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華炎戦譚・短編集 ーBAD END & COMEBACKー  作者: 織河トオコ
◆「ストレイボーダー」

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「ストレイボーダー」神尾&空閑

本編を読まなくてもお読みいただけます。残酷表現、流血、くだらん下ネタがありますが、至って真面目な話です。

※登場人物の関係性を語る上で避けられずすみません。



 ガタン!と車体が浮く。縮めていた巨体が両隣の若者にぶつかる。


「す、すすすみません…!」


 左右から迷惑そうに睨まれ、男はぺこぺこと頭を下げた。その時、格子窓の向こう、霧の中に聳え立つ巨大な石鳥居が現れる。


(あれが千年京(せんねんきょう)……)


 心の中で呟き、周囲を見渡す。


 鉄製の箱型の移送車の空気は棺桶のように重く冷たい。皆恐ろしいのか、窓の外を見ることもできずに固く俯いている。

 

 仕方がない。ここから先は『堕神(だしん)』と呼ばれる超常の異形が跋扈し、魔術と呪いが支配する異世界なのだから。


 ──空閑 剛健(くが ごうけん) 三十六歳。

 

 身長190センチの道場仕込みの肉体は、人間相手なら一目置かれてもここじゃ指差し一つで真っ二つである。

 

(生き残れる気がしない……)


 現代の常識をひっくり返した未曾有の大災害『逢魔時(おうまがとき)』が起ころうが、必要なものは変わらない。金。そして稼ぎ口。そして、こんな危険地帯にどこにでもいる小市民がやってきた理由はただ一つ。妹の学費だ。


 実家の道場は逢魔時に半壊。保険も降りず、妹は私立の医大に合格。そして金がない。

 

 辿り着いたのが、高額報酬と引き換えに命を張る『国家退魔師隊(こっかたいましたい)』だ。皮肉なことに、殉職手当も手厚い。もはや、いっそ殉職した方が色々手っ取り早い。


「金さえもらえれば命なんか……いや惜しいけど……妹の未来と生活の方が大事なんだよ……」


 空閑は退魔師隊本部の一室の前でぶつぶつ呟きながら突っ立っていた。


 俺は一体どんな怪物に食い物にされるんだ?

 死んでも骨くらいは残るのか?

 せめて保険が降りるレベルには残してくれ。

 あれか?指一本あれば証拠になるか?


「――お、君がクガ君だね?」


 背後から頓狂な声がかかり、ハッと振り返る。


 最初は美男かと思った。


 軽やかに波打つ赤茶の髪。切れ長の目元と通った鼻筋。肩幅のあるしっかりした骨格と高身長……。だが、やや細い腰回りに、低めの声は妙に色気がある。


 柔らかく笑うその顔は、なぜか「見てはいけないもの」を見た気にさせた。


「初めまして、私が神尾 真珠(かみお まじゅ)だよ。異形研究者兼退魔師。今日から君のバディです。よろしくね」


 魔力めいた引力のある声だ。はたと、空閑は我に帰る。


「く、空閑 剛健です。治癒専門の退魔師として一通りの訓練は積みました。……が、実戦投入はまだでして……」


「あーかしこまらないでいいよ。みんな同じだから。前に組んでた子がね、再起不能になっちゃって。しばらく単独でやってたんだけど、さすがにちょっとキツくてさ。助かるよほんと!」


「さ、再起不能って」


「片腕とー、中身がいくつかと、精神がちょっと。まぁよくあることだよ! 私も最初はあちこちイカれたし! 気にしない気にしない!」


 今とんでもないことをサラッと言われた。さっきまでの"美形かと思った美人"が、一気に"ヤバいやつ"に変わる。


 ……ん?ちょっと待て。


「バ、バディってどういうことですか? 俺はこちらの班の治癒支援だと」


「あー……ちゃんと聞かされなかったのかぁ」


 神尾はへらっと笑った。


「私、ちょっと特殊でさ。戦闘中観察モードに入るから、治癒術師が一緒じゃないと不便なんだ」


「そ、そういうこと、でしたら」


「よし、それじゃあ行こうか! 初日から申し訳ないけど、待ったなしなんだ!」


「えっ……!? どこにですか」


 神尾はくるりと背を向け、白い隊服を翻す。

 好奇心を抑えきれない笑顔で、


生殖器(男根)崇拝系の堕神が出たんだ。面白いでしょ?」


 駄目だ。正真正銘のヤバいやつだ。



 ***





 ──『堕神(だしん)』。

 

 それは、厄災『逢魔(おうま)』の瘴気に呑まれ、異形と化した八百万の神々、妖怪、霊魂の総称。怨念、欲望、信仰が混ざり合い、もはや神と呼ぶにはあまりにもおぞましい異形。


 よって、だいたいの堕神にはルーツがある。そして、今男達の前に立ちはだかっているのは、


「きたあああああああああ!! いたああああああ!!」


 神尾(かみお)の声が跳ね上がった。

 美人が、跳んでる。

 頭部がアレに似た形状の堕神を見て、森で珍獣を見つけた子供の如く大喜びしてる。


「やったーーーーッッ!! 本物だぁぁぁぁ!! ねえねえ見て! クガくん見て! ほらモロ! モロだよぉぉぉぉ!!」


 空閑(くが)の腕をがくがくと揺さぶっていた神尾が満を持してスマホを取り出した。ぱしゃぱしゃとスマホのシャッター音が鳴り響く。

 

 なんなんだあれは……!全身は木彫りの質感なのに、妙にリアルな肉感を持っている。あと、思ってた堕神と違う。

 

 ふざけてる……ふざけてる!!


「昔のやつら頭おかしいのか!!」

 

「コラァ!?? 失礼だろぉが生殖器崇拝にいぃぃ!!」


 何故か神尾がガチギレしている。


「生殖器崇拝はなぁ! 万国人類共通なんだぞ!? 子孫繁栄・子宝成就! 人間の頭数=生産能力の限界!! あらゆる時代と文化を超えた切実な願いだったんだぞなめんじゃねええええ!! ……あ、いやこの場合は舐めていいのか?」


「黙ってください!!」


 とうとう空閑がつっこんだ。しかし神尾の暴走は止まらない。


「ふふ、そうそう。この堕神ね、うちの若手がもう十人はやられてる」


「ヒッ!」


 空閑が青ざめ凍りつく。


「具体的にどうなったかは、聞かないほうがいい。……うん。君の心のためにも……」


 チラッ、チラッと神尾がこちらを伺う。

 なんで聞いて欲しそうなんだ!

 味方やられてんだぞ!!


「そうだ、名前つけてあげなくっちゃ! 堕神の命名権はね、大体私に回ってくるんだ。こいつはそうだなぁ……勃起大明神・一本槍……ッ違うな……! 千本槍の方が神秘的か……?」

 

「アンタやっぱりふざけてるだろ!!」


 神尾が前に出て、インカムに向かって指令を飛ばす。


「みんな聞けぇ!! 絶対に祓うな? ぜっったいに祓うなよ!? どういう異能を使うか観察するの! あの丸いところが光るかも含めて重要だからね! 焦らせ!! ギリギリまで焦らせぇ!!」


 現場の部下たちが遠巻きに怯えている。何人かはもう気絶している。

 

 ……ああ、やばい。

 だめだ。無理だ。最悪だ。

 駄目だこの人!!!


 空閑は震える手で退魔札を取り出した。


「くっ……もう見てられない!!」

「ああっ! 待って!? もう少しだけ観察──」

「もう十分です!!」


 ありったけの札を堕神に放つ。爆音とともに雷光が弾け、禍々しい肉の塊は爆散し消え去った。


「え……」


 空閑が呆然と呟く。まさかの一撃。神尾は凍ったようにその場に立ち尽くしていた。数秒後、狂ったように目を剥き叫ぶ。


「あああ……あああああああああ!!!?」


 膝から崩れ落ち、髪をかきむしる。


「なんで! なんでえええええ!! あんなに、あんなに、面白い堕神、滅多にいないのに……楽しみにしてたのに……! 観察できてない……玉のギミック……見れてない……! うっ……ぐすっ……うわぁぁぁぁぁ!!」


 泣いてる……美女が号泣してる……。

 アレが爆散して……泣いてる……。


 空閑が空を仰ぐ。

 なぜ、前任がダメになったか分かった気がした。

 

 ──全部、この人のせいだ……。


「即逝きだなんて……なんて、なんて儚いやつだったんだぁぁあああ!!」


 こうして男の千年京(せんねんきょう)初任務は、イカれた好奇心の塊──神尾(かみお) 真珠(まじゅ)により地獄の幕開けとなったのだった。

 


 ***





 翌日。空閑(くが)はあてがわれた寮の一室でまだ震えていた。


 いまだに信じられない。あんな、あんなふざけた肉塊と相対したことも。いくら拒否反応がすごかったからとはいえ、上司命令を無視してしまった自分にも。なにより、神尾(かみお) 真珠(まじゅ)という魔物。

 

 ──ここが……魔境か……。


 あれから何も口にできていない。もはやこの吐き気がストレスなのか空腹からくるものなのかもわからない……。


「とにかく……何か口に入れないと……」


 食欲はない。だが、生きている限りは食べて働いて稼がねば。空閑はベッドサイドのテーブルのおにぎりと対峙し、手に掴む。


 しかしその時だった。地獄が再び再来する。扉をノックもせずに、ガチャリとドアが開いた。


「お疲れ~!!」

「ぶっ!! ごほ、ごほ! な!??」


 まだ何も口にしてないのに、気道に何かが入る。神尾が、明らかに長さのあるズタ袋を抱えて入ってきた。


「やあクガくん、入るよ~!」

「ちょ、ちょっと! ノックくらい──」

「見てこれ! 持って帰ってきちゃった♡」


 言葉を遮られ、神尾が背中の袋を見せびらかす。空閑の顔が引き攣った。


「……袋の形が……嫌な予感しかしないんですけど……」

「ふふふふふ……」


 神尾は袋から、丁寧にそれを取り出す。出てきたのは、黒ずんだ木材で彫られ、注連縄を巻かれた、異様な艶を放つアレ。全長約1メートルちょい。


 空閑の表情が死ぬ。


「……木彫りの……アレですね……」


「そう、堕神が大事にしてた祭器。信仰の象徴だよ!」


「なんで持って帰ってきたんですか!!??」


「だいじょーぶだいじょーぶ! これ自体はもう魔力も呪力もないただのブツだから! あ、触ってみる?」


「いやです!??」


 空閑が壁まで後ずさると、神尾は不満そうに口を尖らせた。


「え~ちょっとくらいいいじゃない。ほら、滑らかでしょ? 油で磨かれててさぁ……」


「説明がイヤ!! どういう情報を俺にインプットさせたいんですか!?」


 空閑の声が悲鳴になる。


「はぁ、早く出て行ってくださいよ……! お、お、俺は、金さえ入ればいいんです……! あなたの楽しみに付き合うために、千年京に来たんじゃないんですよ……!」


 必死に言葉を落ち着けてお帰りいただこうとする。だが、ふと神尾の視線が下に落ちた。


「へぇ……君もなかなかいいもの持ってんじゃない」


「な……なんの話ですか……」


 ぞっとなって空閑が後ずさろうとする、が、逃げ場がない。神尾が壁に手をつく。悔しい。イケメンだ。


「いやぁ、体つき。何かやってたよね? 空手? いや柔道かな? 足腰しっかりしてるし、いい反応速度だったもんねぇ」


「ひ、評価していただけるのは嬉しいですが……」


 神尾は期待を湛えた笑みで詰め寄る。下半身に。


「ねえ、見ていい?」

 

「な、何がとは言いませんがなんでですか……」


「だって確かめたいじゃない。ほら、昨日のアレと、君のコレと、そこのソレ、コンセプト的には同じでしょ? 屈強で生命力強そうで、ザ子種!!って感じが」


「俺と堕神を同列に扱わないでもらえませんかね!?」


 神尾はドヤ顔で空閑を見上げる。


「私ね、いつもああいうグロ系の堕神の討伐進んで請け負ってるんだ」

 

「今グロって言いましたね……」

 

「だってさ、最近の子達って感受性だけはやたら敏感で繊細でしょ? ああいうのに当たるとすぐ心折れちゃうの。その点、君は悲鳴あげながらも対応してたし、いやぁ、期待しちゃうなぁ」


 神尾が妖しく笑い、空閑がごくりと喉を鳴らす。嫌な汗が首筋に湧く。しかし、張り詰めた空気を断ち切るように神尾はふっと笑った。


「というわけで、改めてこれから宜しく頼むねクガくん。あ、ちょっとこれ預かっててもらっていい? 今部屋散らかっててさー」


「持ち帰ってください!!」


「うわあっ!? ちょ――」


 神尾を無理矢理部屋から追い出し、勢いよく扉を閉じる。だが、


「ハッ、置いていかれた……!」


 床に残された木彫りのアレ。手に取ることもできずその場に放置される。急に静まり返る部屋で、空閑が天井を仰ぐ。


 ――家に……帰りたい……。


 しかし、こんなことは、悪夢のような女とのバディ生活の幕開けに過ぎなかった。


 

 神尾 真珠は、出鱈目な女だった。


 まず、倫理観が破綻してる。異形を見てテンションが上がる。価値観もズレてて周りにドン引きされる。なのに、明け透けな性格と人当たりの良さで部下に好かれる。


「クガくん、今日はちょっとマイルドなやついこっか! 常世神(とこよがみ)って知ってる? 要はデカめなアゲハ蝶の幼虫なんだけどねぇ。結構な数がいるって報告が来ててぇ」


「俺虫ダメなんですよ!!」


 最初こそ頭がおかしくなりそうだったが、1ヶ月も経って目の下に真っ黒な隈ができる頃には神尾と共に奇怪な堕神と相手にするのが日常になりつつあった。


「クガくんっ、出動命令! 行くよー!」


「はぁ……今日は、なんですか……! エロですか、グロですか……虫ですか……!」


「知ったことか! しかしもう相当数の仲間がやられている! 行け! 世界を救うぞ!!」


「もう、こんなのばっか……」


 そして、神尾という人間は確かに、常に誰かが見張っていなければならない危なっかしい人だった。


 生傷が絶えず、瘴気汚染の禁断症状も日常的。

 常に体を張って前線に立ち続けて、観察、観察、戦闘、観察。

 記録を持ち帰り、解体、分析、深夜の緊急出動。


 それをひたすら繰り返す。

 ひたすら、ひたすら、

 ただ、ひらすら。



***



「あー……今日もありがとね、クガ君」

「いえ……」


 白い箱のような部屋は夕陽色に染まっている。換気扇の音と苦しげな息遣いだけが、いやに大きく聞こえた。


「はあ……」


 傷ついた内臓の修復が終わって、神尾(かみお)はようやく革張りのソファに寝そべり深く息をついた。


 血の滲んだ包帯を乱雑に床に投げ捨て、肘掛けに脚を投げ出す。冷や汗の浮いた額に腕を乗せて、重たい呼吸を繰り返す。


「その、大丈夫ですか……」

「うーん最高……どこも痛くないよ……」


 とろんとした声で神尾は答えた。眉間を寄せたままの男を見上げふっと笑う。


「心配してくれてんの?」

「普通心配します……」

「うん、そうだね。それが普通……」


 気持ちが溢れるように、神尾は笑う。その時だけは、ああ、この人も一応人間なんだなと思う。


「君っていいよね。当たり前に怖がって、当たり前に嫌がって、叫んで、慣れて、余裕が生まれて、人の心配して……。すごく……人間って感じ……」


 人間。

 そう、神尾(かみお) 真珠(まじゅ)も、人間。

 生きて、動いて、食べる。

 でも、自分が治した彼女の中身は本当に元通りになってるんだろうか?

 突然、ぐしゃりと泥のように崩れ落ちてしまうんじゃないか?

 俺たちはまだどこまで人間なんだ?


 わからない。

 わからなくても、彼女は男を引き連れ戦場へ行く。

 戦い、記録する。

 異能と肉体の斥力(せきりょく)、瘴気の濃度分布、その他良くわからない諸々の値。


 神尾はそれらを血糖値測定くらいのテンションで記録し、堕神撃破後も空閑の状態をちょいちょいスキャンしてくる。


「ねえねえ、異能の反動、今何%くらい来てる? もうちょっといける? まだいけるよね? よし、いってみよっか!!」


「あ! ちょっと動かないで、その瘴気濃度スキャンさせて。あ、死にそう? わかるわかる。でもあと3分だけガマンして!」


「やだ、そんな無茶しちゃって……偉いねえ、いい子いい子。そっか、胸から下の感覚がない? うん、あるある!」


 お陰で男も、何度も傷を負わされた。臓器の一部が焼け、潰れ、再構築された。


 ただ……それでも男の中に芽生えてきたのは――"この人を理解したい"という意志だった。


 神尾という人間は、千年京に狂わされたのではない。最初からこの世界の理に誰より適応してしまっている。


 彼女はただ、純粋な探究者だった。

 


 ***





 ──未明。

 白いデスクライトだけが光る中、神尾(かみお)はベッドの上で胡座をかき、乱雑に資料を広げていた。床にも、デスクの上にも、無数の資料や記録がばら撒かれている。


「ほら、この前の戦闘記録、ここ見て。瘴気濃度が閾値を超えた直後に君の脳波が逆流してるんだよね。普通なら記憶混濁とか意識障害が出るレベル。でも君、動き続けてる。あれどうやったの? 無意識下の代償行動?」


 ワイシャツの襟元が開いていて、鎖骨のラインが見えている。髪もボサボサなのに、本人はまるで気にしていない。その無頓着さが、今は逆に人らしい。


「……覚えて、ません……。気づいたら、動いてた。多分、誰かを守らなきゃって思ったんだと思う……」


「うーん、やっぱ君面白いなあ。人間として壊れ方が誠実なんだよ」


 そう、神尾はどこか満足そうに言う。


「……神尾さん」

「んー何?」

「……貴女は……何になりたいんですか……」


 神尾は少し目を丸くしたが、すぐにまたいつもの妖しい笑みを浮かべた。


「何になりたい、かぁ……」


 少し身を揺らして、空閑(くが)の胸に手を当てる。まだ教えないとでも言うようにただ微笑む。


「ねえ、君の体ってさ、すごく人間してるよね。すごく強いのに、限界があって、臆病で、でも壊れてない。普通なんだよ。だからちょうどいいんだよ。私が人間でいられる尺度として。……って言ったら引く?」


「引いてますよ、もうとっくに……」


「ふふ……。あ、ねえ、もし私が戻れなくなったらさぁ……」


「やめてくださいよ……」


 男は絞り出すように言った。


「そうならないように、僕がいるんでしょうが……」


 神尾は笑った。いつもの妖しい笑みで。

 

 ――そして、今日も男は彼女に振り回される。


 だがそんな日々を繰り返してるうちに、彼女に対して抱いていた、ぼんやりとした感情がだんだん輪郭を持ってくる。


 彼女はきっと、他の誰かと替えのきく自分とは違う。この世界にとって必要な人だ。


 だから俺は、自分が壊れるその日まで、ただ彼女を現実に帰れるようにしてやるだけなのだ。


 俺が死んだその後は、きっと誰かがまた、

 俺の代わりをしてくれるだろう。


 だから、それまでは。

 ……ああ、だから、それまでは。


 俺なんかがここにいるだなんて、

 この人の命を背負うだなんて、

 本当におこがましいけれど。


 誰か、俺に、この人を支える力をください。



 ***



 その日は突然訪れた。


 空気が渦を巻く。巨人の唸り声のような風鳴りの中、瓦礫が浮き、竜巻になって空に舞い上げられる。


 夜のように暗い昼。渦の中心にそびえるのは、巨大な三ツ首の蛇のような異形だった。


「やばい――ほんとに出た……! 八岐大蛇(やまたのおろち)だ……!!」


「八岐大蛇……!? しかし、頭が三つしかありませんよ!」


 見上げる神尾の後ろで、空閑が声を張り上げる。


「ああ、なんらかの理由で首の数本が欠損している……! だが姿形は伝承そのままだ……!」


「駄目です撤退しましょう! あんなの倒せるわけが……!」


 神尾の目は爛々と笑っていた。笑いながら天を仰ぎ、その手が光を帯びる。

 

 神尾の異能──それは観察対象の異能力のコピーと思われているが実際は違う。


 本人は『観測共振シンクロリフレクション』と呼んでいるそれは、対象の精神構造を解析し、一定時間異能力の再現を可能にする。


 しかし、構造が合わない相手や、人間の理解の限界を超える共振が起こると、シンクロできずに使用者を自己破壊に追いやる。

 

 ――駄目だ……あれは規格外すぎる!!


 咄嗟に空閑は神尾の腕を掴んだ。


「神尾さんやめてください!!」


「何言ってんの! この機会逃す手はないでしょ! 神話クラスなんて次いつ遭遇できるか──!」


 真珠が叫ぶ。その目が赤く光った直後。八岐大蛇が吠え、空閑の意識が落雷のような爆音を立ててひっくり返った。


「ぐあっ……!」


 思わず頭を抱えて身をすくませる。だが──神尾の後ろ姿が、ゆっくりと傾いた。


 ドシャッ……!

 頭から崩れ倒れる、神尾の体。


「神尾さん!!」


空閑が駆け寄ると、彼女の目は見開かれ、瞳孔がぶるぶると震えていた。両耳から血が流れている。


「ぁ……かっ、…………」


「神尾さん! 神尾さんっ!!」


 すぐに治癒の光を当て、霊石を握らせる。何度も呼びかけ、瘴気を浄化させる。必死の蘇生措置。


 だが──


「はぁ、はぁ……っ!」


 駄目だ。全身の痙攣が止まらない。末端が黒く変色している。扱いきれなかったのだ。彼女の肉体と精神が八岐大蛇の力に耐えられなかった。


 このままだと、戻って来れなくなる。

 ――そんなの、そんなの……!!


「……だめです、だめだ、帰ってきてください……!」


 ありったけの霊石を握りしめ、胸に押し当てる。治癒の光が虚しく神尾を照らす。僅かに呼吸が戻るが、今度は苦しみながら胸を掻きむしり始めた。


「神尾さん、神尾さんっ!!」


 ゴボッ、と大量の血が口から溢れた。目が虚ろになり、顔がぐんぐん青白くなる。


 視界が揺れる。鋭い呼吸音が鼓膜を支配する。

 悲鳴、八岐大蛇が暴れ狂う破壊音。

 耳鳴りの中誰かが叫んでいる。

 撤退が指示されている。


「はぁ、はぁっ、はぁっ……!」


 なんで……?

 どうしてアンタが先にいくんだ?

 どうして俺じゃなくてアンタなんだ。

 

 なんでアンタの死に方はそんなに惨たらしいんだ。

 なんでそんな死に方をしなきゃならないんだ。

 アンタ、そんなに悪いことをしたのか?

 

 そんなことないだろ。

 だって、アンタはいつも自分の欲望の為に動いてたけど、それも全部世界の為だって――!


 

 ――ねぇ、もし私が戻って来れなくなったら……

 


 記憶が白く弾ける。気づけば、叫んでいた。


「やめてくれっ!! この人は、この人は、必要とされてる人なんだ! 世界が必要としてるんだ!!」


 ありったけの魔力を注ぎ込む。なのに、神尾の息は浅くなり、体が燃えるように熱くなる。土気色の肌。大量の血。もし生き返ったとしても、この人は──。


 ああ……ああ!!

 もう、駄目なのかもしれない……!!


「頼む……頼むから……もうこの人がもう助からないなら……! せめて、せめて、この人にも、少しは人間らしい、優しい死に方を──」


 ──その時、だった。

 突然頭上が真っ赤に焼けた。闇が赤い一閃に切り裂かれる。瞬間、肌を強烈な熱が焼く。


「ハッ……!?」


 撃たれたように顔を跳ね上げる。天空で──八岐大蛇の胴体が真っ二つに裂けていた。


 空に、月の兎のように跳ねる小さな人影が静止している。


 薄鼠色の着物。

 真っ赤に輝く日本刀。

 顔には(おきな)の能面。


 空閑が呆然と空を見上げる。

 

 熱く焼けつく空気。

 炎が……華のように夜を舞っている。


 翁面が空閑のそばに降り立った。日本刀が金色の錫杖(しゃくじょう)に姿を変え、振り返る。笑むような翁の能面がこちらを向いた。


 空閑は指先一つも動かせなかった。

 人、間……?

 異形じゃない、気がする。

 少年か? いや、背は小さいが体格や気配は大人だ。


「…………」


 翁面が神尾と空閑を見下ろす。錫杖の先端がすっと神尾に向き、振り上げられる。澄み切った鈴の音と共に、錫杖が地面に打ち付けられた。その瞬間、神尾の周囲に光の結界が張られる。


「──ごほっ……! ごほごほ!」

 

「えっ……!?」


 神尾がむせ返るように息を吹き返す。痙攣が止まり、みるみる顔色が戻っていく。


 ──助かった……!!


 ふっ、と空気の引く気配。

 空閑が顔を上げた時には、翁面はどこにもいなかった。


 


***





 翌朝、空閑(くが)神尾(かみお)の部屋で、彼女の意識が回復するのを待っていた。


 ベッドの上では神尾が静かに眠っている。窓の向こうは、凍えるような朝の空気と霧で満たされていた。


「……ん……」


 神尾の瞼が動き、空閑の肩がぴくりと跳ねた。


「神尾さん……!?」


 呼びかけと同時に、神尾の瞼がゆっくりと開く。


「……ぁ……」

 

「神尾さん……! よかった……よかったです……! 視覚は残ってますか!? 耳は!? 手は、手の感覚は残ってますか!?」


 思わず身を乗り出し、立て続けに質問を重ねる。震える手で手話を振る。

 

 だが次の瞬間──彼女の瞳に浮かんだ違和感に、胸がざわつく。


 焦点の定まらない視線が空閑を捉える。

 そして、


「あー……。えーと、君は、誰かな……」


 音が止まった。えっ、と喉が詰まる。揶揄って言っているような目ではなかった。空閑の真意を探るように、彼女は眉をひそめる。


「あ……あーその反応……てことはつまり……。もしかして、私と組んでた人とか……? もしくは、結構私と親かった人だったり……?」


 心臓が冷たくなる音がした。どうして、そんな察しだけは鋭いのだろう。


「そっかぁ……私、また飛ばしちゃったかぁ」


 彼女はくしゃりと笑った。その笑顔は、残酷なくらい、昨日までの神尾とまるで同じ。


「ああ、ごめんねぇ。なんか私、たまにやるみたいなんだよね。その感じだと、私、黙ってたみたいだね……あはは、悪いね……」


 空閑の手が震える。喉が詰まり、声が出ない。涙が、慟哭が、ただ喉の奥に溜まってゆく。


 そして唐突に理解した。何故前任のバディも、その前のバディも彼女を離れていくのか。周りの人間も、彼女を尊敬しながらも不必要に近づこうとしないのか。そして、自分に向けられてきた、周りの気の毒そうな目。


 ──記憶喪失。

 何度も、何度もこれは起こってきたことだったのだ。


 神尾はぼんやりと天井を見る。


「そっかぁ、言わなかったのかぁ……。君のこと大事だったのかなぁ……。うーん、だめ、よくわかんないや……」


 神尾がころっと目の色を変えて振り返る。


「あ、でも大丈夫。記録は残してあるから。でも全部じゃなくてさぁ……。だから色々教えてよ。ね、君って──」


「……違います」


 絞り出すように、空閑は呻いた。神尾の言葉が止まる。


「……俺は……違います……」


 何故、この時、こんなことを言ったのかわからない。苛立ちだったのか、拒絶だったのか。でも、心の奥のほんのほんの僅かな善意が、これ以上彼女に負担をかけたくないと望んだ結果がこれだった。

 

 神尾は何か言いかけて、ぽつりと呟く。


「……そっか……」


 その声が少し寂しそうで、男の心臓がぎゅっと掴まれた。


「すみません……看護係を……呼んできます……」


 場をごまかすように、空閑は立ち上がった。


 彼女の無言の視線が背中を追ってくるのがわかる。それを振り払うように廊下へ飛び出し、音を立ててドアを閉めた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」


 両脚から力が抜けた。その場に崩れ落ち、背中を扉に預ける。


 終わった。

 ──いや、違う。

 彼女は戻ってきただけだ。

 まだ人間だ。

 ただ、ほんの少し記憶を失っただけ。

 それがたまたま自分といた時間と被っただけ。


 ……それだけ、なのに。

 

 どうしてこんなに真っ暗なんだ。

 なんで何も見えないんだ。


「……う、うう゛っ……っ、っ……!!」

 

 生きている限り、彼女は立ち止まらない。

 今までと同じことがこれからも繰り返される。

 なら、いっそあの時死なせてやった方が楽にしてやれたのか?

 

 涙を流しながら、奥歯を食いしばる。


 その時、一人の若い女性が空閑に歩み寄ってきた。


「あの、空閑さん、ですよね……」


 おずおずと話しかける声に気づいて、空閑が顔を上げた。女性退魔師は、何もかも悟ったような諦めたような目でこちらを見ている。


「神尾さんの意識、戻ったんですね」

「……あ、も、もしかして……前任、の……」

「もう、あんまりあの人に関わらない方がいいですよ」

 

 女の目が嫌悪に歪んだ。空閑が目を見開く。

 よく見ると、女の顔は痩せこけ、目の周りも真っ黒になって落ち窪んでいた。片袖は肩から下が空っぽで、虚しくだらりと垂れ下がっている。


「……いつも、優しい人間ばかりが辛い目に遭うんです。あの人は確かに凄い人だけど、本音では周りの人のことなんかどうでもいいんです。自分が得できれば、研究が続けられればそれでいい。私達のことなんてどうとも思ってないんです。そんな身勝手な人に、命も心も削って付き合う必要ありますか?」


 彼女の言葉は正しく聞こえた。けれどそれは、優しい警告の皮を被った、空閑と神尾への憎悪そのものだった。


「貴方があの人に振り回されてきたの、ずっと見てきました。正直、胸糞悪かったです。天才は天才で、一人で勝手にさせとけばいいんですよ!!」


 踵を返し立ち去る女の姿を、空閑は茫然と見つめる。この女性退魔師は、この日を境に退魔師隊を辞めたと聞いた。理由は、精神的な病だった。




 そして、数日後。


 神尾(かみお)はすっかり元気になり、あっさり前線へ復帰していた。

 

 研究者兼指揮官。少し立派になった肩書きで、異形の巣窟へ踏み込んでいく。


 失われた記憶の欠片を除けば、何も変わっていない。奇抜な行動も、ズレた倫理観も、狂気染みた嗜好も。そして今日も、血の付いた額で、笑いながら振り返る。


「あっクガ君、いつもありがとー!」


 おどおどと、空閑は返す。


「い、いえ……」


 結局、空閑は神尾の班の治癒術師として働いていた。そうしようと決断したわけではない。ただずるずると引きずるやりきれない感情が、彼をそこに留めていた。


 だが、不必要に絡まない。

 ただ淡々と助ける。


 神尾も、以前より人の顔を覚えられなくなっていた。何度も顔を合わせているはずなのに、なかなか顔と名前が一致しない。


 それなのに研究に関しての記憶力は落ちないあたり、やはり彼女は目の前の研究と異形が世界の全てだということだろう。


 楽しそうな彼女を見て思う。


 これでいい。

 これが、彼女の望んだ生き方。

 そう心に何度も言い聞かせる。

 だが……胸の奥のどこかが、虚しいと悲鳴を上げている。


「――ねえ、君って……」


 治癒の光を受けながら、神尾が不意に見上げてくる。どきっ、と空閑の心臓が跳ねた。


「あ、え、と……なんでしょうか……」


「いやー、君さ。動きが慣れてるよね。治癒も的確だし。……ねね、私のバディにならない? うんそれがいい! いいよね!? 手当弾むよ!」


「か、勘弁してください……」


「えーっ。ちぇー……困ったなぁ……」


 口を尖らせる彼女を見ながら、空閑は心臓がバクバク鳴っているのに気づいていた。


 何か始まりかけた気配が遠ざかり、どこかホッとしている自分がいる。彼女の中にまだ自分が残っている気がした。


(そういえば……)


 ふと、空閑はあの禍々しいふざけた祭具がまだ自室にあることを思い出した。


(……完全に返し損ねた……)


 げんなりと、空閑の目の下の隈がさらに濃くなる。


 できれば返品したい、が、今の自分たちの距離感でアレを渡すのはちょっと……。拾ったから研究資料として提供するという程ではどうか。いや、あんなふざけたものを突然持ってくなんてどうかしてるし、それで彼女の機嫌を取って結果目をつけられても困る。


「……ねえ」


「え? あ、はい!?」


 呼ばれた声で我に帰ると、神尾が空閑の首筋に顔を近づけていた。


「なんか君の汗、いい匂いするね。あ、すごい、今私性的興奮かも! ね、あとで私の部屋こない!?」


「行きませんよふざけてんですかアンタ!!」


 だが、もう一つ気づいてしまったことがあった。

 ――死ねない理由ができたのだ。


 彼女が何度壊れても、何度あちら側に踏み込んでも、何度忘れられても。この人はやっぱり歪んだ奇才で、この世界に絶対的に必要な人だ。

 

 だから俺はこの人間離れした真っ直ぐさが続くように。誰より壊れてるみたいで、誰よりも人間らしいこの人が続くように。


 ──今度こそ、間違いなく彼女を、助けられる自分に、ならなければ。




 ***





 青い闇の中、モニターの光だけがぼんやりと神尾の頬を照らしている。


 スピーカーから流れる、聞き覚えある声、ない声。自分の声のはずなのに、それがまるで他人のように響く。


《神尾さん、もう昼3時です。起きてください》

《……ぬああ……うるせえ……! 今朝4時までデータ整理してたんだってばあ……》

《そういうの人間らしい生活とは言いませんよ……。あとせめてシャツくらいは着て……》

《るっせえつってんだろが!!》


《でね、異能使いって、実は魔力より精神構造の方が重要なんだよね。たとえば子ども時代のトラウマが〜〜〜》

《……》

《だから、異能の核心って"自我をどう捉えるか"だと思うの。でね、私の研究だとね》

《寝かせてください……》


《おはよーお腹すいたー! ねえねえ、噛んでいい? ね、いいでしょ、噛みたいー》

《嫌です……》

《えーじゃあ早くしてよー。あー今日も腹が減るー生きるのってめんどくさいよー。研究だけしてたいよー》

《わ、わかりましたから……。とりあえずこれ食べてください……》


 頬杖をつきながら、ただそのやりとりに耳を傾ける。自分の声。自分みたいじゃない言葉。いつもいる、知らない男。


《ねえ、もし私が戻れなくなったらさぁ……》


《そうならないように、僕がいるんでしょうが》

 


《ねえ、クガくん。私、多分君のこと、すごく好きだよ。人間として》

 


 機械が終わりを告げるように、「プツッ」と小さな音を立てた。静寂の中、神尾はじっと目を閉じる。


 妙に片付けられた清潔な部屋に、彼女はいた。


 箱買いされた栄養ドリンクに缶コーヒー。ドライフードの味噌汁やパックご飯が棚に並び、大量の割り箸がマグカップに無造作に突っ込まれている。

 棚の資料はどれも整然と整えられ、まだ処理しきれていない紙束が机の端に積まれていた。


 異質な研究と、生活感の混在。

 自分じゃない誰かが、確かにここにいた気配。


「……うん……うん」


 神尾は何かを唱えるように頷いた。指先が膝の上でゆっくり解ける。伏せていたその瞳が、遠くの幻を思い出すように上がっていく。


「そうだね。……それでいい」


 カーソルが静かに動き、削除ボタンの上で止まる。


 ――クリック。

 音もなく、何かが終わった。


「……ありがとね。私をまたここに帰してくれて」


 神尾はもう一度目を閉じ、それから背筋をぐーんと伸ばした。


「これでまた、研究ができるってもんよーー!!」


 椅子の背もたれで勢いをつけ、立ち上がる。


「よっ、と!」


 スリッパが床を擦る音がやけに頼もしく響いた。

 コート掛けの白い隊服をバサリと翻しながら羽織る。

 戦闘ブーツに履き替え、後ろの髪を手早く縛った。


 思い出せなくてもいい。

 まだこの生は続いている。

 生きてるなら、何度でも始められる。


「さ、行くか!」


 誰に言うでもない、明るい声が跳ねる。

 そして女は、明かりの消えた部屋を後にした。



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