第86話 冬至《とうじ》
【巻ノ二・残頁捌拾陸:『百家奇門考・気機』残巻】
「凡そ左道にて物を馭すには、必ず気機を以て媒介と為す。
然れども極寒至陰の気に遇わば、その媒介は即ち索命の橋と化す。寒気は源を遡り、たとえ百丈退くとも、神魂氷封の厄を逃れ難し」
†
謝必安が悲痛な叫びを上げたのと同時に、傍らの銜蝉と沈無もそれぞれ即座に反応した。
とりわけ銜蝉は、焦りのあまりその場で飛び上がり、怒り狂ったように大声で喚き散らした。
『ペッ! この油まみれの歩く死体どもめ、死人の油なんぞをプンプンさせやがって、よくも阿奴を傷つけやがったな! この俺様が――』
言い終わるか終わらないかのうちに、彼は身体を弓のようにしならせ、今にも前へ飛び出そうと身構えた。
沈無は、銜蝉が立て続けに上げる怒りの咆哮と、その張り詰めた姿勢だけで、この猫が何をしようとしているかを正確に見抜いた。
「チャキッ」と金属音が鳴る。彼は百辟喪門刀を真横に構え、銜蝉の行く手を遮った。視線は戦局に釘付けにしたまま、銜蝉の方を見ようともせず、ただ重い声で短い言葉を吐き捨てた。「邪魔をするな。あの小娘は大丈夫だ」
傍らの謝必安もすかさず銜蝉に抱きつき、咳き込みながら宥めた。
「ゲホッ、ゴホッ……焦るな、阿奴を信じろ。千糸叟のあの古狐はとんでもなく狡猾だぞ。お前が今むやみに突っ込んでいって隙を見せたら、ゲホッ……かえってあのクソジジイに乗じる隙を与えちまう。もしあいつが混乱に乗じて逃げでもしたら、今日までの苦労が水の泡だ! その後で阿奴が怒ってお前を無視しても、俺は助け舟を出さねえからな」
銜蝉は目の前に突き出された寒気漂う大刀を見つめ、さらに耳元で謝必安の小言を聞かされ、不承不承ながら身構えを解いた。喉の奥で「ミャオゥ」と二度、不満げに低く唸り、ひどく不本意そうにモフモフの頭で謝必安の手を軽く小突き、彼の宥めに妥協したことを示した。
この時、宙に浮く阿奴は、眼下で起きているこのやり取りを知る由もなかった。傷口を刺すような痛みに、彼女の動きがほんの半呼吸だけ止まった。
千糸叟はそれを見るや否や、体内に残されたすべての気力を微塵も出し惜しみすることなく絞り出し、地下に張った髪の根へと一気に注ぎ込んだ。
「屍怨沸・縛神!」
地面が激しく震えた。方円数十丈以内の地面が同時に陥没し、十七、八本もの極太の黒い髪の柱が土を破って天高く突き上がった。それらは空中で交差し、巨大な漆黒の檻となって、半空の阿奴を完全に封鎖した。
髪の柱の表面には、ブクブクと泡立つ屍水が絶え間なく湧き上がり、悪臭と強烈な腐食性を撒き散らしながら、絶世の少女を檻ごと押し潰そうと迫った。
「終わりだ! 大人しく老夫の奴隷になれ!」千糸叟は枯れ枝のような両手を固く握り締め、檻を内側に向かって急速に収縮させた。
この絶体絶命の危機を前にしても、傷を負った阿奴にわずかな焦りの色も見えなかった。彼女は身の動きを止め、むしろ静かに半空に留まったままだ。
彼女はわずかに顔を下げ、流血している左腕の傷口と、そこに絡みついて離れない強固な黒い怨みの糸を見つめた。かつての冷たい月のような瞳から、先ほどまでの怒りが完全に消え去り、その瞬間、その場にいた誰もが、万年氷のように底知れぬ死寂の気配を感じ取った。
「下劣な穢物が。これは妾の新しい着物ぞえ……数本の薄汚い糸くず風情で、よくもまあ粋がれたものじゃ」
阿奴の桜色の唇が微かに開き、悲しみも喜びも微塵も感じさせない低い声が漏れた。
「万死に値するぞえ……!」
彼女はあの簪に手を伸ばすこともなく、防御の術法を展開することもしなかった。ただゆっくりと、無傷の右手を上げ、五本の指を軽く握り込み、自分の左腕に絡みつく怨みの糸の束を無造作に掴み取っただけだ。
「欲しいなら……全部くれてやる」阿奴の唇の端が微かに上がり、残忍で妖艶な弧を描いた。
それを見た千糸叟の心臓が「ドクン」と激しく跳ね上がり、未だかつてない死の危機感が脳天を突き抜けた。
「しまった!」
彼は即座に決断し、怨みの糸との気機の繋がりを断ち切ろうとした。だが、遅すぎた。あの粘りつくような怨糸は、今や相手の手に完全に溶接されてしまったかのように、一切の制御を受け付けなくなっていたのだ。
阿奴は表情一つ変えず、鋭利な怨みの糸が自分の掌を切り刻むがままに任せた。彼女は体内に蓄積されていた、先ほど飲み込んだばかりの未消化の膨大な妖丹の霊力を、暴力的なまでに強引に呼び起こし、急速に圧縮し、変換した!
刹那。この世の理を逸脱した絶対零度の寒気が、轟然と解き放たれ、二人の間の唯一の物理的な繋がりであるその一筋の漆黒の怨糸を伝い、怒涛の逆波となって真っ直ぐに逆流し始めた!
この寒さに形はなく、この凍結に音はない。寒気が到達した場所には、霜も雪も見えず、ただ生命の完全な死絶だけが残る。
阿奴は鳳凰のような美しい目で斜め下を見下ろし、口角を微かに上げて、心底見下したように冷笑した。
「しっかりと持っておれよ。落とすでない」
言葉が終わるや否や、氷寒がその一筋の怨糸を伝って逆流し、瞬きする間もなく、幾重にも交差する髪の柱を横に貫き、傍若無人な勢いで千糸叟の体内へと直接流れ込んだ。
千糸叟は悲鳴を上げる間もなく、その干からびた狂妄な老顔ごと完全に凍りついた。彼の全身を巡る血気だけでなく、彼とこの天地を繋ぐ気機の結びつきまでもが、ほんのわずかな間に悉く完全に凍結封印されてしまったのだ。
瞬間。空を覆い太陽を隠し、内側へと収縮しつつあった巨大な黒い網が、半空で唐突に静止した。
直後、そよ風がゆっくりと吹き抜ける。
「サラサラ……」
数十本の極太の髪の柱が、燃え尽きた草木の灰のように一斉に崩れ、微風の中で音もなく粉塵へと変わった。夜空へ四散し、もはや一片の痕跡すら残らなかった。
阿奴は空一面に散っていく灰と氷の屑を見つめ、少し不満そうに舌打ちをした。「ペッ。無駄遣いをしてしまった」
広場の中央では、千糸叟がまるで生きているかのような精巧な氷の彫刻と化していた。顔にはまだ、溶かすことのできない恐怖と絶望が色濃く残っている。彼は両手を高く掲げ、印を結んだ姿勢を保ったまま、もはや指一本動かすことができなかった。
阿奴の衣の裾がひらひらと舞い、彼女は虚空を一歩ずつ踏みしめるように、半空からゆっくりと降下し、まるで自分の領地を巡回する女王のように、最後にその氷の彫刻の前に軽やかに舞い降りた。
彼女は赤い唇を微かに開き、その隙間から鋭い小さな虎牙を覗かせた。眼差しには貪欲な異光が閃いている。今まさに、虚空越しに千糸叟の心臓の辺りを狙って軽く息を吸い込み、この老怪物の生涯の修為を骨の髄まで搾り取ろうとした、その時。
「お……お嬢さん、阿奴のお嬢さん、待ってくれ! 刀を収め……いや、爪を収めてくれ!」
沈無が大声で叫びながら、意識が朦朧としてぐったりした謝必安を肩に担ぎ、遠くの崩れた土壁の後ろから大股で飛び出し、間一髪で阿奴の行動を押し留めた。
謝必安は沈無に降ろされた。彼は片手で胸を押さえ、喉に残っていた氷片混じりの黒血を一口、咳き込みながら吐き出した。顔面を蒼白にしながら千糸叟の氷の彫刻を指差し、荒い息をつきながら言った。
「ゲホッ、ゴホッ……阿奴、その犬の命は助けてやってくれ。このクソジジイは司天監の清吏使だ。死体より生かしておいた方が役に立つ。建康城に戻った後、山積みの面倒な後始末にこいつを使わなきゃならねえんだ……」
それを聞いた阿奴は、美しい双眸を細め、深紅の唇を微かに二回ほど震わせた。千の言葉を飲み込んだようにも、声なき呪詛を吐いたようにも見えたが、最終的にはただ、有るか無きかの微かな鼻鳴らしを一つ漏らしただけだった。
彼女の顔には一片の感情も波立たず、その腹の底は全く読み取れない。ただ氷のように冷たく、謝必安を二、三呼吸ほど、じっと睨みつけていた。
謝必安はこの娘の性格を骨の髄まで知っている。仕方なくため息をつき、手慣れた様子で交渉の条件を釣り上げ始めた。
「わかった、お前の言う通りにするよ。都へ戻るまでの数日間、お前が欲しがってる朝露は俺が全部集めてやる。それに加えて、毎日、玉の櫛で半刻ほど、お前の毛並みを梳かしてやる。これでどうだ?」
しかし、阿奴は依然として微動だにしなかった。精緻な顔立ちからは一切の感情が読み取れず、むしろ唇と歯の間から漏れる殺気は減るどころか増している。明らかに、そんな端金のような条件には微塵も惹かれていないのだ。
謝必安は苛立たしげに舌打ちをしたが、それが体内の内傷に響き、痛みのあまり顔をしかめた。「お前って奴は、一体どこでそんな強欲な真似を覚えてきたんだよ……さらに琉璃化した妖丹を二つ追加する! これが限界だ、これ以上は逆立ちしたって出てこねえぞ!」
この言葉を聞いた途端、先ほどまで無表情だった阿奴の顔が、雨上がりの青空のように一気に晴れ渡り、途端に満足げな表情を浮かべた。彼女は虚空に足を踏み出し、口元にまだ血の跡を残している謝必安の目の前まで、余裕の態度で歩み寄った。
彼女はまず、ひどく嫌そうな顔で周囲の血肉が散乱する惨状を見渡し、次に首を傾げて謝必安の顔をしばらくじっと見つめた。その品定めをするような視線は、謝必安の背筋をゾッとさせた。この娘が自分の怪我の具合を見積もっているのか、それとも自分がまだ隠し玉を持っているかどうか計算しているのか、彼には全く判断がつかなかったのだ。
やがて、阿奴はゆっくりと目を閉じ、雪のように白い指先を伸ばし、謝必安の胸元を「トン」と軽く突いた。
瞬間。極めて純粋な霊光が指先から静かに溢れ出し、何一つ阻まれることなく、謝必安の体内へ直接注ぎ込まれた。
「ウウゥゥ――アァァァーー!!」
霊光が体内に入り込んだその瞬間、謝必安の周囲から、突如として、途切れることのない鬼の慟哭のような凄絶な絶叫が鳴り響いた。
血脈の繋がりを伝って流れ込んできたこの悪鬼の怨念は、阿奴の穏やかで絶対的な浄化の霊光の前に、真夏の太陽に晒された残雪のごとく溶けていった。
最初は耳をつんざくような凄惨な悲鳴を上げていたが、その音は次第に弱まり、最後には跡形もなく消え去った。それと同時に、謝必安の蒼白だった顔色が、肉眼で見えるほどの速度で赤みを取り戻し、乱れていた気息も、次第に落ち着きを取り戻した。
阿奴はゆっくりと目を開き、指先を引いた。彼女は美しい眉を微かにひそめると、極めて自然な動作で、謝必安の襟元を使って、先ほど彼の胸を突いたその人差し指を二、三度こすりつけて拭った。
指を綺麗に拭き終えると、彼女は一言も発することなく、屋根を失い、四方の木壁だけになった無残な馬車の方へと向かってふわりと漂い去っていった。立ち去り際、彼女の左手の人差し指が、千糸叟の氷の彫刻に向かって素早く空中で円を描いた。
彼女の周囲から光沢のある白い微光が湧き上がったかと思うと、人の姿を取っていた身体は一瞬にして縮み、全身が銀白色で、高慢で気怠げな元の銀猫の姿へと戻った。地面に足をつくことすらなく、すでに目を細め、一刻も早くあの柔らかいクッションの奥深くへ潜り込もうとしている。先ほどの天地を揺るがす大血戦でさえ、今の彼女の猛烈な眠気を払うには足りなかったらしい。
「ピキッ」
阿奴が去った瞬間、千糸叟の氷の彫刻の胸元に、一筋の整った亀裂の輪が音を立てて走った。彼の体表を覆っていた堅氷は確かに解除されたが、体内の経脈と修為の大部分は未だに氷封されたままだ。
今の彼にはもはや反抗する力など微塵もなく、まるで腐った泥のように地面に崩れ落ち、微弱な呻き声を上げるのが精一杯だった。
千糸叟の命がどうにか繋ぎ止められたのを見て、謝必安はようやく胸をなで下ろし、長く安堵の息を吐いた。
銜蝉は阿奴が自分の傷口を全く手当てする気がないのを見て焦り、思わず駆け寄って「阿奴、その手、大丈夫なのか?」と聞こうとした。しかし振り向いた瞬間、阿奴のまぶたが重く垂れ下がり、今にも二度寝したくてたまらない気怠げな様子を見た途端、喉まで出かかった言葉を慌てて強引に飲み込んだ。
傍らでその様子を一部始終見ていた謝必安は、思わず声を出して笑い、手を伸ばして銜蝉の小さな頭を優しく叩いて宥めた。「安心しろ、見ろよ、あいつはピンピンしてる。天地がひっくり返るような大事件でも起きない限り、あいつがぐっすり寝終わるまではどうにもならねえよ」
沈無は視線を謝必安に移し、重い声で言った。「内傷の具合はどうだ? まだ持ちこたえられるか?」相手の返事を待つことなく、彼は再び破壊し尽くされた広場をぐるりと見渡し、冷たく言い放った。「都に戻った後、今回の事案の顛末は、詳細な報告書にまとめて上奏する」
謝必安は手を上げて自分の胸をポンと叩き、笑った。「ゲホッ、死にゃしねえよ。今のところまだ狐につままれたような気分で、このクソジジイに無駄に陰湿な罠を仕掛けられたのか、それとも背後に別の厄介な事情が隠れてるのか、全くわからねえが……」
そう言いながら、彼は半歩近づき、意味深な目つきで沈無を流し見て、冗談めかして言った。「だがなあ、沈千戸? それとも沈客卿とお呼びした方がいいか? あんたが上に提出するその上奏文……俺が少し知恵を貸してやって、一緒に内容を練り上げてやることもできるんだぜ?」
沈無は苦笑しながら首を振り、人差し指を立てて謝必安を指した。
しかし今のこの状況において、まだ解決すべき切実な問題が残っている。彼は周囲の血生臭い惨状を見渡し、顔色を再び冷たく沈めて低く呟いた。「夜明けまでまだ一仕事あるぞ。今夜は、まだまだ忙しくなりそうだ」
村の外、深い密林の中。幽鬼のような一筋の人影が、枯れ枝の間に音もなく身を潜めていた。
その者は暗く沈んだ玄色の札甲を身に纏い、目も鼻も口も刻まれていない青銅の仮面を被っている。腰には大魏の軍用規格である環首直刀を帯びており、全身から武官特有の、氷のように冷たく人情を欠いた鉄血の気を放っていた。
この時、皮鎧を着た二名の斥候が、村の方向から夜の闇に紛れて疾走してきた。二人は木の下で片膝をついて軍礼を行うと、そのうちの年嵩の者が声を潜めて報告した。
「百戸殿に御報告いたします。村内にいるのは間違いなく沈千戸と謝拾遺の一行です。あの謝必安はどうやら内傷を負っているらしく、先ほど極めて強烈な妖気が爆発いたしました。いかがいたしますか? 周囲の兄弟たちに連絡し、直ちに包囲網を縮めますか?」
青銅の仮面の下で、その百戸は遠くの、ほぼ更地にされた村落と、地面一面で溶け始めている氷霜を見つめ、ゆっくりと手を振って見せた。
「焦るな」百戸の声が仮面越しに響いた。それは金属のように冷たく硬かった。「鏡妖司へ伝書鳩を飛ばせ。ここから建康城へ向かうには、あの数本の官道を通るしかない。奴らとて、背中に羽が生えているわけでもなかろう」
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【司天監内部メモ】
職場の鉄則。同僚の首を手土産にして、ボーナスをもらおうと企んでいるなら、手を下す前に、そいつの本当の後ろ盾を徹底的に調べ上げろ。
さもないと、刀を振り下ろした瞬間、八つ裂きにされるのは自分の方かもしれないからな。




