後編
「驚かせてごめんなさい。少し昔話をしましょうか」
そこそこ広い応接室に入り、私の隣にはミリエール嬢、正面と横のソファに王太子とその取り巻きたちが腰掛ける。出されたお茶を飲んである程度混乱が落ち着いた頃、ミリエール嬢がそんなふうにして話を切り出した。
「以前、アイラさんは自分から転生者だという話をしてくれたでしょう? わたくしの方はほとんど詳しく話したことがなかったから、今話すわね」
「え……っ、ちょ!?」
このメンバーの前で転生者、という単語を出したミリエール嬢にギョッとする。けれど彼女は私の反応を気にも留めず、続きを語った。
「わたくしが前世の記憶を思い出したのは、ちょうど5歳になったばかりの時かしら。あの頃は悪役令嬢に生まれた自分に絶望しながらも、前世でよく読んでいた悪役令嬢転生ものの影響で、もしかしたら知識無双でヒロインが来る前に逆ハーレム作ってうっはうは!? なんて考えでもって動いていたの。まぁ、結局そんな欲望に忠実に動いたせいかしらね……見事に失敗したわけだけれど」
「あいたっ、あいたたた……」
まさかの暴露に思わず額を抑えて呻く。ミリエール嬢も遠い目をしているけれど、自分の黒歴史を暴露することほどつらいことはないだろう。ちょっと聞いただけの私でもものすごいダメージを受けているのだ。なんとも言えない目で彼女を見ていると、彼女は苦笑を浮かべながら私に視線を戻した。
「それでまぁ……失敗した私はよくある電波系ヒロインみたいな感じで逆ギレしてしまって……。何でアンタ達、データの通りに動いてくれないのよ!? ちゃんと好感度上がる選択肢を選んでいたじゃない! って」
「あ、あの、ミリエール様、もういい、もういいですから……っ!!」
い、痛い。聞いていて居た堪れなくなってくるから、それ以上言わないで……っ!
「当然、頭がおかしい子だって判断されたわよね。でもそこはそれ、ほら、わたくしの家柄は王家に長く仕えてきたとあって王妃候補として最有力の位置にあったのよ。それで、まだ幼いからこれからの教育次第でどうにか持ち直せないかと、わたくしの考えの根本を見直す為に記憶を探る魔術を使われたの。そうしてわたくしには前世の記憶があって、わたくしがこの世界を虚構の物語の世界と認識している、ということが判明したの。ちなみにそれらは王家とわたくしの両親、それからいわゆる攻略対象たちとその家に知らされたわ」
「……じゃあ、ここにいる人たちは……」
「ええ、わたくしたちが前世の記憶持ちだということを知っているわ」
ミリエール嬢が普通に話し出した時点で察してはいたけれど、改めて聞くとやっぱり驚きは強い。つまりあれか、ここはすでに電波ヒロイン――悪役令嬢だけど――ざまぁが終わった世界なのか。ちょっと遠くなりそうな意識では、それを理解するのだけで精一杯だ。
それでもって、攻略対象たちは私達の前世の知識を得た。とすると、今まで強引な物語補正だと思っていたものは……。
「じゃあ、何故か避けようと思って避けられなかった彼らとの接触は、実は意図的なものだったということなんですね。ミリエール様と同じ前世の記憶を共有するから、ミリエール様と同じ過ちを私が犯さないか、彼らが監視をするために近づいてきていた、と。てっきり物語補正が入っているのかと思っていました……」
何が物語補正だ。真実は別物で、単に私の自意識過剰だったというわけだ。モテた気になっていた自分が心底恥ずかしい。たしかに見た目は可愛らしいヒロインの容姿だけど、中身がこれだもんな。あー……まさかの黒歴史を刻んでしまったというわけだ。つらい。ちなみに今更だけど、ヒロインはふんわりとした茶のセミロングに、橙の瞳という見た目である。
うあー、と声にならない声で呻いていると、どこか楽しげな声で公爵子息・アーウィン様からの訂正が入った。
「それはちょっと違うかな。まず、前提として俺達には君が前世の記憶持ちだという確証がなかった。前世の記憶がなければ、君はただ普通に過ごしているだけの少女だからね。だからまずはそれを見極めるために近づいた、っていうのが最初の目的かな。まぁ、それも生徒名簿をミリエール嬢に見せたところで、俺達が確かめるまでもなく判明したわけだけれど」
「ぷふっ、あの時のミリエール様の爆笑具合には驚いたね。『ヒロイン』っていうのに決まった名前がないから適当に付けたんだろうって言っていたけど、意味を教えてもらった時は僕も笑っちゃったよ! さすがにちょっと適当過ぎるでしょ!! たしかに内容に見合ってないこともないけどさ! それが自分の名前になっちゃってるんだから、世話ないよね!」
魔術師長の息子・エーミール様が机をバンバン叩きかねない勢いで笑い出す。馬鹿にしているような表情なのがかなりムカつく。そういえばこの子、生意気系要素あったんだっけ。今この場でその設定を披露しなくてもいいのに。
この馬鹿笑いが悔しいので、マジで名前変更機能を使わせてください。
むっすぅ、と不機嫌に顔が歪んでいくのに自覚する頃、騎士団長の息子であるゲレオン様が咎めるようにエーミール様の太腿を抓った。おおう、痛そう。ちょっとざまぁ。
「あまりそうやって名前で笑ってやるな。つらいのは本人だからな。誰もまさか、自分が虚構だと信じる世界に転生するだなんて思わないだろう。ちょっとした遊び心で付けた名前で後悔しているのは本人なんだ」
「ゲレオン様……」
じーん、と胸が感動で震える。わかってくれますか、この気苦労。今まで鬱陶しい逆ハーレム構成員としか思えなかったけれど、そうじゃないと知った今、好感度は素直に上がる。
単純だけれど、名前ネタについて労ってくれたというだけで、私にとってゲレオン様は尊い存在のように思えた。
感動しつつゲレオン様を見つめていると、その視線に気づいた彼は一瞬驚きつつもすぐに苦笑を返してくれる。そこに含まれる柔らかな空気に、何故だか鼓動が小さく高鳴った。
しかしそうして見つめ合う時間は短かった。王太子の不満そうな咳払いが響いたからだ。
「……ゲレオン」
「失礼しました。まさかあのような表情を向けてもらえるとは思わなかったもので」
「次、僕を差し置いてそんなことになったら許さないよ」
「……善処します」
軽くそんな応酬をしたところで、王太子は私に視線を向けた。
「君が前世の記憶持ちと判明したのは、君のその名前と、ミリエールが伝えてくれた性格が一致しなかったというのもある。記憶がない場合の『ヒロイン』ならば正義感が強く、明るく素直、少し天然な気質があったのだろう。けれど、君はそれに当てはまらなかった」
「……そうですね、私は『ヒロイン』とは別人ですし。だからといって、わざわざ演じる気にもなれませんでしたしね」
そんな、本来の自分とかけ離れた性格を演じるなんて考えただけでもゾッとする。もしもミリエール嬢と同じ逆ハーレム狙いとかだったら、原作に沿えばもっとも楽だっただろうし、私も羞恥を押しのけて演じていたかもしれない。
だけど私は面倒事を回避したかったのだ。当然、自分を偽る気になれなかった。
「そして、君は僕達に媚びることは一切なかった。だからといって、ミリエール嬢のような欲望を持ちあわせていないとも言い切れない。何しろ、君が僕達を見る時の目は、ミリエール嬢が僕達を『攻略対象』だと言っていた時と同じものだったからね。君たちが『攻略対象』と称する存在は将来国の中枢を担う者ばかりだ。それを損なう未来は回避しないといけないからね。だから警戒を強めていた」
「……」
「そして、僕達を虚構の存在だと信じているのなら、君のそのそっけない態度も駆け引きのひとつなのかもしれない。男を一度侍らせてみれば、本性を顕すだろう。そう思った僕たちは、それに乗ってみることにしたんだ」
「それがあの、あの鬱陶しい逆ハーレムの実態でしたか……」
「鬱陶しいとは酷いな。表面上は君によく尽くしていたように思うんだけど」
「望んでもいない相手に尽くされたって鬱陶しいだけですよ。しかも相手は自分より身分の高い人間ばかり。気疲ればかり溜まっていくのに、断ろうと思ってもなかなか断れませんし」
「結局君は断ったけどね。あれには驚いたよ」
「我慢の限界だったんです。自分でもよく耐えたと思いますよ」
本気でそう思う。感情的に彼らを怒鳴りつけなかっただけ褒めてもらいたい。何せ彼らが近づいて来れば来るほど、嫌がらせが激化したのだから。いくら自分でも図太いと評している神経の持ち主だとしても、限度ってものがある。
ミリエール嬢のフォローがなければ、彼らの前で醜態を晒すことになっていただろう。
思い出すだけで、それに今聞かされた事実も相乗して怒りが込み上げてくる。私を警戒するのは仕方ない。たしかに私は彼らを『攻略対象』として見ていたのだから。イベントさえ回避できれば、面倒事に巻き込まれずに済むだろう人たち、と。ある意味では侮っていた。
そこまでは納得できるが、あのような試し方は迷惑なだけだ。試すならもっと、私が平穏無事に過ごせる方法で試してくれたらよかったのに。
あのドMっぷりすら私の本性を暴くための演技だとするなら、確実に彼を不愉快な気持ちにさせるだろう。だけど私には今のこの怒りを制御する方法がわからなかった。ただただ感情そのままに王太子を睨みつけていると、宥めるように横から肩を叩かれた。
「まったく、殿下には困ったものですね。アイラさんに睨まれたいからって、アイラさんを怒らせる部分ばかりお話しするのですから」
ひんやりと蔑むような一瞥を王太子にくれてやりながら、ミリエール嬢は実に心地よく感じる強さで肩を叩き続けてくれる。そのおかげで、爆発しそうな怒りはかなり鎮まってくれた。それを感じただろうタイミングで、ミリエール嬢は面白そうにコロコロと笑った。
「でもね、アイラさん。王太子はこういっているけれど、誰よりも一番あなたにハマり込んでしまったのよ。一番警戒していたくせにね。まぁ、それはアイラさん自身でもわかっているのでしょうけど」
「……え、演技じゃなくてですか?」
「演技だったらもっと上手くやるでしょうよ。あんな変態な一面を見せられて、嬉しいと思う女性がいると思う? アイラさんに特殊性癖があったのなら違うでしょうけれど」
「ないない、ないです!!」
これまでの話を聞いていて、あの気持ち悪さは演技故のものだろうという可能性を見出したところなのに。あっさりと希望を覆すミリエール嬢は案外とひどい。
……えー、あのドM化はマジものだったんですか。……演技じゃないなら何が原因だったんだろう。もしや裏設定であったのだろうか? こんな裏設定いらない。
「……と、まぁここまでなら微笑ましい恋話の範疇に含められるでしょうけれど、問題はこの後よね。どうしてこの婚約破棄騒動が起きたのか、アイラさんも気になるでしょう?」
「それは……はい」
さっきの騒動の中で、ミリエール嬢と王太子の仲が良くないことは見せつけられた。けれど今この場にいる2人には、少なくともお互いへの信頼はあるように思えるのだ。
あのようなお粗末な証拠で断罪劇を繰り広げて婚約者を……失敗したとしても王太子自身を貶める結果になるようなことをする必要性が思い当たらない。
その答えは、王太子自身から語られた。
「僕がこんなことをするに至った理由は、もちろん君にあるよ」
「……責任転嫁でしょうか」
「いいや。ただ単に、僕が君に見てもらいたかっただけ。それだけの気持ちでおこなったっていうだけだよ。怒りでも憎しみでも失望でも……何でも。君に、僕に対して本気の感情を向けてもらいたかったんだ。君は僕らを……僕を、いつも一歩引いた目線で見ていたようだからね。だからあえて君がこれまで避けようと思っていたことを起こそうと思ったんだ。君が一番嫌がることをすれば、嫌でもそれをした相手に対して何らかの感情を向けるだろうと思ったからね」
……うわぁ、気持ち悪い。
言葉の意味を理解した途端、私は本気でドン引いた。同時に、さっきの会場で彼が浮かべた陶酔の表情が脳裏に浮かんだ。何、この欲望一直線な考え方。アンタ王太子だろ、立場はどうしたんだと突っ込みたい。むしろどうして周りは止めなかったんだ。
恨みがましい視線は、取り巻きとミリエール嬢にまで向けることになった。
「どうして止めないんですか」
「王太子殿下の命令は絶対だからね」
「僕は父が王宮に雇われている身だからね、逆らったりしたら首にされちゃうよ」
「……一応、止めようとしたのだがな」
アーウィン様とエーミール様はもっともらしいことを言っているけれど、やる気が感じられない。むしろ顔を見ていると面白がっているようにさえ思えてくる。イラッとした。
対してゲレオン様は至極申し訳無さそうな表情をしていた。どうやら王太子の取り巻きでまともなのはゲレオン様だけらしい。
「わたくしはこの変態との婚約は願い下げだったから、今回の騒動を利用して解消できないか働きかけるつもりなの。だからあの茶番劇に乗ってみたのよ」
「え? え? ミリエール様?」
まさかの伏兵だ。今まで一緒にあの騒ぎを回避しようと奮闘してきた戦友と思っていただけに、ガツンと衝撃を受けた。まさかの裏切りだ。
「ごめんなさい、アイラさん。だって……わたくしも耐えられそうになかったのだもの。だってこの人、私以上にあなたへの嫌がらせの情報を握っていたくせに、命の危機に陥るようなものじゃない限り一切助けようとしなかったのよ。『僕に縋って助けを求めるまで待つんだ。彼女も限界まで耐えたら、僕に依存せざるを得なくなるだろうからね』って、すごくうっとりした表情で……。まったく、ドSなのかドMなのかどっちかにしなさいよ! でも彼の気持ちがまったく私に向いていなかったことに感謝したわよね」
「ちょっ、ミリエール様が婚約者でしょう!? どうして手綱を握っておいてくれなかったんですか!? お願いしたじゃないですか!」
「一応諌めていたわよ? でも仕方ないじゃない。『ヒロイン』が来た時点で、『攻略対象』の手綱は『悪役令嬢』の手から離れるものなのよ」
「なんですかそれ!? 仮にも過去、彼らを攻略しようとしたことがあったんなら最後まで足掻いてくださいよ!」
「私はすでに『ざまぁ』を受けた身よ。『ざまぁ』を受けた悪役令嬢に彼らとの未来はないわ」
「体よく面倒事を私に押し付けようとしないでください!!」
「そうは言うけど、そもそも王太子をこんなふうにしたのはあなたよ。責任とって引き取ってちょうだいな」
「まったく身に覚えのないことで責任なんか取りたくないです!!」
わぁ、ぎゃあとミリエール嬢と声をあげて王太子を押し付け合う。冗談じゃない、こんな変態と生涯を共にするなんて考えたくもない。
そもそも王太子がこんなになったのはむしろミリエール嬢が原因じゃないのだろうか。最初にシナリオを改変したのは彼女なんだから、その可能性が強い。そうだ、そうに決まってる!
「まぁまぁ、僕を押し付け合うのはそこまでにしてくれないかな」
「なんでちょっと嬉しそうな顔しているんですか……」
「本気で僕を押し付けたいと思うくらい『嫌』ってことは、『嫌』だと思えるくらいには僕のことをちゃんと見てくれているってことだろう? 嬉しくならないはずがないよ」
駄目だコイツ、早く何とかしないと。いや、手遅れか……。
げんなりと頭を抱えていると、実に朗らかな声でこれからについての話を始めた。
「さて、僕はこれから王太子の位を剥奪されるだろうから、そのことについて話そうか」
「……は?」
「正確には、位が剥奪されるよう、今回の騒動を利用して働きかけるつもりなのだけど」
……わけが、わからない。
そんな状態になっているのは私だけで、周りは事前に王太子とそういった内容について話し合っていたのだろう。私を置いてけぼりにして、会話は進んでいった。
「まぁ、これでやっとわたくしも堂々とお父様に殿下との婚約破棄についてお話できるわね。さすがに大衆の面前で公爵令嬢があのように貶められたのだもの、このまま殿下の婚約者に甘んじているようでは、いち名門公爵家としての矜持に傷がつくわ」
「殿下がアイラに近づいた理由は王家が知っているけどね。だけど周囲はそれを知らない。周りからの認識を操作すれば、いくらでも殿下の王位継承についての不安を煽ることは可能だろうね」
「そもそも、一人の女性に見てもらいたいって理由だけであんな騒動を起こすくらいだもん。これからいくらでも暴走を起こす可能性がある分、国王様も殿下の王位継承に不安を抱くんだろうなぁ。カールハインツ殿下が抜けるとしばらくは厳しくなるだろうけど、第2王子殿下も優秀だし、計画は滞り無く進みそうだよね!」
「これすべてが意図的に作り出した状況か……。決断力のある御方だとは思っていたが、こういうことにまで思い切りがよくなくてもよかったのに……頭が痛い」
「仕方ないよ。だってアイラが平民という立場を利用して僕を遠ざけようとするんだから。それならその原因を取っ払うしかない。僕にとって今一番の障害はこの立場だからね」
「……」
王太子の言葉に、とうとう何も言えなくなった。あれか、もう関わるなって言った時の台詞をそのまま受け取ったのか。それで同じ平民にでもなろうと実行に移したのか。それだけで自分の立場を捨てるとか何この人、ホント恐ろしい。
「いやぁ、今回の騒動は実に使い勝手がいいね。アイラにもやっと僕のことを見てもらえたし……これぞまさに一石二鳥というやつかな」
「……もうやだ」
限界だ。なのに逃げられる気がしない。
「あの場でアイラがミリエール嬢を庇ったことは誤算だったけど、そっちの印象操作は後からいくらでもできるよね。君には王太子を誑かした悪女として一緒に学院を去ってもらうことにするよ。そうすれば……僕たちはこれからずっと2人でいられるね」
「あ、悪女って……」
何その不本意な呼び名!? 悪女なんて呼ばれたら今生最大の黒歴史になっちゃうじゃん!
「一緒に堕ちよう、アイラ」
「だっ、断固拒否させてください!!」
なんで何もしていないのに、最後に私が『ざまぁ』されるような展開になっているんだろう。いや、何もしなかったからなのだろうか。理不尽すぎる。
納得できないけれど、強引に罠にかけられてしまったか弱い獲物には抗う術なんてない。
せめてどこかでこの王太子にやり返す機会がないかと、私はこれからの日々で思考を巡らせるしかなかったのだった。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
スカッとしないものですみません。思い付くままに書いていたらこうなってしまいました。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。