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世説新鬼 —神のゴミを拾う男—  作者: 仔猫(コネコ)
第二巻:乱法と残骨
109/109

第109話 門庭若市《もんていじゃくし》



【巻ノ二・残頁壹百零玖:『大魏(たいぎ)営造令・宅邸篇(たくていへん)』残巻】


「建康(けんこう)の永安坊(えいあんぼう)、高門甲第(こうもんこうてい)にして、朱門相望む。然れども宅闊ければ陰を集め易く、樹大ければ則ち風を招く。世人は但だ広廈(こうか)千間の赫奕(かくえき)を見るも、磚瓦(せんが)の縫中に多く骨殖(こっしょく)を蔵し、陰湿なる暗処に時に燐火(りんか)の凝るを見ざるなり」


†


昨夜の四海居(しかいきょ)での大盤振る舞いは凄まじかった。二師兄と銜蝉(シェンチャン)の一人と一匹は底なしの胃袋を解放し、子羊三頭、肥えたスズキ五尾を平らげ、極上の古酒を大甕で四つも飲み干したのだ。今や相部屋の雑魚寝床の上で地鳴りのような高鼾が轟き、二師兄の口からは饐(す)えた酒の息が立ち上っている。銜蝉(シェンチャン)に至っては遠慮のカケラもなく、膨れ上がった金色の毛玉となって一晩中腹を丸出しにして仰向けに転がり、少し動こうとしては畳の上をずるずると転がる始末だった。傍らで見ていた謝必安(シャ・ビアン)は、苦笑するしかなかった。


師兄弟の再会が痛快だったのは確かだが、二日酔いのツケはきっちり払わねばならない。謝必安(シャ・ビアン)のこめかみがズキズキと脈打っていた。昨夜はあの二人の暴飲暴食を眺めるばかりで腹は減り、中途で妖骨が暴れ出して生肉を貪り喰らおうとする衝動に襲われたが、師兄に無理やり酒を流し込まれ、強引な気功でねじ伏せてもらったのだ。腹の虫が雷のように鳴り響く。彼は掛け布団を跳ね除けて起き上がり、給仕を呼んで朝餉の支度と顔を洗う湯を命じ、番頭にはここ数日の宿代と飲み食いの帳面を持ってこさせた。今日は大事な役所仕事が控えており、だらしなく寝ている暇はなかった。


半刻も経たぬうちに、給仕が木盆を担いで次々と朝食を卓に並べ始めた。コリアンダーと野蒜(のびる)の香味が立ち上る羊骨だしの手延べ麺が三つの大椀。竹籠には焼き立てで香ばしい胡餅(こへい)と、ふっくらと白い蒸し餅が山と積まれている。脇には蔓菁(かぶら)の酸水漬けと濃厚な鹿肉の味噌だれ。隅の小鍋には温かな麦粥が湯気を立て、牛羊の乳酪(にゅうらく)と石蜜(せきみつ)が添えられていた。


肉味噌と熱い出汁の匂いが部屋に広がるや否や、雑魚寝床の高鼾がピタリと止まった。銜蝉(シェンチャン)の丸っこい体がビクンと跳ね、ピンク色の鼻先をひくつかせながら、目も開けずに念話を飛ばす。『親父ぃ! どこから鹿肉の匂いがするんだ? 俺様、また腹が減ったぞ!』


二師兄も痛むこめかみを押さえながら身を起こし、顔をゴシゴシと擦って卓を見遣り、喉を鳴らした。「気が利くじゃねえか、小弟。昨夜はお前のその厄介な骨を押さえ込んでやるのに大層な気を吸われたからな。この熱い麺でへこんだ腹を満たしてやるとするか」


謝必安(シャ・ビアン)は相手にせず、焼きたての胡餅を齧りながら、四海居(しかいきょ)が差し出してきた長大な帳面をめくっていた。背後では髪結いの女中が手際よく乱れた髪を梳いて髷を結い上げ、黒檀に翡翠を嵌めた簪を挿し込んでいる。羊肉、スズキ、加えて四甕の銘酒。墨痕鮮やかに並ぶ数字をざっと弾いてみたが、大体の勘定に狂いはなく、端数を細かく問い詰める気も起きなかった。


二師兄は裸足のまま胡坐をかいて卓の前に陣取り、湯気を立てる蒸し餅をむんずと掴んで口へ放り込むと、もう片方の手で鹿肉の味噌だれを引き寄せた。帳面にびっしり並んだ数字を横目で眺め、太い眉を吊り上げて嗤う。「へえ、豪勢に食い散らかしたもんだが、お前これ払えるのか? 俺の懐にゃ一文もねえぞ」


銜蝉(シェンチャン)はすでに肉味噌と羊酪(ようらく)の皿に顔を突っ込み、顔中をタレまみれにして貪り食っていた。口をもごもごさせて何か言っているが、何一つ聞き取れなかった。


謝必安(シャ・ビアン)は平然と言い放った。「心配するな。俺が払うとは一言も言ってない」 「番頭」謝必安(シャ・ビアン)は振り返りもせず、机の端をコツコツと叩いた。


戸口に控えていた番頭が揉み手をしながら擦り寄る。「少監様、へえ、何でございましょう。帳面のほうは……不都合などございませんでしたでしょうか?」


謝必安(シャ・ビアン)は袖から官印を取り出し、朱肉をたっぷりとつけると、帳面の末尾へドンと力任せに捺印した。筆を走らせて大書し、紙を前へ押しやる。


「これを持って戸部へ取りに行け。名目は書いておいたぞ――『帝都の風水検分に伴う特務出張の手当および兵糧損耗』だ」


番頭は官印の押された勘定書きを両手で押し頂き、顔いっぱいに皺を寄せて破顔した。「ひえぇ、少監様はお仕事が実にお鮮やかでいらっしゃる! これだけ立派な官印があれば、流石の戸部も勘定を撥ねつけられますまい!」彼は呆然と突っ立っている給仕の後頭部を引っぱたき、怒鳴りつけた。「何を突っ立ってやがる! 早く馬車を回して温かい手ぬぐいを用意しねえか! 少監様御一行を長干里(ちょうかんり)の出口まで丁重にお見送りするんだ!」


給仕は首を縮めて返事をし、腑に落ちない顔をしながらも口答えはできず、番頭の言いつけ通りに駆け出していった。


一行が四海居(しかいきょ)を後にした頃には陽はすでに高く昇っていたが、川沿いから吹き寄せる湿った冷たい朝霧は晴れきらず、永安坊(えいあんぼう)の通りを白く煙らせていた。


馬車が巨大な屋敷の前に停まると、門前にはすでに数名の戸部の官吏が待ち構えていた。 謝必安(シャ・ビアン)が車を降り、先帝の勅命によって下賜され、戸部から引き渡されることとなった御賜の邸宅を見上げた。表門は真新しく修繕されていたが、突貫工事の継ぎ接ぎがあまりにも露骨だった。五間幅の朱塗りの大門には青銅の鋲が鈍く光り、門前には丈余の青石の狻猊(さんげい)が一対、首をもたげて蹲踞(そんきょ)している。頭上には「永安男第(えいあんだんだい)」と刻まれた金泥の四文字が力強く躍っていた。工部が昨夜のうちに突貫で掛け替えた新しい扁額であり、体面だけはこれ以上なく整えられていた。


先頭に立っていた戸部の主事が小走りで駆け寄り、深々と拱手(きょうしゅ)して揉み手をした。「謝少監、お待ち申し上げておりました! 昨夜のうちに工部へ手を回し、表回りをすっかり整えさせました。この扁額、この朱漆の艶、お気に召していただけましたでしょうか?」


謝必安(シャ・ビアン)は穏やかな笑みを浮かべ、拱手して礼を返した。「諸兄には骨を折っていただき感謝する。工部の手際は誠に見事、風格も申し分ない。後ほど戸部尚書にお目にかかった折、貴殿らの働きぶりを一言添えておこう」


主事は骨抜きにされたように顔を綻ばせ、破顔一笑した。「滅相もない、職責を果たしたまでにございます! 少監様からそのように仰っていただければ、昨夜の徹夜の甲斐があったというもの!」


「師弟、俺はお前の役人仕事の邪魔はせんぞ」二師兄は待ちきれないとばかりに手を振った。「おいデブ猫、行くぞ。中を見物して回るぞ!」


銜蝉(シェンチャン)が「ミャウ」と鳴き、丸っこい体を弾ませて誰よりも早く駆け出し、二師兄と共に大手を振って儀門(ぎもん)をくぐり、屋敷の奥へと勝手に消えていった。


役人たちが愛想笑いを浮かべながら先導し、各区画の構造を説明して回る。一行が中庭や回廊を抜けていく中、表向きの二進目までは目立った欠点も見当たらなかった。だが、三進目の庭へ足を踏み入れた途端、謝必安(シャ・ビアン)の眉がわずかに寄った。


表門の朱漆こそ光り輝いていたが、奥へ進むほどその化けの皮が剥がれ落ちていた。敷石の隙間からは雑草が生い茂り、回廊の柱の幾本かは漆が剥げて朽ちかけており、格子窓には破れた障子紙と蜘蛛の巣がこびりついている。濁った池の水は淀み、生臭い藻の臭気を放っていた。長いこと人の手が入っていないのは明白だった。


築山も立派、反り返る軒先も見事だが、吹き抜ける風が運んでくる陰湿な冷気は、肌にべっとりと張り付いてくるようだった。そればかりか、敷居を跨いだ瞬間から、謝必安(シャ・ビアン)の脳裏に鳴り響く『エリーゼのために』の旋律が一度として止まらない。奥へ進むにつれ、その不吉な不協和音は耳元で囁くように明瞭さを増していた。


謝必安(シャ・ビアン)は足を止め、傍らで表情を強張らせていた戸部の役人たちへ向き直り、薄く笑ってみせた。「諸君、案内はここまでで結構だ。この屋敷の底意については粗方呑み込めた。これ以上奥へ進む必要はあるまい。ここで引き渡しの手続きを済ませよう」


屋敷の曰くを知る役人たちは、赦免を得た罪人のように露骨な安堵の色を浮かべ、慌てて愛想笑いを浮かべた。「流石は謝少監、お話が早い! 少監様にお気に召していただけたなら、我らの役目はこれで果たせました」


主事は懐から手早く準備してあった引き渡しの公文書と地券を取り出した。謝必安(シャ・ビアン)は筆を走らせ、淀みなく署名と捺印を済ませた。


文書を懐に収めるや、役人たちは逃げるように足早に辞去しようとした。印章を袖に戻した謝必安(シャ・ビアン)が、背後から静かに声を投げかける。「明日は当家でささやかな暖房宴(だんぼうえん)――新居祝いの宴を催す」


役人たちの足がピタリと止まり、慌てて何度も頭を下げた。「必ずや、必ずや伺います! 少監様のお招きを断るなど滅相もございません!」彼らは互いに目配せを交わし、蜘蛛の子を散らすように屋敷から逃げ出していった。


裏庭の苔むした枯井戸の傍らで、二師兄が続けて二度、大きめの欠伸を噛み殺していた。身を屈めて鼻をひくつかせ、井戸の底から湧き上がる冷たい陰泉(いんせん)の気を二口三口吸い込むと、つるりと剃り上げた頭を叩き、面白そうに嗤った。


「ケケッ、師弟よ、朝廷の古狸どもは随分と気の利いた贈り物を寄越しやがったな! この屋敷の底には陰泉が通ってるぜ。それに裏庭のあの古槐(こかい)の根元にゃ、喉を掻き切られた骨が山二つ分は埋まってやがる。ただの人間が住み着いてみろ、半月と経たぬうちに一家揃って乱葬崗(らんそうこう)の肥やし行きだぞ」


銜蝉(シェンチャン)も大男の足元から毛だらけの頭を覗かせ、井戸の底を心底忌々しそうに見下ろして毒づいた。『くっせえ! 死人の油の腐った臭いしかしねえぞ! こんな気味の悪い場所、ドブネズミだって寄り付かねえぜ!』


謝必安(シャ・ビアン)は裏庭へと歩み寄り、両腕を広げて大きく伸びをした。


「無駄口を叩くな。この地価の高騰する建康(けんこう)で、一文も払わずに五進構えの大屋敷が手に入ったんだ。井戸の底に骨が転がっていようが、中に紅衣の女幽霊が棲みついていようが、俺なら毎月家賃を取り立ててやるさ。どうせ明後日には北へ旅立つんだ、目先の手続きさえ済ませば残りは放置で構わん。都を離れたら、司天監から朱砂(しゅしゃ)を二箱運ばせて壁の隙間を埋めちまえばいい。漏れ出る程度の陰煞(いんさつ)なら問題ない、『驚蟄(きょうちつ)』の暇つぶしの玩具にでもしてやる」


言い終わらぬうちに、前庭の大門のあたりからパチパチとけたたましい爆竹の音が鳴り響き、車馬の蹄の音と人のざわめきが押し寄せてきた。


新任の司天監(してんかん)左少監、永安県男(えいあんけんだん)の屋敷開き。建康(けんこう)という巨大な利権の坩堝(るつぼ)から、甘い匂いを嗅ぎつけた連中が群がってきたのだ。


先陣を切ったのは朝廷の同僚ではなく、弄玉軒(ろうぎょくけん)の荷車隊だった。七、八輌の大車が通りを半分塞ぎ、極上の黄花梨(こうかり)の文机や彫刻を施した大寝台、豪奢な錦の寝具を運び込んだばかりか、「気の利いた心遣い」として老練な番頭を一人、そしてその背後には見目麗しく控えめな四名の侍女を引き連れていた。


蘇小小(ス・シャオシャオ)本人は姿を見せず、すべて、あくまで弄玉軒からの祝いという体裁を取っていた。謝必安(シャ・ビアン)は懐手をしたまま、その老若の者たちの瞳の奥に宿る抜け目のなさを一目で見抜いた――紛れもなく、あいつが送り込んできた監視役だ。だが、このだだっ広い荒れ屋敷を片付けるには、向こうから送り込まれてきた働き手はまさに誂え向きだった。使わぬ手はない。


老番頭が進み出て地に膝をつき、両手で分厚い身請けの証文を捧げ持った。態度は至極謙虚そのものだった。


「手前は福伯(ふくはく)と申します、謝少監様にご挨拶申し上げます。我が主の命を受け、少監様の開府(かいふ)の祝いとして、弄玉軒より心ばかりの品をお納めいただきたく存じます。主より申し付かっております、本日より手前どもの身柄はすべて少監様のお心のままに、少監様を主としてお仕えし、いかなる差配にも粉骨砕身いたします」


老人は言葉を切り、荒れ果てた庭を盗み見ると、声を潜めて付け足した。「主はこうも申しておりました。主の身辺に置く真に腹心の者どもは、少監様ご自身でお見立てのうえお抱えになるべきだと。また、建康の内外で少監様のお立場では動きづらい用向きがございましたら、手前にお申し付けくだされば、直ちに主へお伝えいたします」


謝必安(シャ・ビアン)は証文を受け取って手の中で重みを確かめ、口の端を吊り上げた。「蘇の大旦那は相変わらず気が回るな。実に時宜を得た贈り物だ。主へ伝えておけ、この厚意はしかと胸に刻んだとな」


彼は雑草の生い茂る回廊と埃をかぶった軒先を無造作に指差した。「福伯、人を動かせ。手前の二進が酷く荒れている。まずは正堂と母屋を片付け、寝床を整えろ。それから、裏庭のこの枯井戸のあたりだが……」


謝必安(シャ・ビアン)は淡々と釘を刺した。「ここは風水が定まっておらず、陰煞が強い。俺と二師兄の他は、何人たりとも足を踏み入れるな。命を落としたくあるまい、分かったな?」


「畏まりました! 下の者どもに厳しく言い含め、決して少監様の大事を妨げぬよう見張らせます!」福伯は背筋を正し、侍女たちを連れて前庭へと足早に下がっていった。


人影が遠ざかると、二師兄が横目で謝必安(シャ・ビアン)を睨んで嘲笑った。「お前、あれで何の関係もないと言い張るのか? 弟の嫁御呼ばわりされても文句は言えんぞ。しかも送り込んできた目付け役が揃いも揃って器量良しだ。よく平気で受け取れるもんだ、夜半に喉笛を掻き切られるとは思わんのか?」


銜蝉(シェンチャン)も尻尾を振って同調した。『全くだぜ、親父。本当にあの狐女にたらし込まれてるんじゃないだろうな?』


謝必安(シャ・ビアン)は証文を袖へねじ込み、大男と肥満猫を冷ややかに見据えた。「向こうが銭を出して掃除をしてくれ、外の有象無象を追い払ってくれるんだぞ。転がり込んできたタダの労働力をなぜ断る? さあ行こう、連中が前で騒いでいる隙に、裏庭の井戸の底に何が眠っているか拝ませてもらおうじゃないか」


荷車が荷を降ろし終えるや否や、今度は司天監(してんかん)の同僚たちが雪崩を打って押し寄せてきた。 占星科と漏刻科の博士連中が、今日に限って糊のきいた真新しい官服に身を包み、顔いっぱいに媚びた笑みを浮かべて現れたのだ。


「おお! 謝少監、開府の儀、大慶に存じます!」 占星科の余博士が揉み手をしながら歩み寄り、沈香木の小箱を恭しく捧げ持った。「監正大人のお言いつけを受け、下官は前朝の羊脂玉(ようしぎょく)の文鎮一対と、深海の辟水珠(へきすいしゅ)二粒を調達してまいりました。少監様の暖房の宴へのささやかな贈り物、ほんの寸志にございます!」


謝必安(シャ・ビアン)は拱手した。「余博士、お心遣い痛み入る。司天監の内外はもとより一つ。雑項科が星軌(せいき)を読み、吉凶を占うにあたり、貴科には日頃より多大なるご尽力を賜っている。今後ともよろしくお引き立て願いたい」


余博士はさらに腰を折り、卑屈な笑みを浮かべた。「滅相もない! 今後とも少監様のお言いつけ一つで、犬馬の労を厭いませぬ。真っ先に雑項科へ馳せ参じますゆえ!」


「いい加減になされよ、余博士」控えていた漏刻科の章博士がせせら笑い、小ぶりな鍍金の水運儀象(すいうんぎしょう)を抱えて割り込んできた。「貴殿らの占星科の星読みが、いつ当たった試しがあるというのだ。少監のこの屋敷は煞気を帯びておる、そのような小手先の珠など何の役に立つ。少監様、下官が用意いたしましたこの天枢(てんすう)定時の銅漏(どうろう)こそ、目利きのみが知る逸品にございます。正堂に据え置けば、四方の吉時を逃さず留め置くことができましょう」


回廊の陰からその様子を眺めていた二師兄が吹き出し、足元の肥満猫へ耳打ちした。「見ろよ。あの古狸ども、普段の星占いは一つも当たらねえくせに、銭と権力の匂いを嗅ぎつける鼻だけは犬より利きやがる」


銜蝉(シェンチャン)が念話で鼻を鳴らした。『親父! あいつらに珠なんて寄越すなって言ってくれよ! 珠なんか鍋に入れても出汁も出ねえ、ケチくせえったらないぜ!』


謝必安(シャ・ビアン)は福伯へ目配せして贈り物を台帳へ記録させると、淡々と応じた。「両博士のお心遣い、感謝いたす。屋敷が荒れ果てており、本日は行き届かぬが、明夜の宴には是非ともお越しいただき、杯を重ねていただきたい」


二人は何度も平伏して応じ、庭に運び込まれた豪奢な黄花梨の調度品を盗み見て、互いに目配せを交わしながら引き揚げていった。


続いて、豪奢な馬車が門前に滑り込み、謝氏の家臣たちが堂々と足を踏み入れてきた。先頭に立つ老人は濃紺の織柄錦の長袍(ちょうほう)をまとい、謝必安(シャ・ビアン)へ深々と一礼した。声には恭しさが滲んでいる。


「老太公(ろうたいこう)様ならびに当主様のお言いつけを受け、必安坊ちゃんの開府の慶事をお祝いに上がりました。老太公様曰く、坊ちゃんは分家して自立されたとはいえ、血は水よりも濃いもの、謝家はどこまで行っても坊ちゃんの揺るぎなき根幹に他ならぬと」


老人が手を叩くと、下僕たちが列をなして進み出て、三つの朱塗り蒔絵の大箱を運び込み、一つ一つ蓋を開け放った。


「老太公様からの言いつけの品にございます。千年雪参(せつじん)二株、前朝の書聖の真跡残巻一軸、金糸雲紋の軟甲(なんこう)一領。さらに一族より、永安坊の目抜き通りの繁盛店二軒の地券、肥沃な田畑三百畝(ムー)をお納めいたします。老太公様は坊ちゃんの気性を慮られ、勝手に下僕を配することはなさいませんでしたが、人手がお入用とあらば、『説三』や『道四』をお回ししても構わぬとのこと。屋敷に必要な用向きがございましたら、いつでも本家へお声がけを」


「老太公様にはご配慮いただき恐縮に存じます」謝必安(シャ・ビアン)の表情は凪いだまま、箱の中身へ視線を落とすことすらしなかった。「この必安、不肖の身でありながら、老太公様にご心配をおかけいたしました。頂戴いたしますゆえ、老太公様と当主様へよしなにお伝え願いたい」


老番頭の眉が微かに動いた。これほどの莫大な財を前に、相手があまりに平然としていることに虚を突かれたのだ。彼は咳払いをし、探るように半歩歩み寄った。「坊ちゃん、老太公様はこうも仰せでした。いまや朝廷に確固たる足場を築かれた以上、折を見ていつでも烏衣巷(ういこう)の本家へお立ち寄りくだされと。他の用向きについても、幾らでも腹を割って話せましょう」


謝必安(シャ・ビアン)の口元に笑みが浮かんだが、声音には一片の波も立たなかった。


「お心遣い痛み入る。司天監の職務が逼迫しており、暇ができれば伺おう。福伯、箱を倉へ納め、台帳に付けろ」


老番頭は唇をもごもごさせたが、頭を下げるほかなかった。「……承知仕りました。これにて引き揚げ、本家へ言上いたします」


「見送りはせぬ」謝必安(シャ・ビアン)は短く言い捨てた。


二師兄は剃り上げた頭を掻き、去りゆく謝家の車列を眺めて舌を鳴らした。「たまげたね。前には門前払いで叩き出しておいて、出世したと見るや地券を抱えて親戚面で戻ってきやがった。世家の面の皮の厚さときたら、俺の足の裏の角質より分厚いぜ」


銜蝉(シェンチャン)が謝必安(シャ・ビアン)の脚にすり寄り、運び込まれる錦の箱を見つめて舌なめずりした。『親父ぃ、あの古い朝鮮人参、肥えた地鶏と一緒に煮込んで食えるか?』


「食い意地ばかり張りやがって」謝必安(シャ・ビアン)は屈んで猫の頭を軽く小突いた。「慌てるな。真打ちがまだ来ていない」


その時、門外から威厳に満ちた朗々たる触れ役の声が轟いた。


「武陵王府の長史のお着き――! 王爺様、王妃様の命を受け、賀儀を捧げ奉る!」


王府の長史が重々しい足取りで正堂へと入ってきた。背後には刀の柄に手をかけた二列の近衛兵が居並び、凄まじい威圧感を放っている。長史は黒錦の目録を広げ、声を張り上げた。


「新任の左少監・謝必安(シャ・ビアン)へ下賜あらせられる! 蜀錦(しょくきん)、六十疋! 南珠(なんしゅ)、二箱! 純色の汗血宝馬(かんけつほうば)、一対! 百年の紫芝(しし)、極上の鹿茸(ろくじょう)、各四箱! 王府制式の赤金の酒器、一揃い! さらに――武陵王直筆の祝辞一通!」


現銀は一文たりとも含まれていなかった。 謝必安(シャ・ビアン)は頭を垂れながら、頭の中の算盤を猛烈な勢いで弾いていた。 上等の蜀錦に南珠が二箱、安く見積もっても千両の銀には化ける。あの汗血宝馬の一対は金を出しても買えない垂涎の的だ。純金の酒器と貴重な生薬を合わせれば――。 寸分の狂いもなく、きっちり数千両の価値に相当していた。


非の打ち所がなく、体面を保ちつつ、容易に現金化できる完璧な「口止め料」だった。


謝必安(シャ・ビアン)は両手を高く掲げて目録を押し頂き、満面に真に迫った歓喜と感謝を浮かべた。「王爺様、王妃様の過分なるご恩情、平伏して拝受いたします! 王府の盛徳、骨の髄まで刻み込み、粉骨砕身朝廷に尽くす所存にございます!」


長史は謝必安(シャ・ビアン)の顔をじっと見つめた。辞去する間際、半歩歩み寄って声を極限まで潜めた。


「謝少監は真に時勢を弁えた英傑であられる。王妃様より言いつかっております、あの全身が白き小猫は王妃様が甚くお気に召され、この二日は王府にて手厚く養生させるとのこと。明後日の朝、北門の官道にて、王府より少監の北巡への程儀(ていぎ)を別途調達してお送りいたしますゆえ」


謝必安(シャ・ビアン)は低く応じた。「長史殿、王妃様へお伝え願いたい。下官の差配、常に一分の隙もございませぬと。明日は当家でささやかな宴を催します、もしお時間が許せば、長史殿も是非お立ち寄りを」


長史は微かに頷き、それ以上は語らず、近衛を率いて大股で立ち去っていった。


謝必安(シャ・ビアン)は正堂の太師椅子(たいしいす)の背もたれに体を預け、笑いすぎて強張った頬を揉みほぐしながら、長く濁った息を吐き出した。脇の机の上には、名門世家や各官庁から届けられた名刺と目録が山のように積み上がっていた。


二師兄は青煉瓦の床に素足で胡坐をかき、王府から届いたばかりの純金の酒壺を柄杓代わりに使って、冷たい水をゴクゴクと喉を鳴らして呷っていた。壺を乱暴に下ろし、斜に構えて謝必安(シャ・ビアン)を嘲る。


「おい小弟、役人稼業の味はどうだ? 部屋いっぱいに金銀を掻き集めたようだが、俺の目には、お前の首に巻かれた絞首縄がますますきつく締まっていくようにしか見えんぞ」


銜蝉(シェンチャン)が机に飛び乗り、太い前足で小箱の中の真円の南珠を転がしながら、念話で不満を漏らした。『親父ぃ、また真珠かよ。この連中、もっと美味いものを送ってこれねえのか?』


謝必安(シャ・ビアン)は猫を無造作に払いのけ、王府の目録を火鉢の炭火へと放り込んだ。炎が舌を伸ばし、一瞬にして錦の布を灰へと呑み込んでいく。


炎の光が謝必安(シャ・ビアン)の瞳を照らした。机の上の『驚蟄(きょうちつ)』を指先で撫で、低く呟く。 「三千両で口を噤む、か……この金をどう回すか、じっくり知恵を絞らねばならんな」


彼は二師兄へ向き直った。その顔から、先ほどの疲労の色は綺麗さっぱり消え去っていた。 「師兄、飲むのはそこまでだ。裏庭のあの忌まわしい骨どもだが、ちょうど陽が中天にある。慈悲の心を発揮して……弟弟子に手を貸してくれ」


二師兄は大口を開けて白い歯を剥き出しにし、純金の酒壺を机へドンと打ち据えた。 「南無加特林仏《なむガトリングぶつ》。あれだけ馳走になったんだ、お前のこのボロ屋敷を綺麗さっぱり清めてやるよ。明日客を迎えて幽霊騒ぎになっちゃ敵わんからな!」


†


【司天監(してんかん)内部メモ】


官界における義理の換金レート早見表:


名門世家より贈られし書画は、正堂に掲げて体面を繕うべし。


朝廷の同僚より贈られし物は、概ね紛い物なり。


皇親国戚より賜りし物は、総じて品位極めて高し。ただし換金を要する折は、官営の質庫(しっこ)へ持ち込むこと莫(なか)れ。






**【作者より・短期休載のお知らせ】**


いつも『世説新鬼』をお読みいただき、ありがとうございます。


10月21日から10月31日まで上海へ旅行に出かけるため、その間は少しだけ連載をお休みします。


**11月2日(月)より、通常どおり更新を再開する予定です。**


謝必安たちには申し訳ありませんが、作者もたまには休暇をいただこうと思います。


もっとも、司天監の雑項科に有給休暇があるとは思えませんが……(笑)


いつも読んでくださる皆さま、本当にありがとうございます。


11月2日に、またお会いしましょう!


銜蟬と阿奴が、これからも皆さまを守ってくれますように。


仔猫

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