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華炎戦譚・短編集 ーBAD END & COMEBACKー  作者: 織河トオコ
◆「ストレイボーダー」

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2/2

閑話 神尾×空閑



 研究棟の廊下を、空閑(くが)はガラクタの詰まった木箱を抱えて歩いていた。隣では神尾(かみお)がコーヒーのタンブラー片手に欠伸をしている。


「神尾さん」


 後ろから男の声がした。

 振り返ると、いかにもすらっとしてハンサムな男が片手を上げている。柔らかく笑っているが、どこか目が冷たい。


「あ、珂井(かい)君」

「今大丈夫ですか?」

「いいよー」


 あくび混じりの返事をして、神尾が空閑の横を離れた。


「じゃ、クガくん先戻っててー」

「え、あ、はい」


 そのまま二人は廊下の角を曲がって消えた。ぽつんと取り残される筋肉。


(……なんだ?)


 確か、任務中によく同行する男だ。話したことはないが……仕事の話、にしては温度感に違和感があった。それに何故一般の隊員が研究棟に……?


(なんか……嫌な予感が……)


 一度気付けば簡単なもので、どうやら神尾はその男と2、3日に一度は会っている。


 三十分。

 一時間。

 十五分。

 ふらっと消えて、何事もなかったように戻ってくる。


「……恋人ですか?」

「ん? 違うよー?」


 恐る恐る聞くと、神尾はモニターに目を走らせながら軽く答えた。


 その他意のない声で大体察した。神尾(34歳)もそうだが空閑(36歳)だっていい大人だ。男女が二人で消える意味くらい分かる。


(いや……神尾さんなら不思議じゃないけど)


 むしろ5〜6人、そういう相手がいても驚かない。この人は性欲旺盛だし自分の欲求に忠実だ。恋人は要らないけど相手は必要、という考え方はむしろ彼女らしい。


 だが……どうしても珂井という男は好きになれなかった。

 

 笑っているのに妙に粘つく笑みをしていて、彼女を見る視線はどこか――雑だった。



 * * *

 


「ただいまー」

「神尾さん!?」


 部屋に戻ってきた神尾を見て、空閑は声を上げた。

 頬が赤紫に腫れている。


「あーこれ? 平気平気」

「平気じゃないでしょう!」


 慌てて治癒魔術の光を当てる。ソファにぼすんと倒れて「うー」と唸る神尾の頬を、淡い光が包む。されるがまま、神尾は目を瞑る。


 空閑の胸の奥がざわつく。


(まさか)


 脳裏にあの男の顔が浮かぶ。


 確かに、神尾は自他共に認める変人だ。倫理観もズレてるし、彼女のせいで危ない目に遭った人だってたくさんいる。自分だってしょっちゅう恨み事も……。でも、だからって何をしてもいい理由にはならない。


 ――あの、彼女を見下ろす雑な目。

 壊れても構わない、玩具でも見るみたいに。


「……」


 腫れの引いていく神尾の顔を見ながら、空閑は無意識に歯を食いしばっていた。


 

 * * *

 


 その日、神尾は堕神との共振実験に失敗した。


 精神汚染。研究員総出で鎮静処置を試みたが、神尾は自室に閉じこもったまま出てこられなかった。


 空閑が中に入ると、ベッドの隅で膝を抱えている神尾がいた。明らかに顔色が悪い。


「神尾さん」

「むり。しにたい」


 空閑の背筋が冷える。こんなに追い詰められた神尾を見るのは初めてだった。そっと近づきながらも、距離は取ったまま空閑は低く続ける。


「お、落ち着いてください」

「むり……」

「深呼吸を」

「でき、ない」


 震えながら呟く。


「……()()()


 空閑の肩がびくりと揺れた。


「……神尾さん」

「苦しい……っ、やだ……頭おかしい……」


 助けを求めるような、縋る目が空閑を見上げる。


 言いたいことはわかる。この人にとって性行為は自分が生きていることの確認作業なのだ。誰よりも異形の領域……死に近いところまで踏み込むから。


 でも駄目だ。何より危険だし、ここで応じたらきっとお互い後悔する。


 空閑は目を逸らし沈黙した。

 その時だった。神尾がぼろぼろ泣きながら呟いた。


「じゃあ、珂井君とこ連れてって……」


 空閑が固まった。怯えた声で神尾が捲し立てる。


「し、しないとむり……つれてって……」


 空閑の顔から血の気が失せる。

 頭の中にあの男の冷たい笑顔が浮かんだ。

 

 連れて、行くのか?

 今の神尾さんを?あの男のところに?

 

 いや、それでこの人の気が済むならそうしてあげた方が……いやっ!そもそも、この状態の神尾さんを、あの男はまともに扱うのか?酷いことをしない保証はあるのか?


 してくれる気がしない。

 

 空閑の目に、二人が並ぶ姿が蘇る。

 神尾は笑っていて、男は……

 ――見下したように唇を歪めていた。


「おねがい……」


 空閑はゆっくり俯く。

 覚悟を決めるように、深く、深く息を吐く。


「……だ、だめ、です」


 ごくりと唾を飲む。心臓がばくばくと暴れている。今、きっと怖い顔になってるはずだ。だが、意を決して顔を上げる。


「……お、俺がします」


 ――ぱっ、と神尾の目が開いた。


「ほんと?」


 表情が壊れたみたいに明るくなる。空閑の背筋にぞわりと悪寒が走った。


「わ、嬉しい」


 妙に爛々とした目で神尾がにじりよる。骨ばった長い指が空閑の服を掴んだ。


「はやく、はやくっ」

「ちょ、待ってください!」


 空閑は慌てて神尾の手を止めた。


「その前に、一つだけっ! 正直に答えてもらっていいですかっ」

「えー?」

「前の痣……珂井さんにやられたんですか」


 神尾はきょとんとした。それからへらっと顔を綻ばせる。

 異常性を自覚した笑顔で、


「そうだよ」


 ――ずきん、と胸が痛んだ。


「でも需要と供給っていうか、利害一致っていうか。あれもお互い仕事の後でおかしくなってた時だったから、別にいいんだよー」

 

「……わ、分かりました。でも、もう、その人のところ行くのやめるって約束してください。約束してくれるなら――」

 

「するする!するよ!!」


 子供じみた反応に空閑の顔が歪む。

 こんなに露骨に信用できない約束するはそうそうない。


 空閑がげんなりしていると。


「ふふ、やった」

「うっ」


 神尾が首に腕を回してきた。

 そのまま全体重をかけられる。首に。二人まとめてベッドに倒れ込んだ。


 空閑が上。

 神尾が下。


 柔らかい感触に、空閑の脳が停止する。

 強張った顔を見て神尾がくすくす笑った。


「ふふ、怖がってる……」

「や、やめてください」


 声が裏返る。視線と手のやり場がわからない。


「す、すみません、俺、初めてなんで……」

「そんなの関係ないよ……」


 唇が耳元に寄る。とろんとした熱っぽい声で。


「すぐ慣れるから」


(いやいやいやいやいや無理無理無理無理無理!!)


 馬鹿みたいに心臓が暴れ出す。


(ど、どうしよう……! いいのか!? 本当に!?)


 相手が神尾さんだから感覚がおかしくなるが、冷静に考えれば普通に相手は女性だ。しかも美人だ。というかど美人だ。


 合意、はできてると思うけど、彼女が覚えてませんと言えば独房行き確定だ。いやだ、こんなので捕まりたくない。


 なのに、

 熱い。

 柔らかい。

 ――全身血液臭い。


(いや待て! ご褒美とか考えるな! 人が弱ってる時にその思考は最低過ぎる! あいつと同じになるぞ俺!!)

 

 頭がぐるぐる回る。

 意を決してそっと神尾の二の腕に触れた。


 神尾が嬉しそうに笑う。

 まるで宝物を見つけたみたいに目を細めて、


「……やさしいねぇ」


 空閑の心臓が死んだ。

 神尾の脚がするりと空閑の太腿に絡む。


(あ、これ)


 ――ご褒美でいいかもしれない。


 (いつも殺されかけてるんだし……)


 首筋に唇を埋められ、びくりと空閑の肩が揺れた。その反応に、神尾は吐息だけで笑う。


 ――もしかして地獄に仏って――このこと、かも……


 だがその時、

 神尾の唇が耳元に触れた。


「ねえ、クガくん」


 甘い声。頭の中で理性がギシギシと軋む。

 しかし直後、空閑の意識は奈落に叩き落とされる。


 神尾がにいっと笑う気配がする。

 獲物を見つけた、楽しそうな声が囁いた。

 

「私が良いって言うまで……だめだよ」


 あ、違うこれ

 地獄だ。



 * * *



 次の日。空閑は丸一日休暇を取った。

 というより、取らざるを得なかった。

 

 バディである空閑が動けない以上、神尾も揃って非番になる。


「…………」


 空閑はベッドに横たわったまま、虚無みたいな顔で窓を見つめていた。


 ……だるい。疲れた。

 全身が鉛みたいに重い。


 (なんか……思ってたのと違う……)


 なんか……もっとこう……幸福感とか甘い余韻とかそういうものに浸る感じかと思っていた。いや、全く無くはなかったけど、これまで蓄積してきた疲労も重なって、今はただただ眠気と脱力感が凄い。


 しかも。


「っはーー!! 完全復活ーーー!!」


 栄養ドリンクを豪快に煽った神尾が、元気いっぱいに伸びをした。


「ねえねえクガくん、お腹すいた! なんか食べに行こうよ!」

「…………元気ですね……」

「元気!」


 ……元気だ。良かった。昨日まで死にそうな顔していた人間とは思えない。本当に生命力吸い取っていったんじゃないのかこの人。怖い。


 神尾がベッドに膝乗りになってぐいぐい空閑を押してくる。


「ねーえー、クガくーん」

「……」

「ごはんー」


 甘えるみたいに顔を突っつかれる。

 空閑は死んだ目でされるがまま。


(なんでこの人こんな元気なんだ……)


 そんな中。午後になって入った連絡で、空閑は珂井の死を知った。


 任務中の殉職。

 淡々と伝えられたその報告に、空閑は言葉を失う。

 横で聞いていた神尾は「そっか」と言っただけだった。少し黙って、それで終わり。


 ……本当に、ただの体だけの関係だったのだろうか。


 神尾はモニターに向かってマウスをスクロールしている。


 一応、思うところはあるように……見える。口では需要と供給だなんて言ってたが、だったら一人に絞る必要はなかったんじゃないか?でも、彼のぞんざいな扱いには気付いてたはずだし、いい心象はなかったはずだ。


 ただ、恨み言は漏らさない。それは彼への弔いのようにも見えるし、やり場のない欲求を互いに埋め合い、果ては悲惨な末路を辿った男への哀情のようなものにも見える。


「……」


 白い首筋。細い肩。無防備で、少し寂しげな後ろ姿。

 それが時々、ひどく人間じゃないものに見える。


 空閑は思った。

 

 この人多分、人運が無い。

 そしてきっと、深く関わった人を破滅させる人だ。

 もちろん、それはこの人自身にも同じことが言えるんだろうけど……

 これ以上は……関わりすぎないようにしないと……


「ねえねえ、クガくん」


 いつの間にか、神尾が目の前にいた。

 至近距離からうきうきと顔を覗き込んでくる。


「え、はい、なんですか……」

「しよっか」

「えっ」


 言うが早いか、どんと胸を押された。

 空閑の体がソファに転がる。神尾が跨る。


「好き」

 

 笑いながら、目だけは爛々と輝いている。

 お気に入りの獲物を見つけたみたいに。


 あ……


(これ)


 手遅れかもしれない。


 

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