覚えてたんですか?」


「覚えてるよ」


「……よく覚えてますね」


「ねねのことだから」


「どういう意味ですか、それ」


そう聞くと、透真さんは笑って誤魔化した。


以前の私なら、こういう言葉を聞けば「やっぱり軽い」と思っていたと思う。


でも、最近は少し違った。


軽いというより、私のことをちゃんと見ている。


そんなふうに思うことが増えていた。


ある日の帰り道、透真さんがふいに言った。


「ねねと話すの、好きだよ」


「……え?」


「何?」


「いや、急だなと思って」


「だって本当だから」


何でもないことのように言われて、私は返す言葉がなくなった。


「……そうですか」


それだけ返して、前を向いた。


なのに、胸の奥が少しだけ騒がしかった。


それからも、透真さんは私が何気なく話したことを覚えていた。


眠いときは甘いものが欲しくなること。


収録前はあまり食べられないこと。


忙しい日が続くと、一人で静かに過ごしたくなること。


そんな細かいことまで覚えている。


「なんでそんなに覚えてるんですか?」


ある日、思わず聞いた。


「覚えてると、ねねが楽そうだから」


「……」


「嫌だった?」


「嫌ではないです」


「よかった」


それだけだった。


でも、その言葉が妙に嬉しかった。


私は少しずつ、透真さんと話すことに慣れていった。


最初は「苦手な人」だった。


それが、「ちゃんとしてる人」に変わって。


気づけば、透真さんと一緒にいる時間を、私は嫌だと思わなくなっていた。


むしろ、少し楽しみにしている自分がいた。


そんなある日、私は少し疲れていた。


自分では普通にしているつもりだったけれど、透真さんには分かったらしい。


「今日、疲れてる?」


「そんなことないです」


「あるでしょ」


「ないですって」


「顔に出てる」


「……そんなに?」


「うん」


透真さんは少し笑った。


「でも、笑ってるほうがいいよ」


「何がですか?」


「その顔」


そう言われて、私は思わず黙った。


「……どんな顔ですか」


「今みたいな顔」


「分かりません」


「なら、そのままでいいよ」


何となく照れくさくて、私は視線を逸らした。


そのあと、廊下で別の男性アイドルに声をかけられた。


少し話していると、後ろから透真さんが来た。


「ねね、スタッフさんが呼んでたよ」


「え?」


「……今の、嘘」


「え?」


「呼ばれてない」


「なんでそんなこと言ったんですか?」


「……今は言わない」


「何それ」


「そのうち」


そう言って、透真さんは歩いていった。


私はその背中を見ながら、ますます分からなくなった。


透真さんは、何を考えているんだろう。


その日の帰りも、透真さんは私を待っていた。


「帰る?」


「はい」


「一緒に帰ろ」


並んで歩きながら、透真さんが聞いた。


「ねねって、俺のこと前より信用してくれてる?」


「……どうでしょう」


「まだ?」


「最初よりは」


「それならよかった」


「なんでそんなに気にするんですか?」


透真さんは少し考えてから、


「ねねに、ちゃんとしてる人だって思ってほしいから」


と言った。


私は少しだけ驚いた。


「もう思ってますよ」


「本当?」


「はい」


「嬉しい」


透真さんが笑った。


その笑顔を見て、私は何となく目を逸らした。


そんな日が続いて、私は少しずつ透真さんを意識するようになった。


それでも、自分ではまだ何なのか分からなかった。


そんなある日。


その日の収録は、予定より少し早く終わった。


私はスタッフさんに挨拶をして、楽屋へ戻ろうと廊下を歩いていた。


角を曲がったところで、ふと足を止める。


少し先に、透真さんがいた。


スタッフさんと話しているようだったけれど、その隣には同じ事務所の女性アイドルも立っていた。


「透真さん、お疲れさまです」


「お疲れ」


透真さんはいつものように柔らかく笑っている。


その子が何か話すたびに、透真さんが相槌を打つ。


特別なことではない。


同じ事務所なんだから、普通に話すことくらいある。


そう思って、そのまま通り過ぎようとした。


なのに、なぜか目が離れなかった。


胸の奥が、ほんの少しだけ落ち着かない。


別に、透真さんが誰と話していても関係ない。


そう思っているのに、その場から離れたあとも、さっきの光景が頭に残っていた。


楽屋に戻ってからも、私は何となくぼんやりしていた。


透真さんは、私にだけああいうふうに接しているわけじゃないのかもしれない。


そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ寂しくなった。


……なんで?


その夜、ベッドに横になってからも、今日のことを思い出していた。


透真さんが笑っていた顔。


私に向けてくれた言葉。


一緒に帰った時間。


そして、あの女の子と話していた姿。


考えれば考えるほど、胸の奥が落ち着かない。


「……私、どうしたんだろ」


小さく呟いて、目を閉じた。


それでも、その答えはまだ出なかった。

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