夕里の部屋
サブタイで某テツコさんの番組名をぱくっておきながら、その内容はというと暗いです。暗い話ばかり続いております。申し訳ありません。
それと何となく無理矢理だなあと思ったそこの読者様。その感覚はきっと間違いではないと存じます。ひとえに作者の表現力不足のせいだと思われますので。
魔石に触れたオレを光の濁流が飲み込んで数瞬の後、肉眼で見ていたものなのか、それとも脳内のスクリーンに直接投影されたものなのかはわからない。追体験とも呼べるその代々の<蛇姫>の記憶は、圧倒的なリアリティでもってオレの記憶に灼きつけら上書きされる事になった。映像だけでなく当時の彼女たちのナマの感情をそのままに。
一切のフィルターを通さないそれを、平々凡々な生涯を終えたオレが耐えきるには全身全霊を傾けねばならないものだった。どう自分の中で処理していいかわからずに、オレの意思とは無関係に脳はこれ以上の激情の流入に耐え切れないと判断を下したようだ。自衛のためだろう、切れかけの蛍光灯よろしく視界が明滅をはじめた。
「あなたが、次の<蛇姫>なんですね 」
柔らかい少女の声が、このどことも知れない見渡す限り真っ白で記憶の残滓を留めおかれた空間に響く。見た目の幼さとは違う、聴く者の心に安堵をもたらすような落ち着いたトーンの声。
声の主を振り仰いだオレだが、泣いていた事実を思いだし、気恥かしさを感じてすぐに顔を背けた。表情を悟られぬようそのままの姿勢で「そうだ」と短く答える。語尾に鼻をすする音が続いた。
そこでようやくあれほどオレを苛んでいた<蛇姫>たちの呪詛の波が急速に引いていることに気づく。
――不思議だ。彼女の声がしてから<蛇姫>たちの暴風が止んだ。どんな力の作用かわからないけど、これはありがたいかも。
「あなたの――すいません、お名前を伺っても? 」
「――あ、ああ。ごめん。ケイイチです。ヤマダケイイチ 」
「はい。私はあなたの前の<湖岸の蛇姫>ユーリです。成瀬夕里。新しい<蛇姫>は日本人でしかも―― 」
「日本人でしかも――男の方だったんですね」左手を口元に添えてくすりと笑う。ドングリ眼が愉快そうに、興味津々といった風にオレの顔を覗き込んでいた。
今のオレの姿は<蛇姫>のままだ。にも関わらずオレが男と認識できるということは、彼女には普通とは違う何か別のセンサーが備わっていることになる。
「すいません、お気を悪くなさらないで下さい。余りに珍しかったもので、つい 」
「いえ、オレ自身、奇妙な話だと重々認識してますから。それに記憶を覗いてみた限りじゃ、これまでの<蛇姫>はみんなちゃんと女の人してるようだし 」
「そうですね。皆、きちんと女の子してましたね。でもケイイチさん、あなたもちゃんと女の子してると思いますよ。とっても美人さんに見え……ま、すぷははははは 」
今のオレの爪先――白い鱗に覆われた蛇の尾のような触腕なのでどこが爪先かと問われても困るのだが――から、上は艶やかな黒髪が緩やかなウェーブを形作る頭頂部までを、何度も視線を往復させながら彼女が言う。言いながら後半は吹き出してしまったために、意味を成していないが。
ごめんなさいごめんなさいと頭を下げながらも、おかしくてたまらないといった風に体をよじる彼女を見て、オレは怒るよりもつられて笑い出した。彼女のもつ柔らかな雰囲気のせいだろうか、イヤミがいやらしく聞こえない。
オレと夕里は互いが互いにつられるようにして笑い合い、暫く会話らしい言葉を紡げなかった。
成瀬夕里が十八歳を迎えた年の暮れ。
昨今の十二月としては珍しく早々に雪が降り積もった国道で、五つ年上の姉である真希絵が運転する軽自動車に同乗していた彼女は、四台玉突き事故に巻き込まれて姉妹共々帰らぬ人となっていた。
それはオレの前世での死より五年前だが、その後彼女が<蛇姫>としてこちらで活動していた期間は二十余年にもなり、さらに言えば<蛇姫>として亡くなったのは今より五十年近くも前になる。
どう考えても計算が合わず首を傾げる話だが、二つの世界とそれを繋ぐあの世とで、それぞれの時間の流れ方が違うために生じたものだと思われる。
前世で死を迎えた成瀬姉妹は、ほぼオレと同じ経緯で<星>に選択を迫られていた。オレたちが体験したように、逃げ道を絶った上で自裁か魔獣としての生かを選ばせるという究極の選択、あれと同じように。
大人しく、ともすれば引っ込み思案な少女だった友里はその転生に非常に消極的であったが、それとは好対照で積極的な性格の姉である真希絵が、強引に彼女の手を引いての転生を果たしていたのであった。
彼女らのスタートにはいくつかの幸運が重なった。
先ず<蛇姫>ユーリが大して危険といえるような出来事に遭遇することなく、姉真希絵と合流できたこと。最初の二週間で同時期に転生した者たちで、とりあえずはパーティを結成することに成功したこと。それとほぼ同時にヴェラたち先達者グループに合流することができたこと。この三つである。
偶然が積み重なった結果なのだが、わずかな期間で成瀬姉妹を含む新人転生者たちは、新しい世界において最も強大な勢力に一人欠けることなく合流する事ができたのであった。
この当時の魔獣のグループ分けは大まかに好き勝手に魔獣らしく生きる者と、そうではなくヒトとどのような形であれ共存を選ぶ者との二つのグループだけであった。
当時はまだ大陸の北東部沿岸の亜人たち、真東から南東部沿岸部のヒトたち両者ともに未だその勢力は比較するに矮小で、ゆえにそれ以外の広大な秘境を抑えた成瀬姉妹が合流した魔獣グループこそがこの時点での大陸の支配者というに相応しい規模を誇っていたのだ。
長いものには巻かれろ、という。寄らば大樹のかげ、という。
大陸最大勢力に事実上組み込まれた形の成瀬姉妹たちだったが、右も左もわからない新人魔獣だ。多少なりとも思うところもあったが、我が身可愛さも手伝って、意識的に先達者の話に耳を傾けるようにしてうまくやっていた。
だがここにも躓きの石が転がっていた。
それともデフォルトで<蛇姫>には――というより魔獣には上手く物事が進まないようになる隠し設定でもあるのかだろうか。もしそうだとすればその犯人は<星>でしかありえないわけなのだが。
企図されたものであるにせよ何にせよ、躓きの石は見事その力を遺憾なくを発揮することになった。
きっかけはごく些細なものだったが、その根っこは人間の心の奥深くに根ざしたもので、シンプルだがそれだけに対処が難しい。ゲーム世界と現実世界との認識のズレから生み出されたそれは、最後には成瀬姉妹のパーティを崩壊へと導いたのである。
それを説明する前にまず成瀬姉妹たちが、また未来においてもオレたちが組もうとしているパーティなるものについて軽く触れておこうと思う。
プレイヤー達がパーティを組んだとする。この時、ひとりひとりがパーティを最大限効率的に機能させるべく、それぞれが何かに特化した職業に就いている場合が多い。パーティを代表して敵の攻撃を一身に集める盾役タンク、自らの防御を捨てて敵の生命力を削り取る事に注力した物理もしくは魔法系の攻撃役アタッカー、そしてパーティの生命線である回復支援役ヒーラー。おおまかに分けてこの三つの役割に属する。
ゲームによって多少のバリエーションはあれども、基本的にはこの三つに集約されているはずだ。
そして、このMMORPGにおけるパーティ編成というものは、ほぼ純粋に戦闘に主眼をおいて結束した集団である。敵であるモンスターと戦い、勝利する事だけを目標に構築されているといっても過言ではないはずだ。
しかし、勝敗は兵家の常という言葉がある。ここで用いるにはいささか違和感を感じるが、言いたいことは勝負事は百戦して百勝とはならない――勝つ時もあれば負ける時もあろうさ、となるわけだ。
ゲーム世界においては敗北しても「次の機会こそ頑張ろう」で済む話だ。倒されても蘇る事ができる復活の魔法が存在するし、そうでなくても最初に設定されたホームや拠点にもどるだけであったりするからだ。所持経験値のロストや、所持金の喪失などのペナルティは課せられるがはっきりいって損失などその程度だ。
だがこれが一度こっきりの、それぞれの全てをかけた本物の戦いであったらどうであろうか。命のやりとりとなるそのギリギリ感は、経験した事がないものでも想像に難くはないはずだ。
リセットやセーブロードなどなく、取り返しのつかない一発勝負の世界であった前世では、犯したミスには容赦なく叱責が飛ぶし反省が求められる。そして同じ轍を二度と踏むまいとするはずだ。敗北が死に直結していない平穏な世界であってすらこうだ。
それがひとつの小さなミスで全体に害が及び、果ては取り返しのつかない損失――例えば自分もしくは誰かに死が訪れるなど、さらに結果として全滅に至ったりする――これがゲームではない敗北がそのまま命の危険に直結する世界でのパーティの現実である。
そしてMMORPGをプレイした人なら耳にするか、その場に遭遇するか。あるいは一度は経験した事があることだろうと思う。
ゲームでの戦闘において敗色が濃くなるとプレイヤー達がどういった行動をとるか。また、全滅を回避し、少しでも損耗を抑えて再起を図るためのベターな戦術としてどうするべきとされているか。
その答えは、パーティの生命線である回復役を何をおいても先に逃がすことであり、例え味方の全てが犠牲となったとしても回復役だけでも生き延びるべき、とされているのである。
「ゲームの中でならそれで良かったんです。でも、現実は違った。誰だって痛い目に遭いたくないし、当然死にたくなんてない。取り返しもつかないし。自分が一番大事。当たり前のことだったんです 」
うつむき加減に夕里がそう口にする。あごのラインで切り揃えられた髪先が傾いて彼女の顔を覆い隠した。
泣いているのだろうか。だが、そうであったとしても無理もない。彼女が口にした過去の事実は、心優しい彼女に深い傷を負わせたに違いないのだから。
次に彼女が顔をあげた時には笑顔がそこにあった。ただし最初に見せたものとは明らかに違う無理をした笑顔だ。
「最初はみんな頑張ってたんですよ。でも、誰も戦うなんて事に慣れてなくて……細かい色んなミスをいっぱいしちゃって……どんどん余裕がなくなっていって……そのたびに真っ先に私が逃がされるわけなんです…… 」
そこから先は言葉にならなかった。
聞かずともわかる。命のかかった現場なだけに皆真剣だ。最初は許せたミスもだんだんとそうはいかなくなる。自然にギスギスした空気になり、そしてそんな環境でも何をおいても優遇され逃がされる回復役。
「なんで彼女だけ!?ゲームじゃねえんだ、こっちだって命かけてんだよ! 」
「痛い思いして耐えてるのは俺なんだよ!お前はバカみたいに殴ってストレス発散してるからいいだろうけどよ! 」
「回復って言ったってケガすれば痛いのは変わらないし、そもそも生き返りなんてないじゃない!彼女を真っ先に逃がす必要あるの?生き残るチャンスはみんな平等であるべきじゃない!私たち、みんな生きてるのよ!? 」
少しづつ積み上がった不満は、ちょっとした切っ掛けを欲していたようであった。平時であれば何てことのない、ほんの小さな躓きの石が投じられた時、危険水域をはるかに超えてダムが決壊してしまったのだった。
一旦崩壊したパーティが再修復されることはなかった。一度口にした事は引っ込みがつかないのだ。またあのような切迫した状況で爆発させた感情なだけに、誰もが吐き出されたそれが本音であるという事に疑いをもっていなかった。それだけに本心では都合が悪いと思いながらも、再び命を預け合うパーティを組めるまでに互を信用しきれなかったのである。
崩壊したパーティの新参者たちは、それぞれがそれぞれの誘いを受けていくつかの他のパーティに吸収されることになった。
実を言えば、この時期すでに大陸最大であった魔獣グループは正確には一枚岩ではなかった。いくつかの考えの異なったより小さなパーティ――派閥に分かれて離合集散を繰り返しており、辛うじてヒトとの共存というお題目の下でひとつの体を為している、と言える程度のものだったのだ。
未来においては北と西にある二つのグループに集約されるわけだが、この時点で夕里と真希絵、成瀬姉妹はバラバラに別パーティに属することになった。夕里はヒトと調和を目指すヴェラのいる西の、真希絵はヒトとは無関心での共存を目指す北の、である。
「――なんで?どうしてお姉さんとべつべつに……? 」
オレの質問にユーリはぎゅっと下唇を噛み締める。3拍ほどの沈黙のあとに小さくぽつりと絞り出すように呟いた。
「私たちのパーティが崩壊したきっかけ――最初のひと声をあげたのは姉なんです」――と。
姉真希絵は社交的で華やかな容姿な持ち主であり、学生時代の成績も申し分なく友人も多く、それは社会人に舞台が移ったあとも何ら変わらなかった。それら全てが自分が持っていないものであり、夕里はそんな姉を誇りに思いつつも羨ましいと思っていた。
いつもなにくれとなく妹を気遣い世話をやく出来た美しい姉。当初は友人にも自慢気に紹介していた夕里だったが、それに少しづつ嫉妬が混じるようになっていき、終いには疎ましさばかり感じるように変わっていったのである。
そんなギクシャクしだした矢先に二人は魔獣へと転生した。さらに間が悪いと言おうか、新しい世界においてはややもすると二人の立場は逆転していたのである。
限定的に力を発揮するアタッカーな真希絵に対して、文字通り生命線であるヒーラーの夕里。余人から見てパーティ内の軽重がいずれにあるかは先にも述べた通りだ。二人の間に幾人も差し挟む事となり、素直に意思の疎通ができない日が続くとその関係は日を追って修復し難くなっていった。そして、ついに姉真希絵によって崩壊の一石が投じられるわけになったというわけだ。
立場の逆転に姉が逆に妹を嫉妬した、と単純に悪者と決め付けるわけにはこの場合はいかなかった。なぜなら、むしろ最初に挑発したのは夕里の方だったのである。
前世で勝手に溜め込んだ鬱憤をこれを機とばかり晴らしてしまっていたのだ。どうしてそんなことを?と聞かれれば若さゆえ、経験不足ゆえの過ちとしか言いようがない。夕里のかたを持つならば、危険が付き纏うこの世界において回復役だとちやほやされ、お姫様扱いした周囲にほだされ勘違いした、という事も原因になるのだろう。
なんにせよ飼い犬に噛まれたというと言葉は悪いが、可愛がっていた妹からそんな秘められた負の感情をあてられた真希絵は面白いはずもなく、姉妹の仲はここに決裂したのである。
夕里はショックを受けていた。姉との仲違いは自業自得を通り越して根本は彼女に責があったもので、仕方がないと言えば仕方がないのだが、それよりもパーティ崩壊に際して気づかされたある事実に対して愕然とさせられていた。
それはパーティ崩壊間際の戦闘終了後に、メンバーの一人から手渡された肉塊を前にして放たれた一言が全てだった。
「いい加減あきらめてしっかり食えよ。そんなんだから<聖杯>のレベルが上がらねーんだよ。ヒーラーが回復できなきゃ意味ねーだろ、薬箱の意味わかってんのか?頼むぜ、おい 」
口は悪いが、男にすれば何気ない冗談混じりの一言であったのかも知れない。事実、言った本人はどこ吹く風といった体で自分の食事にかぶりついていたのだから。
言った方は忘れるが、言われた方は死ぬまで忘れることができないものである。夕里は男の言葉に大層傷ついていた。と、同時に気づかされた。彼らが自分を大事にしてくれるのは、あくまでも回復能力が備わっているからなのだと。必要なのは<蛇姫>であり、夕里ではないのだと。ヒトではないモノである薬箱という単語、その言葉がいつまでもぐるぐると頭を回っていた。
そこまで考えが至ると、それまで頑張ってくれているみんなのためと無理をして飲み込んでいた血や肉も、だんだんと喉につっかえるようになっていったのだった。
魔獣の能力発揮は聖餐との引換えである。癒しの力が弱まってゆく<蛇姫>に、風当たりは次第にきついものになっていった。能力が使えなければ用はない、そう言われているような気がした。
今までであれば、妹の前に姉が両手を広げて非難の言葉や視線を遮る防壁になってくれたことだろう。
だが覆水盆に返らず。すでに姉と行き来のなくなっていた彼女は誰をすがることもできず、逃げるように傷心を抱えてヴェラの元へと身を寄せることになったのである。
「その後の私ですが、癒しの力を使う事を躊躇してしまって……どうしても食べられなくて……今にして思えば本当にお荷物状態だったんです。ニートだったんですよ、まるで。毎日、何するでもなく、ぼーっと社に閉じこもって海ばかり見てました 」
泣き笑い。そういった表現がぴったりきそうな彼女の笑顔にオレは何も言えなかった。
後悔や他にどんな感情が彼女の頬の筋肉を刺激させれば、こんな見ている者を辛くさせる笑顔を作らせることができるのだろう。
――そしてそんなオレの思いもよそになおも彼女の話は続いていく。
当時ヴェラが先頭にたって密かに進めていた計画があった。その計画とは山中で行き倒れていたヒトを使って、ゆくゆくはヒト側との窓口となるよう育てようというものであった。
ここでいう山中で拾ったヒトとはベニグノの事である。ヴェラはナズリーンの計画を踏襲するかのように、このベニグノを祈祷師としてヒト側に認知させた上で、確固とした地位を築かせようと目論んでいたのだ。
ところがベニグノがこの役目を全うするには決定的に足らないものがあった。ドワーフの属性は<火>と<土>。癒しを象徴する<水>を生来より持っておらず、このままでは祈祷師としての役目を十分に果たせないのだ。
どうしたものかと頭を悩ませ、計画の練り直しすら考えていたそこへ現れたのが<蛇姫>ユーリである。渡りに船とはまさにこのことだった。ヴェラはすぐさまユーリに彼の元へ向かい、ベニグノの祈祷師として生業を助けるように要請したのだった。
これは打算だけでなく、大まかながら事情を把握していたヴェラが、多忙によってユーリの心が死にゆくのを防ごうという考えとをより合わせた末でもあった。
そうして始まったベニグノとの奇妙だが貧しい人々のために働くといった充実した共同生活だが、そう長くは続かなかった。
「――知ってる。冒険者たちに命を狙われだしたんだろ? そんな中でも最後まで貧しい人々のために癒しの力を使い続けて…… 」
「……それも事実のひとつです。でも私はそんな立派な人間じゃないんですよ…… 」
ドワーフは大地の精霊の末裔と言い伝えられる通り、大地を意味する<土>と、こちらは諸説あるが鍛冶彫金を意味する<火>を属性にもつ。
そしてこれはドワーフだけに限った話ではないのだが、本来備わっているはずの属性が無かったり、違う属性を持った子が生まれる事が希にだがある。その種の子らは通称<忌み子>――チェンジリングとこの世界では呼ばれ、社会からは疎外され迫害されていた。
さて、ベニグノの属性は<土>だけであった。彼はドワーフとしては鍛冶の象徴であり、誇り高い戦士としての力も象徴する<火>から見放された<忌み子>なのだった。
彼は黙して語らないが、山中で行き倒れて野獣の餌になりかけていた原因は恐らくその辺にあるのだろう。拾ったヴェラも属性の異常に気づいてからは、一切、彼の過去については聴こうともしていない。故郷を追われ前に進むしか生きる道がない、その事実だけで彼女には十分であり、そこだけを買って計画を担う相棒として魂を分けたのだ。
話がそれたが、そのベニグノである。ユーリと暮らしだした当時の彼は、今の彼からは想像がつかないほど精神的には荒んでいた。<忌み子>として受けた迫害や恵まれない育ちがそうならせたのか、若かりし頃の彼は偏狭で利己的な考えの持ち主だったのである。
ベニグノは同居する事になった癒しの力を持つこの魔獣を、彼女が心を痛めた原因のひとつでもある薬箱としか見ていなかった。こいつがいれば、こいつが薬を作り続ければワシは祈祷師としてこの先ずっと誰にはばかることなく大手を振って生きていける、と。
「……そんな……じ、じゃあ、誰の言うこともきかず自らの意思で魔力を使い切ったんじゃなくて……ベニグノがそう強要した……!? 」
だからなのか。だからベニグノは初対面であるにも関わらず、<蛇姫>であるオレにあんなに良くしてくれたのか。何か理由があるのかもしれない、とは疑っていたけど、彼が抱いていたのはやはり贖罪だったのか。オレを通して過去に存在した<蛇姫>に対しての。
急に彼との友誼が紛い物めいたように思えて、足元がぐらりと大きく傾いたような気がした。へたりこむ身体を触腕が支えようとするが、痙攣でも起きたように小刻みで震えて力が入らない。
「ち、違います!そうじゃないんです!いえ、ちょっとはそんなことあるかもだけど……とにかく、違うんです!私に対しても、あなたに対しても、彼の気持ちは素直で気持ちの良いものです。根はいい人なんですから 」
当初、ベニグノの心の置き所が悪かったのは事実だ。また、それが夕里にパーティが崩壊した経緯を思い起こさせて、再び小さな胸を傷めさせたのも事実。
それが原因のひとつとして結果としてユーリを救えなかった、その事に関して贖罪めいた感情を持ち続けているのだと思います。夕里はそう過ぎし日の小さな友人の胸の内を忖度してみせた。
ユーリを使い潰すほどであったかというと、これは誓ってベニグノの本意ではない。むしろ彼は自己の保身と栄達のためにユーリを大事に扱ったほどなのだ。細く永く――それがベニグノのユーリの癒しの力に対しての望みであり基本方針だったのだから。
では何をして<蛇姫>ユーリは死に至ることになったというのか。
「……それは、私が――私自身がずっと死を望んでいたからです。 」
「……死を望んだって……」
「――私は卑怯ものです。自分で自分の人生にケリをつける勇気がなかった。自殺という選択の末にどんな罰を課せられるかはご存知でしょう? それが怖かった……だけど、ヒトの手によって無残に殺されるのも嫌! だからヴェラの提案を、ベニグノを利用したんです。信頼を裏切ったんですよ、私は! 」
ヴェラの計画に協力してくれという要請も、それと合わせて戦いから遠ざかって少しでも穏やかな日々を過ごせないかという心遣いも。スタートこそ私欲のためであったが、結果として貧しい人々を救うというベニグノと一緒に過ごした祈祷師としての満ち足りた日々も。そのどれも彼女は自分がより楽にこの過酷な世界から退場するために利用したというのだ。
何の努力もなく手に入れる事ができた、この世界ではレアで羨望の的である能力<聖杯>は、幼い夕里を勘違いさせ尊大にしてしまった。そしてそれが彼女が生き延びるために最も必要ファクターであり、同時に最低限の条件でもある姉という存在を遠ざけてしまったのである。
夕里の心は限界だった。
心強い味方だった姉がいない状態で、この世界を自立して生きていくには彼女は優しすぎたし、良い意味でのずる賢さを持ち合わせてはいなかった。経験も度胸も横柄さも何もかも足りていなかったのだ。
夕里はヴェラの要請通り、ベニグノの期待通り、癒しの力を振るい続けた。。
彼女たちの言う事を聞いたせいで私は死ぬ。たくさんのヒトを救って私は死ぬ。私は自殺なんかじゃない、褒められる事をして死ぬんだ。
そう自分に言い聞かせて、騙し続けた。
こんなひどい世界は――人生はもうたくさん!
食事を摂らずに、息を止めて全力疾走し続けた夕里だったが、正式な<蛇姫>と化した魔力は膨大で容易く底をついてはくれなかった。
凄まじい飢餓感と疲労感が彼女に襲いかかった。気が狂うかと思うほどだった。
ベニグノから夕里の異常を聞いたヴェラが真希絵を連れて訪れた時、そこには別人かと目を疑うほど衰弱した姿で横たわっていた。
唇はひび割れ眼窩は落ち窪み、肋が浮き上がっていた。すでに視力を失いつつある濁った双眸を真希絵に向けると、その足に縋り付いて辛うじて聞こえる声で懇願した。
――ベニグノ、お願い、わたしを殺して、楽になりたいの。もうここいたくないの――と。




