②遠い日の約束
「ただいま」
電動車椅子に乗る、森美月が帰宅した。
美月の母が出迎える。
「おかえり、美月。大学はもう慣れた?」
「うん。バリアフリーも整ってるから、移動しやすいよ。私以外にも、車椅子の子が何人かいるよ」
「そう、良かったわね」
美月がリビングに移動すると、中学生になる妹の美羽が、ソファでスマートフォンをいじっていた。
「あっ、お姉ちゃん。おかえりー」
美羽は立ち上がり、車椅子に座る美月の後ろへと回った。
そして中腰になり、スマートフォンの画面を美月に見せる。
「何? 美羽ちゃん?」
「見てよ、お姉ちゃん。さっき面白い動画、見つけたの」
美羽は、六人組・男性アイドルグループの熱狂的なファンだ。
きっとまた、その類の動画かな、と美月は思った。
しかし、今回は違った。
液晶画面には『日本一下手くそなストリートミュージシャン』と表示されている。
美月は、なんだろう? と首を傾げた。
美羽は、クスクス笑いながら言った。
「これね、路上ライブしている人に、イタズラする動画なの。マジで酷いの。笑っちゃうよ」
その動画は、ギターを持って演奏するに青年に気づかれないよう、背後からリボンやイヤリングをつけるという、イタズラ動画だった。
「下手でも頑張って演奏してるのにね。絶対、そのうち炎上するよ」
笑っている美羽の側で、美月は硬直する。
驚きのあまり、声が出なかった。
なぜなら、イタズラされている青年を、美月はよく知っていたからだ。
◇ ◇ ◇
——8年前、陸が小学五年生の時だった。
「おらぁ、陸! ギブか? ギブアップか?」
騒がしい、昼休みの教室。
クラスの中で、最も体の大きい西昌大が、陸にプロレス技をかけたていた。
アルゼンチンバックブリーカーという、相手を仰向けにして担ぎ上げ、背骨を痛めつける荒々しい大技だ。
「ううう……」
苦しそうに、呻き声を漏らす陸。
しばらくして昌大は、陸を床に降ろした。
しかし、やめたわけではない。
今度は、陸の両足を掴んで、教室中を引きずり回した。
そんな陸を見て、ニヤニヤと笑う、同級生達。
そこへ、一人の女子が駆け寄った。
「昌大君、やめなよ! 陸君が嫌がってるじゃない! 先生に言うよ!」
注意したのは、美月だった。
坊主頭の昌大が、顰めっ面で後頭部を掻く。
「なんだよ、またお前かよ!」
先生に告げ口されては、たまらない。
昌大は大きな舌打ちをすると、仕方なく教室から出て行った。
「あ、あ、ありがとう。み、みみ、美月ちゃん……」
それは、数年前からだった。
陸の、どもる喋り方と、手が震える障がいを真似て、からかう男子が増えてきたのだ。
特に昌大は、からかうだけでは飽き足らず、一方的にプロレス技をかけては痛めつけるという、虐めを繰り返した。
そして、それに気付いた美月が止めに入るというのが、ここ最近のパターンになっている。
陸と美月は、幼馴染。
保育園の頃から、ずっと一緒だ。
小学五年生になった今でも、よく二人は近所で遊ぶ事が多かった。
この日も、学校が終わると、陸と美月は『秘密基地』と名付けた廃車置場に向かった。
タイヤもドアもない、錆びついたトラックの荷台に、腰掛ける二人。
ふと美月が、秋空を見つめる陸に、話しかけた。
「ねえ、陸君、音楽聴こうよ」
美月は、音楽プレーヤーのイヤホンを片方、陸に差し出した。
陸は震える右手で、受け取った。
「古木アキナっていう、シンガーソングライター。今、凄い人気があるんだよ」
二人は、イヤホンの左右を分け合い、お互い片方の耳で聴いた。
声量のある綺麗な歌声と、ピアノの音色が流れた。
〜♪
陸は、音楽に興味が無かった。
シンガーソングライターの意味も分からない。
だが、耳から入ってくる歌声とピアノの音、メロディ、リズム、それらに不思議な心地よさを感じた。
「私、今からでもピアノ習おうかなぁ」
ボソリと呟く美月を見て、陸が言う。
「ぼ、ぼ、僕もやろうかな……?」
美月は、意外そうな顔で陸を見た。
その顔が笑みに変わる。
「本当? でも陸君は、ギターの方が似合いそうだよ。私、K駅でギター弾きながら歌ってる人、見た事あるんだ。そういうの、路上ライブって言うらしいよ。かっこいいよ」
「……も、もし僕がそれ、やったら、き、き、来てくれる?」
「絶対行くよ! 陸君のファン、第一号になるよ!」
「じゃ、じゃあ、僕、ギギギ、ギター買わなきゃ」
「えーっ、気が早いよ、陸君! あはは」
白い歯をのぞかせる美月。
直後に、空を見上げた。
「あっ、もう暗くなってる」
いつの間にか日は沈み、夕闇が訪れていた。
「陸君、そろそろ帰ろうよ」
「う、うん」
二人は、トラックから飛び降りた。
そして、歩き出した瞬間、美月は「わあっ!」と感嘆の声を上げた。
「見て見て、陸君! 満月だよ!」
「ほ、ほ、本当だ……」
夜空の向こうに、丸々とした光が浮かんでいる。
——その時。
どこからともなく、優しい風が吹き抜けた。
ふわりと広がる、美月の黒髪。
キラキラと揺れる眼差し。
陸は、その手を握りたくなった。
だが、寸前でやめた。
つづく……




