キョウチクトウ誤食事件 後編
何度も何度も、誤食事故計画書を読んだ。
頭に全部入れた後、家で焼き捨てた。
これで俺とあの人を繋ぐ冷徹な計画書は無くなった。
階上さんとの出会いから、三日後。
晴れた日曜日。
俺は大量の荷物を持たされて、山の中のキャンプ場に連れて行かれた。
材料費も、利用料も、全部俺が出した。
人目の無くなったレンタルした区画に着くなり、挨拶代わりに何発か殴られた。
さっさと準備しろ、と命じられ、連中は座って飲み物を呷っている。
――もう、心は動かない。
どうでもいいのだ、こいつらは、死ぬのだから。
俺は脳内で記憶を再生しながら手順通りに作業を進めていく。
水場で野菜洗ってくる、と言い残してその場を離れる。
行きにキョウチクトウを確認。
野菜を洗って戻る途中で、軍手の上からゴム手袋をはめ、プチプチと葉を摘み始めた。
十五枚目を摘んだとき、不意にぞっとした。
理由は――簡単だ。
三人分、四十五枚。
素手で触るな、と言われるほどの毒を?
三人に食べさせた後に、わずかでも俺が口に入れるのか?
あの灰色の女が冷めた目をしてたのを思い出す。
――捕食対象だ、と自覚した瞬間を思い出した。
なぜ、悪意が無いと思っていたんだ?
何の関わりもない俺に、絶対に逃げ切れる殺害計画を提示した彼女が……善意だけで動いていたと思ったのはなぜだ?
もし、あの計画書に落とし穴があったら?
絶対に逃げ切れる……それは俺も諸共に死ぬからでは?
疑念が、十六枚目の葉を摘んだところで俺の体を止めた。
俺は――――日和ったのだ。
ここまで来て、自分が死にたくない一心で。
あいつらも中毒で苦しめばいいんだ、と。
殺してやる、という復讐の刃を、鈍らにしたんだ。
何食わぬ顔で戻った俺は、枚数を三分の一にしたキョウチクトウの葉を混ぜ込んだ野菜のホイル焼きを作り、肉だのなんだのと一緒に焼き始めた。
俺に興味なんてない奴らは、楽しそうに笑いながら飲み食いを始める。
当然、俺は食べない。
というか、連中は俺に食べさせる気なんて最初からなかった。
ぼうっと突っ立ったまま眺めている俺の前で、アルミホイルを開き、中身を三人が食べ始める。
「ん? なんか、ピリピリしねぇか、これ?」
「あぁ……スパイス多めだから」
返答も、全て計画書の通り。
それきり疑問もなく、連中は仲良く毒を分け合っていた。
――俺はじっと見ていた。
様子がおかしくなっていく三人を。
顔色が悪くなり、手足の力が抜けて崩れ落ち、吐こうとして吐けず、無様に蠢く物体。
へぇ、中毒って、こんな感じになるんだな。
その時、俺は不思議なほど平静だった。
まるで、俺に重なって毒薬嬢が三人を観察しているかのように。
その時、計画書の内容が脳裏を過った。
――完全に動きが止まる前に誰かの手に葉を握らせろ。
分かっていたのに、足は動かなかった。
どうしても、逆襲されるんじゃないかという恐怖が体を縛っていた。
結果として俺は黙ったまま、奴らが動かなくなるのを待っていた。
三十分は経っただろうか。
連中はピクリとも動かなくなっていた。
俺はその段になってようやく、理解した。
あぁ、殺したんだ。
機械的に歩き出し、残っていた小さな野菜の切れ端を口に入れた。
口内が痺れる。
反射的に吐き出した。
こんなものを飲み込めるとか、頭がおかしいんじゃないか、こいつら?
最後に手袋をしたまま、残っていた一枚の葉を取り、イジメの主犯格の手に握らせた。
潰れた葉から白い汁が出てくる。
「ひっ……」
本能から出た悲鳴だった。
皮膚がみるみるうちにかぶれていく。
包むように握っていた手を放り出し、手袋を外し、裏返してゴミ袋に突っ込んで荷物に紛れ込ませた。
俺は、半ば放心状態でヨロヨロと歩き出した。
口の中がピリピリして気分が悪い。
それでも、行かなくてはいけない。
計画書に、書いてあったのだから。
辿り着いた管理事務所で、一言一句違えずに緊急事態を訴えた。
管理人は血相を変えて飛び出していき、すぐに戻ってきて電話をかけ始めていた。
残された俺は、スタッフに安静にするように言われて管理事務所内に寝かされることになった。
「……はい、学生四名、キョウチクトウの誤食です! 一名は意識あり、三名は脈が取れません!」
死んだか……殺したんだな……俺。
なんでだよ、たった三分の一……致死量の三分の一だったじゃないか。
やっぱりあの女、悪魔だ。
最初からこうなることを……。
ふっと意識が遠くなった。
「おい、しっかりしろ! 救急車来るからな!」
管理人の声が離れていく。
もう、いいや……計画通りだろ、これで。
俺のではなく、あの女の、だけどな。
プツンと暗闇に意識が落ちた。
***
目が覚めたときには病院にいた。
家族も傍にいて、医者の説明を受けていた。
当然のように警察官もいた。
「キョウチクトウの誤食による中毒ですね。この子は摂取したのが微量だったので軽症ですみました」
医者の説明をぼうっと聞いていると、警察官が尖った声で医者に質問をしている。
「他の三名は?」
「搬送された時点で、三名とも心肺停止状態でした。我々も手は尽くしたのですが……」
「事情を聞けるのはこの子だけか……聴取は可能ですか?」
「今はまだご遠慮いただけますと……この子も被害者ですので」
はは、被害者ね?
笑いたくても、意識がはっきりしない。
頭が、痛かった。
「死亡したうちの一名の手に、キョウチクトウに触れた形跡がありました。おそらく……」
「……うーん……ご家族、よろしいですか?」
警察官は家族に、俺の退院を待って事情聴取を行いたいと伝えていた。
約束を取り付けた警察官が出て行き、医者がもう一度、俺の様子を診てから退室し、家族は看護師に促されて出て行った。
一人になって、魂が抜けたようにぼんやりとする。
結局、俺はあの毒の悪魔の掌の上だったのだろうか?
最初から、俺が日和ることすら想定していたんだろうか?
だとしたら、なんていう冷徹な悪意だ。
俺はただ、あの女の毒殺実験に協力しただけなんじゃないか?
目を閉じる。
頭が痛かった。
あぁ、中毒症状の一つに頭痛があった。
そのせいだな。
俺は解放されたのか、それとも囚われたのか。
もう分からなかった。
***
翌々日の退院後、警察の聴取に応じた。
計画書通りの言葉を吐いた。
誰一人、まったく、これっぽっちも、疑う者はいなかった。
翌日の新聞に、小さな記事が載った。
“高校生、キョウチクトウの誤食で三名死亡”
きっとこの記事を、あの悪魔は楽しそうに笑いながら読んでいるのだろうな、と思った。
搬送された病院で、俺に殴打の痕が残っていたことを不審に思った医者が警察に通報していたらしく、家族に俺がイジメられていたこともバレた。
そして、死んだのがその加害者達だというのも。
父親は母親の強い要請で、俺を休学させたまま引っ越しを決めた。
あれ以来、一度もあの女を見ないまま、俺は転校することになった。
だから、これは俺の回想に過ぎなかったのだ。
過ぎなかったはず、だったのに。
***
あれから、二十七年が経った。
俺は転校先では普通に過ごし、普通に進学し、普通に就職し、普通に結婚して、娘を授かった。
俺と同年代なら、この“普通”は上澄みだと理解できるだろう。
その程度には、俺は頑張ったのだ。
二〇二二年、娘は高校生になった。
娘が進学したのはかつて俺が通っていた高校だ。
もう思い出の中にしかない学校へ、娘の入学式のために妻と赴いた。
「懐かしいなぁ」
「あなた、ここに通っていたんでしょう?」
「一年の途中までだよ。転校先で過ごした時間の方が長かったけど、やっぱり懐かしいものだな」
そんな話を妻と交わしていたとき、ふと、視界の端に何かが映り込んだ。
なんだ……?
校舎の端、窓の向こう。
灰色、の。
ザッと鳥肌が立った。
なぜだ。
なぜ、今更になって、あの悪魔の幻覚なんて。
今日まで思い出しもしなかったのに。
「あなた?」
妻の声が虚しく耳を通り抜けていく。
俺は恐怖に支配されながらも、確認せずにはいられなかったのだ。
妻には「ちょっと知り合いかもしれないから」と告げて、ここで待っているように伝えた。
校内へは保護者ということで咎められずに入ることができた。
スリッパを履くのももどかしく、足を急がせる。
記憶の片隅にこびり付いていた、あの化学準備室。
――鍵が掛かっていることを願っていた。
だが、呆気なくドアは開く。
そこに、いたのは。
タートルネックシャツの上から白衣を纏い、アッシュグレイのベリーショートヘア、フレームのない眼鏡の向こうには理知的な灰色の瞳。
まぎれもなく、あの毒の悪魔がいた。
「階上、さん……?」
掠れた声が出る。
彼女はニィと笑った。
悪意に満ちた笑いと冷めた目は、あの頃のままだった。
「やぁ、堤君。新聞、読んだよ」
まるで昨日のことのように話し出す。
「君は日和ったつもりだったのかもしれないがね、本当に馬鹿だな、君は」
「どういう……」
余裕を湛えた笑みの向こう、悪辣な本性が理性を薄く纏わせていた。
「キョウチクトウの致死量はな、葉であれば五枚から十五枚だ。つまり、五枚でも死ぬときは死ぬ」
そして、全てを呑み込んで、狂気が弾けた。
「なぜ僕の言葉を鵜呑みにしたんだ? 毒を扱うなら自分で調べろよ。あぁ、いや、だから君は被害者として生き残ったわけだ」
足が震える。
この後の言葉は、俺の人生を壊してしまう。
すぐにでも踵を返してこの準備室を飛び出せばよかったんだ。
なのに。
「おめでとう、そしてありがとう。僕の毒薬嬢としての完全犯罪の成就が確認できた」
灰色の、毒の悪魔――毒薬嬢は、温度のない目で俺を見つめる。
「貴重な実験にお付き合いいただきありがとう。君の娘にもよろしくな、堤君?」
俺は悲鳴を上げて化学準備室を飛び出した。
その背に、至極楽し気な笑い声が俺を呑み込むように襲い掛かってきた。




