第63話 フェロモンを撒き散らす
日曜日の昼下がり、珍しくシンは一人で待ち合わせ場所で棒立ちしていた。
シオンにはどこに行くのか、誰と会うのか、いつ帰るのか、ついて行って良いのか、などと詰め寄られたが察してくれたアレクサンドレの機転により外出に成功した。
「随分早いわね」
彼女の私服姿を見るのは初めてだ。
凛々しいスーツ姿も麗しいドレス姿もお洒落なバトル衣装も似合っていると思っていたが、可愛らしい雰囲気の服もよく似合っている。
仕事中の表情、パーティーでの表情、バトル中の表情と見てきたが、プライベートの表情はこれまでにない柔らかさが滲み出ていた。
ただの高校生が社会人の女性と二人で出かける機会など無く、やはりシオンについて来て貰った方が良かったか、と後悔しながら紙袋を渡す。
「これ。この前、壊してしまったので」
言葉足らずなのは承知の上だが思うように頭も口も働かない。
冬姫こと、黒川 冬姫は不器用ながら一生懸命なにかを伝えようとしているシンの意図を汲み取り、差し出された紙袋を手に取る。
「立ち話も何だから喫茶店にでも入りましょうか」
彼女に連れられ店内に入ったシンは彼女と同じものを注文し、改めて日本代表決定戦での事を謝罪した。
悪気は無かったにしても、自分の使役する【魅惑の小悪魔】によってネックレスを破壊してしまった事を気に病んでいたシンは、フランス旅行の際に黒川が身につけていたネックレスに似た物を探して購入していた。
袋に入っていた箱の中からゴールドのネックレスを取り出す。
一般的なハートや花ではなく、林檎モチーフのネックレスを首元に添えて微笑む黒川を直視できず、顔を背けた。
「ありがとう。大切にするわ」
頭を下げながら慣れた手つきでネックレスをつける彼女を横目で見届けるシンの背後に立つ人影。
ゾッとして振り向くと冷ややかな眼差しで見下ろすシオンがそこに居た。
「ふぅん。早速、浮気……。【色欲の魔兎】と契約出来るって事はそういう事なの?」
「シオンっ!?」
「"物真似猫"!?」
この場にシオンが居ることが信じられないシンはあんぐりと口を開きながら彼女を見上げる。
黒川も同様の反応だったが、なぜフランス人プレイヤーが日本に居るのか理解出来ず、シンとは異なる事に驚いていた。
「初めまして、"黄金林檎"。日本代表決定戦は拝見させていただきました。その節はうちの"魔王"がお世話になりました」
数ヶ月で日本文化に馴染んだシオンの言葉を聞き、より一層の疑問が募る。
黒川が促す前にシンの隣の席に着席したシオンは当たり前のように注文を終え、彼女の胸元へ視線を巡らせた。
「あの時、買っていたものね。"黄金林檎"へのプレゼントなら言ってくれれば良かったのに」
二人の雰囲気からただならぬ関係だと察した黒川は大人な対応として、詮索する事なく話題を切り上げた。
シンとしては謝罪と弁償という目的は果たした為、折角の日曜日をダラダラと過ごしたいのだが、自分から呼び出した手前、勝手に帰る訳にもいかず三人でのお茶会が始まった。
「"物真似猫"って呼ばれてるのか?」
「ネットではね。フランスで実際に呼ばれた事はないけど」
シンは唯の会話をしているつもりだが、シオンはこれ見よがしに自分達の仲睦まじさを黒川に見せつけている。
そんな若者を前にして黒川は微笑ましい気持ちになってしまった。
当初からシンの事は気に入っているが男性としては見ておらず、今以上の関係性に発展させようなんて考えはない。
しかし、シオンにとって黒川は敵なのだ。
敵意のこもった視線を受け続けても黒川は全てを「可愛い」で片付けてしまい、余計にシオンの感情を逆撫でする。
「俺、ちょっとトイレ」
シンの姿が見えなくなると黒川は耐えきれなくなったのか笑い出し、涙を拭きながら不機嫌なシオンに謝罪する。
「彼の事を言えないわよ。【羨望の小悪魔】と契約しているって事は余程の嫉妬心を持っているのでしょう?」
世界大会で初お披露目となった世界で二番目に契約されたカテゴリーdevilのカードは【羨望の小悪魔】というシオンの相棒で、【魅惑の小悪魔】に負けず劣らずのスキルと効果を持つ強力なカードである。
しかし、最終進化形態である【嫉妬の魔猫】は一度も使用していない為、誰もその真の強さを知らない。
「ふん。あんたが色目を使ってるのは分かる」
「否定はしないわ。別に彼を奪おうなんて考えていないけど、貴女も分かるでしょ? 彼は女を惑わせる」
それはシオンも黒川も初めてシンに会った時から感じていた。
本人は気付いていないが、日常的に【魅惑の小悪魔】の『攻撃対象にならない』というスキルが発動しており、その恩恵を受けている。
男女問わず、特に異性に対して思考を惑わせるフェロモンを放っており、シンが人気者になったのはその魅力がテレビ越しに伝わったからである。
鈍感な性格が幸いしたのか、災いしたのか、彼はシオンのように極端なスキンシップを取らない限り、異性からの好意には気付かない。
二人の思惑がぶつかり合う中、スマートフォンを見ながらシンが戻ってくる。
「すみません。なんか友達に呼び出されて。俺、行きますね」
大袈裟に溜め息を吐く二人に戸惑いながら財布を出すシンの手を握り、黒川は首を振った。
「ご馳走様でした」と爽やかな笑顔を向けるシンはシオンをチラリと見て、彼女が腰を浮かせた瞬間に椅子を引く。
一切無駄の無い動きでシオンをエスコートしているが、彼はこれを無意識にやっていた。
上手く、飼い慣らされてるわね、と店内から去っていく彼らを見届ける黒川は冷めてしまったコーヒーを退けて、胸元で輝く林檎のネックレスを撫でるのだった。




